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「いってえ……」

ロロが消毒液をたっぷり含んだ白い脱脂綿を銀色のピンセットでつまみながら俺の頬に押し当てる。
てっきり俺が痛がるのを見て面白そうにニヤニヤするもんかと思っていたのに、怪我を見るなり真剣な顔で手当しはじめて、なんか、……色んな意味で怖すぎる。

「も、申し訳ございません……!」
「トルマリン、貴方は任務に失敗しました」
「……はい。どんな処罰も、謹んでお受け致します」
「おっ、おいおい、ちょっと待てよっ!?」

少し離れたところで仁王立ちのイオナを目の前に頭を下げ続けるトルマリンに、俺は座っていた椅子から立ち上がってずかずかと足音を大きく立てながらイオナたちの元に向かう。

「俺が勝手に動いたからこうなっただけで、トルマリンは何も悪くない!」
「ですが失敗は事実です」
「だからって処罰なんて、」
「"今までは"、あったのです。任務に失敗した者には、人ポケモン問わず厳しい処罰が」

顔をあげ、イオナを見ると目を細めながら口元を緩ませている。それから未だ頭を下げているトルマリンに視線を向け、一歩後ろに下がったイオナの位置に今度は俺が立った。俺より背が高いトルマリンが、今は俺より小さくなっている。身体が若干震えているのは、"今まで"のことを思い出してからなのか。
ひとつため息をついて頬を引っ掻く。こんなことで処罰なんて、バカらしい。

「それじゃあトルマリン。お前は、俺ともう一度、街へ遊びに出かける刑に処す!」
「…………へ、」
「俺、お前と一緒に街歩いたのがすげー楽しくってさ。今度は別の道案内してくれよ。な?」

のろのろと顔をあげるトルマリンは大きく目を見開いている。それを見てから俺は背を向け、再びロロの目の前にある椅子に座って応急処置の続きを受けた。

頬にガーゼを貼ったあと、上だけ服を全部脱ぐ。普段外に出ないから比較的白めの自分の肌が赤くなってたり紫色に腫れあがっていたりしていた。こんなん小学生以来だ。いや、あれよりもひどいけど。なんて思ってたら不意に冷たい指先が脇腹あたりに触れてきて、一度ぞわっと身体を震わせてから後ろを振り返る。

「っお前手ぇ冷えよ!つーか、いきなり触んな!」
「よかった、骨はどこも折れていないみたいだね」
「……話聞けよ」
「一応薬は塗っておこうか」
「っだからあ!いきなり触んな!!

俺の話なんてこれっぽっちも聞いていないロロが、べたべたと冷たい手で痣ができているんだろう、俺が見えないところに塗り薬を塗りたくる。ぞわぞわするし気持ち悪い。わざとやっているような感じはしないが、とにかく肌を触られていることが気持ち悪いからとっとと終わらせてくれ。

「──……やっぱり血は争えないなあ」
「あ?」
「アヤくんも無理する子なんだなってこと。俺はてっきり君は正常な判断をして逃げ出す子だと思ってたんだけど、残念ながら間違いだったようだね」
「そりゃあ、……俺だって、逃げたかったけど、……」
「けど?」
「……お前には言わねえよ、バーカ」

蓋を閉める音を聞いた。すぐさま脱いだ服を着てからちょっと考えて。背を向けていたところをゆっくり正面にしてロロを見る。不思議そうにロロが俺を見ているところ、少しだけ開いた口を一回閉じてしまい。またすぐに開けて立ち上がる。

「何か言いたそうだね、アヤくん?」
「……手当、ありがと」
「あはは、君の場合お礼を言うのにもひと苦労だ」
「うっ、うっせー!」

にやにや笑ういつものロロに戻ったところ、地団太を踏んでから突っ立ったままのトルマリンのところへ行って腕を掴んで引っ張った。一歩ふらつき、二歩めで留まる。ストップをかけられた俺は片方の手でドアノブを握りながら振り返ると変な顔をしているトルマリンがいた。その後ろにいるイオナに視線を向けると、一度こくりと頷く。俺の伝えたいこと全部が伝わりきっているとは思っていないが、イオナなら大丈夫だろう。
扉を開いて引きずりだすようにトルマリンと部屋の外に出て、それから改めて向き合った。コイツにもイオナの切り替えの早さを見習ってもらいたいものだぜ。

「なあ、いつまで気にしてんだよ。お前は全然悪くないって言ってんじゃん。それにちゃんと罰だって与えてるし、他に何かあるのか?」
「こっ、こんなの罰なんて言わないっス!」
「前に受けてた罰がどういうのかとか分かんないけどさー、何、叩かれたりしたいわけ?お前ドMなの?」
「……護るべき対象であったアヤト様が負傷して、オレが無傷で、……それでなんのお咎めも無しだなんて、」

頭をがりがり掻きながら真剣そのもののトルマリンを眺めていた。そんなところまで教育を受けてるのかコイツは。……いや。多分ロロたちのマスターであったあのハゲデブ野郎の手持ちポケモンやら部下たちには全員徹底されているんだろう。それほどまでにおっさんが絶対的存在だったということだ。よくもまあ、暗殺されずに病死できたもんだ。

「いいかトルマリン」

未だ浮かない表情のトルマリンが顔をあげる。そして、即座に俺はその筋の通った高い鼻を思い切りつまんでやった。ふがっ!?なんて間抜けな声に笑いながらつまんだまま鼻を左右に揺らす。お望みのお咎めをしてやろうじゃねえか、このやろー。

「お前にも非があったのなら、そりゃそれなりの罰は付けるさ。でも今回のは俺が完全に悪い。だからお前が思ってるような罰はねえの。多分ハゲデブおっさんは何でもかんでもお前らのせいにしてたんだろうけど、俺はそんなことしない」
「……でも、オレはポケモンっス。アヤト様は、人間だ」
「は?だから何だよ。なんだ、お前らもしかしてあれか、ペットとか道具扱いされてたのか?」
「…………」

無言、ということは。手のひらを顔面に押し当ててため息を吐く。冗談で言ったのに……マジかよあのおっさん……男飼いならして何が楽しいんだ……どうせなら綺麗&可愛いお姉さんたち揃えとけよ……。

とりあえず。居心地悪そうにしているトルマリンの腕を再び掴んでエレベーターに乗り込み、一階目指して降りてゆく。そうして自動扉を抜けて、外に出て。
陽が傾いている。そろそろ夕方ぐらいになるんだろう。ポケモンと一緒に帰路を急ぐサラリーマンや、尻尾が生えている男と楽しそうに歩いている学生。どこもかしこも、人間とポケモンで溢れる街がここにある。

「トルマリンはさ、ああいうの見ても自分がペットとか道具だとかって思うのか」
「そう、……っスね。昔は憧れたりもしてたんスけど。……今は、。」
「今はもう、そんなこと思わないよな?」
「え、っと、……」

歯切れの悪い答えを聞きつつ、俺が歩き出すとトルマリンも慌てて歩みだす。
大通りは昼間とはまた全く違う景色になっていた。オレンジ色になってゆく空をピカピカの窓ガラスで反射している数々の高層ビル。それと一緒に街もオレンジ色になっていって、そのうちぽつぽつと街灯も灯りはじめてきた。

「だってほら、今日俺と買い物したり色んなところ見ただろ?それに今だって、お前とこうやって一緒に出かけてる。こんなことペットや道具じゃ出来ないだろーが」
「……アヤト、様、」
「俺もお前も一緒だよ。前まで違うと思っていたのなら、今日からっつーか、今から考えを改めてほしい。かな。……そうじゃないと俺が、その、……なんか、寂しい気が、する」
「──……、はい」

トルマリンは一言しか返さなかったが、俺はとりあえずそれで満足した。
それから。途中、ちょっと洒落たワゴンで売ってたフライドポテトを買い食いしながら適当に歩いていたらいつの間にか海沿いの道に出てきていた。潮の匂いがする。塗装が少し剥がれている手すりに背中から寄りかかって、トルマリンが買ってきてくれたおいしい水を飲む。聞いてほしい、なんとこのおいしい水、……とうとう風味がついて味がするものと出会ったのだ。これがまたうまいのなんのって。商品名も「モモンの天然水」。向こうの世界の偽商品みたいな名前で笑っちまう。

「アヤト様は、素敵な人っスね」
「……な、なんだよ突然。褒めても何も出ないぞ」

むせそうだったところなんとか飲み込んで、一旦ペットボトルにキャップをした。口元を拭いながらトルマリンを見ると、俺の横にやってきて同じように手すりに寄りかかり腰を折る。間近に見えるのはスカイアローブリッジ。こうしてみるとめっちゃデカい。その向こうには森が見える。確かヤグルマの森だったか。

「オレ、昔はあの森に住んでいたんス」
「へえ。それがまた、どうしてこんな大都会に?」
「アヤト様は、……その、イオナさんのこととかは聞いてるっスか?」

質問に、頷く。どうしてそんなことを聞いたかなんて、言われないでも分かった。トルマリンもまた、研究所出のポケモンだということだ。ただ、ロロやイオナと違って特に目立って変化のあるところは見当たらない。聞けばトルマリンの場合、実験される前におっさんに買われたという。そしてあのビルにいるポケモンは殆どがトルマリンと同じ形であの場にいるらしく。

「コスタス様は、そりゃあ俺たちにとっては神様みたいなもんだったっス。……だから誰も、クズみたいなあの人に逆らえなかったのかも知れないっスね」
「クズって……っはは!おま、神様にクズとかねえだろ!」
「いいんスよ。オレ、初めて会ったときからずっと心の中ではそう思ってたんス!でもアヤト様、今のはイオナさんには内緒っスよ。知られたら今度こそ俺はイオナさんに殺されるっス……!」
「俺、お前のそういうとこ好きだわー」

ひとしきり笑ったところで手すりから離れて、橋の方へと歩きだす。あっちからでもビルには行けるらしいし、どうせなら違う道を使って帰ろうと思ってな。もちろん、反対しないトルマリンも一緒にだ。

「言葉の呪いってやつっスね。……最初。こんなオレなんかに気を遣ってくれるアヤト様のことを変だなあって思ってたんス。でも、おかしくなっていたのはオレの方だったのかも知れない。気付けて、よかったっス」
「そっか」
「アヤト様のおかげっスね」
「そうか〜?へへ〜やっぱ俺すげーわ〜」
「うっス!」

めっちゃくちゃいい笑顔で頷かれた俺は、縁石の上を気恥ずかしいような、でもやっぱり嬉しいような良い気分で歩いていた。
俺だって最初はポケモンと人間は違うって思ってたけど。サンギ牧場で色んなことを感じて、知って。リヒトとロロという存在で、やっぱり同じかもって思った。俺の言うことをちゃんと聞いてくれる手持ちはまだいないし、トレーナーらしいことなんて全然やっていないけれど、……全部、何一つ無駄になっていないと思える。

「なあ、トルマリン。……俺と、一緒に旅をしないか」

縁石の上にのぼってやっとトルマリンと同じぐらいの目線になった俺の前、驚いたように目をぱちくりさせるのを見る。今の流れならぜってー手持ちになってくれると確信していた。差し出した手を、握ってくれる。……そう思っていた、のだが。

「……申し訳ございません、アヤト様。ものっすごく、嬉しいんスけど。その……オレ、やりたいことが出来たんス」
「やりたいこと?」
「アヤト様が今日オレに教えてくれたことを、……ビルにいるみんなにも、教えてあげたいんス。オレよりも頑固なの、いっぱいいるんスよ。時間はかかるかもしれないけれど、やってみたいと思ったんです。オレがアヤト様の言葉で救われたように、みんなも変わってほしい」

あっ、お、オレなんかが偉そうに申し訳ございませんっス……!、これはオレのあれで、アヤト様が反対するならやらないっスよ!?、……って。俺はまだ何にも言ってないのに勝手に焦りだす姿がめちゃくちゃ面白くて腹を抱えて笑った。はじめこそ驚いて俺を見ていたトルマリンも、最後は照れたように目を細めていたのだ。
あーあ。折角仲間に入れようと思ってたんだけど。……こんなこと言われたら、諦めるしかないじゃん。

「それじゃあトルマリン。俺の誘いを断ったからには、絶対有言実行させろよ」
「えっ、い、いいんスか……!?」
「当たり前だろ!そんでさあ、なんかこう、もうちょっとビルん中をお前みたいな雰囲気にしてくれないか?なんか今超ピリピリしてるじゃん。俺ああいうのイヤなんだよ。もっとアットホームな感じで、あ、でも警備とかは今のまんまで。そう、とりあえず俺がもっと心休めるビルにしといてくれ」
「……なんスか、それ」

今度はトルマリンが面白そうに笑い声をあげる。俺にとっては結構切実な願いなんだけど。わざと口先を尖らせながら縁石を再び歩き始めたものの、もう一つの足音が聞こえてこないから振り返ってみると。トルマリンは片手を胸元あたりに添えながら、足も綺麗に揃えて真っ直ぐ立っていた。思わず瞬きを繰り返していれば、人目も気にせず今度は頭も垂れる。

「このトルマリン、今ここで、我が最愛のマスター、アヤト様に誓います。──必ずや、貴方様のご期待に応えてみせましょう」
「な……、」

驚きと気恥ずかしさで固まったまま見ていると、トルマリンがゆっくり頭を持ち上げる。その表情で、俺はすでに確信して。縁石から降り、トルマリンの手前まで行き立ち止まり、手をまっすぐに差し出した。伸ばした影に、そっとさらに影が伸び。
……これはそう。対等な、仲間としての握手だ。




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