8

……くっっっっそ眠い。
もはや力の入らない腕を無理やり持ち上げ、時計を見る。深夜2時30分。バカだろ。いや信じた俺もバカだけど一番のバカはあのクソ猫だ。クソ猫オブザイヤーのMVPだこんちくしょー。もー寝る。俺は寝るぞ。寝るったら寝る。やってられっか。
持ち上げていた腕を落として、仰向けのまま目を閉じる。頭が枕に沈み、暖かい毛布に包まれ……ああ、やっと、眠れ、。

『おっとまだ寝るには早いよ、アヤくん』
「ぉあッッ!?!?」

ドス。容赦なくお腹に紫色の塊が乗っかってきた。当たり前のように構えていなかった俺は腹に1万ぐらいのダメージを食らった上に、突然の出現に心臓が飛び跳ねてそのままビョンビョン跳ね続けている。
薄暗い部屋でやっと状況を把握したとき、一気に怒りが沸点に達して未だ腹の上に乗っているクソ猫を叩き落とした。ついでに毛布を上から素早く被せて閉じ込め、揉みくちゃにしてやる。

「バッッカじゃねーのお前!?ふざけんなよ俺今すっげー気持ちよく眠れそうだったのに……っ!っあー腹いてえー!」
『ごめんごめん、わざとじゃないんだよ』
「わざとだろ!?尻尾掴みの刑だオラァ!!」
『ちょっとまって毛布退かしてよアヤくん!うわあなんて地味な嫌がらせ!』

ははは。暴れれば暴れるほど熱がこもって熱くなる毛布に一生包まれているが良い。バタバタ動く尻尾も足で押さえて完璧だ。……と思ったら、毛布の上から俺の腕に噛みついてきやがった。咄嗟に飛び離れると、すぐさま擬人化したロロが息を荒くして俺を見ている。俺は腕を見て、ほんのり赤く残っている歯形にロロを睨みつけた。お互い様だ馬鹿野郎。

「こんなことやりに来たんじゃないんだけど」
「俺だってそうだ。で、なんなんだよ」
「……あんまり音は立てないように」
「?」

ゆっくり立ち上がったロロが、窓際に寄りカーテンの端を掴んで少しだけ捲った。何も言わず目配せをしてくる。それに従い、俺もなるべく音を立てないようにベッドから静かに降りて窓際へ向かった。
ロロの腕の下で中腰になって窓の外をソッと見る。町は眠りについている。電気も街灯だけしかついていない。この辺だともはや月明りに頼るしかないだろう。

「……なんだよ、何も見えないじゃん」
「人間の聴力じゃ聞こえないのかあ」
「お前には何か聞こえてんのか?」
「まあね。……それじゃあ、あっちをずっと見ててごらん。少しだけなら見えるかもしれない」

小声で窓の右隅を指差すロロ。少しだけ身を乗り出して、言われたとおり右端をじっと見てみる。
あっちはポケモンセンター内の施設の一つであるバトルフィールドがある場所だ。あそこにも街灯がぽつぽつあるものの薄暗いことに変わりはない。
──……ふと、地面の色が揺らぐ。しかしそう見えたのは一瞬だけだ。見間違いだと思って無言でロロに視線を向けると、笑みを浮かべたまま何も言わずに首を左右に振る仕草を見せた。それからもう一度窓の外に視線を向けて地面を見てみれば、また揺らぐ地面。街灯のオレンジ色と地面の茶色が混ざる色のなか、黒くなりきれない影が行ったり来たりを繰り返していた。

「あそこに誰か、いるのか……?」
「さて、誰でしょう」

カーテンから手を離して壁に寄りかかっているロロを見た。それから背筋を伸ばして、スリッパからスニーカーに慌てて履き替える。

「もっとよく見える場所、お前なら知ってんだろ。俺も連れてけよ」
「え?それが人に頼むときの言い方?」
「チッ……連れていって、ください」
「お願いします」
「……オネガイシマス」
「うん、よろしい」

満足気に頷きながらドアを静かに開けて背を向けるロロ。
小指挟まれろ。何もないところで足引っ掛けてド派手に転べ。開けきれてないドアに顔面強打しろ。……俺の呪いじみた強い願いも虚しく、すべての扉を抜けて部屋を出た。
吹き抜けの階段下、受付カウンター付近のみ電気がついていて、あとは小さなオレンジ色の光が申し訳程度でついているだけ。廊下も静まり返っている。まるで俺たち以外、誰もいないようだ。

「ここはね、星も綺麗に見えるんだよ」

階段を上り、屋上に出た。普通屋上って鍵がかかっているものではないのか。ロロに聞けばポケモンセンターの場合空から患者が運ばれることもあるから鍵はかけられていないんだとか。納得。
少し肌寒く感じたが、空気が澄んでいてすごく気持ちがいい。ロロの言う通り、頭上の星空も綺麗だ。そういや猫は高いところが好きなんだったっけ。だからロロはこの場所にも足を運んでいたのか。

「さ、これでよく見えるでしょう」

体重を傾けて柵に寄りかかるロロの横に立つ。そして、斜め下に視線を落とした。
──……深夜の誰もいないはずのバトルフィールドに、二人はいた。思わず柵を握りしめ、その姿を食い入るように見る。
イオナと祈が、バトルをしていたのだ。そこでやっと、祈の膝裏の痣の原因に気が付いた。昼間だって俺と一緒にあんなに練習しているっていうのに、夜中までやっていたなんて。驚きすぎて言葉が何も出て来ない。

「すごいよ彼女。努力家なんだねえ」

見ていれば何度も祈はイオナの長い尻尾に吹っ飛ばされていた。しかしすぐに立ち上がり、再びイオナ向かって走り出す。相手が女子であろうと容赦ないところはイオナらしい。いや、そうだ。たぶんこれは特訓だ。甘くしては意味がないんだろう。
ふと、祈が飛び跳ねると尻尾が銀色に輝くのが見えた。そのままイオナに振りかざし、尻尾と尻尾が激しくぶつかり金属音を鳴らした。

「アイアンテール!?い、いつの間に、」
「驚くのはまだ早いよ、アヤくん。イオナくん、祈ちゃんが覚えられそうな技を全部叩き込んでるみたいでさあ。そりゃもうスパルタすぎて見てられないぐらい」
「──……祈、」

俺は今もなお努力をしている。でも、こんなの見せられたら俺の努力なんてちっぽけなものだ。俺が知らないだけで、祈は俺の数十倍……いや、数百倍の努力をしていた。
祈は何のために、こんなに頑張っているのか。

「アヤくんはさ、どうしてまだ先に進めないんだと思う?」
「それは、……挑むのが、怖いから。……だと思う」

また負けたらどうしよう。判断ミスをしたら。頭が真っ白になってしまったら。……頭の中であの時のジム戦が何度も上映されている。それを一人で震えながら見続けているのが、この俺だ。

「君が不安に思うのも分からなくはない。でもよく考えてごらんよ。怖いと感じているのはもはや過去の出来事でしょう」
「そりゃ、……そう、なんだけど」
「おおーっ、すごい。あれを避けるかあ」

口笛を鳴らすロロの視線の先を見ると、イオナの尻尾が地面に突き刺さっていた。そのすぐ横、尻尾の影に隠れてしまっていたであろう祈が飛び出してきてアイアンテールを繰り出す。イオナは地面に刺さったままの尻尾を利用して避け、また祈に尻尾を振るう。すると今度は祈が、先ほどのイオナとそのまま同じ動きで避けたのだ。……速さやキレはイオナの方が上回っているが、祈がそれに必死に追いつこうとしているのが見て分かる。そしてそれが、決して不可能ではないということも。

「もう過去の祈ちゃんじゃない。それにアヤくんだって違うでしょう?……あ、少し背が伸びた?」
「へへ、背だけじゃないぜ。筋トレもしてるから体も……ってそうじゃなくて!」

危うくロロのテンポに巻き込まれるところだった。……眼下では未だバトルが続いている。見るところ、アイアンテールの練習も兼ねているんだろう。二人してさっきから技はアイアンテールのみで戦っている。なのに色んな動きがある。一つの技でも動きや使い方が違うだけで別の技のようにも見えるものなのか。

「アヤくんは強くなるにはどうすればいいのかって、俺に聞いたよね。それは肉体的なことじゃないでしょう」
「……うん。精神的に強くなれば、挑むのも怖くなくなるかなって思って」
「しかし心はそう簡単に強くなれるものじゃない。それは君も分かっているはず」
「だから他に何か方法はないかと思ってロロに聞いたんだ」
「あはは。そんな近道があればいいんだけどね」
「……んだよ。結局ロロも分かんないんじゃん」

今夜悩みは解決するかもしれない。期待を少しだけしていたが、やはりだめだったか。そりゃそうか。ロロだってなんでも知っているわけじゃない。
……でも。分かったことがある。前へ前へ進む祈を見て、俺はやっと分かった。不安や恐怖を打ち消すには、どうすればいいのか。結局凡人は努力を重ねるしかないらしい。……い、いやいや。俺は凡人じゃない、と思いたい。ともかく、ヒーローだって努力はする。そうして少しずつ強くなるんだ。そうだ。そうに決まってる。

「俺に足りないのは、経験と自信だ。そうだろう」
「その通り。君にはバトルに関する自信が無い。自分に自信はあるのにねえ」
「まあ?自分で言うのも何なんだけど俺顔はいい方だし?運動できるし頭もいいし?そのうち身長も伸びてますますかっこよく、」
「うんうんそうだねそうだね」
「最後まで聞けよ」

軽くあしらうロロを横目で見る。するとロロが今度は背を柵に預けて両腕を乗せ、足を軽く交差させて俺を見る。何も言わず、見ているだけだ。
言われなくても分かるさ。経験は仕方ないとしても、バトルに対する自信をつけるにはバトルを知る必要がある。そしてそれをよく知る人物が、またしても頼らなくてはならないヤツが。……ロロなのだ。

「いつでもどうぞ」
「ほんとムカつくな。あー、なんでほんとお前なんだよチクショー……」
「はいアヤくん」
「あーっもう!……俺にバトルを教えてください!オネガイシマス!!」
「よろしい」

どうしようもなくその場で地団太を踏んだ。踏んで踏んで、踏みまくった。ロロの顔が床に付いている設定にしてさらに踏む。
そんな中、ロロが俺の横を小さく笑いながら通り過ぎた。どうやら戻るようだ。祈とイオナはまだやっているが、多分そろそろ終わりにするんだろう。そんな雰囲気だ。仕方なくロロのあとを追って、俺も屋上から廊下へ戻り階段を下りる。


冷たい頬のまま部屋に戻ったとき、欠伸が出た。時間は3時15分。……明日はゆっくり起きよう。
また欠伸をしてから個室に戻ろうとすると、ロロが俺に声をかけてきた。面倒くさく思いつつ視線だけ向けてみる。

「なんだよ」
「アヤくんに足りないもの。経験、自信。そしてあと一つ」
「……」
「信頼すること。誰を、っていうのは言わなくても分かるよね」

それじゃあおやすみ。、ひらり片手を振って隣の部屋に入ってゆくのを見た。俺も止めていた足を動かし、部屋に入る。ゆっくり扉を閉めてからベッドに沈み込む。

俺は見た目で判断して甘くみていた。多分内心でも頼りなく思っていたんだろう。俺が引っ張っていかなければいけない、とか。しかしそれは大きな間違いだったんだ。ああ、いつの間に立場が逆転していたんだろう。

彼女は、信頼するに足る相棒になっていた。




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