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ハーフとは、ポケモンと人間の要素が半分ずつ取り入れられている生命体のことである。ポケモンと人間、そしてその他生き物。その何処にも属していないのがハーフだ。
本来ハーフは存在しないものらしいが、いつの間にか異種間での恋愛が成り立つようになり、その結果、その存在も確認されるようになったとか。

しかしながら、ハーフは滅多に生まれない。……ということにされている。
実のところ、生まれたとしても奇形児が大半を占めているらしく、またほぼ腹から出たときに死んでいることが殆どだという。加えて、無事産まれたしても「死産」ということにするのが大半らしい。
誰の判断で、誰がそうしているのか。詳しいことは分からないが、そういうことがあるということを知っているリヒトに。"きっと、世界を上手く回すためなんだよね"なんて、淡々と話すリヒトに。
──……俺は、なんの言葉も出てこなかった。

朝飯を食い終わり、森の奥で聞いたこの話。俺にとって、一生忘れることができないほどの衝撃だった。





「だから人間とポケモン間での妊娠や出産は禁止されているんだ。でも完全に取り締まることはできないのが現実だよ」

テーブルに視線を落としてそう言うオーナーさんを見る。今朝、俺がリヒトから教えてもらった擬人化についての諸々はやっぱり一般的なこととして知られているらしい。けれど……ハーフについては、大人たちの暗黙の了解といったところだろうか。
つい先日まで、「ポケモンの世界!夢のようなところに来ちまった!いやっほう!」ぐらいの勢いで喜んでいた俺が馬鹿みたいだ。なんだよ、こんなのゲームから分かる訳が無いじゃないか。やっぱり夢のような世界なんて無いんだ。どこの世界もクソってことか。クソ。

「リヒトくんはとても珍しいケースだよ。……でもやっぱりハーフはハーフ、……なんだよね」
「あのリオルの部分のことですか?」
「ああやって半分だけポケモンの姿になるのはハーフ特有のものなんだ。たしかにポケモンの中には擬人化が不得意な子もいるよ。けれど、いくら不得意だとしてもあんな原型の残り方はしない」

いくら人間の姿に近くても、こっちの世界の人間たちにはハーフはひと目でハーフだと分かってしまうらしい。つまりハーフが忌み嫌われている理由は、その奇怪な外見にあるということだ。俺には納得が出来ない理由だが、しかしまたこれをさらに増長させている事があった。……それが、"研究所"の存在である。

「ハーフの子には何か特別な力があるんだって。詳しいことは分からないけれどね」
「だから研究材料にしようと……?」
「そう。研究所の人間が毎日のように探し回っているというのを聞くよ。見つかったら最後、生け捕りにされてから研究所に連れていかれて、……その後、ハーフの子の姿を見た人はいないって言われているぐらいだ」
「…………」

もしもハーフを見つけて、その情報を研究所に流せばそれだけでいくらか報酬が出るという。捕まえれば金額が倍に跳ねあがり……と、研究所の人間だけではなく、そこら辺にいる普通の人間すら敵になる可能性の方が高いのだ。……出会った時、あんなに警戒されたことにも納得がいく。

「でも、お金ってバトルでも貰えますよね?それでも欲しいものなんですか?」

素朴な疑問だった。だってゲームでは嫌になるほどバトルをやるし、やればやったぶんだけ金が手に入っていた。それに寝泊まりは無料でポケモンセンターで済ませるし、そんなにお金なんて必要ないんじゃないか。そう思っていたけれど、……ふと、今の俺を振り返って見て"そんなことない"と答えを聞く前に気付いてしまう。

「勝つトレーナーがいれば、負けるトレーナーもいる。皆がみんな、バトルが強いわけじゃない。それにトレーナー以外の、ぼくみたいな人間だって沢山いるよ。沢山あって困るものではないよね」
「……そう、ですよね」

食べ物を買うにも家を建てるにも、家族を養うためにも。お金は必要だ。でも、だからって俺がいくら腹が減ったとしても、リヒトを売るようなことは絶対にしたくない。絶対に、するもんか。

「昔からこの町もそんな感じだからね。リヒトくんには小さい頃から色々な制限があったんだ。……子供なら外で友達と一緒に思いっきり遊びたかっただろうに。しばらく家から出して貰えなかったこともあったらしいよ」
「それは、リヒトの母親が?」
「そう。リヒトくんのことが心配で堪らなかったんだろうね。ぼくは母親ではないけど一人の親ではあるからさ、……リヒトくんのお母さんの気持ち、分からなくもないよ。だから強く非難はできない」

子供の俺からしたら、そんなの親の勝手だ。こっちからしたら知ったこっちゃない。

「自由に生きられないことや、ハーフについてもきっとお母さんから聞いていたんだろう。一時期、そのことについて酷く苛立って反抗していたことがあったそうだ。で、その時に家を飛び出し町に出たリヒトくんは、……言わなくても分かるかな」

オーナーさんがそっと口を閉じる。
……生の視線と言葉は、どれほど幼いリヒトを傷付けたのか。……俺には分からないけど。フードを深く被って自身を隠したり、酷く人見知りをしたり。突き刺さったものは、今もなお残っているに違いない。

「それからかな。反抗しなくなった代わりに"死にたい"って言い始めたのは。あの頃はリヒトくんのお母さんもよくここに来てね、ぼくの奥さんに泣きながら相談とかしていたよ。見ているぼくも辛かった」
「……」
「ほら、そこに川があるでしょう?リヒトくん、そこで溺死しようとしてたんだよ」
「えっ。川、浅かったですけど……」
「そうなんだよね。よく考えればあんなところで死ねる訳がないのに。幼かったからなのか、それともどうにかして死のうと必死すぎていたのか……」

いつの間にか冷めてしまったミルクを少し飲み、白い水面を見る。そこに斜めにぼんやり映っている自分と一瞬だけ目を合わせてからすぐに逸らし、乾いた下唇を少し噛んだ。指先が、やけに冷え切っている。

「実はね、ぼくはそれまでリヒトくんのお母さんもリヒトくん本人も見たことがなかったんだ。彼女たちを見つけたのがぼくの奥さんだったから、ぼくは話でしか聞いたことがなかったんだよ。……でも、初めて見た時は驚いたなー」
「リヒトの外見に、ですか?」

俺の言葉にゆっくり頷いてから、オーナーさんが俺を見る。それから唐突に「君はすごいよ、アヤトくん」なんて言うもんだから、訳が分からなくて眉間に皺を寄せながら首を傾げてしまった。

「リオルがはどうポケモンってことは知っているかな?」
「あ、はい。知ってます。はどうを使って他人の考えていることが分かるとかどうとか……」
「そう。あのときからぼくは、リヒトくんをあまり見かけなくなった。、というか、きっと避けられていたんだろうなーって、今になって気付いたよ」

……つまり、そういうことなんだろう。いつかリヒトが言っていた「"そういう"感情、伝わってこないんだ」というセリフが、ここにきてようやくちゃんと意味が分かったような気がした。
もしや俺は人と感覚がズレているんだろうか。そうだ、母さんがズレているからあり得ないことでもない。けれどそのおかげでリヒトと仲良く……はなってないけど、多少の関係が出来ているから今回だけは母さんに感謝だ。

「アヤトくん、まだここにいるんでしょう?……それまでリヒトくんのこと、宜しくね」
「は、はい……」

リヒトに遠ざけられながらも、リヒトのことを心配するオーナーさんが不思議である。過去を知っているからなのか、それとも過去を償うようにそうしているのか……まあ、どちらであったとしてもリヒトの近くにこういう人が居てくれることは有難いことだ。

で、だ。……本題はまだ残っている。オーナーさんが立ち上がりマグカップを片づけているところ悪いが、寧ろ俺にとってはこっちの方が重要だ。俺の、今後の食が懸かっている。

「あ、あの、……実はもう一つお話があって、」
「ああ、そういえば話しが二つあるって言ってたよね。ごめんごめん、忘れてしまっていたよ」

がたりと椅子から立ち上がった俺を見ながら、片手を頭に添えて笑うオーナーさん。テーブルを挟んだこの距離感……バイトの面接とかって、こんな感じなのかな。緊張、する。

「……その、」
「うん」
「こっ、ここで、働かせてください……っ!」
「……うん?」

頭を思いっきり下げる前、目をまん丸にしながらぱちくりと瞬きを素早く繰り返すオーナーさんの顔が見えた。
ロロが戻ってくるまで、……い、いや。別にロロとかどうでもいいんだけど、その……なんとなく、ここにいなくちゃいけないような気がして。だ、だからそう、それまで俺はこの牧場から動けない。でももうぶっちゃけリオル探しは疲れるだけでやりたくないし、他にやることもないし。
……そこで、俺は思い付いた。そうだ、ここで働こう。と。

「あの、多分あと一週間もしないうちにいなくなると思うんですけど、そ、その、……実は食べ物に困っていて、は、働くかわりに、ご飯を少しだけ、頂けないかと、……お、思って、……」

そりゃあリヒトのお母さんの作ってくれたやつはすごく美味かった。木の実だって新鮮だったし、モーモーミルクも超美味い。でも、かといってずっとリヒトに貰ってばかりでは駄目だ。……自分のことは自分でどうにかしなければ。って、この世界に来て、今まで考えたことが無かったことを真剣に考えている自分がいた。これはすごい成長だ!と思ったが、……いや、そうせざるを得ない状況に置かれてしまってだけだと分かって悲しくなっている。

「ふむ、……」
「お願いします……!」

少し前に学校で職場体験をやったことがある。そのときに働くことがどれほど大変か、少しは分かった気がしたけれど、……実際こんなガキに出来ることなんてたかが知れている。しかも今は"体験"ではなく本番だ。普通なら受け入れてもらえないだろうが、。

「力仕事でも草むしりでも、とにかく俺に出来ることなら何でもします!」
「何でも、ねえ……」

きっと今まで生きてきた中で、一番頭を下げた日だった。大げさに言えば今後の生活が懸かっていることもあって、羞恥心とかプライドとかその他もろもろ、このときだけ全部どっかに吹き飛んでいたんだと思う。

「お願いします、お願いします……!」

だからオーナーさんがいつの間にか俺を通り過ぎて、ドアまで歩いていたことにも気付かなかった。
……ふと、扉を開ける音がして。その音で後ろを振り返ってみたら、紳士っぽい口髭を生やしたあのハーデリアおじさんと、多分"ハーくん"って呼ばれていた茶髪のパーマのやっぱり若い男がドアのところに立っていて、頭を下げている俺を見下ろしていた。

「……あ、え、……ええと、……」

……迷った。擬人化して人間の姿になっているとはいえ、相手はポケモンだ。……ポケモンにも頭を下げるべきか否か。迷って、……俺は、二人にも頭を下げた。それぐらい、とにかく必死だったのだ。

……するとどうだろう。くつくつと笑う声がして、耳を疑いながら顔をあげるとパーマの茶髪野郎が俺を見て笑っていた。まずそれに顔を歪めてから隣を見ると、ハーデリアおじさんも顔を横にして口元を押さえている。……なんだよ。俺、怒ってもいいかな。

「僕たちがポケモンだと分かったうえで頭下げる子なんて初めてみたよ!これは傑作だね!」
「長生きしてみるものだな。おかげで面白いものを見ることができた」
「ハーさん何言ってるのー、まだ若いでしょうが」

繰り広げられる三人の会話を、俺はただ無言で聞く。それからゆっくり上半身を元の位置に戻して、目をさりげなく背けた。……面白いって、そりゃ俺だってちょっと変かなって思ったけど。

ふと、入口に寄り掛かっていた茶髪野郎が俺のところまで歩いてきて、目線を合わせるためなのか少し腰を曲げた。それからなんと、俺の頭の上に手を乗せてめちゃくちゃに掻き混ぜたのだ。そりゃもう、ぐわんぐわんと頭が揺れるぐらいに。流石の俺も我慢できなくて思いっきり睨みつけてから手首を掴んで下に降ろすと、一度だけ驚いたように目を丸めてからすぐにまた悪戯な笑みを浮かべて今度は別の方の手で頭を撫で始めた。……あ、コイツ俺の苦手なタイプの奴だ。

「いいんじゃない?この子、ここで働かせてあげても」
「……えっ、!?」

目の前。茶髪野郎が言った言葉に驚きの声を思わず漏らすと、やっと手を退かしたと思えば今度はウインクしてきやがった。なんなんだ、ガチでヤバイぞこいつ。ヤバイけどとりあえず今は任せてみよう。

「僕はこの子がここで働くの賛成。それに少しの間だし、何より報酬が金じゃなくて食べ物でしょう?いいじゃん、使えるものは使っておこうよ。ね?」

どこから話を聞いていやがったのか。ていうか俺の扱い、酷くね?喉元までやってきていた言葉をぐっと飲み込み、オーナーさんたちを見る。

「ふむ、そうだな。オーナー、私もハーくんに賛成だ。それに彼は、何故か彼女たちに気に入られているようでね。彼が居てくれれば、彼女たちを毎回探す手間が省けそうなのだよ」
「ああ、そういえばさっきもメリープ姉さんたちがこの子の周りに居たねえ。……へえ、珍しい」

ハーデリア二匹、いや、二人の弁護を武器にオーナーさんに立ち向かう。俺の中ではそんな感じに壮大な戦いになっていたのだが、すでにオーナーさんの表情から答えはもう察している。

「二人にそこまで言われたら採用しないわけにはいかないよね。ということでアヤトくん。早速今日からお願いしてもいいかな?」
「……っはい!もちろんです!」

思わず差し出された片手を力強く握り返す。
よっしゃー!これでもう食べ物には困らない!!それだけでやる気が満ち溢れてくる。どんな仕事だってやってやる。そう!どんな仕事でも!!




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