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高いところは比較的平気だ。が、そんな俺でも下を見ることがなかなか出来ないぐらいの高さまで、ガラス張りのエレベーターで最上階を目指していた。指紋一つないピカピカのガラスは、綺麗すぎるからこそより一層景色を美しく見せている。
チン、とベルの音がなり、扉がゆっくり開いた。スーツ姿の男がエレベーター内に残ったままボタンを押す中、俺たちは長い廊下へと歩み出る。背後で扉が閉まり、エレベーターが再び下へと降りてゆく機械音が聞こえた。そんな微かな音が聞こえるぐらい、ここ、最上階は静まり返っていた。……はっきり言って、息苦しい。あからさまに俺には場違いなところだし、厳かな空気が漂っている感ありまくってる。どうでもいいから早く違うとこ行きたい。

「この階には誰もいないので、緊張しないでも大丈夫ですよ」

俺を見透かすように小さく笑いながらイオナが言う。それにちょっとだけ無意識に入れていた力が抜けたものの、やっぱりこの空気を完全には無視できない。
それからイオナに着いていき、辿り着いたのは大きな扉の前。金縁のなんか豪華な装飾が周りに施されていていかにもって感じの扉だった。イオナが鍵を回して開けて、またもや俺たちを先に通す。コイツにとっては当たり前の徹底的っぷりにも驚いたものの、いや、中に入ってさらに驚く。美術館みたいな透明なガラスケースに入れられた宝石やら壺やらが並び、扉もいくつもある部屋。当たり前のように広ければ彫刻の壁やら大理石っぽい床やらで豪華の極みである。こんなんじゃ寝ながらポテチだって食えないじゃん。俺だったら、絶対こんな部屋は嫌だ。

「そこにお座りください」
「えっ、座っていいのか?」
「ええ。もう、この部屋の主はいないのですから」

イオナの余計な一言に少しだけ目線を下げてからめちゃくちゃでかくて高そうなソファに何も言わず乱暴に座った。そりゃもう、最高の座り心地だった。ここじゃなければすぐにでも寝っ転がって爆睡できるぐらい気持ちいい。
イオナは部屋の角に置いてある真っ白いキャビネットの引き出しから何かを取り出していた。ロロはというと、のろのろと部屋を回って歩いていて、俺はその背をぼんやり眺める。

「ロロさん。思い出に浸っているところ申し訳ありませんが、こちらに来てください」
「申し訳ないって、お前それ全然思ってねーだろ」
「アヤトにはそう聞こえますか。……ふふ、大正解です」

ははは。イオナと笑いながらロロがやってくるのを見て、少し表情を引き締める。が、ロロに当たり前のようにバレていて何故か俺だけ髪をぐしゃぐしゃにされた。俺だけってのがムカつく。

「で、何さ」
「はい、コスタス様からロロさんにと」

イオナが差し出したのは一枚の紙きれ。何やら文章が並んでいるようで、俺の横に座っているロロの動きが止まった。それからすぐ。気になって紙にこっそり目線だけ送っていた俺に、ロロから紙を手渡された。俺も読んでいいものかと一瞬躊躇ったが、ロロの視線が既に紙切れからイオナに向かっているのを見てすぐさま目線を下に落とした。……流し読み、ロロを見て、そうしてやっとイオナを見た。なんかもう、当事者でもないのに複雑な心境だ。

「イオナくんはさ、これで本当に良かったの?」
「マスターがそう望んだので、私もそれに従ったのみです」

静かに言うイオナの向かい側、ロロは何も返さなかった。
紙には、所得権の移転について書かれていた。イオナとロロのマスターが所有していた財産や土地などの全てを、──……ロロに相続させると書いてあったのだ。奴の手書きサインだと思われる横、イオナのサインもしてある。
何故、常に傍にいたイオナではなく自ら手放したロロになのか。何故、イオナもそれに素直に従うのか。色んな感情と事情がごちゃごちゃになって汚く纏まっているこの文面、この俺ですらもやもやを通り越して腹立たしく思う。ならば二人の心境は……どろっどろに違いない。あーもう知らね。俺関係なーい。

「それじゃあ、今から全部俺のものってことかな。金も宝石もここも、君も」
「……」

低い声が部屋に響き、次いでロロは座ったまま腰を曲げて自身が持っていたペンで何かを書き始める。何を書いているのかは見えないが、俺はてっきりロロは紙を破り捨てるんじゃないかと思ってたから謎の安心にため息が漏れた。
そうして書き終えたロロが、また俺に紙を押し付ける。俺のじゃなくてお前のだろーが。押し付け返そうと思ったが、紙を見て止まる。

「──……"所有権を、イオナの現マスターに移行する"、……って、!?」

二度見してから隣に座るロロを見て、また瞬きをした。訳が分からずイオナを見ると、「こうなると思っていました」みたいな顔して俺を見てたからますます訳が分からなくなってしまう。現在、イオナのボールを持っているのは俺であって、……ってことは、俺に、所有権が移行するということ……。

「お、おいロロ、ちょっと待てって!お前正気か!?俺まだ子どもだぞ!?」
「へえ、自分がガキだってことぐらいは分かってたんだ」
「あのなあ、これ真面目な話!今ならまだ取り消せる。だから、」
「──俺はいらない。絶対に、受け取らない」

俺、金も宝石も大嫌いなんだ。……有無を言わさぬ目で射られ、紙を握ったまま黙るしかなかった。にしてもこんな紙きれ一枚じゃ実感も何も湧かないし、ただ困惑だけがここにある。唇を軽く噛みながら紙を眺めているとイオナがやっと助け船を出してくれた。

「アヤトがどうしたいか指示してくだされば、私が全て処理しましょう」
「どうって……」
「例えば宝石をすべて売却し換金する、別荘が欲しいなどの欲望をおっしゃってください。目が眩むほどの大金を手にしたのですよ、何かあるでしょう」
「…………」

はっきり言おう。……なんも、思い浮かばねえ。
そりゃここが向こうの世界だったなら、欲しかったゲームとか漫画を大量買いすることを真っ先に申し出ていたが、ポケモンの世界に来たならゲームとかやってるよりも旅してた方が楽しそうだし漫画っつってもこっちのどの漫画が面白いか分かんねーし。

「えーっと。……とりあえず、全部貯金で」
「……。……かしこまりました」
「あ、でも今少しちょうだい。イオナも適当にお金持っておいて。お前しっかりしてそうだから、金銭面任せるわ」

変な顔をしながら渋々頷くイオナをロロは満足気に眺めていた。その他諸々ほぼイオナに全部丸投げした俺は、少しばかり膨らんだ財布をバッグの奥深くに仕舞う。

さて、この場での用事は済んだ。やっと独特の空気を持つこの場から離れられると思ったが、どうやらイオナはまだ前のマスターについてロロに言いたいことがあるようだ。別に俺も聞いてもいいような感じだったが、一人、肩にバッグを掛け直して別方向へ向かう。

「アヤト、どこへ?」
「外。あとはお前らだけでいいだろ。俺は聞いてても分かんないし、お前らのトレーナーとは無関係だし」
「アヤくん一人でこの街を歩くって?うわ、不安しかない」
「んだとコラ」
「ロロさんと同意見です。この街は人が多い分、治安もあまり良く無いのです」
「そ、そうなのか?」

今まで田舎ばっかりだったからか今の今まで一人で散策する気満々だったが、ここに住んでいたイオナがそういうんだ。一気に不安になってきたけど今更じゃあお前らと一緒に……っていうのも絶対イヤだ。
黙りこくる俺の前、ふと、イオナが懐から小型マイクみたいなのを取り出してから、一言だけ発した。それからすぐ、突如部屋にノック音が鳴り、イオナが扉を開くと一人の青年が立っていた。映える赤髪にスーツを纏っているもののネクタイは緩くボタンも上までかけていない。

「失礼致します。お呼びでしょうか」
「トルマリン、マスターがヒウンシティの散策をご希望です。護衛を頼みます」
「ご、護衛っ?」

イオナの言葉に戸惑いを隠せない俺の斜め前、さっきまできょとんとした表情をしていた青年が俺を見るなり満面の笑みを浮かべてのこのこ近づいてきた。思わず一歩下がると、目の前で膝をついてしゃがむ男に思わずさらに一歩後ろへ下がる。

「はじめまして、アヤト様。トルマリンと申します。種族はペンドラー、」
「ペンドラー!?マジっすか!格好いい!」
「……あっ、ありがとう、ございます……」
「あ、俺さ、かたっ苦しいの嫌いだからそんな畏まらないでほしいんだけど」
「い、いえ、……しかし、」

男ことトルマリンの目が泳ぎ、困った挙句にイオナまでたどり着いた。するとイオナは、何も言わずにひとつ頷いただけで視線をそらした。のろのろと戻ってきたトルマリンの視線が俺に戻り、俺も一回頷いて見せるとゆっくりと立ち上がる。

「……本当に、よろしいのですか……?」
「いいに決まってるじゃん!よろしくな、トルマリン」
「──……は、はいっス!」

差し出した片手をそっと握りしめるトルマリン。普通にいい奴そうで安心だ。
ロロにはなるべく早く戻ってきてほしいと言われたが、イオナには好きなだけ散策してきていいと言われたためイオナの言葉に甘えることにする。

「そんじゃー、また後でな」

俺が取っ手を握る前にトルマリンが扉を開いて俺を通す。トルマリンもイオナ同様、丁寧且つ素早い。一人ひとりに対してもここまでの徹底ぶりとは、流石としか言いようがなかった。

エレベーターを再び降り、厳重そうな警備を抜けて外へ出る。
さて、ヒウンシティ散策のはじまりだ!




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