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小さい頃。そりゃもう幼稚園生ぐらいの頃から、見よう見まねで身体を動かしていた。テレビで見る戦隊ヒーローのような動きで長い脚を蹴り上げれば落ち葉がふわりと舞い上がり、きつく握られた拳を突き出せば横で見ていた俺の耳にまで、風を切る音が聞こえてきていたものだ。
思い出すと、幼い俺にとって父さんは強くてカッコいいヒーローのようなものだったのかも知れない。





実のところ、俺は小学生まで柔道と空手を習っていた。父さんの真似ばかりしていたおかげで、負けなしと言っても過言じゃなかった。……つまり、そう、俺は自分で言うのもなんなんだけど、意外と武術に長けている。どうやら運動神経だけは父さん譲りだったらしい。

しかしまあ、中学に上がると同時にゲームや漫画という素晴らしいものと出会って以来。習い事は二の次三の次となり、大会で結果をいくつ残しておいても結局はやめてしまった訳だが。それでもゲームに出てくるキャラに憧れて、つい最近まで自己流で技を生み出してはいたし、離れていたとはいえそこら辺のヤツに負ける気はしない。
そんな自信も後押しとなり、まさに今、スキンヘッド二人と立ち向かっていた。

「……、」

ただ、問題なのが相手の数だ。柔道も空手も常に相手は一人。しかし今は二人だ。一気にかかってこられたら俺でも対処できる自信が全くない。男たちの後ろ、未だショックからか動けずに震えている少女のこともあるし、どうにかして一人ずつ片付けるようにしなければ。
──……そして俺は、走り出す。

「アア!?逃げんのかコラァ!」
「逃がさねえぞクソガキ!」

細い路地裏を全速力で走る。風を切り、後ろからちゃんと追われているかどうか確認しながらとにかく走った。少女が大通りに何度も抜けていたように、たぶん闇雲に走っても結局は大通りに出るはず。
俺の読みは当たりで、一度大通りに出てから再び路地裏に入った。あがる息を止め、壁に背を付けながら意識をじっと壁の端、足元に向ける。……タイミングが勝負だ。顎まで伝う汗にも構わず、薄暗い路地に僅かながら差し込んでいる光に賭けて集中する。そして。大きな影で光が消えた。つま先を視界に捉えた次の瞬間、足を横から素早く飛び出し。

「なんだっ!?」

声が聞こえたのは一瞬、足に若干の痛みを伴う確証を感じながら壁から離れて道を塞ぐように立つ俺の背後、ズシャアアッ!ガラララッ!なんて思い切りスッ転んだついでにゴミ箱にまで突っ込んでくれた音が聞こえて口元が緩む。──……次、両手を胸元あたりで前後に構えながら、少し遅れて走ってくるスキンヘッドを睨む。相手は走りながら思い切り拳を握って、既に後ろに振っている。俺は即座に腰を落として態勢を低く構え。

「っ!?」

身体を前に倒して男の懐に飛び込み、俺に向かって振りかざされた拳を頭上ギリギリまで引き付けてから素早く腕を片手で鷲掴み、次いでもう片方で掴んだ腕の付け根を思いっきり掴んでから捻りを大きくしながら背を向ける。さらに屈み、腰を突き出し首を引っ込め前かがみになれば、既に働き始めた遠心力で男の両足が地面についていないことが分かる。

「っオラァァアアッ!!」

ドシン!、目の前で鈍く大きい音が鳴り、振り下ろしてもなお男の片腕を掴んでいた手を素早く離してから、状況を確認する間もなく一目散にその場から逃げ出した。

大通りに出て、人を掻き分け走り抜けて少女がいる裏路地へ向かう。男たちを相手にする前、走りながら大きな目印を簡単に覚えていたから案外戻るのは簡単だった。走ってきた勢いで通り過ぎそうになったが壁を掴んで抑えて、先ほどから少し進んだところで壁を伝いながらのろのろと歩く少女に駆け寄る。突然の音に驚いたのだろう、大きく身体を飛び上がらせてから咄嗟の威嚇で尻尾を膨らませ、茶色く細長い耳もピンと上に伸ばしていたものの、俺だと分かるとすぐさま耳と尻尾を落としていた。

「大丈夫……じゃないよな。ちょっと待ってろ」
「──……、」

ワンピースはナイフで雑に無理やり切られていて、今はなんとか両腕で両端を抑えて隠しているものの、ものすごく心もとない。ああもう、こんな状況じゃなければ喜ぶべき光景なのになあ。
手の甲で軽く額の汗を拭ってから学ランを脱ぐ。先ほどのこともあってか目の前のちっこい少女は、俺のそれだけの動作でかなり怯えた表情を浮かべていたが、お構いなしに脱いだ服を少女の肩にかけてから前をびっちり閉めてやる。腕が通ってなくても知るか。足さえ動けば、逃げられる。

「……さっきの、こわいひとたち、……いなく、なった……?」
「いや、スッ転ばせて背負い投げかましただけだから多分すぐ来る。だから早く逃げとけ」
「で、でも、あなた、は、」
「俺は……、……俺も、お前逃げたら逃げるからへーき。気にすんな」
「──……、」

何か言いたそうに俺を心配そうに見上げる少女の横、恥ずかしいとかそういうのも全部ぶっ飛んでる俺は細く弱弱しい小さな肩を抱きながら少女を押すように大通りへと急いだ。──……いやしかし、この少女……いや、"イーブイ"は、細いを通り越してもはやガイコツに近い。唇も皮がむけているわ頬もこけているわ、髪も毛並みもぼさぼさだ。コイツはもしかすると野生なのか。

と、考えている暇はなかったようだ。目の端で、怒り狂うスキンヘッドを捉えてしまった。大通りと言っても先ほどよりもなぜか人が減っている道、秒速で見つかってしまい、丁度やって来た人の波の中に少女を突き飛ばしてから一人再び走り出す。
入り組んでいる裏路地、先ほどと同じように闇雲に走ってみたが、今度はそううまく行かなかった。なぜならここは、奴らの住処だからである。

「さっきのお返しだ、ぜ!」
「ッうわっ!」

曲がり角、先ほどまで後ろから追いかけていた男一人が飛び出してきて拳を突き出してきた。咄嗟に地面に向かってうつ伏せに飛び込みスライディングでかわす。硬いコンクリートに直接身体をぶつけるし、摩擦で顎や手の皮膚が剥けてしまったのか一気に色んなところが焼けるように熱くなる。

「あっぶねえ……っ!」
「チクショウ避けられた!」
「だーからお前は鈍間って言われんだ、よ!」
「……がっ!」

急いで立ち上がる間もなく、真横から顔面めがけて蹴りを入れられる。間もなく背中が壁と思い切りぶつかったようで鈍い痛みがじわじわ広がり始めた。きつく閉じた目を開き、砂利で切れた唇を噛む。クロスさせた両腕のガードが間に合ったからまだよかったものの、……躊躇なくガキ相手に顔面狙ってくるとか、……マジありえねえ……。
ていうかこの状況、……かなりマズイのでは。

ゆらりと近づいてくる男の一人、手には少女の衣服を切ったときに使っていたナイフが握られている。ギラリと輝くナイフに、突然頭が真っ白になってしまった。追いかけてくるように、一気に襲い掛かってくる抑えていた恐怖心。小刻みに震える拳に、突然荒れる呼吸。さらに痛みが倍増された傷諸々。──……本能が、逃げろと警報を鳴らす。
座り込んでいた身体に力が入り慌てて立ち上がって逃げ道を探すが、でかい男二人で狭い路地は完全に塞がれてしまっている今。

「へっ。ナイフぐらいで大人しくなってやがる。やっぱガキはガキだな」
「おう、コイツどうすんよ?痛めつけるだけじゃ気が済まねえ」
「そうだなあ……さっきヤリそこねたし、もうコイツで我慢しとくか。ただ男相手で勃つかどうか」
「女想像しながらヤりゃいいだろ」
「……は……、」

ぎゃははは。馬鹿みたいな笑い声が響く。……が、おかげで真っ白だった頭が瞬時に切り替わる。怒りが恐怖を上回ってくれている。クソ野郎、もうナイフだってなんだって相手してやろうじゃねえか。戦ってやる。

拳を再びきつく結び、態勢を低く構える。俺は今、人生で最大の怒りを自分でも感じている。こいつらボコボコにしてやる。その一心しか最早ない。真っ直ぐに睨めば、ナイフを片手に笑みを浮かべる男が強気にも距離を詰めてくる。──……その隙を、見逃すほど俺はバカじゃない。息を吸い込み、止めて。

「ッおらあっ!」

水平にかざされたナイフを持つ手元めがけて、足を蹴り上げる。男が手首を咄嗟に下げたものの、ズボンの裾が切れるだけで瞬間、ナイフが宙に放り投げだされては乾いた音を立てて転がった。がしかし、男の笑みは消えず。もう片方の下がっていた手にも刃物が握られていることに気づいて身体を半回転させる。目ではしっかり男を捉えたまま、半分背を向けた状態で片足を上げて、懐めがけて垂直に蹴りを入れる。

直後。
──……バチリ。俺の足から、電流が走った。

「……はっ!?」
「な、!?」
「な、なんだ今の、」
「おらこっちががら空きだぜ!」
「……っ!」

相手をしていた男と共に驚きのまま固まっていれば、空かさずもう一人が俺に向かってナイフを振りかざし──……、カランカラン、と静かにコンクリートの上に落ちた。その横、一緒に落ちているのは紫色に濁り染まった細長い針のような、。
ハッとして、目線を上げたまさにその時。目の前にいた男二人が玉突きのようにまっすぐ横に蹴り飛ばされたのだ。静かすぎる動作に、風圧で持ち上がった自分の前髪でやっと男たちが蹴り飛ばされたんだと理解するぐらいだった。地面が揺れるような崩れ方をする男たちの背後、鮮やかな赤が目に飛び込む。

「っトルマリン!」
「ふん、殺されないだけマシだと思え。……ってあっ、!?あ、アヤト様、お怪我をっ……!?ああっ……!」

しぶとく立ち上がる男たちを飛び越え、俺に駆け寄る涙目のトルマリンにホッとしたのも束の間、背後に素早い拳が見えた。がしかし。それもまた音も無く繰り出されるパンチにすぐさま吹っ飛ばされるのであった。きつく細められた黄色の目を見て、ようやく男たちがふらふら逃げ出す。……足元が紫色に冒されているのはあとで気づくんだろうなあ。はは、いい気味だ。

「……ありがと、トルマリン。ほんと、助かったあ、……」
「あっ、アヤト様!?」

後ろの壁に思い切り寄りかかってずるずるそのまま座り込むと、トルマリンが即座に俺に向かって手を伸ばしてくる。半泣き状態で謝罪の言葉を永遠と述べながら、片手を俺の背中にもっていってもう片方は膝……って、。

「何お前、お姫様抱っこしてくれちゃってんの?」
「もっ、申し訳ございませんっス……っ、オレ、っアヤト様の護衛、だったのにい……っ!」
「いや、そっちじゃねえから!?てかこれめちゃくちゃ恥ずかしいから今すぐ降ろせ!!」
「申し訳ございませんっス……っ!」

そんな大した怪我でもないのに、大げさに捉えるトルマリンを一発叩いてからやっと気づいた。貸した学ランをぎゅっと握りしめながら、俺を見ているイーブイ。……何はともあれ、これで一件落着ということか。
溜めていた息を思いっきり吐いてから、うるさいトルマリンを何とか説得して自力で歩いてビルまで戻ることにする。
俺の代わりにトルマリンに抱かれて運ばれるイーブイは、ずっと怯えるように身体を縮こまらせていた。




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