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歩いたことのない道を歩き続ける。サンギ牧場まで流れていた川は思っていたよりも長くて、下流の方は幅も広かった。
ここは20番道路である。ゲームで言えば、そこらへんにいるトレーナーと片っ端から戦ったり草むらをうろうろして、次のジム戦のために手持ちポケモンのレベル上げをするような場所だ。とはいえ、俺はやっぱり手持ちポケモンが0のまま。そんなことをする必要もなく、また、目のあったトレーナーからバトルを申し込まれることすらなかった。それは何故か。答えは一つしかない。

「……おいロロ。お前のせいで野生のポケモンすら出てこないんだけど」
『俺の"おかげ"で襲われずに済んでるんだよ。有り難いでしょ』
「全っっ然!!」

長い尻尾を揺らしながら俺の前を歩くレパルダスに向かって、たっぷり込められた皮肉を小声で思い切り打ち落とす。
この辺りは、まだ20にも満たないレベルのポケモンを手持ちとして戦うトレーナーしかいない。それはゲームと同じようで、だからこそ、レパルダスを従えている俺にバトルは申し込まないようだ。目線すらすぐに逸らされてしまっている。実際、ロロは俺の手持ちじゃないからこそ、なんだか俺は"虎の威を借る狐"みたいでものすごく嫌だった。早く手持ちポケモンがほしい。欲を言えば、一緒に成長できそうなポケモンがほしいけれど……今のこの状況からでは無理に近いだろう。なんなんだよ、ほんと。

『さ、そこの階段を昇ればタチワキシティはもう目の前だよ』
「ああ……」

いつの間にかもうそんなところまで来ていたのか。一つ目のジムをすっ飛ばして、二つ目のジムがある街まで来てしまった。嬉しいやら悲しいやら。暢気に尻尾を揺らしながら先行くロロを見て、ひとつため息をついた。
階段をのぼりながら、かすかな匂いに思い出す。そういやタチワキシティは海に囲まれている街だったっけ。ポケウッドやコンビナートもあったような気がするけれど、まずはどうにかして手持ちポケモンを捕まえなければ。

なんて考えつつゲートを抜けると、むわりと湿った空気が身体に浴びせられる。天気はくもり。灰色の空が街を支配していた。きっと綺麗であろう海も今ではどんよりとしていて感動もクソもない。
すぐ真横、街の看板があった。"タチワキは たちあがる すいじょうき"。まさにその通り、湿気が高すぎてこのまま外にいるとべとべとになってしまいそうだ。丁度ポケモンセンターも見える位置にあるし、まだ日は沈んでいないけれど今日はこの辺でいいのでは。

「ロロ、ポケモンセンター行こう。先に部屋借りておきたいんだ」
『うん、それがいいかもね』
「それにお前の回復もしなくちゃいけないだろ」
『えーでも俺戦ってないよ?』
「一応だ、"一応"。ほら、ボール貸せよ」
『……はいはい』

ポケモンの姿でも分かるにやついた表情。なんだ、何が可笑しいんだこのクソ猫。鈴のように小さくなっているモンスターボールを器用に首元のリボンから指の無い丸っこい手で落とすと、それを銜えて俺に渡すロロ。……ここだけ見れば、実にお利巧なレパルダスなんだけどなあ。

『アヤくん、良い子で待ってるんだよ』
「ロロくん、大人しく回復してくるんだよ」
『うわ全然似てない。俺もっとさっぱりした言い方だよ』
「んなの知らねえしどうでもいいわ!」

とっととロロをボールに押し詰め、未だ暴れているボールを力づくで押さえながらトレーナーカードを準備する。……一応、一度辺りを見回してみた。よし、近くに誰もいないな。さっきのは声が少しばかりデカかったから心配になったが大丈夫そうだ。
そうして一人、まだ入るだけでも若干緊張してしまうポケモンセンターの前に立つ。ロロは既にいないけれど、これでここも二回目だ。場所は違えど、ジョーイさんは同じ顔。別人だとしても同じ顔だ。ならば今度は焦らず会話もできる……はず……っ!

「──……よし、」

トレーナーカードとボールを握りしめ、ポケモンセンターの自動ドアをくぐり抜けた。
湿った空気から一転、乾いた涼しい空間に気分が良くなる。長椅子が並ぶ待合の場を歩きぬけながらカウンターを真っ直ぐに見れば、お馴染みのピンク色の髪をしたジョーイさん……ではなく、ツインテールの可愛らしい女の人が立っていた。急に重くなる足に高鳴る鼓動を抑えつつ、なんとか目の前までたどり着く。
わかる。この色合いは、間違いなくタブンネだ。最初のポケモンセンターで軽くトラウマになっているが、今回は擬人化してくれている。大丈夫だ俺……人間だと思い込め……!

「こんにちは!ご用件は何ですか?」
「は、え、えと……、ポケモンの回復。……と、……部屋、借りたいんですけど」
「かしこまりました!ではまず、モンスターボールをお預かりいたします」

……俺の心配を他所に、今回は何事もなく受付を終えることができた。いやしかし、どうしてこう擬人化しているポケモンというのは異様に格好良かったり可愛かったりするんだろう。やっぱりあれか、元が違うと同じ姿になっても特別に見えるものなのか。なら俺も、ポケモンから見れば格好良く見えているんだろうか。……ロロは当てにならないし、あとでリヒトに電話してみよ。

さて、ロロの回復が終わるまで暇だ。
森なら限られた人間としか会わないけれど、街はそうはいかない。一人というのがちょっと、いや、かなり不安だけれどゲームと一緒ならば治安は悪くないはずだ。プラズマ団も解体したとロロがいっていたし、少しばかり街を歩いてみてもいいかな。

「では、また戻られましたらカウンターまでお越しください。お待ちしております」
「は、はい、よろしく、お願いします……」

タブンネにも話もしておいたし、大丈夫だろう。
一人、再び自動ドアを抜けて湿度の高い空間へ出た。やっぱり空は曇っているし靄っているけど、なんとなくさっきより明るく見える。見知らぬ街を歩くだけでもちょっとした冒険みたいで不安の中にわくわくがかなり混ざっている今、自然とにやける顔を抑えながら歩き出す。……そうだ、どうせジム戦はできないし、外観だけでも見てくるか。ここのジムリーダーはホミカだったか。ライブとかやってんのかな。外でも音聞こえるかも。

「ふーん、ふんふ〜ん」

俺の好きなバンドの曲を鼻歌にしながら、あまり人のいない道を歩く。民家を通り過ぎ、丈夫に作られた柵の向こうに広がっている海を眺める。ゲームなら全部の民家に入って道具を探したりとかしてたけど、いやいや、普通に考えて見知らぬ人の家に入れるわけないじゃん。……あーあ、こりゃ道具集めも大変そうだ。

どこからか、子供の声がした。そういや幼稚園みたいなのがあったっけ。しかしまあそっちに用事はないから声を聞き流し、手持ちがいない俺にはまだ行くことができないコンビナートへの道も眺めるだけにして通り過ぎる。それからジムの前まで行って見てみたものの、普通の建物で少しがっかりした。今日はライブもやっていないようで、音楽の欠片も聞こえない。

「案外小さい街なんだなあ」

近いうち行くであろう船乗り場も見てから通り過ぎて簡単に街を一周したところで、海を見るために作られたであろう特に何もない広場にたどり着いた。一番端まで行って、柵に寄りかかりながら暗い海を見る。霧もかかっているのかぼんやりとしか見えないけれど、すごく遠くがやけに明るい。もしやあれが大都会ヒウンシティか?高層ビルだらけで迷路みたいな街。行ってみたいような、行ってみたくないような。
訳の分からない感情に、はあ、と一つため息をついたところ、……コツン、と足元に何かが当たった。なんだと思いつつ、のんびりと足元に目を向けてから、ビビった。心臓が飛び上がった。

「おわあっっ!?」
『失礼いたしました。落とすつもりはなかったのですが』
「…………は、はあ」

なんとか。ほんっとうに、なんとか声を絞り出す俺の足元。
ワインレッドの綺麗すぎる毛並みを海風に晒しつつ、それはもうどっかのバカ猫とは比べ物にならないぐらいご丁寧且つ何処となく上品に一礼をしてから落としたボールを口に銜え、俺を見上げるそのポケモン。

なんで、こんなところに色違いのレパルダスがいるんだよ……。ていうかなんでずっと俺の前から動かないんだ。どうせ他のトレーナーのポケモンだろう。もしや迷ったからトレーナーを探せとか言われるんじゃないだろうな。いやだ、そんなの勘弁だ。

「あ、あのー……」
『…………』

ぼふん。煙が起こる。ようやっと慣れてきたお決まりの煙に、俺は軽く咳払いしながらぼやけて浮かび上がるシルエットに目線を上げる。……これはまた、高身長なヤツだこと。

「度々失礼いたします。ポケモンの姿のままですとボールを銜えたまま話せないことに気づいたので、失礼ながら擬人化させて頂きました」
「は、はあ……」
「申し遅れました。私、イオナと申します。御覧頂きました通り、色違いではありますがレパルダスです」

ワインレッドの髪に緑色の目、こいつも随分と整った容姿をしている。白いシャツにこれまたワインレッドのジャケットを羽織っていて、全体的にきっちりしている印象を受けた。……というか、明らかに年下の俺に敬語を使う上にこの完璧な立ち振る舞い。本当に個体差ってあるんだな!?素晴らしいレパルダスだ。是非ともロロとチェンジしてほしい。

「恐れ入りますが、貴方のお名前を教えてください」
「俺、ですか?……ええと、……アヤト、です」
「なるほど、アヤト様ですね」

こう、簡単に名前は教えていいものではないとわかっている。分かってはいるけれど、こんなにも丁寧に聞かれたら答えてしまうものではないのか。さらに"様"付けときた。何だか執事みたいだぞ。今だけ俺がご主人様ってか、はは。
馬鹿げたことを考えていたものだ。俺自身だってそう思っていた……のだが。

「アヤト様。突然ではありますが、……是非、このイオナをアヤト様の手持ちポケモンにしてください。お願い致します」
「はは……、はい??」

イオナと名乗るこの男、突然目の前で跪き、先ほど銜えていたボールを手のひらに乗せて俺に向かって真っすぐに差し出していた。きらりと光る黒いボール……ゴージャスボールを、俺はただただ茫然と眺めていた。
これは夢か。……夢、なのか?




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