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イーブイは擬人化が下手なようだった。耳と尻尾は残ったままだし、靴なんて皮膚と一体化している。そういや町中でもこういうのがいてトルマリンは「擬人化が苦手なポケモンも、沢山いるっス」とかなんとか言っていたっけ。

「さてアヤくん、これからどうする?」
「どうするって、何が」
「旅のことだよ。このまま先に進むのもいいけど、やっと念願の手持ちが加わったわけでしょう?戻ってジムに挑むっていう選択肢もあるよ」

朝飯も済ませて、今は俺の一言で決まった色々な手続きをイオナが部下に引き継いでいるところである。やはりイオナは変わらず俺たちと一緒に旅をするようだ。俺たち、というかロロについてくるというか。
さて、俺はといえば、正直なところイーブイをとっとと早く進化させたいと思っている。なぜなら進化後のほうが圧倒的に強いからだ。石も宝石と一緒に全種類揃っていて有り難く頂戴してあるし、今すぐにでも進化させられる現状なのだが。

「そういやイーブイはどこいった?何やってんだ?」
「お祈りだって。お母さんと一緒にやってたらしいけど、思い出して辛くなるから今日で最後にするってさ。強い子だね」
「……ふうん」

……切り出せない。いいや、しばらくはイーブイで戦おう。となれば、やはりまずはレベル上げだ。すでにヒウンシティに来てしまっているけれどもやっぱり俺はジム巡りをしたい。とにかくバトルがしたい。
腕に付けているライブキャスターのボタンを押して地図を画面に表示する。一番最初のジムはヒオウギシティにある。ジムリーダーは、ゲームと変わらずチェレンのままならノーマルタイプのジムってわけだ。

「さて、話を戻そう。ジムに挑戦する前に、バトル練習しないといけないことは分かるよね?」
「分かってるってーの。どうせお前もイオナも相手してくんねーだろうし、俺とイーブイだけで草むら歩き回るつもりだから」
「そもそも俺とイオナくんじゃレベルも違いすぎて相手にならないでしょう。でも俺もついていくよ。イーブイちゃんが心配だしね。イーブイちゃんが!!」
「ほんっと腹立つ……」

にやにやしているロロを横目に、バッグを引っ張ってきて荷物を押し詰める。久しぶりに四次元バッグの出番だ。学校へ行くのに使っていたバッグがまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。今更しみじみと凄さを感じてしまう。もしかするとこのバッグの先には宇宙が広がっていたりして。……なんてな。

「それよりもアヤくん、君は手持ちポケモンに名前を付ける人……ではなさそうだよねえ」
「俺、名前は付けない派」
「じゃあ聞こう。もしもイーブイちゃんが迷子になったとしよう。たまたまイーブイちゃんがイーブイの群れに遭遇していたとして、イーブイ!て呼ぶとみんながみんな振り向くんだよ。さあ君はどうやって彼女を見つける?」

手を止めて、ソファに座ってミルクをたっぷりに入れたコーヒーを飲んでいるロロを見る。俺に返される視線は当たり前のように楽し気だ。……つまり、ロロは俺に"イーブイに名前を付けろ"って遠まわしに言っている。ご丁寧に俺が名前を付けざるを得なくなるようなシチュエーションを想定した上で話してきた。そんなバカみたいなことあるもんか。とも思うけど、突然キュレムが出てきたり男が男をストーカーしていたりする世界だ。あり得ないとは言い切れない。

「……俺さあ、女子っぽい名前とかぜんっぜん分かんないんだけど」
「直感でいいんじゃない?ひよりちゃんもそんな感じだったし」
「母さんは……まあ、そうだよな。チョンチョン跳ねながら歩くからっていうアホみたいな理由で"チョン"って付けてるぐらいだもんな」
「あ、ああうん……そうだよね……」
「?」

なぜかロロがばつが悪そうに視線を逸らす。それはともかく、名前、……どうしよう。直感でいいとか言われるとますます訳が分からなくなる。なんせ俺の頭がスッと出してくる単語は「シャイニング」「ブラッドデーモン」「レッドクロス」とかそういうのばっか。可愛げが全くない。逆に可愛いものでイメージするのが、うさぎ、ハート、ピンク……はあ、だめだこりゃ。

「お待たせいたしました。……おや、彼女はまだ戻っていないのですか」

ガチャリ。扉を開けてやってきたイオナが部屋を見てから俺を見た。……はいはい、俺が呼びに行ってきますよーっと。絨毯に手をついて立ち上がって、イオナと入れ替わるように部屋を出る。

長い廊下を歩いた先、奥の部屋。白い扉をゆっくりと開けた。真っ先に目に入るのが大きな十字架のマークだ。高い天井にはまさに教会みたいな絵が広がっている。その前には長椅子が綺麗に並べられている。ビルの中にあるここは、昔は一般市民にも開放していたらしい。しかしそれももう無いらしく、だいぶ埃っぽい匂いがしていた。

「……あ、アヤト、」
「いいよゆっくりで。待ってるから」
「……うん、ありがとう」

真っ直ぐ十字架に向かって伸びているレッドカーペットの上、イーブイは人の姿で膝立ちをして両手を胸の前で組み、目を閉じながら天を仰いでいた。神に祈りを捧げるなんて、まるで人間だ。

「かみさま、あなたはこのようなわたしのいのりをきいてくださり、くるしみとかなしみと、ぜつぼうのなかからすくいだしてくださいました。かんしゃします」

この世界に来てからというもの、人とポケモンの差が本当に微々たるもののように思えて……いや、むしろほぼ一緒だと思い始めてしまっている。それはそれでいいと思う。ロロだってそう思うことが正しいと思っているから、最初に俺は牧場で一人野宿することになったんだ。でも、時々ふっと、思うことがある。

「どうかわたしをみちびいてください。アルセウスのみなによっていのります……」

──……本当に、それでいいのだろうか。

「アヤト、おわったよ」
「…………」
「……アヤト、?」
「──……あ、ああ」

ぼんやりしていた。目の前で小首を傾げるイーブイから視線を逸らして落とす。……いいや、考えるのはやめよう。どうせ答えはでないし疲れるだけだ。最悪、またロロに怒られそうだし。

「そ、そういえばさ。お前お祈りの言葉?とかよく知ってるんだな」
「おかあさんといっしょに、まいにちしてたの。わたしが、いつもしてたこと。きょうでおわりだけど」
「お祈りが日課とはねえ…………あっ!」
「?」

イーブイを見る。ピンときた。直感で決めていいのなら、まさにこれだ。

「決めた。お前の名前!」
「……わたし、?」
「そう!お前の名前は、いのり!祈だ!」
「──いのり、」

呟くイーブイこと、祈を見るとぽかんと口を開けていた。それから瞬きをゆっくり繰り返しながら俺から視線を外さない。……な、なんだ。もしや名前が気に入らないのか。そ、そしたら……うーん、……どうするう!?

「アヤト、」

頭を抱えている中、急に祈が抱き着いてきた。背中に回っている細い腕が、ぎゅうと締め付けてくる。……な、なんだこれは。こんなスキンシップされたら惚れちゃう。俺なんかこういうので簡単に落ちちゃうからやめてくれ。身体を硬直させたまま、目線だけ何とか下に向けると、尻尾がぶんぶんと左右に揺れているのが見えた。もしもリヒトと同じようならこの動きは、。

「っわたし!すごく、すっごくうれしい……っ!いのり、とってもステキななまえ!」
「お、おう!だろうっ!?」
「アヤトは、かみさまなのかもしれない」
「ん?……なんでそうなった??」
「だって、なまえをあたえるのはかみさまのやくめでしょう?」
「そ、それはどうだろうなー?」

ものっすごくキラキラした目で見上げられたら、そりゃ全否定なんてできるわけがない。ま、まあ世界の始まりあたりまで遡って考えれば色々なものに初めに名前を付けたのはもしかしたら神様なのかもしれないけれども。……俺は、神様なんてポンコツになんて絶対なりたくない。

「あっ、わたし、かみさまのまえでなんてことを……」

ハッと思い出したように俺から離れて十字架に向き合う祈を見て、少し面白くなった。
神様なんて、俺たちのことなんてこれっぽっちも見ていない。いくら祈が祈りを捧げてもきっと一言だって聞いちゃいないだろう。だってちゃんと聞いていたのなら、祈の母親は生かされていたはず。神様って、そういうものだ。

「いのり、"どうか私を導いてください"って、言ってたよな」
「うん」
「神様は、アルセウスは、きっと他にも導くやつらが沢山居すぎて、今はもう手一杯かもしれない」
「……うん」

俺は、神様なんて嫌いだ。クソみたいな世界しか生み出さないところとか、俺を主役にしないところとか……リヒトや祈を救ってくれないところとか。本当に大っ嫌いだ。
だから俺は、なるなら神様なんてクソ野郎じゃなくて。

「迷うのなら、神様じゃなくて俺の手を取っておいたほうがいいと思う」
「え……?」
「だってほら、俺だったらすぐ傍にいるじゃん。だからさ、神様よりも俺の方が早くお前の力になれる。そう思わないか?」
「……っおもう!」
「だろ?じゃあ、一緒に行こうぜ。ロロたちも待ってる」
「うん……っ!」

──……伸ばした手を、手が拾い、握る。
ごく自然に握り返されて、ふと意識し始めると何だか急に恥ずかしくなってきた。でも、後ろにある十字架から俺と一緒に離れていく祈を見ていたら、嬉しくなってきて。
今なら、神様にだって勝ち誇れる気さえした。




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