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村は未だに復興途中だった。田畑の緑が映えていた場所はいまだ焼かれた黒い跡が残ったままのところが多いし、多くの家は燃えて炭になってしまったいた。その代わりに新しく小さな小屋がたくさん建っていたものの、他は何も無い。動ける人数が少ないというのもあるだろうが、復興の速度は決して早くないことは俺でも分かる。
「どうだよリヒト、久しぶりの故郷は」
「村のことはほとんど覚えてないから何とも思わないな」
人がいなさそうな道を選びつつもリヒトが波動で探りながらゆっくり歩みを進める。草が伸びきっている道ばかりで正直めちゃくちゃ歩きにくいが、まあ仕方ない。
「アヤトはこの村のこと、どこまで知ってる?」
「どこまでだろ。でももしかするとお前より知ってるかもな」
「だろうね。おれもそう思う」
パキ。ふと足元で聞こえた音に視線を下げる。砕けて先が粉々になった、薄汚れた骨だ。以前は見た瞬間にビビッて腰をぬかしそうになったが、今はもうあって当たり前みたいに思う。慣れって怖い。リヒトはというと、少し視線を下げただけですぐに前を向いて先を歩いてゆく。リヒトにとっても当たり前のものなのだろう。
「昔話をしてやろうか」
「あまり聞きたくはないけど、アヤトのひとりごとなら仕方ないよね」
「……そういうことにしておこう」
俺が研究者の男に捕まっていたとき、リヒトも男が大事にしていた写真について訊ねたことがあったと言っていた。たぶんリヒトも何かには気づいていたのだろう。その答え合わせと少しのひとりごとを続けながら、二人でたっぷり時間をかけて村を見て回った。……やはりリヒトとの時間は心地が良い。話の内容がどんなものであれ、反応を気にすることなく話ができる。……リヒトもそうだといいんだけど。
「…………」
陽が斜めに差し、仄かなオレンジ色が地面を照らす。休憩がてら大きな岩に寄り掛かりながらペットボトルを傾けて水を飲む。それからバッグに入っていたチョコレートバーをかじりながら腕時計を見ると、三時はとうに過ぎていた。これからあっという間に夕方、そして夜になってしまう。
「……」
どこか遠くを見ながらチョコレートバーを噛み砕いているリヒトを見ると、すぐに俺の視線に気付いて振り返る。何でもないとでもいうような顔。服に溢れた屑を落としながら近づいて、リヒトの見ていた方へ視線を移す。……たしかあの方角は、。
「気になるなら見に行くか?」
「……いい、のかな」
「いいんだよ。お前がそうしたいならな」
マハトさんたちの家も例外無く今は燃えて無くなってしまったが、同じ場所に小さな小屋が建っていた。きっとあの小屋に、リヒトんちの母さんもいる。そして今は、先にマハトさんとともに村へ入ったシュリもそこにいるだろう。……それでもリヒトは見たいらしい。口では強く言っていたが、やっぱり気になっているのだ。
──村人が生活している場へ近づくため、より一層慎重に道を選んで家へと向かう。雑草を掻き分け、獣道を歩き。
……ぴたり。リヒトの足が、止まった。それからゆっくり腰を屈めると、食い入るようにそれを見る。
「さあシュリくん、やってみて」
『…………こウ?』
「まあ、上手!そうよ、ありがとう。いい子ね」
俺たちが身を潜めている林の向こう側、小屋の横。……水道で芋を洗っているシュリと、リヒトの母親がいた。彼女は以前見た時よりもまたひと回り細くなったように見えるが、表情が全く違う。シュリの言葉は分からないはずだが、まるで聞こえているかのように話しかけては笑顔を見せている。ふたりで野菜を洗う姿は、……親子といっても、おかしくはない。
「…………」
そっとリヒトの横顔を窺ってから、立膝をついている太ももの上できつく握られている拳を見る。それでも視線を逸らさずただただ静かにシュリと自身の母親のやりとりを見ているリヒトがそこにいる。……かける言葉が、見つからない。
「今日の夜ごはんはシチューにしましょうね。ああ、久しぶりにパンもたくさん焼かなくちゃ」
『シちュー……知ラない食ベ物ダ』
「シチューとパン、分からない?大丈夫、きっと好きになるわ」
あたたかい家庭。……今のリヒトにとって、それがどれほど辛いものか。
真っ直ぐに見ていたリヒトがとうとう視線を下げて、フードの淵を引っ張るとさらに深く被って目元を覆う。俯き、ぽつりと言う。
「…………おれもね、母さんの作ったパンとシチュー、好きなんだ」
「……そっか」
「作ってくれる料理も、おれを気にかけてくれる言葉も他愛もない話も、怒ってくれることでさえ嬉しかった。たまに嫌いになったこともあったけど、……でもやっぱりおれ、母さんが母さんで良かったと思う」
俯いたままそういうリヒトを見ていると、……ふと、足音が聞こえた。咄嗟に後ろを振り向けば、……マハトさんが歩いてくる。相変わらず気配も足音もない人だ。リヒトも気づいているだろうが、一向に俯いたまま動かない。
「……父さん、おれはね、……村も村の長である父さんも大嫌いだ。アヤトから色々聞いて、村を見て回った今でもそう思う」
「……そうだろうね」
マハトさんはリヒトの数歩後ろで立ち止まり、静かに言葉を聞いている。向こうから変わらず聞こえてくるシュリたちの会話がどこか遠く感じた。
「でもね。……父親としての父さんは、……そんなに嫌いじゃないよ。嫌いになりたくても、なれなかった」
「…………」
「村のために利用されると分かっていても、おれは父さんと母さんが好きだった。だっておれには、二人しかいなかったから」
リヒトがゆっくり立ち上がり、マハトさんと向かい合う。風に揺られて、二人ともほぼ同時にフードが後ろへゆっくり落ちた。
「でももう違う。おれには、アヤトがいる。おれをおれとして見てくれる人が沢山いるんだ。……新しい居場所が、やっとできた。……もうここへは戻らないよ」
リヒトの意志は変わらない。それを表すかのように、揺らがない視線は目の前の彼を真っ直ぐに見ていた。……すると、フッとマハトさんが表情を崩して小さく笑う。驚いたようにリヒトがなぜか振り返って俺を見るが、とりあえずジェスチャーで早く戻れと無言で急かした。
「リヒト、お前は変わったね。以前ならば私の言うことは絶対聞いていたというのに、久しぶりに会ってから驚かされてばかりだ。これもアヤトくんの影響なのだろうか」
「……」
「怒らないでおくれ。いいことだと言っているんだよ」
そういうと、一度、何か考えるように視線を落としてからマハトさんが一歩前に歩み出る。瞬間、リヒトの耳と尻尾が真上を向いた。明らかに警戒しているのが丸わかりだ。
「これで会うのも最後かもしれないのだろう?ならば会えない彼女の代わりに、抱きしめてもいいだろうか」
「……え……、!?」
「だめかい、リヒト」
「……っ、……、」
……俺は一体何を見せられているんだろうか。こんな不器用な親子いる??しかもリヒトはまた振り返って俺を見るから、何度も大きく頷いてみせた。マハトさんの表情は相変わらず、クールにさらっとリヒトに言っていたが、なんとなく彼らしくない言葉で不自然な感じがするし、どうせなら心の中はてんやわんやであってほしいと思う。
「……す、少しだけなら……、」
「ありがとう」
リヒトが頷くのを見てマハトさんがまた距離を詰め、ゆっくりリヒトに腕を伸ばす。リヒトはというと、耳と尻尾が相変わらず上を力強く指したままがちごちに固まっている。片腕が背中に回り、もう片方は後頭部へそっと添えられる。こうしてみると若干マハトさんの方が背が高いが大した差はなく、まるで同一人物のように思う。
「どうしてそんなに緊張しているんだい」
「だ、だって……父さんにこんなことされるの……初めてだし、」
「なら母さんだと思えばいい」
「無理だよそんなの!」
リヒトは眠っている間に進化させられたせいか、容姿に見合わない幼い面が未だに時折見られる。もともと出会ったときからどこか幼い感じはしていたが、進化してから余計にそう思うことがあった。しかもマハトさんに会ってからの態度を思い返すと、まるで子どもそのものだ。……今まで関わりたくても自分で線引きをしていた分、両親どちらに対しても十分甘えることができなかったのだろう。ほんの少しだけだし、今のうちにたっぷり甘えておけばいい。
「まさかこうして、また"我が子として"お前に触れるときが来るなんて思ってもみなかった。ふふ、このまま連れて帰ってしまおうかな」
「……微塵も思っていないくせに」
「微塵ぐらいは思っているさ」
次第に耳と尻尾が普通に戻り、見ているこっちもやっと一息つく。父親としての彼の手つきは端から見ても優しい。
「リヒト。最後だから言うけれど、少なくとも私はシュリを我が子だとは今もこれからも思わない。あのジャンクがお前に成り代わることは絶対にないと言い切ろう。……私にとって我が子はリヒト、お前だけだ」
「…………」
「だからもうここには居場所が無いなどとは思わないでほしい。……お前が望むなら、いつでもまた受け入れよう」
父親であり村の者である彼にしか言えない言葉。少し俯いてマハトさんの肩にもたれかかるリヒトの表情は分からないが、リヒトが欲しかったであろう言葉のひとつであることには違いない。
……ふと、マハトさんの手が止まってリヒトの背中から手を離し、素早く落ちていたフードをリヒトに深く被せながらリヒトの頭を片手でぐっと自身の肩に押し付ける。その視線の先、俺も自然と追いかけて見て、慌てて身を屈めて林にそっと身を隠す。
そうして近づく足音に息を潜め。
「マハト、そんなところで何をしているの?」
「いやなに、懐かしい顔に出会ったもので再会を喜んでいたんだよ」
ほぼ答えを言っているような気がしなくもないが、今はなんとも言えない。さっきまでシュリと一緒に野菜を洗っていたリヒトの母親がまさかこの距離でマハトさんに気が付くとは思っていなかった。完全に油断していた俺、そして姿を隠す前に気付かれてしまったリヒトは、彼女に背を向けたままただひたすらにマハトさんに身を任せてジッとしている。
「どなたなの?そんなところにいないでこちらへご案内すればいいのに」
「ああ、そこには新しく罠を仕掛けたからそこから動くと危ないよ」
近づいてくるリヒトの母親を止めるための嘘だろう。……いや、マハトさんが言うと本当に罠があるように思えるが。一番はこのまま大人しく去ってくれればいいのだが、足音が一向に生まれない。つまりまだ、彼女は立ち止まっているのだ。明らかに怪しいから動かないのも分かるけど。
「先に戻るといい。すぐそちらへ行こう」
「…………、……分かったわ。……もちろん、その方も一緒にいらっしゃるのでしょう?」
「……いや、彼は先を急いでいる。私だけでは不満かい?」
「……いいわ、少し待っていただいて。すぐ戻るから、まだ先を行かせては駄目よ」
彼女の声が聞こえた後。パタパタと走って遠ざかる足音が聞こえた。それから家の扉が開きすぐに閉じる音を聞いてから、固まっていた身体をやっと動かす。大きく息を吐いてからリヒトを見ると、マハトさんから離れて心配そうに見つめている。
「……リヒトだと悟られてしまったかもしれないな」
「まさか。後ろ姿だけで分かるわけがない」
「私もそう思うが、あの距離だと尻尾や足元が見えていた可能性がある」
草の背はそこそこ高い。が、完全に隠れられるわけでもない。家を見ているマハトさんを慌てたように見てから俺の横までやってきて隣に座り、縮こまるリヒト。
「父さん頼むよ、もしバレていたらもういなくなったって言って」
「マハトさん、シュリにも口止めを!」
「シュリには波動で伝えたから大丈夫だ。……が、リヒト、それでは私が彼女に怒られてしまう」
「父さん!!」
バタン。扉の音が再び聞こえ、慌ただしい足音も近づてくる。俺とリヒトはとりあえずさらに茂みの深い林に身を隠し、再び息を潜めた。
……あがる息と衣服が擦れる音がする。確実にさっきよりも近くまで来ている。やっぱり罠なんて実際はなかったんだ。しかし罠があると聞いていながら堂々と足を踏み入れるリヒトんちの母さん、普通にヤバいな。
「マハト、さっきの方は?」
「すまないね。とても急いでいたようで、もう行ってしまったよ」
リヒトの意図をちゃんと汲んでくれている。が、未だ遠ざからない足音はなぜだろう。……すると不意に、彼女がクスリと笑った声が聞こえた。聞き違いではないのか、思わずリヒトを見るとリヒトの目もまん丸になっている。
「どうしたんだい、突然笑って」
「マハト。貴方、私とどれほど一緒にいると思っているの?……貴方って、嘘を吐くときほんの少し顔が強ばるの」
「…………」
どこの家庭も母は最強なのだろうか。マハトさんはあの場から一歩も動いていないし、ならば今聞こえている足音は彼女のものだ。もう、すぐそこにいる。このままでは見つかるのも時間の問題。……ともなれば、!!
勢いよく立ち上がり、林から一人飛び出て彼女の前に立つ。目を見開いているのを見ると、やはりまだ俺たちが隠れていたことには気付いていなかったんだ。
「こ、こんにちは!お久しぶりですね!」
「まあ、アヤトくん。そんなところで何をしていたの?」
「い、いやあ。さっき立ちくらみしちゃってマハトさんに支えてもらってたんスけど、まだ調子悪くてそこに座ってて……」
「……そう」
無理があるか。リヒトと俺とじゃ身長差があるから厳しいとは思ったが、ここまできたら通しきるしかあるまい。彼女の視線が俺の後ろにあるのが不安だが、無理矢理前に立ちはだかって視界を遮る。
「えと、ところで何か……?」
「ええ。アヤトくん、これを」
そういって渡されたのは大きめのバスケット。いい匂いがする。少し覗いて見てみると、刺繍の入った可愛らしい布が被せてある下には、沢山のパンがある。
「これ……、」
「今朝焼いたの。少しだけだけど、持っていって」
「あ、ありがとうござ、」
「……リヒトが好きなお菓子も入れておいたから、アヤトくんから渡してあげて」
「!!」
俺はよく顔に出ると言われる。が、どうか今だけはせめて普通に見えていてほしい。なんと答えればいいのか分からず、思わず口籠もっていると彼女が小さく笑ってから俺の手をそっと包み込むように握る。
「いいのよ。あの子が決めたことならば、私も何も言わないわ。それにね、私も今姿を見てしまったらきっと強く引き留めてしまうから。……生きているなら、……それだけで、それだけでいいの」
少しずつ潤む瞳を細めてから手を離して、今度こそ遠ざかる。かと思えば、突然振り返って彼女が言う。
「──……いってらっしゃい、リヒト。ずっとずっと、愛しているわ」
答えを聞く素振りはみせず、静かにその一言だけ残して彼女はマハトさんの手を取るとそのまま引っ張り林を抜ける。あれから一度も振り返ることがなかったのは、彼女なりの覚悟だろうか。マハトさんも何も言わず、俺に小さく手を振って行ってしまった。
……それからしばらく。
突っ立ったままパンとお菓子が入っているカゴを両腕で抱えながら背中で後ろの気配を伺っていたが、痺れを切らしてゆっくり振り返りリヒトがいる茂みに近寄る。
「……やっぱりな」
……案の定。膝を思い切り抱えて声を抑えて泣いていた。とりあえず隣に座ってからカゴで横から突くと、リヒトが俺から奪い取るようにカゴを抱えてまた泣く。聞こえないように、ひっそりと。
──……陽が傾いて赤く染まる静かな森と、ほのかに香るパンの匂い。言えなかった「いってきます」の言葉を何度も小さく繰り返しているリヒトの横、俺は何も言わずにただ泣き止むのを待っていた。