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それはもう、例えようのないぐらいに一瞬にして思い切り顔が歪んだ。

回復したてで気分も良かったらしく、俺を見るなり「アヤくーん」なんてニコニコしながら駆けてきたくせに俺の後ろからスッと出てきたヤツを見た途端、その場で石のように固まったロロ。俺には何が何だかさっぱり分からなかったものの、とりあえずロロがとてつもなく嫌そうな顔をしていたから最高にいい気分だ。

「なんでアヤトくんとイオナくんが一緒にいるのさ」
「なんでって、そりゃあ、」
「私がアヤト様の手持ちポケモンになったからです。お久しぶりですね、ロロさん。やっとお会いできました」
「…………」

無言の圧力。ロロが俺を睨む目が怖い。いや、冗談じゃなくて本気で怖かったからすぐさま目をそらした。しかも俺は二人が知り合いだなんて本当に知らなかったし、八つ当たりもいいところだ。……しかしロロとイオナが知り合いだったとは。そしてそれが分かった時点で、俺は薄々嫌な予感がしていた。
広場でイオナと出会って手持ちポケモンを心底欲しいと思っていた俺は、なぜ俺のポケモンになりたいのかという理由も聞かずに受け入れてしまっていたのだ。よく考えなくてもおかしいじゃん。理由もなく初対面の人間のポケモンの手持ちなんて、なりたがる訳がないというのに。

「……まあいいや。とりあえず部屋いこう」
「そうですね、ここで立ち話できるような話題ではありません」
「え?イオナくんも来るの?君はここでいいんじゃない?」
「私はアヤト様のポケモンですので、もちろん同行致します」
「…………」

行きましょう。、俺から手渡された鍵を手に先を行くイオナはどこまでも淡々とした受け答えだった。それにも驚きではあるが、なんといっても"あの"ロロがここまで圧倒されるなんて思っても見なかった。達者な口も今は唇まで巻き込んで固く閉じている。
いやあ、最高だな!どんな理由であれイオナを手持ちにできたのは良かった!これでロロにいつでも思う存分仕返しできるぜ!

にやにやしながらイオナに続きながら、後ろのロロを見る。それを繰り返していれば、あっという間に今晩泊まる部屋へと着いた。手慣れた手つきで鍵を開けるイオナは、扉を開くと押さえたまま先に俺とロロを部屋に通す。恰好だけじゃなくて本当に執事みたいでなんか変な感じだ。

「何か飲まれますか?ご用意いたします」
「俺炭酸がいい〜」
「……コーヒー」
「かしこまりました。少々お待ちください」

お決まりのソファに座ってテレビを付ける。バラエティー番組みたいだ。俺は全然知らないけれど、この地方では有名であろう人たちとポケモンが集まって楽しげにトークを繰り広げていた。多分笑いのツボが違うんだな。全然面白くない。……そしてどうやら俺の隣に座っているロロにとっても、面白くないようだ。

「なあ、なんでそんなにイオナのこと嫌ってるんだよ。アイツ良いヤツそうじゃん。色んなことやってくれるし」
「それはねアヤくん。彼が、俺をストーカーしていた張本人だからだよ」
「……はあ?」

簡易キッチンからお湯が湧く音が聞こえてきた。それと一緒に袋が擦れるような音も聞こえている。準備は着々と進んでいるようだ。
何となくイオナには聞こえないように気を使いながらロロに小声で聞き返した。それでもやっぱり返ってくる言葉は先ほどと同じで、俺には何が何だか本当に分からない。ストーカーといったら、強すぎる情から異性を追い回すことが一般的ではないのか。俺もその常識に沿って、てっきりロロの言っていたストーカーは女かと思い込んでいたから余計思考が滞る。あんなにしっかりきっちりしているイオナは、……もしやそっち系なのか。

「ストーカーだなんて失礼ですね。ロロさんが逃げるから追いかけていただけではありませんか」
「それをストーカーっていうんだよ。……ああっアヤくんお願いだから俺の横に居て……」
「なんだよ、気持ち悪いな」

俺の腕にひっつくロロを引きはがし、小さめのテーブルに置かれたグラスを手に取って細かい気泡を見ながら斜めに傾ける。ぱちぱち口の中で刺激的に弾ける炭酸が喉を通ってゆく。
美味しい。のだが、俺の両隣からの視線が不愉快だ。しかもそれは俺に向けられているものではないからさらに不愉快である。無関係な俺を挟んでこういう雰囲気になるのやめてくんねーかな。

「あのさあ、ほんとお前らなんなの?なんでイオナはこんなヤツのこと追い回してんの?」
「こんなヤツとはなんですか。言葉を慎みなさい」
「………は?」

俺の左隣、ロロから負の感情をたっぷり詰め込んだような溜息が漏れる。俺はと言えば、急変するイオナを見ながら瞬きを激しく繰り返していた。きっと聞き間違えだと必死に脳へ言い聞かせていたけれど、それも敢え無く失敗に終わる。

「いいですか、ロロさんほど美しい毛並みを持っているレパルダスなんてこの世に存在しませんよ。さらにロロさんと言えばその瞳、」
「イオナくん」
「……失礼致しました」

ロロの一声で、イオナが咳払いをした後再び淡々とした言い方に戻る。……なんだ、さっきのマシンガントークは。何を言っていたのかさっぱり思い出せない。ただぶち当てられた言葉というのは、こんなものなのか。訳が分からなくてこわすぎる。
茫然としている俺に見かねたのか、それともそろそろ折れてきたのか。ロロが足を組んでカップを片手に渋々口を開く。

「イオナくんは、……まあ、俺の後釜みたいな。弟弟子みたいなやつなんじゃないの?」
「なんで疑問形なんだよ」
「俺もよくわからないし、そもそもイオナくん自体を認めたくないんだ」
「はあ」

淵に口を付けたロロは、コーヒーが思っていたよりも熱かったらしく「やっぱり冷まそう」なんて言いながらテーブルに戻す。それを見てから顔を逆に向けると、やはりイオナも淹れた紅茶を静かに冷ましていた。猫だから猫舌なのか。
いやしかし、本当に分からない。ロロは口を閉ざしてしまったし、イオナに聞こうにもなんとなく聞きにくい。両隣をクソ猫どもに固められている俺は、仕方なく肩身を狭くしたままつまらないテレビを眺めていた。三人そろって誰も喋らずともテレビから流れてくる会話が空気を何とか保っている。この状況は、果たしていつまで続くのか。

「そういえば、何故ロロさんはアヤト様とご一緒にいるのですか?貴方の"マスター"も戻られたとお伺いしておりますが」

不意に沈黙を破ったのは意外にもイオナだった。表情を見るに、純粋な疑問らしい。どうやらイオナはロロについて俺より情報を持っているようだ。

「そのマスターからのお願いなんだよ。俺だって出来ることならひよりちゃんのところに居たいさ」
「アヤト様は、彼女と関係が?」
「アヤくんの顔見れば分かるでしょ」
「生憎私は彼女の顔をきちんと思い出せませんが、顔を見れば分かるということは血縁者ですか。なるほど、やっと理解致しました」

一人、満足気に紅茶を飲むイオナ。それからまたしばらく沈黙が続いた後、もう限界だと言わんばかりにコーヒーを持って立ち上がり、小さな個室へと足早に入ってゆくロロの背中を見送った。
……ロロも訳が分からないが、イオナはもっと意味不明だ。畏まった雰囲気からなのか、一向にコイツの中身がちっとも見えてこない。もしやイオナを手持ちに加えたのは間違いだったか。

「ふふ、何か聞きたそうな顔をしていらっしゃいますね」
「何かじゃない、全部聞きたいぐらいだ。お前らなんなんだよほんと」
「ロロさんから、ロロさん自身については何も聞いていないのですか?」

小首を傾げるイオナに、炭酸を飲みながら大きく頷いた。だってロロは俺のポケモンじゃないし、そもそもアイツに興味が無い。それに今までロロはずっと母さんのところに居たし、言ってしまえば未だ顔見知り程度の関係である。
どこまで話すべきか考えているであろう、どこか別のところに目線を向けているイオナに今度は俺が聞いてみた。俺にとっては最も重要なこと。それは。

「イオナはさ、なんで俺の手持ちになりたかったわけ?」

すると。……まただ。カップを傾けながら、釣り目を面白そうに細めて俺を見る。これで俺は確信した。……コイツは、。

「別に貴方の手持ちになりたかったわけではありません。……ロロさんに会うため、仕方なく貴方の手持ちになったのですよ、"アヤト"」
「……うわあ。うわああ……」

やっぱり……やっぱりだ。そういう理由だと思ったよ。分かってはいたけれど、こうも包み隠さず言われると俺のガラスの心に響く。もうヒビが入っていつ割れてもおかしくない状態だ。頭を抱えて俯くと、上からクスクスと笑い声がした。聞きたくなくても聞こえてしまうヤツの声。

「誰が貴方みたいな方に仕えると?全く品の無い貴方に仕えるぐらいなら……そうですね、ぼんやりとロロさんを眺めていたほうがよっぽどマシです」
「うわあっお前も嫌いだばかあああっ!」

耐えきれず、ソファの上で丸くなってクッションを頭に乗っけて柔らかい鉄壁を作りうずくまる。変わらず聞こえる小さな笑い声に俺はもう涙目だ。ていうかコイツ、ロロより絶対たちが悪い。ほぼ初対面のくせに辛辣すぎじゃないか?なんだ?ただのサド野郎なのか?

うずくまる中、扉が開く音がした。すぐさまそれに顔を上げて見れば、今まであんなにもムカつく顔だったのに今だけ少しまともに見えた。……ロロが、手招きをしている。行くか否か少し悩んだものの、イオナよりもまだロロの方がマシだと脳みそが判断したようで俺の身体が勝手に動いてふらふらと部屋に向かう。俺が部屋に入るとすぐさまロロが扉を閉めた。……ロロはもしや俺に助け舟を出してくれたのか。はは、なんだ、本当は良いヤツなんじゃん……。

「ロロ……っ!」

顔をあげ、見上げた。感謝を伝えようと、そう思っていた。……0.01秒前までは。
俺の目の前、ロロことクソ猫第1号は、俺を見下ろしにやにやと笑みを浮かべていた。

「見ていてすごく面白かったよ。おかげでなんか元気出た!」
「何なんだよお前えええ!!」

ケラケラ笑うロロを一発叩いてから、俺はダッシュで備え付けのベッドに深く潜り込んだ。深く、深く……いっそのことベッドと一体化したい。
……もうやだ。サンギ牧場に帰りたい。ああ、リヒト。俺を助けてくれ、我が親友。




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