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「やっぱり俺、我慢できないわ」

真顔でそう呟くロロを、ぱちくりと目を丸くしながら見るリヒトと構わずパンを食いちぎる俺。

リヒトが持ってきた木の実とパンとモーモーミルク、3つ一気に口の中に入れてもやっぱり美味かった。「はい、アヤト」なんて、差し出された時は少しばかり躊躇ってしまったが、そんな俺にお構いなしにリヒトは無理やり俺の口にパンを突っ込んできやがったのだ。
しかし、それからというもの一気に空腹がやってきて、食べ物に伸びる手が止まらず掃除機のように食べ物を吸い込んでいるところである。そりゃそうだ。昨日は結局、朝飯とサンドイッチしか食べてない。食べ盛りなのに、そんなものでお腹が満たされるわけがなかったんだ。

「アヤくん、俺ダメだわ」
「なにがだよ。今俺食べるのに忙しいんだけど」
「ひよりちゃんに会いに行ってくる」
「……はあ?」

直後、ロロが懐から見慣れない小型の機械を取り出して画面を指でタッチすると、宙に砂嵐の映像が浮かび上がった。映画ぐらいでしか見たことのなかった光景に思わず食いついてロロの隣に行くと、何故かリヒトもついてきた。二人してロロを挟んで画面を見つめるが、リヒトは何の事だかさっぱりのようで未だ首を傾げている。
少しして、砂嵐がパッと消えて人物が映った。……見たことのない人だ。ロロの知り合いだろう。白っぽい髪なのに若い顔立ちだし、いやしかし随分ハデな色したメッシュだ。不良かよ。……と思ったが、画面に満面の笑みが映しだされたときに即座にそんなのは消えた。

『やっほーロロー!ごめん今、森でさー、ちゃんと見えてるー?』
「うん見えてるよ。チョン、今大丈夫?」
『大丈夫だよー』

随分とゆっくりな口調に、へにゃへにゃした雰囲気。……多分これ、母さん寄りのやつだ。俺が苦手なタイプかも知れない。目を細めながら画面を見て、それから俺の後ろに隠れているリヒトをちらりと見た。「何隠れてるんだよ」って小声で言うと、俺の背中のあたりをぎゅっと掴みながら無言で左右に小刻みに首を振る。画面に"チョン"とやらが映った瞬間にこれだ。フードをいつも以上に深く被って、完全に隠れている。なんか知らないけど映りたくないらしい。……ま、別に後ろにいるだけだし面倒くさいから放っておこう。

『聞いたよー?アヤくんと一緒に旅してるってー』
「誰に?」
『もちろん、ひよりだよー』
「やっぱり!!チョンももうひよりちゃんと会ってたんだ!俺なんで今ここにいる!?ねえ!?なんで!?」
『まあまあ、落ち着いてー』

画面に食いつくように声を上げるロロに俺は既にドン引きだ。今までロロは、どちらかというとクールで飄々としていて……ムカつくけどちょっと憧れるような雰囲気もあったけど。今ので完全にそれは無くなった。多分今までのロロも素だったんだろうけど、これももちろん素であることには間違いない。母さんのこととなるとすぐこれだ。キモイ。無いわ。ないない。

『ねえ、もしかしてー君がアヤくん?』
「えっ、……ああ、……はい」

突然話しかけられて驚きながら画面を見ると、目線が俺に向いていた。芝生に蹲っているロロから機械を取りあげて、画面の向こうの人と向きあう。ロロの知り合い、さらに母さんと俺の名前も知っているということは、もしやこの人も。

「……は、……初めまして。アヤト、です」
『初めましてー!オレはチョートル。チョンって呼んでねー。ちなみにケンホロウっていうポケモンなんだー』

にこにこしながら名乗るのを見て。やはりこの人もポケモンだったか。ケンホロウ、そう言われるとそうにしか見えなくなってくる。
……するり。いつの間にか復活していたロロに機械を取られ、画面がまた斜めになる。

「チョンなら言わなくても分かってると思うけど」
『うんー今どこー?』
「サンギ牧場!の!北!お迎え宜しく!」
『了解ーすぐ行くー!』

ロロがボタンを押すと同時に画面が消えて静かになった。きつく握られていた服も緩んだのが分かって後ろを見ると、今度は周りを忙しくきょろきょろしているリヒト。どんだけビビってんだよこいつは。

「おいリヒト、」
「ご、ごめっ……!ちょっとおれ、だめ!」
「あ、おいリヒト!?」

まるで脱兎の如く森の中に逃げてゆく姿を見送る。見送る、というか見送る時間すらないぐらいの速さで見えなくなった。……いや、アイツ本当、なんか色々大丈夫か?基本他人に無関心のこの俺でも心配になるぐらいってかなりヤバイと思うんだけど。

それから。頭の隅っこの隅っこのほうでリヒトのことをすこーしだけ考えながら、俺はまた食べ始めた。そわそわしてるロロを見たくもないから、川を眺めながらただひたすらに食べる。モーモーミルク最高かよ。

ふと、無風だった森が少しばかりざわめく。音に釣られて口を動かしながら空を見ると、見たこともない大きさの鳥が今、まさに着地しようとしていたのだ。風に髪を思いっきりなびかせながら咄嗟に木の実を喉に通し食べ物をかき集めて立ち上がる。
正直ケンホロウと聞いたときは、「なんだケンホロウかよ」って思ってた。だってゲーム序盤に出てくる鳩が進化しただけだし、大したことねえなって。でも実際見てみると、……やっぱ空を飛ぶポケモンって迫力あるなあ……!

『よかったー迷わず来れたよー』
「待ってた!チョン、早速ひよりちゃんのところに行こうか!」
『ロロ、ちょっと待ってー』

ロロを通り過ぎたケンホロウが俺の方を見る。それと同じぐらいに、ぼふん!と謎の煙が発生したと思えば先ほど画面に映っていた男がそこに現れた。……やっぱりまだ見慣れない。つーか、いつまで経っても見慣れる気がしない。
そうして、食べ物を両腕に抱えた俺の目の前までやって来た。目線を合わせるように少しだけ背を丸めると人懐っこい笑顔を浮かべながら俺に向かって手を差し出す。おずおず俺も手を伸ばせば、すぐさまきつく握手を交わされる。

「アヤくん、改めて宜しくー」
「よ、……宜しく、お願いします……」
「ところで、美味しそうな木の実だねー」
「あ、……よければ、どうぞ」
「わーい!いただきまーす」

俺のじゃないけど。心の中で呟きながら早速美味しそうに食べる姿を眺める。……その後ろ。意味もなくうろうろしているロロをついでに見ていると、急にぐっと俺との距離を縮めて口元を隠すように手を添える男。

「アヤくん、大丈夫ー?」
「……は、はい……?」
「目の下に隈できてるし、何だか疲れてるみたいだからさー。ロロ、男の子には特にちょっと意地悪だからさ、オレ、アヤくんのこと心配だったんだよー」
「チョンー?俺がなんだってー?」
「わー、ロロの地獄耳ー」

肩を竦めてくすりと笑う彼を呆気に取られながら眺める。……俺は、大きな勘違いをしていたようだ。ロロがあんなだから、きっとこの人もそうなんじゃないかって。でも全然違かった。違いすぎて逆にリアクションが取れないのかもしれない。

「あのね、旅をしてると沢山大変なこととか辛いことがあると思うんだ。でもそれと同じくらい、ううん、それ以上にすごーく楽しいことや素敵なことだって沢山あるんだよ」
「……はい」
「まだ旅は始まったばかりだし受け入れられないことの方が多いと思うけど、アヤくんならきっと大丈夫だよ」

頭をわしゃわしゃ撫でられながら笑みを浮かべる彼を見る。……いつもなら誰かに頭を撫でられるなんて許すわけがない。即座に払っていたはずなのに。なのに、知っていたとはいえ初めて会う俺のことをお世辞でも「心配だった」と気にかけてくれていたことが素直に嬉しい。

「ねえ、話終わった?」
「うん終わったー。あ、ごめんまだだったー」

じんわり感動している暇もない。なぜならロロが、即座に感動シーンをぶった斬ってきたからだ。俺の頭から手を退けると、ベルトに引っ掛けていたであろうビニール袋を取ってこちらに寄こしてきた。両手で持ち手部分を持ちながら中を見ると、某有名アイスによく似たカップが数個中に入っている。少しばかり顔に当たる冷気が冷たくて気持ちいい。

「ヒウンアイス。アヤくんにお土産ー!あ、そうそうーあの青い子にもあげてねー」
「青い子?……あっ、もしかしてリヒトのこと……?」
「空飛んでるときに走って行く姿が見えたんだよー」

リヒトくんっていうんだね、今度は一緒にお話しようねって伝えておいてくれるかなー、って。ニコニコしながら言ってて。……俺の中の何かが浄化されたような気さえする。いや、チョンさんマジ天使かよ。

「あ、あの!……俺、ロロじゃなくて、……チョンさんと、一緒に旅がしたいです……」

って。もう言うなら今しかないと思って、ロロの方を向いてもう行ってしまいそうになっていたチョンさんの服の裾を掴みながら言うと、少しだけ後ろを振り返って俺を見る。瞳が丸からすぐに垂れ目に戻ったと思えば、また身体が俺に向き直った。曲げた膝に手を突いて、俯き加減な俺の顔をそっと覗きこむように見るチョンさん。

「いいんじゃない?俺、別にアヤトくんと一緒に居たいわけじゃないし」

ぽんと少し離れたところから投げられた言葉に顔を上げて睨み返す。ロロはというと、後頭部で両手を組んで横目で俺を見ていた。一緒に居たいわけじゃないって、そんなの言われなくても分かってるし!

「あはは、やっぱりロロとアヤくんて少し似てるよねー。面白いー」
「はあ?」「はあ!?」

俺とロロの野太い野次すら笑い飛ばす強さ。チョンさんの向こう、ロロに歯茎を思いっきり見せていると「ごめん、オレは一緒に旅はできないんだー」て、やんわりお断りされてしまった。もしかしたら、と思っていたけど。……やっぱ、駄目か。はああ。

「オレ、今配達の仕事をしてるんだー。だから旅はまたしたいんだけど今は出来ないんだよー。ごめんねアヤくん」
「い、いえ!……突然変なこと言って、すみませんでした」
「ううんー、すごく嬉しかったから気にしないでー」

やっぱり天使だと思った。一気に優しい言葉を浴びると、こう……何も言葉が出てこなくなるものなんだなあ……。チョンさんの言葉一字一句を噛みしめるように無言で頷き返すと、とうとう痺れを切らしたロロが自ら迎えにやってきた。ロロがチョンさんの腕を掴んで引っ張ると、逆に引っ張り返されたようでよろめきながらロロも俺の目の前に立つ。

「アヤくん。実はオレ、未来を視ることできるんだー」
「え、え?」
「あのね、……アヤトくんは、一緒に旅をしてきたのがロロで良かったって思う日が絶対に来るよ。……そしてその逆もまた然りってねー」
「あはは、そりゃないよ」
「さて、どうでしょうー?」

"すぐに返しにくるからー"、"リヒトくんと仲良くしてるんだよ"。なんて言いながら二人して笑いながら俺から離れて、チョンさんがケンホロウに戻ったと思えばロロを背に乗せて風を巻き上げて再び大空へと飛び立つ。──……青に溶けてゆく姿を見送って、頭上から降ってきた葉をやっと指で摘んで退けた。

「……そんな日、絶対に来るもんか」

来ない、来ない、絶対来ない。暗示のように呟きながら芝生の上に座り、早速もらったばかりのヒウンアイスを一つ手に取った。蓋を思いっきり開けて、一緒に入っていた木の小さなスプーンを艶やかな白い表面に差し入れる。掬って、ゆっくり口の中に入れた瞬間。ほろりと甘い幸せが、溶けては口いっぱいに広がった。
ヒウンアイス、最高かよ。




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