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「お疲れ様ー!今日からだったのに色々やってもらって悪かったね。でもすごく助かったよー」

朝から日が暮れるまで。今日一日何をしていたのかというと、まず、よく使う道具が置いてある場所を教えてもらい、仕事内容を簡単に聞いた。それからは草むしりだだったり牧草管理のお手伝い、メリープ小屋の掃除とか、生まれてあまり経っていない小さなメリープたちの世話だったり。……覚悟はしていたものの、やっぱり働くって大変だ。地味に草むしりが一番大変だったなんて、そんな。

「アヤトくんのおかげで今日は姉さんたちを探す手間が省けたね!」
「そうだな。とても助かった。感謝するぞ、少年」
「そ、……そんなこと……。……へへ、」

俺なりに一生懸命やったし、今までになかなか味わえなかった出来事なだけに、褒められるのは素直に嬉しい。
それに今、両腕に抱えている多すぎるほどの食料。パンと野菜と木の実とジュース。それにオーナーさんの奥さんが作ってくれたカレーも二人分タッパーに入れてもらった。久々に米が食えるってだけで嬉しすぎるのに、今日一日でこれって貰いすぎじゃないだろうか。

「本当に泊まっていかないでいいの?空いている部屋もあるし遠慮しないでもいいのに」
「ありがとうございます。でも本当に遠慮しているわけじゃないので」
「そっか。でも泊まりたくなったらいつでも言ってね。それじゃあまた明日、宜しくね」
「はい!よろしくお願いします!」

ばいばい。なんて手を振るチャラ男ことハーくんとハーデリアおじさんことハーさん、そしてオーナーさんに見送られながら外へ出た。
……夕陽がもう、沈みかけている。いつも日が沈む前に家に帰ってすぐにゲームをしていたから知らなかったけど、赤色と紫色、それから青色。空ってこんなに綺麗な色だったのか。両腕に幸せの重みを感じながら、ほくほく気分で再び森の奥へと足を運ぶ。草を踏んで、黒い木々を通りすぎ。

そしてまた、寝袋が置いてある大木の元へと戻ってきた。一旦寝袋の上に貰った物を全部置いてからオーナーさんに借りたランプにマッチで火を付けガラス瓶の蓋を閉める。仄明るく照らされる周りを一度見回して、大木に寄りかかりながらゆっくり座った。……リヒトは、いない。

「……」

タッパーの蓋を開けてスプーンを握る。まだ温かい。上にうっすら昇って行く湯気を見ながら、カレーを一人食べ始める。

「んまい!」

おいしい水を飲みながら米を噛みしめ飲み込む。少し辛いカレーに額に汗をじんわり滲ませながらゆっくり、ゆっくりと食べていた。それでも食べ終わって空になってしまった容器をぼんやり眺めたあとに、まだカレーが詰まっているタッパーを見る。……あーあ。リヒトにもあったかいの食べさせたかったのに。

"ごめん。おれ、夜中から朝の間しか、アヤトとは会えないんだ"

「何してんだよ、馬鹿リヒト」

今朝。巻いていた包帯を外しながらそう話していたリヒトを思い出す。どうしてその間しか会えないのか。その理由は、やっぱり教えてくれなかった。人が活発的に動く昼間なら会えない理由は分かるけど、そこから夜中までの空白の時間はなんなのか。家に帰っているならそれでもいい。けど、どうやらそうではないみたいだし。……今晩もまた傷を負って、俺の知らないどこかから戻ってくるのか。

「……寝よう」

最初は出血多量で、昨晩は傷に加えて耳が聞こえないときた。ついでに俺は殺されかけ。……もうこれ以上のことがあるわけがない。そう思いつつも、やっぱり不安は拭いきれなくて。夜中のために寝袋に入ったはいいものの寝付けず、しばらく黒い空を見上げていた。





──……ぱちぱち。また、炎の音で目を覚ました。
今日はぼんやりすることもなく、不思議と目が自然に開いたのだ。どうやら夕方に寝て、夜に目を覚ますということが日常化してきているらしい。人間の適応力ってすげー。

「……」

それから昨晩と同様に、焚き火の前に身動き一つしないで静かに佇んでいるリヒトを見つけた。──……やっぱりまた、横には使用済みの傷薬と包帯が転がっていて、……血の、臭いもする。昨晩と同じ光景すぎて、俺はまた昨日をやり直しているのではないかという謎の錯覚に陥った。が、俺が動くと同時にリオルの耳がぴくりと動くのが見えた。どうやら音は聞こえているらしい。

「……あっ、アヤト、……ごめん、……また起こしちゃった……」
「いいよ別に。ほら、手当してやるから」
「……え、っと、でも、……」
「いいから」

リヒトの隣に座って腕を掴むと、さらにフードを深く被る。ただ、そんなことに構っている暇は無い。……ほら見ろ、今日もリオルの方の手足だけに怪我が集中している。緩すぎる包帯を外せば、真っ赤に染まったやけに斜めっているガーゼが姿を現す。大丈夫、昨日でだいぶエグい傷口にも耐性がついただろう。自分自身に言い聞かせ、真っ赤に染まったガーゼの端を摘んでゆっくり持ち上げた。──……持ち上げて、しまったのだ。

「……っ、」
「……アヤト?」
「──……なん、…でも、……ない」

リヒトのくぐもった声を聞きながら、小刻みに震える手で密かに口元を押さえ目を閉じた。喉元まで戻ってきたカレーを必死で飲み込みつつ、残っている酸っぱい何かを何度も唾液で打ち消そうとするけれど、もはや痙攣し始めている胃を抑えるすべはなく。

「……っ、……うっ、」
「アヤト……、?」
「っ、!!」

我慢できなくなって即座に立ち上がり、林に向かって全速力で走った。走って、倒れるように膝から落ちて、……情けないことに、リヒトが居るにも関わらず、嘔吐く声を漏らしながら腹に入っていたもの全てを吐き出してしまった。それから嘔吐くだけで、何も出ないというのを繰り返し。
ついさっき聞いたばかりのびちゃびちゃと嘔吐物が地に落ちる音と、あの傷口をまた思い出しては乱れる呼吸を必死に整える。──……だめだ、今日のは駄目だ。昨日までのと比べものにならない。

「……ごめん、……ごめんねアヤト、」
「っその傷!……その傷、どうしたんだよ、」
「え、」
「その傷はどうしたんだって聞いてるんだよっ!!」
「…………」

リヒトがゆっくり顔をあげ、俺の方は見ないでただ燃え盛る焚き火を眺める。未だ忙しなく呼吸を繰り返している俺の音だけが聞こえる中、そっと、リヒトがあの傷口に指先を触れた。薄ピンク色の人間の爪が赤く染まるのを、俺は息を飲みながら見る。

「その、一時的に目が見えなくなってて、どんな感じなのか分からないんだ。……でも、そうだね、……多分肉が抉られてるのかな……分からないや」
「……っ、」

思い切り口元を拭ってから、林を飛び越えて。リヒトの隣に転がり座り、赤く染まった手を乱暴に掴んで下に振り落とした。それから俺は、傷口はなるべく見ないようにして鞄から大量に傷薬を出し、馬鹿の一つ覚えみたいにこれでもかというほど吹きかけまくった。……かければかけたぶんだけ治ればいいのに。唇を噛みしめながら、願うように傷薬を握る。

「教えてやろうか。……お前の言うとおり肉がかなり抉られてる。不自然なほど、綺麗な楕円形にな」
「……そっか」

そっか。……その一言で片づけられたことにショックを受けて一度止めた手を、再びぎこちなく動かす。普通ならなかなか血が止まらないはずの傷だけど、傷薬に含まれている凝固剤のおかげもあってか大分治まってきた。そこに分厚く折りたたんだガーゼを置いて包帯を巻く。

「……痛くないのかよ」
「すごく痛い。……でももう慣れたから、大丈夫」

揺れたフードから見えた視点の合わない細まった目に、歯を食いしばりながら包帯を巻く手を早めた。
……リヒトの言葉一つ一つが、俺にはなぜかすごく辛い。辛くて胸がいっぱいになって、喉元が何かで圧迫される。息が詰まる。

「──……こんなの、」
「アヤト、?」

こんなのおかしい。やっぱりリヒトはおかしい。おかしいのに、それに全然気付いてない。ハーフだから他人とも関われず、その異常さに気付く人もいなくて、それでこんなになっちゃったんだ。憐れみだけじゃない。何かよく分からない悔しさとか怒りとか色々混ざった感情が込み上げてきて、とうとう視界がじわりと滲む。
唇を強く噛んでから、乾燥しきった震える唇を勢いのまま持ち上げて。

「っなんで泣かないんだよ!?なあ!?なんでどうして痛いって泣いてくれないんだよ……っ!!」
「…………アヤト、」
「痛いってことに慣れちゃ駄目だ!!駄目なんだよ!!……っ俺にはよく、分かんないけど、!たぶん、たぶん慣れちゃ、……駄目なことなんだよ……っ、」

見えていないくせに俺のことを心配そうな表情で見てくるリヒトを前に、本当に情けないぐらいぼたぼたと涙が落ちてきてやけに熱い頬を濡らしていく。こんな顔、リヒトに見られなくて本当に良かったと思うぐらい顔をしかめて声を殺して泣いていた。どうして俺が泣いているのか、どうして俺がこんなにも辛いのか。分からないから余計泣きたくなってしまう。

静かな森に、時折俺の漏れるくぐもった声と火が燃える音だけが響く。止まらない涙を手の甲で乱暴に拭っていると、ふと、ふらりと横から手が伸びてきた。探るように宙を彷徨ってから俺の肩を探しあて、そこから恐る恐るゆっくり肩を伝って頬まで手が伸びる。
触れて、ハッとしたように一度離れてからまた触れて。……死人みたいにひんやりと冷たいリヒトの手が気持ちいい。

「今日はおれの代わりにアヤトが泣いてくれたから、泣けないかな」
「……、……泣いてねえし」
「──……あはは」

垂れてくる鼻水をぐずぐず言いながら啜ってリヒトを睨むと、面白そうに笑っていた。……最後まで意地だけは張らせて欲しい。
涙を拭った手が離れ、そのままフードに移動した。深く被っていたそれを後ろに放り投げて耳を現す。目が見えないぶん、音だけで感じ取ろうとしているのか青い耳が俺の方に向いている。波動使えばいいのにまた忘れてんのかな。
なんとか気持ちを切り替えようと、鼻を啜ってから話を変えてみる。

「……そ、そうだ、リヒト。俺、今日から牧場でお手伝いさせてもらえることになったんだ」
「そうなんだ、よかったね」

力なく微笑むリヒトの横で、タッパーを開けて火の近くにかざした。冷めたカレーは美味しくないから、こうしていれば多少は温められるだろう。温めている間に今日のこととか、カレーについても話すと驚きに嬉しさが混ざったような表情で「ありがとう」って言ってた。
しかしリヒトは、すぐに表情を曇らせて俯く。抱えていた膝をさらにきつく抱きしめ小さくなり、それからそわそわし始めて。

「ねえアヤト。……アヤトは、すごく良い人だね」
「知ってる。俺、超良い人」
「そう、だからね、おれはアヤトに甘えてしまった。本当は、あの一夜だけでおれとアヤトの関わりは無くなるはずだったんだ。……無くすべき、だったんだ」

──……アヤト。もう、おれと関わらないほうがいい。

うな垂れる青い耳に手を伸ばし、思いっきり引っ張ると一度肩を飛び上がらせてから尻尾がピン!と真っ直ぐに伸びるのを見た。手で俺の腕を慌ただしく探りながら涙目で「やめてよ!」なんていうリヒトを見て、俺は空いている方の片手で今度は尻尾も引っ張った。

「アヤト、痛、」
「いやだね、断る。俺はこれからもお前に関わり続ける」
「な、……ど、どうして?おれといてもいいことなんか、」
「いいことなんかなくたっていい。……と、……友だちと、……一緒にいちゃ、悪いのかよ」
「──……と、とも、だち……?」

自分を指差し、戸惑うリヒトの頭を軽く叩く。……まさか本当に友だちだと思っていたのは俺だけとかいうオチだけは勘弁してほしい。色んな気持ちを隠すように、というか何かやることはないかと急に思い立ち、リヒトが固まったまま動かない間に散らばった傷薬をゴミ袋にぶち込んでいく。
そうしてようやくリヒトが口を開いたときには、周りはすっかり綺麗になっていた。

「え……おれ、アヤトと友だち……?」
「そっそうじゃねーのかよっ!?だって何度も会ってるし、色んなことも話したじゃん!?」
「……い、……いつ、友だちに、なってた?」
「そんなの知るかあっ!大体、友だちって気付いた時になってるものじゃねえの!?俺誰かに"友だちになろう!"とか言ったことねえし!?」

リヒトの目が丸くなる。それを見てから止めていた手を再び動かしていれば、数回ゆっくり頷いてから俺の方へと顔を向ける。リヒトには見えていないはずだがなんとなく俺もまた手を止めて顔を上げたとき、……ほろり、と落ちる雫を見た。照れ隠しに吠えていたのも急に勢いが落ち、思わずグッと固まってしまう。

「お、おいリヒト、何泣いてんだよ……怪我したとこが痛いのか……?」

ふるふる。二回左右に首を振る。青い瞳から零れ落ちる涙を拭おうともせず、ただ自然のままに流しているのが直視できなくて視線をやや斜めに落とす。痛くて泣いているわけじゃないのなら、じゃあなんなんだ。口先を尖らせたまま、待っているとか細い声が聞こえてくる。

「おれ、……っ、」
「お、おう」
「……友達、ほしかったけど、今まで、誰もいなくて、」
「……あ、」
「アヤトも、今日までだと思ってたから、」
「ああ!?」
「だから、……アヤトがおれのこと、友だちだって、言ってくれて……、すごく、すごく嬉しい……っ!」

直後。目の前でマントがバッ!と広がったと思えばそのまま俺を飲み込んだ。何が起こったのかいまいち分からなかったが、跳ねた青髪が俺の鼻先に当たっていたり苦しいぐらいに腕が巻きついていたりで、リヒトが抱きついてきたんだと分かった。日本人はスキンシップが少ないうえに、男同士ともなるとかなり減る。というか滅多に無い。だから余計にいちいち触れてくるリヒトが気になるが、……まあ、これが外人の挨拶だと考えれば。

それからいつまで経っても離れないリヒトを無理やり押し返し、前に手を差し出した。

「そういうことだから。……よろしくな、リヒト」
「──……よろしく、アヤト」

いつまでも伸びてこなかった手を無理やり掴んで握りしめる。
リヒトが迷ったって、拒んだって、俺の知ったことか。……離されたって、何度でも掴んでやる。その手を俺だけは、絶対に離さない。




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