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「分かりました。すぐにそちらへご案内いたします」

イオナの無線機がプツンと音をたてた。それと同時に椅子から立ち上がると、暇を持て余していた俺を別の部屋へ案内すると言い出した。どこかと問えば、キッチンだと言う。

「ひよりさんが調理をするそうです。こちらの者にやらせると言ったのですが断固として聞き入れないご様子で」
「手は?平気なの?イーブイはどうなったんだ?」
「さあ。それは行ってみなければ分かりません」

行きましょう。イオナが扉を開ける。それに俺が続き、キュウムも後ろからついてくる。歩きながら後ろを軽く振り返ってみたら、つい、真っ先に目線が胸にいってしまった。反射的に慌てて前へ向き直すと、背後からくつくつと笑い声が聞こえてくる。……チクショー、さっきまで野郎だったくせになんで今女になってんだよ。胸デカいし顔も綺麗だから余計腹が立つ。せめて貧乳ブスなら今より少しは文句もぶちまけられたかもしれないのに。

「さあ着きましたよ。……おや、これはまた面白いですね」

部屋に入ると大きすぎるキッチンに立つ二人が見えた。一人は言わずもがな母さんで、もう一人はロロだ。さてイーブイはどこに行ったのかと思えば、大人しく母さんに抱えられていた。いや、正確に言うと赤ちゃんを前抱きにしている感じ。あれはなんていうんだ、抱っこ紐だっけ。とにかく赤子同然のようになっている。……訳分からん。
一緒に風呂に入っただけであんなに仲良くなるのなんで?俺が悩み続けていたここ数日はなんだったんだ?なんだか俺と母さんの違いは性別だけの問題じゃない気がする。もっと大きな……何か。

「おっ、来たねアヤくん」
「……あとで教えろよ」
「ひよりちゃんに聞けばいいじゃん」
「……」

聞きにくいからテメエに聞いてんだろーが。思わず出そうになった言葉を飲み込み、イオナに促されて席につく。既に座っていたキュウムはまた野郎の姿に戻っていた。それからキッチンに戻るロロと楽し気に調理している母さんをぼんやり眺めている。

「ロロが料理できるのって、もしかして母さんが教えたからか?」
「それは知らねえが、前から馬鹿猫とシマシマ野郎はひよりと一緒に料理してたぞ」
「シマシマ野郎って誰だよ」
「さあ?」
「……お前ほんっと腹立つな」

結局誰なのか教えてくれる気配すらなく、俺も仕方なく口を閉じた。……あれ、そういえば母さんの相棒って誰だったんだろう。この前の食事会のときに居た誰かなのは確実だが、結局誰なのか分かっていない。確か前、ロロ自身は手持ちの一人だといっていた。ロロじゃないことは確実だ。となるとキュウムか……?や、それはあり得ないな。というかあり得たら俺はもう本当に母さんに敵わなくなるからやめてほしい。

場所は変わったが待つことに変わりはない。キュウムやイオナと話すことなんてないし、まだ料理はできないらしい。手持無沙汰すぎて、仕方なく立ち上がってキッチンに向かった。いつもよりロロの声のトーンが高い気がする。

「……俺も、手伝う」
「えっ」

腕捲りをして母さんの横に立つと、驚きの表情を出したまま母さんの動きが止まった。それに合わせてイーブイが鼻をひくひくさせながらひょっこり顔を出す。……そっ、そりゃあ、今まで一回も「手伝う」なんて言ったことなかったし驚かれるのは分かってたけど、ここまで驚く必要ないよな!?

「なっ、なにやればいいんだよ。俺全然分かんねえから教えろよっ!」
「!、もちろん!」

見るからに嬉しそうにしながら野菜と包丁を用意する母さん。片手には白い包帯が巻いてある。……手のことは、あとででいいや。
料理なんて小学校のときに授業でやった以来だ。そりゃもう切った野菜だって不格好なのばっかだし切るスピードも遅い。心配そうに何度も俺の手元を見る母さんと、興味深そうに眺めているイーブイ。……こんなん見ても面白くないのに。

「いただきまーす」
「いただきます!」

料理は案外楽しいものだった。少しといえど、俺が作った料理を食べて「おいしい」の言葉を聞くと嬉しくなったし、適当に味付けしたのにそこそこ美味しかったのは我ながら料理の才能もあるのでは。なんて思ったりもした。
食べながら隣を盗み見る。……イーブイには消化のいいものを別で作った。母さんに教えてもらいながら、俺が作ったんだ。切った野菜が不揃いなのは見て見ぬふり。
それに今、鼻を近づけ匂いを嗅いで。小さな口を開いて食べてくれている。ゆっくりゆっくり、減っていく料理。

「……味、どう」
『……とっても、おいしい……』
「……ふうん」

向けていた視線を手元に戻す。食事中、イーブイと交わした会話はこれだけだった。それでもめっちゃくちゃに嬉しくてに、やける顔を誤魔化すのに苦労した。ま、まあ、ロロたちは喋ってたし誰も俺のことは見てないとは思うけど。

空っぽになったお皿を見つめた後、イーブイが少しだけ顔をあげた。母さんから俺に視線が移る。俺はちょっとだけ考えてから、手のひらをひっくり返してイーブイにゆっくり近づけてみる。数時間前は見向きもされなかった指先に、少し湿った鼻先が触れる。ひくひくと動いてから、ピンク色の小さな舌が指先を舐めた。……驚いて、目を見開く。

「……イ、イーブイ、」
『……、』

やっぱり無言のまま、ゆっくり俺から離れて母さんの膝の上に飛び乗るとふわふわの尻尾で顔を隠して丸くなった。包帯の巻いてある手がイーブイを優しく撫で始め、そのまま視線を上げると母さんと目が合ったから慌てて逸らす。……そうだ、勘違いするな。これは俺の力じゃない。全部母さんのおかげだ。……俺じゃ、ない。

「アヤくん、今日一緒に寝よう」
「はあ?」

逸らした視線をまた上げて母さんを睨む。イーブイを撫でる手は止まらず、また目の端では食べ終えた食器を素早く片付け始めているイオナとトルマリンの姿を捉えていた。ロロとキュウムは未だ無駄話を繰り広げているものの、間違いなく俺たちの会話は耳に入っているはずだ。
言っておくけど俺、当たり前のように親と一緒に寝るのなんてとっくの昔に卒業してるから。ていうか中二で親と一緒に寝てるヤツなんているのか?恥ずかしい。……って思ったけど、そういやリヒトはたまに母親が部屋に泊まりに来るって言ってたっけ。いいやリヒトは別だ別。

「隣にベッド持ってくるだけだから、いいでしょう?」
「ヤダね。俺は一人で寝たいの」
「……へー、アヤくんは一人で寝たいのかあ」

……ほらみろ、やっぱり聞こえてた。ロロがにやにやしながら口を挟んできやがった。ついでにキュウムも肘をテーブルに突いて頬を乗せたまま口角を妖しく持ち上げて俺を見ている。あの顔……嫌な予感。

「なら仕方ねえ、ひよりは俺様たちと同じ部屋になるが」
「ていうか俺と一緒のベッドになるねえ」
「は?俺様のほうだろ」
「……いや、どっちのでもないんだけど」

母さんがツッコみ役に回るなんて珍しい。いや、回らざるを得なかったんだろう。部屋ならクソみたいに沢山あるし、コイツらは冗談で言っているんだろうけども冗談に聞こえないのが気持ち悪い。……ていうかコイツらなら普通に部屋に忍び込んできそう。うわ無理。マジ無理。

「っあーもう!今日だけだからな!今日だけ!」
「ありがとうアヤくん!あ、もちろんイーブイちゃんも一緒だからね」
「……分かってるよ」

かくして今晩は、同じ部屋に母さんとイーブイも寝ることとなってしまった。まあ、別にどうなるって訳じゃないけど。

広すぎる部屋に簡易ベッドが運び込まれるのを眺めていた。それから「おやすみなさいませ」なんてよそよそしくするトルマリンの頬を一回抓ってからお互いに「また明日」で扉を閉めた。鍵もばっちりかける。これでロロたちの心配もしないで眠れる。ちなみにロロとキュウムは一緒の部屋らしい。過去に浸るんだろうか、それともくだらない会話を続けるのか。アイツらなんだかんだで仲良いんだよなあ、一見合わなそうなのに不思議だ。

「俺がそのベッドで寝るから、母さんたちはそっちのベッド使っていいよ」
「え、でも……」
「こっちに来てから殆ど野宿してたんだぜ?ベッドがあるだけで有り難い」
「そっか、ありがとう」

さっさと簡易ベッドに潜りながら、母さんたちには背を向けて毛布を口元までかける。毛布が動く音がするのは母さんとイーブイもベッドに潜り込んでいるからだろう。部屋の電気が消え、部屋の端で小さな明かりだけがと灯る。一気に静まり返った部屋の中、一度閉じた目をゆっくりと開けた。

「……母さん、……その、手は、」
「大丈夫だよ。もしかして心配してくれてた?」
「……し、してねーし」
「あはは、ありがとう」

小さく笑う声が聞こえて、唇を軽く噛みながら身体を丸める。
母さんには色々聞きたいことがある。それを聞くのは今しかないと思うのだが。だがしかし。……な、なんでこんなに聞きにくくなってんだ、俺……。どうにもうまく言葉が続かず、もそもそと毛布が擦れる音を出すしかできない。

「アヤくん、何か私に聞きたい事があるんじゃない?」
「え、……」
「いいよ、話せることは話すから」

……なんでもお見通しってか。横向きになっていた身体を仰向けにして天井を見た。ぼんやりと絵画が浮かび上がっている。それから両腕だけ毛布から出す。
正直、父さんはもちろんのこと母さんの昔のこともどうでもいいって思ってた。だけどロロやキュウムが度々口にする母さんに関することや、リヒトも言っていた"名もなき英雄"という名称について。知りたいけど知りたくない話を、聞きたい。

「……母さんは前にもポケモンの世界に来た事があるんだろ。なんで?ていうかどうやって……」
「アヤくんには話してなかったっけ。私、学生の時にトラックとの衝突事故に遭って一時期植物状態だったの」
「なにそれ。聞いたことないんだけど」

というか俺も聞かなかったからあれだけど、かなり壮絶では?そもそも植物状態からよく今の状態まで復活できたものだ。母さんって何者なの?
答えはすぐに出た。母さんはやっぱりただの人間で、今こうしていられるのは伝説のポケモンの力だと。簡単に言えば母さんは伝説ポケモン絡みの厄介事に巻き込まれたが、そのおかげで命拾いをしたということだ。ホウオウだって一度死んだ三体のポケモンを蘇らせているんだ、他の伝説ポケモンにだってできるに決まってる。
母さんの場合はそれがあのレシラムで、代わりにゲームでいうBWとBW2の主人公に成り代わり色々な出来事を処理していたと。……ということは。俺が今いるこのイッシュ地方はゲームとは全くの別物だということだ。何が起こるか誰も全く分からない世界。……俺にもまだワンチャンあるってことかな。

「そういや前にキュウムが母さんのことを命の恩人だって言ってたよな。それもあれか、シナリオ通りキュレムを助けるイベントをやったからってことか」
「──……まあ、そんな感じかな。でも、ゲームとは全然違かったよ」
「ふうん……」

BW2が発売されたのは数年前だし、母さんは何も知らずに動いていて結果としてシナリオに沿う形になっていたのかもしれない。……けどまあ、まだこれから俺にも可能性があるってことは分かったしちょっとだけ頑張れそうな気がする。

「ゲームの主人公みたいな旅をして、今も英雄なんて呼ばれて……アヤくんは、私のことを羨ましいと思った?」
「当たり前じゃん。めちゃくちゃ羨ましいに決まってる!俺だって、……俺だって主人公みたいな旅したいのに。……ぜってー母さんには負けない」
「そうなんだね。うん、……私は、……アヤくんが羨ましい」
「はあ?」

なんだ嫌味か。サブキャラな俺に対する嫌味なのか。思わず顔だけ母さんの方に向けて睨むと、暗闇の中でぼんやりと横顔が見えた。母さんはただ、静かに天井を見ている。

「思い返せば、あの時はひたすら強くならなくちゃ!ってバトルばかりしていたけど。私ね、コンテストに出たかったんだ。……もっとゆっくり色んな街を見たり美味しいもの食べたり、私とみんなだけの旅にしたかった。向こうの世界に戻ってからゲームをやってみてハッとしたよ。私は、それから大好きなみんなも、シナリオに組み込まれ振り回されていたんだって。……英雄なんて呼ばれたって、全然嬉しくない」
「…………」
「でも、今はもうシナリオなんてどこにもない。決してゲームでは語られることのない、イッシュ地方がここにある。……アヤくんは、アヤくんだけの物語を作ることができるんだよ」

やりたいことは全部やってみて。辛いことがあったら、時間をいくらでもかけていい。けれど必ず、いつかは真っ直ぐ前を向いて歩けるように。たまに立ち止まって、後ろを振り返るのも忘れずに。……仲間を、大切な誰かを守れるように。

「アヤくんなら、きっと最高の旅にすることが出来る。そう、信じてるよ」

──……おやすみ。
……おやすみ。静かに答えて、出していた両腕も毛布にゆっくり仕舞い込んだ。




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