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ロロが指差す先、ゲームではお馴染の建物が見えてきた。どうやらここは相当な田舎らしく、ポケモンセンターぐらいしか光って目立つような建物が無い。草を掻き分けてきたせいでズボンに付いた草を手ではらってから、先行くロロの後ろに小走りで追いついた。
……コイツ、あれから全然後ろ振り返らないでどんどん先に行っちゃうんだけど。俺のことなんかどうでもいいって感じ。……別に、俺だってどうでもいいけど。

「……」

平然と中に入るロロとは対照的に、俺は一度立ち止まってから上を見上げた。暗くてよく見えないけど、やっぱり殆どゲームと同じ外装だ。すっげー分かりやすい色の屋根。それからショルダーベルトを握りしめ、周りを見回しながら背を丸めてはゆっくり自動扉を抜ける。
そんな俺を、先に中へ入って行ったロロがニヤニヤしながら眺めていた。

「な、何見てんだよ」
「別に?ほら、あそこが受付だよ。俺はここで待ってるから」

そう言うとロロは観葉植物の隣に設置してあるソファに堂々と座ると、長い足を組んで俺にひらりと手を振る。それを横目に見てから渋々受付まで一人で向かった。
…………なんて、言えばいいんだろう。どうすれば部屋って借りられるんだ。分からないことだらけを目の前に泣きそうになる。だって俺はこの世界に初めて来たし、当たり前のように出会う人はみんな知らない人ばっかりだ。何をするにもどうすればいいのか分からない。なのにアイツは何も教えてくれないで俺一人でやらせようとする。……こんなのって、あんまりだ。

「こんばんは!」
「っ!……こ、……こんばん、は、っ、」

受付の前で立ち往生していた俺に、ジョーイさんが声をかけてくれた。不覚にも挨拶ぐらいで驚いてしまったけれど、ま、まあ、そういうこともあるだろう。俯きがちの目線を少し上げると、ピンク色が目に飛び込んできた。ついでに隣にいるポケモンもピンク。ただ、今はそれがとても優しげな色に見えるし、彼女たちの笑顔をより一層際立たせているように思える。が、心臓の音はでかい音で鳴ったまま。

「どうしましたか?ポケモンの回復ですか?」
「……あ、あの。泊まる部屋、借りたいんですけど、その、」
「宿泊ですね!トレーナーカードはお持ちですか?」
「カード、!え、えと、……はい、」

慌ててバッグに手を突っ込んでカードを探し当てて手渡した。それからジョーイさんは受け取ったカードを数秒眺めた後、手元にある機械の画面を指でつつきながらにこりと微笑み俺を見る。

「ありがとうございます。只今空いている部屋をお調べ致しますので、少々お待ちくださいね」
「……お……お願い、します、」

軽く会釈をしてから全身の力を抜いて無意識に溜めていた息を小さく吐く。そんな中、ふと、タブンネと目があった。ロロの言葉は信じていなかったけれど、これでもう信じられる。ここは本当にポケモンの世界だ。人形みたいな丸っこいフォルムの生き物が、自分の意思で表情を浮かべては歩いている。……すげえ。すげえよ。俺、本当にポケモンの世界にいるんだ。

『あちらに座って待っててください。すぐにご案内致しますので』
「あ、はい」
『……あら、?』

ロロの座っている椅子を指差すタブンネにも会釈をして背を向けてから、後ろから聞こえた不思議そうな声に再びゆっくり振り返る。
──……待てよ。いま、俺、普通に答えちゃったけどさ、……。

『あなた、ポケモン……?』
「なっ、なんで……っ!?」

タブンネー、という声と一緒に、副音声のように聞こえてるのは紛れもない日本語。でもそれを話しているのは目の前のタブンネで、……ええと、タブンネはポケモンで、……な、なにがなんだか!?

「っポケモンが喋っ、!?んぐ、」

突如、俺の言葉を封じるようにいつの間にか後ろに立っていたロロの手が俺の口を一瞬にして覆い隠してしまった。それからまた鋭く瞳を光らせて、伸ばした人差し指を口元に当てては「シー」なんて笑みを浮かべる。

「お待たせ致しました」
「ほら、ジョーイさん呼んでるよ」
「──……、」

後ろから俺を見下ろすロロを見上げると、人差し指を鼻先に添えたまま俺の背を軽く押す。
や、やっぱり俺の聞き間違いなんかじゃなくてタブンネは確実に喋っていたんだ。それについてここで話すのはマズイ、ということだろうか。仕方なくロロに従い、再び受付に行って鍵を受け取る。その間、タブンネとはあえて一度も目を合わせないようにしていた。めちゃくちゃ視線感じてたけど俺は知らない。知らないったら知らないーっ!

「ゆっくり休んでいってくださいね」
「あ、ありがとうございます……」

背を向け、受付から離れて再びロロの元へ行く。借りた部屋はどうやら階段を上ってからすぐの部屋らしい。一言も話さないまま階段を上り終えて、鍵を回す。ガチャリ。すぐに開いてさっさと中に入るロロに続く。

「……普通の部屋だ」
「そうだよ。どこのポケモンセンターもこんな感じ。でも偶に運が良いとお偉いさん専用の広い部屋も借りられるよ。あとは大人数用の部屋とかね」
「へえ……」

話を聞きながら荷物を降ろし、一度部屋を見回した。それから扉という扉を片っぱしから開いていっては何が入っているのかを確認する。トイレと風呂は一緒。あとはベッド一つと小さいテーブルが置いてあるすっげー狭い部屋が一つ。多分、ビジネスホテルとかこういう感じなんだと思う。俺そういうとこ泊まったことないから知らないけど。

「うわ、おいしい水だ!なあ、これ人間でも飲めるの?」

テーブルの上に置いてあったペットボトルを片手で持ちながら聞けば、ロロは一度頷く。おいしい水。ゲームの中のアイテムを今まさに俺は自らの身体の中に入れようとしている。
謎の感動ににやけながらキャップを回してゆっくり口を付けた。……冷たい液体が口の中いっぱいに満ち、喉を通っては腹に勢いよく落ちてゆく。息をずっと止めたまま、満足するまでがぶがぶ飲む。

「っはー、うまいなコレ!ロロも飲むか?超うまいぞ」
「まあ、"おいしい水"って言ってるぐらいだからねえ。俺は遠慮しておくよ」

慣れない森の中を歩いて喉がカラッカラに乾いていたのもあるとは思うが、いや、これはただの水ではない。"おいしい水"とだけしか書かれていないラベルをジッと見つめては飲み、また見つめるというのを繰り返している俺の横。ロロが通りすぎては部屋を出て行こうとする姿が見えた。慌ててペットボトルから口を離してロロを見る。

「ど、どこ行くんだよ……?」
「ちょっとね」
「…………ふーん」

半分ぐらいまで飲んだペットボトルを手で押し、ぺこぺこ音を鳴らしながらテレビの前まで歩いてゆく。その間足音は聞こえず、またドアノブが回る音もしなかった。
背後で視線を感じながら電源を入れると画面には地図が大きく映し出され、両端には女の人とシキジカが立っている。天気予報のようだ。地図からして、どうやらここはイッシュ地方らしい。へえ、明日は晴れだって。

──……ちらり。
視線を密かに横に向けると、ロロと目線が合ってしまった。待ってましたと言わんばかりにすぐさま笑みを浮かべるアイツから、慌てて視線を外してテレビを見るがもう遅い。カッと熱くなった顔を髪で隠すように前屈み気味にしていればクツクツと笑い声が聞こえた。……ああ、もう!

「あはは、君って生意気だけどさ、よく見ていると歳相応で可愛いね」
「っは、はあ!?」
「大丈夫、心配しないでもちゃんと俺はここに戻ってくるよ。それまでいい子で待っていてね、"アヤくん"」
「ッうっせー馬鹿ッ!!早く行け!!」

にやにやしながら扉を開けては部屋から出ていくクソ野郎向かってペットボトルをぶん投げると、閉まりかけのドアにぶつかって少しだけ跳ね返ってから真っ逆さまに落ちていった。ソファから立ち上がった俺はしばらく立ったまま扉を睨んで、明るい声で流れる天気予報を耳に入れてはすぐにまた外へ出す。

「クソッ!」

頭をぐちゃぐちゃに掻き乱してからゆっくり扉の前まで歩いて行ってペットボトルを拾い上げ、乱暴にキャップを開けては残りの水を全部一気に飲み干す。そうして深く息を吐き出しては扉に背を預けて頭を抱えながらずるずると座り込んだ。

「ふざけんな!冗談じゃない!」

ああああ!と、やり場の無い気持ちを声に出してはまた頭を掻きむしる。
……アイツ。ロロは、ずっと俺のことを"観て"いたんだ。夜の森にちょっとビビりながら絶対に見失わないようアイツの背を必死に追う俺を。なんて声をかければいいのか分からず、戸惑いながらジョーイさんとのやり取りを交わす俺を。ただの水に馬鹿みたいにはしゃぐ俺を!

そうしてアイツは、俺をこう判断した。"歳相応で可愛い生意気な「子供」"だってな!!そう思われたことに対してムカついているのか、はたまたアイツ如きに見透かされてしまった自分自身の行動にムカついているのか。どっちにしろムカつくことには変わりは無い。

「ちっくしょーっ!今に見てろよヘンタイ野郎!!」

空のペットボトルを扉に向かって思い切りぶん投げた瞬間。……跳ね返って俺の額に直撃した。
即座に両手で額を抑えながら蹲っていれば、脳内にロロが現れてニヤニヤ笑う。ああ、もう!折角俺の居るべき世界に来たというのに、出だしがこんなんじゃ最悪だ!

おお、神よ!どうか早く俺という主人公にスポットライトを当ててくれ!




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