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リヒトの部屋に入り、やっと腕が離される。……地味に痛かった。掴まれていた方の腕をぷらぷらさせていると、ずっと背を向けていたリヒトが振りかえって俺を見た。なぜか眉間に皺を寄せ、水分を含んだままの青い髪から水滴がぽたりと垂れてゆっくり頬を伝って落ちる。

「さっき母さんに何か言われた?」
「え?」
「アヤト怖がってた。隠したっておれには分かるよ」
「こ、……怖い?っつーか、なんつーか……」

なんか知らんがやけに真剣な表情で、しかも怒っているような言い方で聞いてくるもんだから、先ほどのことをそこまで重く考えていなかった俺は困り果てるしかなかった。人差し指で頬を引っ掻き、顎のあたりで動きを止める。可愛らしい容姿に合った、お茶目で優しそうな人のことを……本当に、何であんな風に思ってしまったのか分からない。さっきの言葉だってそうだ。

「何でもない。多分俺が考えすぎてるだけだ」
「……本当に大丈夫?」
「大丈夫も何も、ほんとに何も無いってば。ていうかさっきの"おれのだ"ってなんだよ?俺はお前のものじゃねーし」
「ご、ごめん。その、おれもちょっとびっくりしてる」

はは、なんて照れ笑いをしてみせる。そうしてやっと緩んだ空気にホッと息を吐いてから、リヒトに近寄り肩に乗っていたタオルを頭に被せた。そのまま乱暴に掻き乱してからベッドに思い切りうつ伏せで寝っ転がる。暗い視界に気持ち少しばかり息苦しい中、スプリングが跳ねて俺の身体を揺らした。……リヒトんちの匂いがする。当たり前だけど。

「……アヤト」
「んあー?」
「おれ、今日全部話すって言ったけど」
「けど?なんだよ」
「……本当に、いいの?このままだと、……アヤトも巻き込まれる」

柔らかい枕を胸元に入れ込み、抱えるようにしてから顔をあげてリヒトを見た。俺と同じ黒いロングTシャツの裾を握りしめ、軽く唇を噛んでいる。聞かないでも分かる。俺に対して罪悪感を感じているんだ。いつだったか、リヒトに「もうおれと関わらないほうがいい」と言われたのをいまだに覚えている。……んなの、お前じゃなかったらとっくの昔におさらばしてるってーの。

「何を今さら。いいよ、どこまでだって巻き込まれてやるさ」

笑ってみせてから仰向けになり、リヒトが読み終えた漫画を手にとって開く。……が、一向にリヒトが動く気配が無い。仕方なく漫画を読みながらさりげなく目線だけやると、やっぱりさっきと同じところに突っ立っていて難しい顔をしていた。

「アヤトがどう考えているのか分からないけど。これはアヤトの今後にも関わってくるから、……やっぱり、」
「リヒト」

漫画を閉じて枕元に置き、上半身も起こしてベッドの淵に座った。名前を呼ばれたリヒトは、やっぱり顔をしかめたまま俺を見る。リヒトが真っ直ぐに言葉をくれるなら、俺も真っ直ぐ伝えてやろう。……もう冗談は、一切無しだ。

「俺は知りたいんだ。お前のこと」
「おれの、こと……?」
「そう。知ってどうするんだって、オーナーさんにも聞かれたよ。知ったからどうなるとか無いけど、……でも、……俺にとってお前は、この世界に来てから初めて出来た友達なんだ。いや、もしかすると、俺の中では今までで一番の友達になってるかもしれない」

俺は今まで、出来るだけ他人とは関わらないようにしてきた。関わるだけ面倒だからと決め込んでいたからだ。だから心から友達だと思えるような奴が居なかっただけかもしれない。正直、関わらざるを得なかった出会いだったから、流れでリヒトと友達になっているのかもしれない。……だとしても、今の自分自身の思いは自信を持って言葉にできる。

「俺は、なんでもいいからリヒトの力になりたい」
「──…………、」
「って言っても、俺に出来ることなんて知れてるけどさ。それでもいいなら、……頼ってくれよ。頼ってほしい。中途半端な気持ちで言ってるわけじゃないんだ。これでも俺なりに覚悟決めてる」

──だからさ、教えてよ。リヒトブリックのこと、全部。

驚きを含んでいるような、ひどく大きく見開いている目が潤んでいる。それを見つめ、さてどうしようか少しだけ悩んでからとりあえず笑っておいたら、とうとう、リヒトの目から雫が零れ落ちる。こう何度も泣かれると困るんだけどなあ。

「ほんっとリヒトって泣き虫だよな」
「……ちがう。……おれ、滅多に泣いたり、しないんだ」
「嘘つけ。俺もう何回もお前泣いてるとこ見てんぞ」

立ちながら俯き加減で目元を何度も拭っているリヒトにわざと馬鹿にしたような笑いを投げてから再びベッドに寝っころがる。どうせリヒトが泣き止むまで話は聞けないんだ。漫画でも読んで暇潰ししておこう。……と思ったが。

「本当、なんだよ。泣いても誰かが助けてくれるわけじゃないし、惨めな気持ちになるだけだって、……もう、随分前から分かってた」
「……」
「アヤトと出会ってからだよ。……こんなの、初めてだ」

鼻をぐずぐずさせながら、ゆっくりベッドの横に正座になるリヒト。擦りすぎてうっすら赤くなった目の淵を細めながら俺を見る。

「アヤトはもう、十分力になってくれてるよ。……おれの、心の支えだ」

サラリと額を流れる細くて青い髪。左右で違う形の手がシーツに作る皺。絵画のようにそこだけくり抜かれたような景色にハッと息を飲み。……泣きながら笑うその表情が、目に焼きつくぐらい綺麗に見えて。

「……あだっ!」

……片手で上に持ち上げていた漫画を真っ逆さまに自分の顔面に落とした。いってええ!!なんて呻き声を上げながらベッドの上をごろごろ転がりまわりながら、思い切り潰したであろう鼻を摘んでは引っ張っていた。
心配の言葉に含まれる笑い声が聞こえ、ベッドの端に座り直すリヒトに向かって転がるついでにわざと蹴飛ばしたり体当たりしてやった。……それから。ベッドがリングに早変りし、プロレスごっこが始まったということは言わないでも分かるだろう。

結果?……そんなの、……サソリ固めとか卑怯じゃね?俺の腰、死んだわ。




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