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そしてまた、日は昇る。
鼻のあたりがやたら痒くて目は閉じたまま指先で鼻を擦ると何かも一緒に動く。仕方なくしょぼしょぼする目をゆっくり開けると、色鮮やかな緑が目の前にあった。……草だ。草が当たってた。そりゃ痒くなるわけだ。草の向こうには石で囲まれた燃えた木の枝があり──……ていうか、なんで草?寝袋は、……ああそうだ、リヒトに貸したんだったっけ。……リヒト……、リヒト?…………あっ!?
「……い、ない……」
勢いよく草の上から飛び起きたものの、寝袋の中はすっからかん。周りに誰もいない。川の流れる音と、遠くからはメリープの鳴き声が聞こえる。
どうやら俺は、いつの間にか眠てしまっていたようだ。火が消えてるのは自然になのか、それともリヒトが消してくれたのか。どっちか分からないけれど、燃えカスが残っているということは昨晩のは夢じゃない。……くそ。いっそ夢だったら良かった。
ふと、手元にある布に気付いた。持ち上げてみれば青の長い……ってこれ、リヒトがいつも着てるマントだ。もしや俺が寝てたから上にかけてくれたのか。リヒト自体は見当たらないが、これがあるってことはまたここに来るのか。──……良かった、なんて。ちょっと思ってしまった自分に少し恥ずかしくなる。
「……はらへった。けど、とりあえず川行こう……」
空きすぎて凹みすぎた腹を擦りながらバッグを持って川に向かう。さっさと服を脱いで水浴び。もう既に見られているし、色々とどうでもよくなった俺は全裸でしばらく川に居た。目を開けて濡れた髪を上げたとき、少しばかり期待してしまったけれど誰もいない。のそのそと川から出てすぐに着替えた。ついでに洗濯も済ませてきつく絞られた服を小脇に抱えて寝床に戻る。
「あーあ、肉食いてー。いや、せめて米だけでも……あー……」
ひもじい。ここまで腹空かせるのは久々だ。というか、よくよく考えたらここ最近、リヒトから貰った朝食とそこらへんに生っている木の実ぐらいしか食ってない。そりゃ腹も減るわけだ。駄目だ。このままじゃ俺は空腹で死ぬ。金もないし、バトルで稼ごうにも手持ちポケモンがいない。どうにかして自分で飯を確保する手段を考えないと。
「ああ……どうすっかなあ……」
飯についても心配だけど、心配と言えばリヒトのことが……正直、かなり心配だ。木の枝に洗濯物を干しながらハッとして、一度濡れたパーカーをぴしゃりと叩いた。
おかしい。自分でもそう思う。出会ってまだそんなに日は経っていない。そんなやつのことが心配だなんて、こんなの俺らしくない。らしくないけど、もっとリヒトのことを知りたいと思う自分もいる。
とか、自分でも訳分からないけどなんかもやもやするから胸の辺りを握っていると、ふと背後に気配を感じた。俯いていた顔を上げてすぐに後ろを見れば、いつの間にかリヒトがいた。ぶんぶんと揺れている尻尾と、ピンと伸びている小さな青い耳。やっぱり犬だ。犬にしか見えない。
「アヤト、おはよう!」
「おは、よう……」
「お腹空いたでしょ?朝ごはん、持ってきたんだ。一緒に食べよう?」
「……」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
草の上に座り、両腕に抱えていたモーモーミルクとドーナツみたいなやつを刺繍の縁どりがしてあるやたら可愛げな布の上に置くとリヒトが俺を見上げた。……もしかすると犬は俺の方かもしれない。このままでは完全に餌付けされてしまいそうである。
「──……んまい!なんだこれ、食べたことないけどすげーうめえ!」
ドーナツみたいな、だけどドーナツじゃない。何だか分からんがとにかく美味い。これにまたモーモーミルクがかなり合う。それに何故か今日は木の実が綺麗にカットされている上に食べやすい一口サイズになって、大き目のプラスチック容器にごろごろ色んな木の実が入っていた。
「ありがとう。母さんに言っておくよ」
「母さん?」
「うん。それ母さんが作ってくれたんだ。おれ、母さんと二人で暮らしているんだよ」
「そう、だったのか……」
言葉の終わり辺りで無理やり口に木の実を詰め込み、口を食べ物でいっぱいにする。それならこのカットされた木の実にも、可愛らしい布にも納得が行く。
しかしながら、俺はてっきりリヒトは一人で暮らしているものだとばかり思っていた。だから母親と二人で暮らしているということは安心すべき事実なのだが。昨晩の傷跡を知っている俺は……今、すごく複雑な気持ちだ。
「あ、えっと、父さんもいるよ。ただ、今は他の場所にいるから家にいないだけで、」
「ふうん」
わたわたと両手を宙で遊ばせながらリヒトが言う。どうやら顔に出てしまっていたようだ。聞きたかったことはそれではないけれど、まあ、父親の方も気になっていたことに違いはない。ドーナツみたいなやつを食べ進めていると、今度はリヒトがそわそわしている。口の中の物を飲み込み、にやりと笑うと目線を泳がせるリヒト。
「俺にも父さんと母さんいるよ。死んでないから」
「そ、そっか。聞いてもいいのかどうか分からなくて、」
「はは、だと思った」
兄弟は?いない。お前は?おれもいない。……食べながら、家族の話を少しした。俺もリヒトもひとりっ子で、母さんがすごく世話焼きだって。父さんはちょっと苦手。俺の場合は、あんまり話さなくて何考えてるか分かんないから。リヒトはそもそも話す機会が無いって。でもやっぱり何考えてるのか分かんないから苦手だと言っていた。
「育った世界が違うのに、何だか似ていて面白いね」
「だな。俺、リヒトは違うのかと思ってた。なんかもっとポケモンっぽいのかなって。よく分かんねえけど」
「おれだって、こんな外見だけどさ、」
「同じ物食って、家族が居て、そりゃ同じに決まってるわ」
「──……、そう、だよね」
「……」
何か、噛みしめるようにリヒトが言う。こんな風に誰かのどことなく重い一言を聞いたことは今までに一度も無かった。……だから余計リヒトのことが気になってしまったのかも知れない。
「……リヒト、昨日のことなんだけど」
「えっ、……あ、……そうだね。本当にごめん」
食べかけのドーナツを片手に持ったまま下にさげて、癖になっているのかフードを被る仕草を見せる。けど、生憎フード付きのマントは俺の後ろに畳んでおいてある。手を額あたりまで持って行ってから気付いたのか、リヒトは一度だけ俺の背後に視線を向けてからおずおずと手をさげた。ついでにさっきまで上に伸びていた耳も今では真っ平らになっている。
「……耳はもう聞こえるのか?」
「うん、大丈夫。寝たら治った。……もう、アヤトには迷惑かけないようにするから」
いつもより沢山話したせいなのか、俺は勝手に"そう"思っていた。だけど言葉はそこから続かなくて、ついにリヒトは口を閉じる。……言おうかどうか迷った。だって何だか子供っぽいから。でも、やっぱり聞いてみたくて。
「……俺に、昨日のこととか。話してくれないんだ」
「…………、ごめん」
「……別にいいよ。話したくなかったら、話さないでいい」
すごく間を開けてから、またリヒトは俯いたまま「ごめん」と呟く。けれど俺は見た。一度ほんの少しだけ口を開けて、またすぐに閉ざした瞬間を。……話したくても、話せないことなのか。それこそリヒト自身のことだから俺には全然関係ない。知らなくても別にいい。しかし、それでも知りたいと思ってしまうのは。
「……つーか、迷惑、だとか。……思ってないし」
「え、」
「寧ろ怪我してんのに隠されているほうが迷惑だ。どうせ"いつもそうなんだろう"?」
「どうしてそれを、……」
ハッと、リヒトが自分の口を押さえる。
……分かった。やはり怪我は日常茶飯事で、きっとリヒトは自分の母親にも怪我を隠しているに違いない。そうでなければ、昨日みたいに外で傷薬使ったりなんてしないだろう。はじめ、母親からの虐待の可能性もあるかとも思ったけれど先ほどの話しぶりではそれはなさそうだ。それにあの傷跡だらけのリオルの方の手足も気になる。どうしてそちら側ばかり怪我をしているのか。
「……」
「……」
居心地が悪そうにしながらゆっくりドーナツを一口かじるリヒトを見る。
そういえば出会ったときに、"人間とポケモンのハーフはこの世界では本来居てはいけない存在で、忌み嫌われている"、"見つかったら、とても大変なことになる。"確かにリヒトはそう、言っていた。
──……もしもそれが原因で、リヒトが毎日のように怪我をしているとしたら。
「──……リヒト、」
「な、なに……?」
びくり。一度リヒトが肩を揺らしてから変な笑顔で俺を見る。その表情に眉を顰めると、固まってからゆっくり視線を下げていた。
俺は以前、ロロに"どうしてポケモンが人間の姿になれるようになったと思う?"という質問に"知らない、興味が無い"と答えた。その時は、俺にとってそんなことを知っても無駄だと思ったからだ。だけど。……今は違う。
「俺、擬人化について知りたい。教えてほしいんだ。どうしてハーフは、忌み嫌われているのかを」
俺はまだ主人公にはなれていないし、もしかするとロロの言っていた通り"おまけ"なのかもしれない。だから救うとか、そんな大層なことが出来るとかこれっぽっちも思ってないけど。ただ、……少しだけ。はじめから知ることで、リヒトの力になれたなら。