13

「それじゃあアヤくん、また後でね。体には気を付けるんだよ」
「うん。すぐ、追いついてみせっから」
「楽しみに待ってるよ」

頼んでいたものを受け取ってからキュレムに乗ってどこか遠くへ去っていく母さんを見送った。握っているものをバッグに丁寧に仕舞い、あとで一応動作確認しておこうと心の中で決めた。まさかあの偉そうなキュウムが本当にやってくれるとは思っていなかったから、驚きとちょっとした感謝がある。まあ、母さんに頼まれたからやったという線が一番強いだろうけど、結局俺のためになってるから気にせず素直に喜ぼう。

「アヤくん」
「……んだよ」
「ええ?明日からまた二人になるのに、俺にだけそういう態度って酷くない?」
「今までお前が俺にしてきたことのほうがよっぽど酷いっつーの!」
「あはは、確かにそうかもー」

馬鹿にするようにケラケラ笑いながら俺の頭を数回撫でるロロの手を思いっきり叩き落した。本当に、明日からまたクソ猫と二人きりだなんて考えたくもない。どうにかして早く手持ちを増やさなければ。
歯ぎしりを立てる俺を見ながら、ロロが「じゃあ、また明日ね」なんて手を振り去ってゆく。つい先ほどまでリヒトと二人で何かを話していたロロだったが、やはり今日も一人ポケモンセンターで泊まるらしい。俺のトレーナーカードを使って、その場だけ手持ちポケモンだと言い張って施設に寝泊まりするポケモンってあり得なくないか?
少し離れたところから後から戻ってきたリヒト曰く、俺とリヒトを配慮しての行動らしいが……さてどうかな。

「だからさ、今度メリープたちに会っても逃げるなよ?いいな?」
「頑張ってみる……」
「あと、これは明日お前が返しにいけ。"美味しかったです"って、言っておいてくれよ」
「……が、……がんばって、みる……よ……」
「大丈夫だって。オーナーさんもハーさんたちも、すっげー優しいから」

タッパーをぎこちなく受け取るリヒトの背中を叩く。ハーくん先輩が俺にしてくれたみたいに少しだけ押したつもりだったのだが、リヒトが弱弱しすぎて焚火に向かって前のめりになってしまいマントに危うく火が燃え移るところだった。慌てて掴んだ裾を両手に握りしめ、安堵のため息を吐くと「アヤト」、とリヒトが俺の名前を呼ぶ。答え、リヒトを見たものの、その視線は焚火にあった。それが俺に向くことはなく、また続く言葉もない。

「リヒト、……あのさ」
「おれもね。……すごく考えた。……でもさ、やっぱり無理だよ。おれはアヤトと一緒に行けない」
「そ、っ……か……、」

そう、言われると思っていたけれど。分かってはいたけれど。やっぱりダメかあ。よりもそれをさらに上回るぐらいには残念に思っている。……リオル、結局仲間にできなかったなあ。リヒト以外、出会うこともなかった。でもだからと言って無駄足だったとは思いたくないし、……うん、そう。多分、きっとこれで良かったんだ。俺はまだまだということだ。ボーイズ・ビーアンビシャス。

「ねえアヤト。話したいことがあるんだけど、……笑わないで、聞いてくれる?」
「なんだよ、そんなに笑いそうになる話なのか?」
「そうじゃないんだけど。おれが、今まで誰にも話したことがなくて、でもずっと誰かに話したかった話なんだ」

へへ、なんて照れ臭そうに笑うリヒトを不思議に思いつつ、先ほどと変わらず縦に深く頷いた。いつだったか、一緒に切り倒した一本の木から作った椅子替わりの丸太に座りながらリヒトがぽつぽつと話し始める。

「おれ、夢があるんだ」
「夢?」
「そう。叶えたい夢がある。叶えたい、未来があるんだ」

意外な切り口だった。内心少しばかり驚きながら相槌を打つ。そうすればリヒトはまたはにかんでいたものの、話を打ち切ることは決してなかった。「ふたつあるんだ」、目を輝かせながら俺に視線を向けるリヒトを見て、少しばかり羨ましくなった。夢を持ち、またそれを堂々と語ろうとするリヒトが羨ましい。

「おれは、ハーフも堂々と生きられる世界を作りたい」
「堂々と、……生きられる、世界……壮大だな」
「実はね、これはおれの父さんと母さんの夢でもあるんだ。今までそんなのおれには絶対無理だ、できっこないのにそんなこと押し付けないでって、頑なに否定してた。……でもさ、ちょっとだけ。おれにもできるかもって思ったんだ」

こんな姿のおれにだって、ポケモンと人、どちらとも会話することができた。一緒にご飯を食べたり、触れ合うことができた。……リヒトの夢にもなるきっかけは、俺からすればとても些細なことだった。当たり前のことだと思っていたが、リヒトの中では大きな一歩を踏み出すきっかけになっていたらしい。

「でもまずは、おれの身の回りの人たちを守れるようになりたい。母さんやオーナーさん、牧場のポケモン。みんながずっと笑って暮らせるようにしたいんだ」
「……なんで?それってリヒトにメリットなくないか?」

母親はまだしも、オーナーさんはリヒトを一度しか見たことがないと言っていた。ハーさんたちですらなかなか見かけないと言っていたし、今リヒトが出した人たちとリヒト自身はきっとあまり関わりはない。そういやメリープたちが、リヒトがポケモン泥棒を退治していたとも言っていたけれどそれもリヒトにとっては何の得もないじゃないか。俺にはすごく不思議だった。自分にとってメリットが何もないならそんなことやる必要はどこにもないからだ。でもリヒトは違う。
俺の素直な疑問に、リヒトは困ったように笑いながら「うーん……」と唸って俺と同じように小首を傾げた。

「多分、損得じゃないんだ。たしかにみんなと関わりはほとんどないけれど、……おれさ、この牧場が大好きなんだ。人とポケモンの楽しそうな声を聞くのが好きだったし、憧れだった。静かな森も好きだし、綺麗な川も好き。それをおれが勝手に守りたいって思ってるだけ」

あと、おれの特性のせいもあるかも。そういって笑うリヒト。聞けばリヒトの特性は「せいぎのこころ」らしい。リオルの特性にはなかったような気がするが、ハーフだからそういうのも有りなのか?ていうかせいぎのこころってなんだよ。特性までカッコいいじゃないか。ちくしょう。

「もうひとつはね。アヤトに会ってから出来た夢なんだ。おれにとっては、大志だよ。……あのね、」

──……いつか、アヤトと一緒に旅がしたい。

ぴたりと動きが止まってしまい、リヒトを真っ直ぐに見つめる。二つの瞳は違う色同士なのに、焚火の炎を瞳に映して同じ色のように見えていた。それがふっと下を向き、伏し目がちになりながらもなお輝いている。

「本当は、明日からアヤトと一緒に旅をしたい。……本当に、そうしたいと心から思ってるんだ。一緒に歩いて、ご飯食べて、バトルして、色んなものを見てさ。想像するだけでワクワクして寝れなくなりそうなんだよ」
「…………」
「……でも。"今の"おれの居場所は、ここしかないから」

今日ほど、この世界を恨めしく思ったことは無かった。もしもハーフが堂々と生きられる世界だったのなら、俺は明日からリヒトと一緒に旅をすることができたのに。……やっぱりどこの世界もクソなんだ。ちょっとした諦めと大量の残念な気持ちが混ざったため息を鼻から吐き出す。

「だからおれは、ここからアヤトを目指すよ。いつかの素敵な世界のために。素敵な、未来のために。おれはここで頑張ってみる」
「……んだよ。笑うとこひとつもなかったじゃん」
「それはきっとアヤトだからだよ」

夢を見ること。夢を抱くこと。それはすごく素敵なことだと誰かが言っていたし、漫画とかでもよくありそうなセリフだと思う。素敵ってなんだ。叶わない夢を見たって無意味じゃないか。そう思いながら流し見していた今までの俺は、一体何だったのだろう。
リヒトの夢が叶う可能性は、多分限りなくゼロに近い。それでも俺は応援したくなったのだ。絶対に叶えてほしいと、願ってしまう。夢を支え、叶える姿を見てみたい。……そう、心から思ってしまった。

「リヒト、これやるよ。あと漫画も」
「えっ、でもこれ、」

母さんに頼んでおいた改造した元俺の携帯をリヒトに押し付ける。リヒトは出会った頃、俺が頻繁に携帯を見ていた姿を知っていた。だからこんなに戸惑っているのだろう。きっと俺の大事なものだと思っているに違いない。……まあ、こっちに来る前までは命の次ぐらいに大事だったけど、それも今じゃ合っても無くてもいいものぐらいの格に落ちている。言っておくが、要らなくなったからリヒトにあげるわけじゃない。

「キュウムがやってくれたんだ。多分あの……人形の1体のほうだと思う。これに通信機能を付けてもらったんだ」
「通信、機能……?」
「ポケモンセンターにある……って行ったことないんだっけ。試しにやってみっか。リヒト、音が鳴ったらこのボタン押して」

頷く姿を見てから、事前にロロから奪、借りた小型の機械を取り出して自分の携帯番号を入れた。するとリヒトが持っている携帯が鳴り、ボタンを押すと俺が持っている機械同様、画面から映像が飛び出して宙に俺の顔が映し出された。「うわあ!」なんてリヒトが放り投げた携帯をなんとか受け止めてから、笑いながら渡すと何度も瞬きを繰り返す。

「これでいつでもどこでも連絡が取れるんだ。すごいだろ」
「すごいね!?じゃ、じゃあ、アヤトが遠くに行っても話せるってことだよね?」
「おう!なんかあったら連絡してくれよ」
「っうん!アヤトも連絡してね!絶対だよ!」

ありがとうアヤト!なんて、尻尾をぶんぶん振り回しながら満面の笑みで携帯を大事そうに抱きしめるリヒト。それから俺たちは、いつも通りくだらない話をしたり、護衛術を教えてもらったり教えたり。いつも通りすぎる夜に、本当に今日でこれが最後なのかと疑ってしまうほど、本当にいつも通りだった。

──……そうして長い夜は、明けてゆく。




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