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そこは町から少し離れた場所にあるらしかった。らしい、というのは到着した今現在、夜の闇に視界を奪われていてよく周りが見えないし、仄明るい光はここだけしか見当たらない。ということは、周りには他に家が無いということだ。
落ちるようにキュウムから降りて、ふらつく足でなんとか体を支えながらも、普通の店がこんなところで商売をやって儲かるわけがない。どうせ寂れた店なんだろう。そう思っていた。

『おや、向こうのほうが到着が早かったみたいだねえ』

俺と同じく、覚束ない足取りで店の扉の前に先行く母さんの肩に乗っているブス人形がそう言った。母さんが握っているドアノブは縦長に細いヨーロピアン調のもので、意外にもお洒落な雰囲気を醸し出している。
どうやら俺たち以外の客もいるらしい。後ろにいるリヒトが深くフードを被り、緊張で表情を強張らせているのを見て、何も言わず振り返りもしないで傍に寄ると、何か言いたげに口が開いた音が小さく聞こえたものの言葉は何もなかった。

「今日はお店を貸し切りにしてもらっているの。せっかくだからアヤくんとリヒトくんにも会わせたくて」
「だってさ、リヒト」
「…………」
「突っ立ってねえでさっさと入れ。こちとら腹減ってんだよ」

立ちすくむリヒトと立ち尽くす俺を押しのけ、キュウムが母さんの手に手を重ねてなんの躊躇もなく扉を引いた。
──……カランコロン。心地のいい鐘の音が静かな夜に響いて、光が一気に広がった。それと一緒に薄っすら聞こえていた声がドッ!と溢れて騒がしくなる。低い声、高い声、呂律の回っていない声、それに舌足らずな幼い声までもする。一体何人いるんだ。想像がつかない光景を目前に、先行く母さんたちの背を見送った。それに続く俺の後ろ、未だビクとも動かないリヒト。

「しっかし母さんも荒療治だな。リヒトのこと分かっててこういうとこに連れてくんだもんな」
「…………」
「平気だって。きっとここにいる奴らは誰もお前をそんな目で見たりはしないよ」
「……で、でも、」
「もしもお前がなんか言われたら俺が言い返してやる。だからさ、……ほら、行こうぜ」

小さな石段を一つ上ってリヒトに手を差し伸べる。フードと髪に隠れていた顔が上に向き、後ろからの光がひと回り大きくなっているリヒトの目に反射して輝いているように見えた。頷いて、覚悟を決めたような面持ちで俺の手を力強く握るリヒトにひっそり笑ってから、二人で一緒に扉をくぐると。

──……パアンッ!パアンッ!

真横から連続して乾いた音が鳴り。目の前をひらひらと申し訳程度の紙吹雪と、それを凌駕する大量の無駄な紙テープが俺とリヒトの頭に乗っかった。目を点にしながら瞬きを繰り返す俺たちの目の前、色んな顔が並んでいるものの、直観で大半からは好意を感じた。

「アヤトくんとリヒトくん、ジョウト地方へようこそ!」
「…………は、はあ」

だんだんと視線が散らばる中、真横からクラッカーを鳴らした張本人である母さんとチョンさん、そして初めて見る顔の男が満面の笑みで歓迎の拍手をする。後ろで一つに縛ってある深緑色の髪に、清潔感のある真っ白いシャツに赤チェックのネクタイ。そして腰には黄色いカフェエプロンが巻いてあるのを見ると、たぶんこの店のウェイターだろう。

「ヒノ、これはマシロさんたちのテーブルに」
「はい!」

また後で。片手をあげ、爽やかすぎる笑顔で厨房に駆けてゆく彼をあっけらかんと見送る。そして今度は母さんとチョンさんに押されるがまま、いくつかのテーブルを並べ繋げ、すでに出来上がっていたヒトの輪の中へと放り出されてしまった。見ず知らずのヒトに囲まれながら座る俺の唯一の救いは、俺以上にかなりビビっているリヒトという存在だ。

「アヤくん、やけに大人しいんじゃない?どうしたの?」
「っあ!?ロロっ!?お前なんでここにいんだよ!?ずっと帰ってこなかったくせに!」

思わず勢いよく立ち上がって、対角線上にある少し離れたテーブルに足を組みながら座っているロロを指さした。暢気にひらひら手を振りながらニヤつきやがって、超腹立つ。リヒトはと言うと、"ロロ"という名前に若干顔が上がったもののまたすぐに視線は下へ向く。

「えー?だって俺ひよりちゃんのポケモンだしい、君のところに戻る必要なかったしい。グレちゃんの世話で忙しかったしい」
「俺を見ながら爆笑していた、あれが世話だと言うのか?」
「って、父さんも何当たり前のように座ってんの!?動けないんじゃなかったわけ!?はあ!?意味わかんねえ!」
「……アヤトの、お父さん……?」

リヒトの興味を含んだ小声を聞きつつ父さんを見れば、視線だけ合うだけで言葉とか動作とかも何もなく、俺は仕方なく文句を飲み込み口を閉じた。それからふと、父さんの視線が外れたと思うと、人差し指を立てて鼻先に当てるのを見た。俺の横、リヒトがこくりと頷く。……一体、なんなんだ。不思議に思いつつ、口先を尖らせながら座る俺。ちくしょー、リヒトにはアクションあって俺には何もなしかよ。……ほんと意味わかんねえ。

オレンジ色の仄明るい照明に照らされているコーティングされた木製のテーブルの上が、数多くの料理でどんどん色鮮やかになってゆく。それに騒がしい声もより一層騒がしくなったり、大量の飲み物やコップで隙間という隙間が無くなっているのが目に見えて分かる。つまり、今ここにはそれぐらいの人数がいるってことだ。

「ねえ、ちょっと」

後ろから肩を突かれ振り返って驚いた。なぜって、……そりゃあ、金髪碧眼の、まるで人形みたいな少女が居たからだ。言っておくが夢じゃない。現実だ。ただ俺に対しての視線がめちゃくちゃ怖かった。緩やかなウェーブがかった髪を揺らして腕を組み、椅子に座っている俺を見下している。……顔の割には胸がでかい。ありがとうございます。

「何ぼーっと座ってんのよ。アンタたちも手伝いなさいよ。全く、気が利かないダメ男たちね」
「……はい?」
「詩?何してるの?」
「はい、お母さま。お初にお目にかかるアヤトさんにご挨拶をしてましたの。只今、そちらに戻ります」

……俺は、夢を見ているのかと思った。花が咲くような愛らしすぎる笑顔を浮かべ、ボリュームのあるふんわりスカートの端っこを両手で掴んで声のした方へお辞儀をする少女。そして俺に視線を戻した直後の笑顔消え失せた「とっとと動きやがれこのダサ男ども」の一言。……全部夢かと思ったら、やっぱり夢じゃなくて。

「……お、俺も……手伝います……」
「……え、えと……おれも……」

リヒトと一緒に小刻みに震えながら立ち上がって厨房に行くと、丁度できた料理をカウンターに置いていた男の人に驚いたような顔をされた。茶色の目をぱちぱちしながら、一回俺たちの背後に視線を移して。……有り難すぎることにどうやらこの人には俺たちに突如降りかかった謎の災難が分かったようで、左端にほくろがある口元を緩やかに開いて困ったように笑みを浮かべた。

「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくよ。君たちは主役だから座ってて。……いいことを教えてあげよう。ウタはヒノに弱いから、ヒノの近くにいるといいよ」

お兄さんの揺れる水色の髪と赤いピアスを眺めたあと、その視線を追いかけてみる。……ヒノ。先ほど母さんたちと一緒にクラッカーを鳴らしていたウェイターのことだった。料理を運ぶ彼の次、視線を移すとぼんやりとその姿を眺めているさっきの毒舌少女。なーるほど、そういうことね、あーはいはい。
優しいお兄さんにお礼を言ってから、分からないけどとりあえず頷くリヒトを引き連れ席に堂々と座りなおした。恋する乙女ってか。ガキのくせに。……いやしかし。ガキのくせにやっぱり胸はでかい。

仕方がない。主役である俺たちに向かっての先ほどの暴言も、今回は大目にみてやろう。




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