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「あー、もう俺腰バキバキだよ……」
「ぼくは寝たら疲れも無くなったよお」
「へえ……若いっていいねえ……」

村からヒウンシティのビルに戻って一晩が経った。が、朝起きたらソファでロロがうつ伏せで伸びている。昨日、村で慣れないことをやったからだろう。絨毯に座ってソファで伸びるロロを笑いながら見ているエネの前を通り過ぎ、わざとロロの上に座る。もちろん腰の上に決まってる。

「アヤくん性格悪ー。痛くて湿布貼ってるのに、その上に座るなんてありえないよ」
「へえそうなんだ。知らなかったぜ」
「……退かないと噛みつくよ?」
「おうおう、やってみろよ子猫ちゃん」

直後、ボン!という音と煙のあとにケツがソファに落ちる。と同時に紫色が素早く俺に乗っかるとソファに押し倒して、ガードした腕をマジで噛んできやがった。甘噛みにしても牙は尖ってるし痛いに決まってる。ついでに何故かエネもエネコに戻って、俺の上に乗っかっていた。こっちはこっちで下半身にいるしでもう朝から最悪だ。

「もう、ロロおじさま!朝から何をしているんですか!」
『あ、詩ちゃんと祈ちゃん。おはよー』

噛み付いていたレパルダスはどこへやら。二人を見るなり何事もなかったかのようにスッと俺から降りて、にゃあんと可愛い声で鳴きながら詩たちの前まで歩いてゆく。おっさんのくせに何が「にゃあ」だ、クソ。あーっ、地味に痛え。ほんと朝から馬鹿なことをした。
もうひとり、馬鹿なことをしたままの色ボケ猫の首根っこを片手で掴んでぶら下げた。強引に下げられつつあったパンツを密かに素早くあげながらエネを放り投げて詩と祈に視線を向ける。

「……アヤト、リヒトはまだ寝ているの?」
「さあ、どうだろな。もう起きてるとは思うけど」
「そう……」

リヒトにも個室ができてから別々に寝ているから分からんが、アイツのことだ。起きてはいるが、なんとなく出てきにくいのだろう。なんせ昨日は目を腫らして帰ってきたもんだから、祈にめちゃくちゃ心配されていた。今もそうだが、……いや、男の心境としては見て見ぬふりをしてもらいたかったに違いない。ちなみに俺の場合、情けない話だがもう何度も祈には泣いてるとこを見られているからすでにどうでもよくなっているんだけど。

「いいわ。祈、リヒトの部屋へ行きましょう」
「えー、やめとけよ。放っておいたほうがいいって」
「どうして?美女ふたりがわざわざ迎えに行くのよ?嬉しいに決まっているじゃない」

……そう言い切られると、何も言えない。たしかに詩の言い分は大きく頷けるし、実際俺なら超喜ぶ。めちゃくちゃ嬉しい。あ、俺も明日からわざと部屋に居ようかな。…………いやだめだ。俺の場合確実にまずエネが来る。そしてリヒト、ロロ、トルマリン……うわなにこの複雑な気持ち。

「俺も行く。リヒトだけに良い思いさせて堪るか」
「正直でよろしい。私たちの間に入って部屋まで行く?」
「え、いいの?やりぃ」
「ぼくもぼくもお」

俺に引っ付くエネをどうしようかと考えていると、扉が開いた。シュヴェルツェとイオナが入ってきて簡単に挨拶を済ませる。毎朝お決まりのシュヴェルツェの身体の具合を見ていたのだろう。それが終わったということは、朝食の時間ももうすぐだ。

「シュヴェルツェ、エネを頼む」
「ええ!?ぼくアヤトくんから離れたくないい」
「……エネはオレが嫌いなのか……?」
「あーん、そういう訳じゃなくてえ!」

ぽつり。呟くシュヴェルツェに空かさず振り返って駆け寄るエネと反対に、俺は詩と祈の手を引いて急いで部屋を出た。扉が閉まる直前にエネが何か大きな声で言っていたがよく聞こえなかったから無かったことにしよう。

「ちょっと。いつまで触ってんのよ」
「いいじゃん別に減るもんじゃねえし」
「私じゃなくて祈よ、祈」
「…………あ」

繋いでいる手を見てから祈をみると、きょとんとしながら俺を見ていた。思わず離してしまったが、……いや、何俺照れてんだよバカ。左隣の詩なんかニヤニヤしてるしこれ絶対俺のこと馬鹿にしてやがる。あーくそなんで意識させること言うかなあ!?詩に言われなかったら手繋いだままで行けたかも知れないのに一度意識するともう無理だ!!ああそうだよ俺はまだ自然に手を繋ぐことも出来ねえ童貞だよチクショウ!エネはノーカウントッ!!

「え、ええと、ごめん祈……」
「なにが?」

祈が小首を傾げる。それで意識してるのは俺だけだと思い知って再び肩を落とした。
……が。次の瞬間。するりと小さく白い手が俺の手を握った。……つまり。祈が、俺の手を、!?!?

「い、いい、祈ッ!?何!?」
「さっきアヤトが手を繋いでくれたの、嬉しかったから。少しだけだから、このままじゃだめ……?」

…………だめじゃない。全っっっ然!!!ダメじゃない!!!!
心の中だけ大声で叫んでいて、実際のところ完全にフリーズしていた。ここ最近男とばかり絡んでいたせいで、我が相棒のあまりの可愛さに完全に脳みそがぶっとんでいたのだ。いやあ……女の子って……可愛いなあ……。

「ちょっと、しっかりしなさいよバカ。行くわよ」
「行こう、アヤト」

詩に小突かれてからハッとして、俺の手を引く祈にまた目を細める。……手汗、鎮まれ。俺、頼むから手を握るぐらいで緊張しないでくれ。
祈の手を繋いだまま、長い廊下を歩いて行く。両目の視界の端に時折映る薄桃色の髪と金髪。それが揺れるたびになんとなくほのかに甘い香りがして余計に心臓が早くなる。……ううーっ!幸せだけど!!早く部屋に着いてほしくないけども!いっそ早く着いてくれ!!

……そうしてやっとリヒトの部屋の前。心臓動きすぎて寿命が縮まった気がする。ついに祈の手が俺から離れ、扉の前に立ちノックした。

「……リヒト?起きている?」

祈が扉越しに呼びかけると、ゆっくり扉が開いた。が、完全には開かずにその数センチの隙間から青い目が覗く。

「起きてるよ。ありがとう祈、わざわざ来てくれて」
「朝ごはん、一緒に食べよう」
「……えと、おれは、」

歯切れ悪く言葉を濁すリヒト。きっとまだ、昨日母親から渡されたパンの味を噛みしめていたいのだろう。
──……と、その時。開いている数センチの扉のところ。
詩がいきなりガッ!と片手で掴むとそのまま扉を勢いのまま押し開いた。ミシッ、なんて音が聞こえた気がするが気のせいであってほしい。もちろん、まさか力技で開けられるとは思っていなかったリヒトは床にひっくり返りながら目を丸くして詩を見上げている。さすが猪突猛進女。もう何も言うまい。

「まだ昨日のこと気にしてるの?別にいいじゃない、誰だって泣くことぐらいあるわ」
「……」
「あんたより何度も泣き顔晒してるアヤトがこんなに堂々としてるのよ?全然気にすることないじゃない」
「えー、そこに俺出しちゃうのひどくない?」
「あらそう?事実を述べているだけなのだけど」

それはそうだけども。実際のところ、リヒトが出てこなかった理由は他にも色々あるだろうが、もうここに詩が来てしまっては逃げも隠れもできるわけがない。祈が差し伸べた手をとってリヒトがゆっくり立ち上がる。詩にタジタジなのは、初めて会ったあの頃から何ら変わりはない。

「昨日何があったのかは知らないけれど、でももう立ち止まってる暇はないわよ。今日だって忙しいんだからもっとシャキッとしなさいよ」

言われて、リヒトは少しハッとしたように俺を見た。それに黙って見つめ返すと、一度視線を下げてから詩を見る。

「……うん、そうだね。ありがとう詩。準備したらすぐ行く」
「よかった。わたしたち、先に行ってるね」
「アヤト、ちゃんと連れてきなさいよ」
「へいへい」

朝食の準備をしているイオナやトルマリンの手伝いのため、祈と詩が先に部屋を出る。それを見送ってから、密かに扉の開け閉めを確認してみた。……なんか変な音がする気がする。やはりあのゴリラ女、扉を壊していったのか。

「誰かが起こしに来てくれるなんて初めてだ。なんだか嬉しいな」
「だろうな。お前すっげー早起きだからどっちかっていうと起こす側だしな」
「特にアヤトをね」
「俺、超朝に弱いんで」
「偉そうに言うことじゃないと思うけど」

変な音のする扉をゆっくり閉めてから鏡の前に立つ。準備と言ってもリヒトはすでにほとんど身支度を整えていたようだしすぐ行ってもなんだから、俺の寝ぐせを直すまで待ってもらおう。さっき鏡で見たら直したはずの寝ぐせがまた出来ていたんだよなあ。
鏡の前に立ち、リヒトの部屋に置き忘れていたヘアーワックスの蓋を開ける。我ながら本当に面倒くさい髪質だ。

「……そうだよね。先に進むためにけりをつけたんだから、立ち止まってる暇はないんだよね」
「まだ昨日のことだぜ?考えていたいことだって沢山あるだろうし、あんまり気にすんなよ。アイツ強引なとこあるから」
「そこが詩のいいところなんだと思うよ。おれもビシッと言ってもらえてよかった」
「そうかあ?」
「そうだよ。アヤトだって、詩のああいうところに何度も助けられたでしょう?」

微笑みながらそういうリヒトを鏡越しに見ながら少し考える。……言われてみれば、……まあ、そんなこともあったりなかったり……。けどどうも素直に認めるには癪に障るから、髪を整えながら曖昧に頷いておく。

「……実は、さ。おれ、昔はアヤトに仲間が増えるたびに嫉妬してたんだ」

唐突になんなんだ。思わず振り返ってみると、恥ずかしそうに視線をさげて変な表情をしていた。俺に対しての嫌味なのかと思うぐらい、サラサラの髪を左手でいじりながら再び少しずつ話し出す。

「本当ならおれがアヤトの相棒だったのにって思ったら急に祈が邪魔に見えてきてしまったり、アヤトがみんなと一緒に楽しそうに旅をしている話を聞くと嬉しいはずなのに嫌な気持ちになったり。……きっとおれ、アヤトを独り占めしたかったんだろうね」
「まあ……それを言うなら俺もシュヴェルツェに嫉妬したことあるから何も言えねえ」
「え?シュヴェルツェ?どうして?」
「いっ、いいから流せよバカッ!流れで暴露したけど俺だって普通に恥ずかしいんだから!」

もう髪も整え終わったが、慌てて身体を戻して鏡とにらめっこをする。……正直なところ、嫉妬していたのは俺だけじゃなかったことが分かって嬉しいと思ってしまっている。親友と思っているからには、俺だってリヒトの一番でいたい。

「でも今は違うよ。……おれには祈のように優しく寄り添うことはできないし、詩のように引っ張ることもきっとできない。だから、おれにはできないことができる仲間が沢山アヤトの周りにいて、本当に良かったと思うんだ」

その言葉を聞いてから静かにワックスの蓋を閉じて、リヒトの前まで歩いて行く。ちょうどリヒトが座っているところに窓から差し込む光がある。

「俺さ、この世界に来るまで他人と付き合うのって面倒くさいだけだと思ってた。……でも違うんだよな。確かに面倒くさいこととか嫌なこともあるけど、その倍以上楽しいことが増えたんだ。一人で出来ないようなことも助けてもらってできるようになったり。……世界が広がった気がする」
「……そうだね」
「言っておくけど、……そのきっかけはお前だからな。リヒトブリック」

リヒトが少し驚いたように顔をサッとあげて俺を見上げる手前、突っ立ったまま手を差し出すと迷わずリヒトが俺の手をとってベッドから立ち上がる。

「仲間は沢山いるけどさ、親友はお前しかいないんだ」
「奇遇だね、おれもだよ」

手を離して鏡の前を通り過ぎる手前、もう一度戻って鏡を見ながら髪を直していると横からリヒトも鏡を覗く。こうして並ぶと……いや、ほんとコイツもロロほどじゃないが顔が整ってて腹立つな。

「なんだよ」
「ね、あとでおれの髪もそれ付けてかっこよくしてよ。ずっと気になっていたんだ」
「おーいいぜ。お前の髪全部上で固めてうんこヘアーにしてやるよ」
「……なにそれ最悪」

あからさまに変な顔をしてから俺の横側を肘で小突くリヒトは面白い。俺も小突き返してから少し離れて距離をとり、取手を掴んで扉を開く。

「さ、飯食いに行こうぜリヒト」
「うん」

朝食をここで食べるのも、もうあと片手で数えるぐらいしかない。それで最後とは言わないが、一旦おしまいになるわけだ。だからきっと、これからおわりにかけて豪華な朝食になるだろう。楽しみな反面、少し寂しい気もするが、たとえトルマリンに泣きつかれてもやめる気はさらさらない。

──……いよいよ、俺たちは旅に出る。




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