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草を掻き分け、とんがったオレンジ色の屋根を目指してひたすら歩いていた。荷物は最低限のものしか持っていない。寝袋はあの大木の下に置きっぱなしだ。それにパーカーも干しっぱなし。でもそれは後でリヒトがどうにかしてくれるって言ってたし気にしないでも大丈夫だろう。

「てか俺、案外森の奥まで行ってたっぽい……?」

数日前に入ってきたところがこんなにも遠いなんて思ってなかった。リオルを見つけることに必死すぎて周りが見えていなかったらしい。しかしまあ、この距離にもそのうち慣れるだろう。少なくともクソ猫が帰ってくるまでは、うまく行けばここを毎日往復することになるんだし。
──……少しだけ息を上がらせながら背の高い木を抜け、見覚えのある道までやってきた。広大な牧草地帯。そこにちらほらと咲いている白い花。それから、

『あらあ、僕ちゃんだあ。まだここにいたのねえ』
『あ!この前の子!』
『わたしとお昼寝する?ねえ、しよう?』
「…………」

メエメエうるさいし、早速また取り囲まれてしまった。しかし今日の俺はうろたえない。とりあえず一匹ずつと目線を合わせて一度こくりと頷いて「聞こえている」ということを示してから無言でもこもこの毛を掻きわける。そんな俺の変化にメリープたちも気づいたのか、少しばかり後ろに下がっては道を開けてくれた。
遠く、向こうからハーデリアが二匹走ってくる姿と、その後ろにオーナーさんがいるのも見えた。オーナーさん、居てよかったあ。

『……む。また君か。だから彼女たちが集まっていたのか』
『なんだい、ハーさんの知り合いかい?僕はお初にお目に掛るな』
『ハーさんとハーくんもお昼寝する?一緒に寝る?』
『すまないが遠慮する。いつも言っているが、私たちは仕事中なのでね』
『僕は別にいいんだけど、ハーさんが許してくれないんだ』
『あーん、そんなこと言わないでえ?ねえ?』
『こら。そんなに密集すると動けない……!』

俺の代わりに今度はハーデリアおじさんと、若めの声と少しチャラい印象のハーデリアがメリープたちに囲まれ、もこもこ毛で埋もれてその姿すら見えなくなった。後からやってきたオーナーさんは「仲良しだねー」なんて暢気なことを言っているけれど、俺はただひたすらにハーデリア二匹の行く末を見守っていた。"息苦しい"とか聞こえてくる。……大丈夫かな。
しかしまあ、今になってようやく気付いたけど。……ポケモンの会話が聞こえるって、かなり面白いかも知れない。

「そういえば君、あの時の子だよね。確か、ポケモンを持ってない……」
「あ、……そうです」

草をかき集めるときに使うような長い大きなフォークに寄りかかって、にこにこと笑みを浮かべながら俺を見るオーナーさんに一度軽くお辞儀をする。……覚えていて貰えたことは嬉しいけれど、覚えられ方がどうにもあれだ。事実だから仕方ないけど。

「実はね、ハーさんからも聞いていたんだ。どう?お目当てのポケモンは見つかった?」
「……いえ。頑張ってはいるんですけど、……その、なかなか……、」
「そうだよねー、ぼくでさえ最近リオルは見かけないもの。……どこか他のところへ逃げてしまったのかなあ」

青い空を眺めながらぽつりと呟くように言うオーナーさんの横顔を眺めていた。どことなく寂しげな表情だ。それもそうだろうなあ、と一人しみじみと心の中で思ってから、早速本題へと入る。そう、俺はここまで、オーナーさんと話しをするためにやってきたのだ。
まだ朝早い時間帯ともあって周りには俺たち以外はメリープぐらいしか見えないけれど、念には念をということで一度周りを自分の目でゆっくり確かめてからオーナーさんに気持ち少し近寄る。

「……あ、あの。俺、実はオーナーさんに二つお話があって、……、……今、いいですか」
「うん、いいよー。何かな?」
「その、──……リヒト、……リヒトブリックについてなんですけど、」

俺がその名を口にした瞬間。……音という音が全て消えた。
後ろでメエメエ鳴いていたメリープたちの声もぴしゃりと止み、オーナーさんも動きが止まる。最後に聞こえたのは、ハーデリアの「くぅん……」という小さすぎる声だった。
予想外すぎる反応に俺さえも驚いて動きが完全に止まってしまう。が、しかし。やけに長く感じた無音の時はすぐに破られ、今度は光の早さで色んな音が耳を通り抜けてゆく。ハーデリアたちの一声、散らばるメリープたちの足音、手首を掴まれ草を足早に踏みしめる音に混ざるオーナーさんの落ち着きの無い独り言。俺はというと、引っ張られながらあのとんがり屋根の家に向かっているものの。……なんだかまだ、俺だけさっきまで居た場所に取り残されている感覚だった。

「あら、どうしたの?」
「ちょっとね。しばらく誰も家に入れないようにしてくれないかな」
「ええ、大丈夫よ」

そうして家の中に入る前、通りすぎた女の人がひらりと俺に手を振る。「ぼくの奥さんだよ」ってオーナーさんが言っているのを聞きながら、一度小さく頭を下げた。それから間もなく、引きこまれるように家の中に入ると音を消しながら静かに閉められる。

「ええと、飲み物はモーモーミルクでいいかい?」
「あ、お、お気になさらず、……」

わたわたしながら冷蔵庫を開けるオーナーさんを見ながら、「そこに座って」と目線で指された椅子を遠慮がちにゆっくり引いた。木のテーブルと椅子だ。家もログハウスといったところだろうか。何だかすごく雰囲気がある。俺が家の中をぐるりと見回している間、何故か鍋に火を付けているオーナーさん。……それから少し経った頃。

「ごめんね、お待たせ」
「……ありがとう、ございます」

椅子から少し立ち上がり、オーナーさんから大き目のマグカップを受け取る。……温かい。わざわざホットミルクにしてくれたのか。

「それで……そうだね、まず君の名前は?」
「あ、すみません。俺は、アヤトです」

名乗ってなかったことを今になって気付き、啜っていたマグカップをテーブルに戻す。

「アヤトくん。君はさっき、……リヒトブリックについて聞きたいと言ったね?」
「そう、です、」
「リヒトくんに会ったんだね。……君はリヒトくんのこと、どう思った?」
「どう?」

まず、質問の意味が分からなかった。ていうか聞きたいのは俺の方なのに何故か質問されているし。でもまあ、オーナーさんは良い人って俺の中ではそうなっているから素直に答える。
「別に、どうも思いませんでした」と。
するとオーナーさんは、一度細めな目を見開いてから俺を見ると、すぐにまた元に戻って柔らかな笑顔を浮かべた。

「……そっかあ。そうなんだねー。うん、だからリヒトくんも君に名前まで教えたのかな」
「え?えっ……と、ちょっと意味が分からないんですけど、」
「ごめんね。ちょっと確認しただけだから」
「?、はあ……」

両手に挟んでいたマグカップを持ち上げて喉に通す。……確認。もしや、俺が"ハーフの存在情報を研究所に流す人間"か、それとも"隠して守る人間"、どちらなのかという確認だったのか。……少しばかり、張りつめていた空気が緩くなったような気がする。

「アヤトくん、最後にぼくからあと一つ質問」
「はい」
「アヤトくんは、どうしてリヒトくんのことを知りたがっているのかな。知ってどうするの?」
「……それは、」

緩んだ糸が、また張りつめ。細い瞳がさらに細くなる。
知って、どうする。
そんなの俺が聞きたい。……知って同情するつもりはない。慰めるつもりもない。でも、

「その、……もしかしたら、俺しか思ってないかもしれないんですけど、」
「うん」
「……リヒトは、……俺の、初めての友達だから」
「──……、」

だから、とにかく知りたいんです。リヒトのこと、もっと知りたい。ただ、それだけなんです。

俯きがちに答える俺にオーナーさんの片手がぬっと伸びてきたと思えば、肩に乗せて二回ほど跳ねる。それに顔をあげてみると、もう見慣れた穏やかな表情があった。……合格、ということで間違いないだろう。いつの間にか溜めていた息を静かに吐き出し、仕切り直しの意味も込めてミルクを飲む。

「それじゃあ今度は君の質問に答えるね」
「……色々、聞きたいんですけど、」
「うん、いいよ」

マグカップを一度啜ってゆっくりテーブルに戻すオーナーさん。
……本当はリヒトから直接聞くべきなんだろうけれど、内容が内容なだけに正直本人から聞くのが怖い。だから事前にこうして唯一リヒトを知っている人間であるオーナーさんに話しを聞きにきた訳だけど。

「リヒトの、……過去、とか。聞いてもいいですか」
「過去……」
「あー、過去っていうか、その、昔はこうだったーとかでいいんです」
「そう……だねえ……」

たっぷり時間をかけて悩む様子を魅せてから、言ってもいいのかな。なんて呟いた後、目を伏せがちにぽつりとオーナーさんから放たれた言葉。
その言葉に、俺はまたそこに取り残されたような感覚に陥ってしまうのだ。

「あの頃のリヒトくんは、口癖のように毎日 "死にたい" と、言っていたらしいよ」




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