9

「リヒト。ひとつ、変なことを聞いてもいいか?」

コジョンドを抱いたまま立ち上がり、綺麗なあの人と一緒にどこかへ行くひよりさんを見た。それからグレアさんに視線を戻して、一度頷く。そういえばアヤトは父親が苦手だと言っていた。それに自分と父親は似ているところが一つも無いとも言っていたっけ。でもなんとなく、グレアさんがアヤトのお父さんだというのは腑に落ちる。

「アヤトは人間で、俺はポケモンだ。……リヒト、お前はポケモンと人間、"どちら"だ?」
「……、」

おれは、ハーフだ。人間でもないしポケモンでもない。……でも、それはおれではない他人に言われているだけのこと。言われ続けて勝手に決められて、そうなっているだけ。なりたくないものになった。最初から選択肢なんてなかった。なのに、今更与えられるなんて。与えてもらえるだなんて。
麻酔のようにじわじわ広がる熱い何かを服の上から手で握りしめ、目を見開いて彼を見る。……ゆっくり息を吸って。少し噛んだ唇、今もなお震えている唇で紡ぐ、"おれ"のこと。

「おれは、──……ポケモン、です」

勝手におれを決めないで。
言いたくても両親の期待に応えてずっと仕舞い込んでいた言葉が、今更喉の当たりをぐるぐる回って熱い息に変わり吐き出される。……言えた。ようやく、他の誰かに言えたんだ。

「そうか。なら、俺と一緒だな」

ゆっくりテーブル越しに伸ばされた長い腕が俺の頭の上にやってきて、手のひらが乗っかった。一回、二回と左右に動いてから重みが無くなり、おれは内心ひどく驚きながらずれたフードを直して視線を上げる。

「リヒト。アヤトのこと、これからも宜しく頼む」

切れ長の目が細くなり、弧を描く。……笑った顔が、アヤトとよく似ている。ぼんやりそう思っていると、ひよりさんがグレアさんを呼ぶ声がした。それに答え、立ち上がるグレアさんを見送る。……頷くだけ、頷いていたほうが良かっただろうか。

「ねえリヒトくん、君はどうしてポケモンだと答えたの?ハーフを虐げる人間が嫌いだからー?」

アイスクリームの上に乗っている木の実を小さなフォークで刺し、片手には細長いスプーンを構えている彼が首を傾げている。確かこの人は、……チョンさんと言っていたか。その隣ではロロさんが片手を頬に添えながら苦笑い気味に視線を横に向けていた。

「こりゃまたはっきり聞いちゃうもんだねえ。ああ、リヒトくん。話したくなかったら話さないでいいからね」

そういうロロさんに小さく首を左右に振って見せ、「彼」に向く。……うん、やっぱり、アヤトに一番に話したいから、今は少しだけにしよう。ロロさんたちの後ろ、キュレムの人が二人の間からお皿の料理をつまみ食いする。キュレムの手ならば出来ない所作だ。ポケモンの擬人化は人間に対する強い想いから成る。ということはここにいるポケモンたちは皆、そういうことだろう。冷静に眺めてみるとこんなに集まっている光景は、……なんだか素敵だと思う。

「確かに、人間のほうがハーフを嫌う指向があります。……でも、おれは、人間のこと嫌いじゃないです」
「ならどうして?」
「……おれは、人よりも力のあるポケモンになりたい。守れる力が欲しいんです」

少し、時間をおいてから「そっかあ」と笑顔付きで返される。それにゆっくり頷いてから、急にすることが何も無くなってしまったように膝の上に静かに置いた手に視線を落とした。お皿にはまだ料理が残っている。フォークを握って食べるのもいいけれど、なんとなく手をテーブルの上に出しにくい。
そんなとき。後ろには誰もいないはずなのに、再びフードが後ろに落ちた。慌てて左手でフードを握ってみたけれどなぜか動かない。訳が分からなくて何度も後ろを振り返ってみたものの、やっぱり誰もいなくて。助けを求めるてロロさんに視線を移すと、楽しそうに笑みを浮かべながらキュレムの人を見る。

「ほらあ、リヒトくん困ってるよ?早く止めてあげなよ」
「性悪猫がニヤニヤしながら言ってんじゃねえよ」
「二人とも似たような表情してるくせにー」

ロロさんたちを呆れ笑いしながら見て立ち上がるチョンさんが、おれの横にやってきた。それからスッと伸ばされた腕に一度肩を飛び上がらせてから、「もう大丈夫だよー」なんてのんびりした声を聞いて、彼の手元を見た。……人形が、二体いる。

「……きみたち、だったんだね」
『いつまでフードを被っているのかと思いましてねえ。いいじゃないですか、耳ぐらい見せたって』
『あ、あの。リヒトくんにも思うことはあるかもしれません。でも、……大丈夫です。ここにいる誰も、リヒトくんを軽蔑したりなんかしない』

だって、僕だちがこうして受け入れられているんだもの。
フードを被りながら、そう言った人形を見つめた。人形だから表情が分からないぶん、声色が非常に分かりやすい。……今のはどういう意味なのか。おれが聞く前にすぐ鼻の先まで飛んできた人形が教えてくれた。その、答えを。

『ワタクシ、こう見えて人工知能なんだよねえ』
「……!」
『たまたま組み込まれたのがポケモンであっただけで、言ってしまえばワタクシは人間でもなければ、ポケモンでもない。だから当たり前のようにワタクシには元から"身体"がないということさ!……ハーフだろうが何だろうが、身体があるだけでも、羨ましいよ』

飄々とした様子とは裏腹な話題に返す言葉が見つからず、ただじっと見つめていた。おれの目前から離れてテーブルに降りると小さなフェルトの両手で苺を抱きしめるように掴んではむしゃむしゃと食べている。中は綿しかないはずなのにどうやって消化しているんだろう。謎だ。

『あれでも慰めたつもりなんですよ、きっと』

いつの間にかおれの肩に乗っていたもう一体の人形が言う。おれと同じく、視線の先には苺の汁で口元を赤く染めている人形がいる。

『僕も、リヒトくんはもっと堂々としていていいと思います。アヤトくんやひよりさんは君を見てなんと言っていましたか?……大丈夫です!勇気を出して、一歩踏み出してみてください』

腕と羽をぱたぱたさせながら人形に励まされてしまった。なんだか可笑しくて口元が緩む。
それから少し考えて、アヤトの言葉を思い出す。"お前がなんか言われたら俺が庇ってやるよ"って、格好良く言っていたのに先に寝ちゃうだなんて。いつの間にか離れていた手は未だおれに向かって伸びている。……平気だって。大丈夫。
ゆっくり。フードに手をかけ後ろに落とす。音が、波動が、大きく聞こえ感じる。それでも先ほどと変わらず時間は流れて、……不意に耳を掴まれ肩を跳ね上げる。

「へえ、本当にこっちも機能してんだな」
「……ど、どうして気配を消すんですか!一瞬、波動も無くなるなんて……」
「そりゃ俺様だからな。できねえことはねえ」

見下ろしながら上に耳を引っ張られて、尻尾も真横に伸びてしまう。やっぱりこの人苦手だ……。止めるに止められず、宙で両手をあわあわ動かしていれば助け舟がやってきた。真横、風を切る音が聞こえたと思えば乾いた音が響く。ひよりさん、よりも先に勢いよくこちらに走ってきたコジョンドの人がキュウムさんに思い切りハイキックを繰り出していたのだ。それを片手で受け止め、余裕の笑みを浮かべるキュウムさん。……二人の間には入らないようにしよう。

「リヒトくん大丈夫?全く、目を離すとすぐこうなんだから」
「ならずっと見てりゃいいだろ?そうすれば何もしねえかもな」
「……お前は黙ってろ」

謎に殺伐とした雰囲気の中をひよりさんが容易く潜り抜けて、おれの耳に気づいては「触っていい!?」なんて目を輝かせながら問う。頷く前から触られている場合はどうしたらいいのかな。……そしてふと気づく。先ほどのことも併せて、もしやキュウムさんは彼女を来させるためにわざとおれにちょっかいを出しているのではないかと。……おれの考えすぎかな。

「あら、可愛い耳ね。わたしも触っていい?」
「あ、オレもオレもー!」
「俺も耳だけ出せばひよりちゃんと心音ちゃんに撫でてもらえるかも……!」
「にゃんころの場合、撫でられる前に多分心音にぶん殴られるぞ」

……"あれ"以来、体験したことの無い多数との接触に軽く眩暈を覚える。つい先日まで、ずっと一人だったおれは今、こんなにも沢山の他者に囲まれている。波動が分かってしまうぶん、全てが全て良いものとは言えないけれど。でも、それも含めて。……こんなにも賑やかなことが心地良かったり楽しいと思うのは初めてだ。聞こえる音や、見えるもの、全てが新鮮で、わくわくする。

揉みくしゃに撫でられながら、笑いすぎてほんのり痛い頬に緩む口元を隠すように少し視線を下に向けたとき、テーブルに投げ出されていたアヤトの手がぴくりと動いたのを見た。アヤトが自然と起きてくれることを願いながらすかさず手を握れば、うつ伏せになっていた顔がたっぷり時間をかけて上にあがる。周りにいた全員が一度動きを止めてから視線をアヤトに向ける中、重すぎる瞼がこれまたゆっくり持ちあがり、ぼんやりとした目を半分だけ見せる。

「……リヒト、」
「アヤト、起きた!?みて!おれ、大丈夫になったんだ!今、すっごく楽しいんだ!」
「…………」

なんの感情も伺えない表情でおれを無言で見続けるアヤト。「寝ぼけているみたいだよ」、上からひよりさんの笑い抑えた声がした。それから一回、二回と舟を漕ぐように瞬きをしたと思えば、ふと、嬉しそうに笑顔を浮かべる。今までに見たことがない屈託のない笑顔に驚いていれば、握っていた手に弱弱しくも力が入り。

「……アヤト、?」
「──……よかったなあ、リヒト。……ほんと、……よかったなあ……、」
「…………、」

何かを噛み締めるようにそういうと、また時間をかけて額をテーブルにつけ、すぐに寝息を立てていた。優しい小さな笑い声がぽつぽつと生まれる中、おれは一人、アヤトを見たまま固まる。……胸が、熱い。

「きっと、リヒトのことが心配だったんだ」

グレアさんが、眠るアヤトを優しく頭を撫でる。自身と似た外はねの毛先で遊んでいるようにも見えたけれど、その目はおれも知っている。やっぱり、この人は父親だ。
気づけば零れていた雫を静かに拭い、胸元を握りしめた。こんな感情初めてだ。嬉しくて幸せで、絶対忘れることのないものになる。

「リヒトくん、アヤくんと出会ってくれて、本当にありがとう」

降ってきた言葉が沁み込み、ゆっくりと頷いた。そうしてまた、周りが動き出して笑みが溢れる。煌びやかな世界にいる自分が未だに信じられない。
あの窮屈な場所にもう戻らなくてもいいのかもしれない、なんて。夢のような現実に酔いそうになる度、繋いだままの手を握りしめた。

……アヤト。こんなにおれをワガママにしたのは、きっと君のせいだよ。




- ナノ -