7

夜が明けて、朝日が昇る。あれからもう何日経っただろうか、少なくとも1週間は確実に過ぎてしまった。
今日も今日とて毎度のことながら俺は気が付いたときにはいつの間にか寝ていて、ご丁寧にマントがかけられている始末。仕方が無い。慣れないことをしていて確実に身体は疲れているんだ。だからいっつも寝ちゃうわけで。ていうかリヒトは一体何時に寝ているんだろう、謎だ。

「おはよう、アヤト!」
「……はよ」
「ヨーグルト持ってきた!アヤトが貰った木の実入れて食べよう?」

外側に跳ねている青い髪に負けず劣らず元気なリヒトがくそ眩しい。朝っぱらからどうしてこうも元気なのか不思議でならない一方、俺は完全に開ききっていない細い目を擦りながら携帯のボタンを押すと画面には5:45の文字。……んなの眠くて当たり前だ。
目を擦りながらもう一度ボタンを押して画面を暗くする。それから一度寝袋の中でうずくまってからやっとの思いで勢いよく起きて、バッグからタオルを取り出し川へ向かった。朝飯の前に顔洗ってこないと。風呂の代わりの水浴びは昨日汗だくで戻ったからすぐ川に直行したし、今朝は全裸になる必要はない。

「アヤト」
「んあ?」

川から戻ってリヒトと朝飯を食っている時。リヒトがふと、手を止めて俺を見た。それに構わず口を動かしながらさらにパンを食いちぎる。パンうめえ。

「今日の夜、おれの家に来ない?」
「リヒトんち?……えあっ!?お、お前んち!?」
「そう。アヤトが牧場のお手伝い終わった後。……もし、よければ、なんだけど」

リヒトからの予想外の提案に、危うくパンを落としかけた。慌てて握り返したものの、おかげでふわふわのパンの表面に俺の指の跡がくっきり残ってしまっている。
リヒトの家。つまり、リヒトの母親がいる。どんな人なのか見てみたいっていう好奇心と、加えて家に行けばまたあの美味しい食べ物にもありつけるかも知れないという期待。
それに、今日の"夜"ということは。

「今日は怪我する予定、ないんだな」
「……そうだよ」
「よし!なら急きょ出来ても行かせないようにしてやらねーと」

パンを口に詰め込んで、指に付いたパンくずを数回払ってから小指を立てて手を出す。もぐもぐしながらリヒトを見ると、まん丸だった目がゆっくり細くなってから困ったような笑みを浮かべた。仕方ないなあって、そういう顔。リヒトは指きりに弱い。
ゆーびきーりげんまんー。小指を絡ませて約束を交わす。そうしてリヒトが歌い終わる頃に俺は指を離して立ち上がった。急いで川に行って歯磨きをしてからバッグを肩に掛ける。よし、これで今日は安心だ。手伝いも昨日よりは捗ると思いたい。

「ご馳走様でした!そんじゃリヒト、また夜、ここでな」
「うん。待ってるね」
「おう」

一、二度手を振ってから背を向ける。それから今日の夜のことをぼんやり考えつつ、牧場に向かって森の中を走りだした。遠いはずの距離、が少しばかり短く感じた朝だった。





「へえ、そりゃすごい。僕なんかずっとこの牧場にいるけど、彼の姿を見たのなんて数えるぐらいしかないよ。どんな顔だったのかすら覚えてないや」
「もともとリオルという種族自体警戒心が強いのだよ。それとここまで距離を詰めるとは……アヤト、やはり君には何かあるのかも知れないな」

草むしりして、しょっちゅう逃亡するメリープたちを捕まえるために走って、チビメリープたちにミルクをやっていて、……気付いたら昼飯の時間になっていた。オーナーさんの奥さんが作ってくれる飯は上手い。この世界に来てからというもの、食べ物に関して当たり続きで最高だ。
ふわっふわの卵とケチャップライスをスプーンで掬いながら食事をしているハーデリアの二人を眺める。ロロもナイフとフォークとか普通に使ってたけど、こう、改めてついさっきまで獣だった生き物が人間の姿になって、俺と同じように器用に食器を使いこなしている姿は不思議だ。

「ポケモンに好かれる何か……あったらすでに手持ちの一匹ぐらいいてもいいと思うんですけどねえ……」
「好かれたとしても君に惹かれるものが無いから居ないだけじゃない?」
「うっ……」

片手でスプーンをゆらゆらさせて、笑いながらそういうチャラ男。……笑顔でそういうこと言われるのかなり傷付くからやめて欲しい。それにそう思いたくないけれど、そうかも知れないと思ってしまうぐらいの時間はこの世界で過ごしてしまっている。仕方なく、食べかけのオムライスを睨みながらスプーンで鈍く突いていると、椅子を引く音が鳴った。どうやらハーさんが食べ終えたお皿を持って立ち上がったらしい。

「そう落ち込むでないぞ、アヤト。君はまだ若く、そして未熟だ。しかし君にもいいところは沢山ある。この世は広い。旅をしていればそんな君と共に居たいと思うポケモンと、きっと出会えるであろう」
「……そう、ですね」

そうであって欲しい。ていうかそうじゃないと困る。どうにかしてポケモンをゲットして……の前に、いつまであの馬鹿猫は母さんのところにいるつもりなんだろう。もしやこのまま戻って来なかったり……、い、いやいや、それはいくらなんでも母さんが阻止してくれる……のか……?
ここまで考えていなかった自分に苛立ちを覚えつつオムライスを飲み込むように食べ進める。もういい、ロロの件は帰ったらまた考えよう。

「ポケモンの姿のままでは言葉が通じないので人形同然に思われがちだったがな、我々にだって仕える人間を選ぶ権利はあるのだよ」
「ま、今でも野生のポケモンの殆どは擬人化できないらしいから、中には未だトレーナーを選べないっていうのもあるだろうけど。昔よりは、ずっと生きやすい世界になったよ」
「へえ……ポケモン界も大変なんですねえ」

チャラ男ことハーくん先輩も立ち上がりお皿を運ぶ姿を見て、俺もラストスパートをかける。ポケモンにもポケモンなりの事情というのがあるらしい。俺はポケモンじゃないしそこら辺はどうでもいいけど、多分人間と同じぐらい大変な世界なんだろう。結局どこの世界もこんなもんなのか。あーやだやだ。
口を動かしたまま手を合わせ、やっと二人に追いついた。そのときだ。家の扉がゆっくり開いて、玄関前で服についた泥を払っているオーナーさんが見えた。休憩を取るため家に帰ってきたのだろう、俺たちを見ると「お疲れ様」と人懐っこい笑顔を浮かべる。それに会釈も含めて返しながら通り過ぎ、ハーさんたちの後を追う。

「さ、アヤト、残りも元気にがんばろー!」
「む……ハーくんからそんな言葉が出てくるのは珍しいな」
「なーに言ってんのさハーさん!こう見えて僕はいつもやる気に満ち溢れているんだからね」
「嘘ですね」
「……嘘だな」

くるくるした髪を心地のいい風に揺らしながらドンと胸を張ってなんか言ってるハーくん先輩を、ハーさんと一緒に白い目で見る。そんな俺たちをやれやれなんて見るハーくん先輩を他所に、ハーさんに渡された軍手を装着して大きなシャベルを握った。腰にバッグも巻き付けて、中にちゃんとメリープたちに食べさせる木の実が入っているか確認する。

「二人ともひどいなあ。傷付いたから今日は仕事できないや……」
「準備は良いかアヤト。行くぞ」
「はい」
「えっ、ま、待ってよ!」

晴天の下、再び慌ただしく時間が急激に早く流れ出す。

──……そしてまた、なんだかんだとしているうちに気付けば空には真っ赤に燃える夕陽が浮かんでいた。少しばかり重たい足を動かしてハーさんたちと小屋に戻って飯を貰い、るんるん気分で森の中を歩いてゆく。
今日も今日とて両腕にいっぱいの食糧を抱えた俺が寝床に戻ったのは、陽が完全に沈みかけている前だった。しかし、いつもと違って今日は俺を待ってくれている人がいる。

「……あっ」
「お」

大木に寄り掛かって座っていたであろうリヒトが、闇に飲み込まれかけている暗い森の中から俺の姿を見つけるなり嬉しそうに立ち上がって駆け寄って来る。ピンと伸びた耳がフードを引っ張り、後ろの尻尾は左右に大きく揺れすぎてさっきから長いマントがバタバタしっぱなしだ。

「アヤト!待ってたよ、お疲れ様。おかえり!」
「お、おう……ただいま……」

元気すぎるリヒトに若干押されつつ、抱えていた食糧を寝袋の上にゆっくり置いた。いつも夜に見るリヒトは死にそうな顔してるのに、今日はこんなにも元気でまるで別人と話しているような気分だ。……いいや、多分こっちのリヒトが本当なんだろう。

「それじゃあアヤト。約束通り、おれの家に行こうか」

フードを深く被り直して俺を見ているリヒトに頷きながら、バッグに今日貰った木の実を詰めて肩に掛ける。

「俺はお前に着いて行けばいいんだよな?」
「うん。かなり複雑な道になってるからはぐれないでね」
「はぐれないでねって、俺そんな子供じゃねーし」
「えー、そうかなー?」
「そうですー」

ケラケラ笑うリヒトの後ろ、寝袋をより大木に寄せてから曲げていた腰を戻した。聞くところ、どうやらリヒトの家に泊まっていいらしい。ここ数日ずっと寝袋だったしそろそろちゃんとした布団に入りたいと思っていたところだったから遠慮もしないで有難く受け入れることにした俺は、今一度貴重品の忘れものは無いか確認する。
そうして暗い森の中、仄明るく辺りを照らすランプを持つリヒトがマントを翻して俺を一度見てから歩きだした。それに続いて俺も草を踏みしめる。
……まだ今日は、終わらない。




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