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「ひよりちゃん、ポケモンの言葉が分からないってほんと?」

キューたんはお酒が飲めない。本人から聞いたわけじゃないけど、以前マシロさんと飲み比べしているところを見てからお酒は出さないようにしている。まあ、今日は「僕」くんもいないみたいだし酔っても泣き出したりはしないだろうけど、色々面倒くさそうだしやめておこう。

「前回と召喚のされ方が違えからな」
「そっか、前はマシロさんの力の一部がひよりちゃんに合ったから言葉が分かるんだったっけ。無くなれば分からなくなるのは当たり前か」
「ま、そんなのひよりはこれっぽっちも気にしていねえみたいだがな」
「"ポケモンの声が聞こえないのも新鮮で面白い!"とか言いそう」
「流石だぜ、まんま同じこと言ってた」
「でしょ」

片腕をソファに広げてひっかけながらペットボトルを傾ける。ジュースも沢山並べて置いたのに結局水を選んだのか。つまんないなあ。
借りた客室は広すぎて二人ではまだ余る。小さい頃はこれでも狭いぐらいだったのに。……備え付けられていた冷蔵庫から適当に持ってきたワインを開けてグラスに注ぐと鮮血のような色をしていた。

「──……それで、例の研究所はどうなったの」
「どうもこうも、ぶっ壊した俺様への怒りを全部修復にぶつけてやがる。来週中にはまた元通りになるんじゃねえか」
「……早いな……」
「それと気になるものも見かけた。俺様の破壊光線でもぶっ壊れなかった代物だぜ」

ソファ手前にあるテーブルに写真を押し付ける。こっちに持ってきてくれる気は欠片もないらしい。仕方なく、俺が席を立ってテーブルまで向かって写真を手にした。人形の彼らが撮ってくれたものだろう。ただかなり距離があったためかぼやけていて"これ"が何だか検討も付かない。
顎に手を添えながらじっと見ていると、食べ物を探しに行くのかキューたんが俺の後ろを通ってキッチン目指して歩き出していた。なんだよ、どうせ立つなら写真をこっちに持ってきてくれたって良かったじゃないか。

「なんだろうこれ、……筒、みたいな、……」
「以前、プラズマ団のクソ野郎共がモヤシ野郎を閉じ込めていた筒にそっくりだった」
「中にポケモンが閉じ込められていると?」
「さあな。そこまでは見えなかったが、相当厄介な物に違いねえ」

両腕に色んなものを抱えて足で冷蔵庫を蹴り閉めると、再びソファにどっしり座るキューたん。そこから俺はつまみになりそうなものを取ってから戻って椅子に座り、グラスを傾ける。

「Nくんはどうなの」
「はは、毎日のように頭を抱えて唸ってるぜ。トウヤはまだしも、ちっせえポケモンにも励まされてやがる」
「やっぱりそうか」

研究所。公認された研究所以外にもこの地方には多数存在している。むしろ公認のものよりも数では上回っているだろう。昔からあるものの、ハーフという存在が確認されてからは一気に増えたような気がする。
非公認の研究所では、大抵がポケモンを使った残虐的人体実験施設となっている。何処もひどいものではあるが、特にハーフを取り扱っている研究所は最も倫理から外れていると言われていた。

現在、イッシュ地方全体を治めているのはNくんだ。彼を中心に現チャンピオンであるトウヤくんや各地方のジムリーダーが協力、支えあってこのイッシュ地方は成っている。
Nくんといえば、ポケモンラブ!な人間だ。そんな彼が非公認の研究所を見逃すわけがない。彼のおかげで無くなった研究所もあるが、一時的なものがほとんどで、まあ、それが現実だ。潰されては逃げて、また造りの繰り返し……。

「人間どもなんか無視してとっとと全部潰しちまえばいいだけだろーに」
「そうはいかないよ。民あっての王様だもの、多くの民から反感を買えばNくんはたった一つの研究所すら潰せなくなってしまう」

そう、一番厄介なのは一見善良な民たちだ。もちろん全部がとは言わないし分かっているけれど、善の中に悪が紛れていることも知っている。……せめて研究所を利用する民さえいなければ、非公認の研究所を無くそうとするNくんが批判されることもないだろうに。

「チッ……クソめんどくせえ」
「あはは、Nくんもトモダチがキューたんじゃなくて話の分かるマクロくんで良かったよね」
「よーし、テメエの毛皮剥がしてコートにしてやる。肉だけ森に逃がしてやるぜ」
「俺の毛皮は最高級すぎて野蛮な君には似合わないと思うよ」

飲み干したグラスに鮮血を注ぐ。真っ赤な水滴が一滴、二滴と垂れてテーブルに落ちた。二つが合わさってぷっくりとした雫を作る。そこに小さく映っていた自分を見てから、すぐに拭き取る。

「……さて、どうしたものか」
「言っておくがもうやらねえぞ。一度ぶっ壊しただけでも有難く思え」
「それは本当にありがとう。キューたんみたいな伝説ポケモンぐらいしかあんなのできないよ」
「へっ、もっと褒めてもいいんだぜ?」

ソファにふんぞり返って俺を得意げに見ている。相変わらず偉そうだけど子どもと一緒だと思えばだいぶ気に障らなくなる。ずいぶんと身体がでかすぎる子どもではあるけれど。

それにしても、建て直しが早すぎる。あの写真のことも気になるけれど、やはり一番の心配はリヒトくんだ。たまにアヤくんと話しているのを見かけるけれど、今のところ変わらず元気そうではある。……実際のところ、どうなっているのかは分からないが。
俺にはひよりちゃんと"アヤトを守る"という約束がある。大切なマスターの願いだもの、破るわけにはいかないさ。アヤくんは出会った頃より少しはマシになったけど、未熟な点が数えきれないほどあるし今後もよく見ていかなければいけない。精神面はまだ未知数だから何ともいえない、けれど一つだけ、薄っすらと予感していることがあった。

──……リヒトくんが崩れた瞬間、アヤくんも崩れるだろう。
それだけは駄目だ。絶対に避けなければ。なら俺は、……、

「難しく考えんなよ、馬鹿猫」
「え」
「お偉いさんどもが束になっても対処できてねえんだ、テメエがどうにか出来るわけねえだろ。なるようになるしかねえ。だからテメエがその時に出来ることをしときゃいいんだよ」
「……、」

俺の方なんか見向きもしないで通り過ぎ、再び食料を探しにキッチンに向かう背中を見た。

「何ニヤニヤしてんだよ気持ち悪い」
「……いやあ、キューたんもたまにはいいこと言うなあと思ってさ」
「"たまには"じゃねえ、"いつも"だ」
「はいはいそうでしたそうでしたーそれ、俺にもちょうだい」
「ハッ、嫌だ」

嫌だと言われても勝手に手を伸ばして取る。ソファから俺の向かい側に移ってきたキューたんは、別に俺がどれを取っても何も言ってこないし、うん、つまりはそういうことだ。

──今の俺にできること。それをしていけば、明るい未来が待っているんだろうか。ハッピーエンドを迎えられるんだろうか。
……いいや、決してそうとは言えないけれど。少しだけ、気持ちが軽くなったことは本当だ。




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