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パタン。静かに扉が閉まる音がして、ソファに座ったままこっそりテーブルの方を見るとロロがいなくなっていた。鉄仮面みたいなあのイオナでさえ、どこか沈んでいるように見える。生憎、俺はテレビで生中継されていた白熱のバトルをめちゃくちゃ楽しみながら見ていたため、何を話していたのかはさっぱり分からんが。……ロロの様子が少しおかしいってのは、アイツが食器を落としたときからなんとなく気付いてはいた。ただ……その、あれだ。あの場に俺が行っちゃいけないような気がしたんだ。そう、俺は空気を読んで"あえて"テレビに食いついたフリをしていたんだ。……いや、バトルは本当に面白かったんだけどさ

「ごちそーさん。すげー美味かった」
「……そうですか」
「明日はハンバーグが食いたい」
「それは貴方の行動次第ですね」

食器を流しに持っていき、スポンジに泡を立てながらイオナの様子もさりげなく窺う。嫌味の切れ味はさして変わりないものの、やっぱりなんか元気がない。べ、別にイオナの元気の有無とか、ロロとかもどうでもいいんだけど。一応一緒に旅してるし、同じ部屋にいる今、二人がこんな調子じゃあ俺の気分にも影響してきそうで、とにかくこの雰囲気が嫌なんだ。話の切り口を頭の中で探しつつ食器を洗い終えてから、ロロの座っていた席の向かい側に座った。どちらにせよお誕生日席のイオナの隣にはなる。
……っておいおい、ロロのやつ全然食べてないじゃん。ていうか作った本人なんて料理にまだ手さえつけていないし。なんだよこのバカ猫どもは。

「おいイオナ、お前も食えよ。もう冷めちゃってるだろ。チンしてきてやろうか」
「いえ、お構いなく。以前からマスターが食べ終えてから、私も食べておりましたので」
「はあ?なんじゃそりゃ」

グラスを持ち上げ傾ける。やっぱおいしい水うめえ。……さて、やっぱりおかしいぞ。イオナの言うマスターとは、もしやトレーナーではないのか。これまたお上品に食べ始めるイオナを頬杖を突きながら眺めて、何度かぱくぱくした口からやっと質問する。

「なあ、イオナ。お前の言うマスターってのは、……その、どんな人なんだ?」
「気になるのですか」
「まあ……、ほんの少しだけ……」

うわ、今ちょっとイオナのテンションが上がった。うぜえ。イオナは相当そのマスターとやらが好きらしい。何やら懐を漁りだすイオナを見つつ、マスターとやらがどんな人なのか想像していた。イオナの容姿からでは、やっぱり美人なお姉さんとかはたまたやり手のイケメン社長とかしか思い浮かばない。どうせなら美人なお姉さんを写真でもいいから拝みたいと思いつつ、嬉しそうに俺に写真を寄越すイオナの手から受け取った。……そして俺は、思わず二度見した。いや、三度見した。

「なっ、なんだ、このデブ!?しかも禿げてるジジイじゃん!?」
「アヤト、貴方はここで死にたいようですね。マスターの侮辱は許しません」
「だっ、だってそうじゃん!!なんだよこのデブ!」
「圧倒的存在感があると言いなさい。それに額が少しばかり広いだけで、髪もきちんとありますよ。アヤトの目はイカれていますね」

写真の上を滑らかにイオナの長い指が指し示すのを、歯ぎしりしながら眺めていた。俺の目は正常だ。明らかにイオナの目の方が腐っているが、キリの無い言い合いをするほど俺はバカじゃない。ロロと同じく、俺はイオナには口では勝てない。勝てない相手は相手にしない。これこそまさに利口という。

「我がマスターのコスタス様です。ヒウンシティを牛耳るほどの財力をお持ちになられていました」
「だよなあ……」

金ぴかの差し歯に、太くてしわしわな指にはあらゆるところに光り輝く宝石の指輪がはめられている。服もそれなりの物だし、一目見て金持ちだと分かる写真だ。だからイオナは何となく品があるのか。それにこの写真のデブが食べ終わるまで待っていたということは、やはり執事か何かだったのかも知れない。うんうん、これで今までの仕草にも少し納得できてきたぞ。

「それにしてもお前、なんでこのハゲデ……おっさんのことそんなに好きなんだよ。やっぱ主人だから?」
「……そうですね、あまり自分のことを語るものではありませんが、今の私のマスターはアヤトです。お話し致しましょう」

元からイオナ自身が持っていたであろう紙ナプキンで口元を拭いてから写真を俺から素早く奪ったイオナは、また大事そうに懐に写真を仕舞う。写真一枚がそこまで大切なものなのか。イオナのその姿がなんか不思議でぼんやりと眺める。

「我がマスターであったコスタス様は、私、イオナを研究所から買い取ってくださったのです。……まあ、非常に腹立たしいことに"ロロさんの代わりとして"でしたけど」
「……は?え?ま、まて、?」

まずい。初っ端から訳が分からない。研究所から買い取ったとは?さらにそのあとだ。ロロの代わりってどういうことだ?だってロロのトレーナーは母さんであって、イオナのマスターとは無関係のはずだ。あーもうなんなんだ!?
勢いよく頭を抱えて唸っていれば、あからさまに大きくため息を吐いてからなぜか手のひらを俺の頭の上に乗せ、ぽんぽんと跳ねてはクスリと笑うイオナ。

「アヤトのこの小さな脳みそでも分かるように説明して差し上げましょう」
「んだとコラーッ!!」

上にあげた両腕を振り落とす前にイオナのやつが喋りだすもんだから、俺は力をたっぷりと込めた腕をゆるゆると下げる他なかった。さらに。俺が思っているよりも突然ヘビーな話をされるというオチ。当たり前のように怒りなんてどっかに吹っ飛んでしまっている。

イオナの話を聞きながら、頭の中で整理する。まず、研究所ではポケモンを実験体とした様々な実験が行われている。例えば肉体強化だったり、新しい薬を開発するためにポケモンを実験体に使ったり。
それで、だ。イオナは野生の頃に捕まり研究所へ搬入され、色んな実験をされた後、最終的に色違いにする実験を受け、その成功例となったと。丁度その時にイオナを買い付けたのがあのハゲデブだということらしい。で、そのハゲデブは過去にロロのマスターであり、何らかの理由でロロを研究所へ売り飛ばした。何かの実験を受け、成功の後ハゲデブの元に戻る最中に逃走……からの母さんのポケモンになったという流れのようだ。
イオナはというと、最近そのマスターが病死したらしく、その際、遺されたとんでもない遺言を果たすためにロロを追っていて……今に至る。

「……なんか、……すまん」
「何を謝っているのですか。私に話すよう促したことですか?」
「いや、……その、色々と」
「?、変な人ですね」

いやいや、変なのはそっちだって。なんで自分の過去のことなのに平然と話してんだ。自分で傷を抉ってるようなものなのに。もしやそういう精神的なダメージというものは、もはやコイツには無いんだろうか。それはそれでまた、……なんか可哀想に思えてきた。ずっと見れなかったイオナの姿を、少しだけ顔を上げてみてみると。

「ああ、そういえばデザートを忘れていました」

普通にまた食事を再開していたから、可哀想とか思って俺がバカみたいじゃん。……しかしまあ、どうしてイオナがそこまであのハゲデブを慕っていたのかがやっと分かった。それにしてもなんか皮肉だ。一人の人間の手によって地獄に落とされたロロと救われたイオナ。そりゃあロロがあんなにもイオナを嫌う訳だ。

「でもさあ、イオナ。お前もロロのこと嫌いなんだろ?」
「当たり前です。いわばロロさんは恋敵のようなものですから」
「おっさんを巡っての恋ってか。……おええ。語弊だ語弊。いわばライバルみたいなもんだろ?けどさあ、そのおっさんが死んだんじゃあ、もうお前一生ロロに勝てねえじゃん」
「……それが分かっているからこそ、余計腹立たしいのです」

食べ終えたイオナが立ち上がって食器を流しに置いて、冷蔵庫から既に生クリームが添えられているプリンを二つ持ってきた。思わずそれに舌なめずりをして、イオナからプリンを受け取り早速有り難く食べる。手作りだからなのかあまりプルプルはしていないけど、舌触りがすごく滑らかでめちゃくちゃ美味い。最高かよ。

「嫌いなら嫌いのままでいいって。どうせおっさん死んでるんだぜ?遺言なんて無視してさ、もうお前も好きなように生きればいいじゃん」
「簡単に言ってくれますね。……私は、研究所から出たあの日に心に誓ったのです。この命が尽きるまで一生マスターに尽くすと。そのマスターが死ぬ間際まで私に懇願したのですよ。……どうして、それを無下に出来ましょうか」
「ふうん……俺だったら自分が死んでまで大切な人を縛りたくは無いけどなあ。自由に生きて欲しいって思うけど」

プリンを堪能しながらそう言えば、イオナが驚いたように俺を見ていた。それに俺は驚いて、何見てんだよって睨み返すと何の反応も無しに無言でプリンを食べ始める。はは、なんかイオナにプリンって似合わねえ。

「きっと私も過去のことがなければマスターのことは好きにならなかったでしょう。それにロロさんのことも嫌いにはならなかったはずです」

まあ過去のことなので今更考えるだけ無駄ですが。、慌てて付け加えたようにそういうイオナにまた驚く。なんとなく、そんなことを言うようなキャラには見えなかったから俺は本当に驚いた。イオナでも感傷に浸ることがあるってことだ。ロボットみたいなやつだと思ってたからか、そういう一面を知れて少し嬉しくなった。

「よしイオナ。俺がいいことを教えてやろう」
「アヤト如きの脳みそで思いつくことなどたかが知れていますが、聞くだけ聞きましょう」
「よおく聞いとけ、馬鹿猫2号。いいか、イオナはロロが嫌いだけどおっさんの遺言で好きにならないといけない」
「ええ、まあ、そうですが」
「奇遇なことに、俺もロロが嫌いだ。けどこれから一緒に旅をするし、嫌々一緒にいるのは気分的に嫌だ。てことで、俺は閃いた。"これから"ロロを好きになればいいんだと」
「……はあ」

イオナの顔があからさまに歪んだ。言葉にされなくともわかる。「何言ってるんですかやっぱり馬鹿ですね」って、そういう顔してる。

「あのな、自分の中で嫌いだと思ってしまった瞬間からそいつの嫌なところばかり目に付くものらしい。でもそれだと余計相手を嫌いになるだけじゃん?なら無理やりにでもそいつの良いところを探せばいい。そう、要は自分の考え方次第なんだよ」
「…………なんとまあ、ポジティブな」

イオナが呆れたような顔をするのを横目に見る。
どんなに嫌なやつにだって良いところが必ず一つはあるはずだ。それを見つけて認め、好きになる。小さなことから始めてみて、それでまあどうなるかって感じだ。どうしても苦手なヤツなんて腐るほどいる。が、俺たちはまだ会ったばかりだし、苦手だと決めつけるのはまだ早い。

「ですが……ふふ、アヤトは本当に面白い人ですね」
「馬鹿にし甲斐のあるヤツだって意味か?ああ?」
「ええ、よく分かっていらっしゃる」
「よし、俺は今日からお前のいいとこも無理やり探すことにするわ」
「どうぞご勝手に」

嫌いなものは、そう簡単に好きにはなれない。だから時間をかけてゆっくり好きになっていけばいい。わかっているぞ、俺はちゃんとわかってる…!
…………ああ。俺、ほんとに馬鹿猫たちのこと好きになれるんだろうか。今から心配になってきた。ていうかもう良いところ探すのとか面倒だからやめたい。やめよう。母さんが言ってたことなんて忘れよう。
ニヤニヤしているイオナをスプーンを銜えながら見ていると、……ふと、ガタンと音がした。イオナと同時に視線を向けた先は、ロロがいる部屋だ。一度顔を見合わせると、イオナは静かに首を横に振る。まあ、その気持ちは分からなくもないから無理に同行させたりはしないさ。一人で立ち上がってテーブルを通り過ぎる。

「アヤト」
「あ?」
「アヤトのいいところは、前向きに考えて真っ直ぐに進んで行くところですね」
「っは、はあっ!?い、いきなりなんだよ気持ち悪いな……!」
「貶せば怒り、褒めても怒る。困ったマスターです」
「うっせ!」

やれやれと頭を振るイオナに背を向け、大きく足音を立てながらドアノブを握った。回していると、後ろから声がした。未だ聞いたことのないような柔らかい声で一瞬誰かと思ったが、後ろにはイオナしかいない。

「私も、アヤトに感化されればいいなと思います」
「どうぞご勝手に」

それでさ、俺も見つけたんだけど。イオナのいいところは、率直に物事を述べるとこなのかなって。……まあそれはそれで腹立つんだけど。
そうして俺は、扉を開いた瞬間に部屋に慌てて入った。閉じた扉が大きめな音を立てたから、もしかしたらイオナは驚いたかも知れない。けれども俺はそれどころではなかった。なぜならば。

ロロがベッドの手前で、倒れていたからである。




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