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「へえ、ここがアヤトたちが寝泊まりしてたところかあ」

焚き火から離れて寝袋を広げていた俺の横へやってきては楽しそうに見ているハーくん先輩。以前は木々に囲まれて夜もより一層暗い場所だったが、今は木という木がまだ成長しきっていないため、開けた場所になっていた。月が雲に隠れていなければだいぶ明るいし、満天の星も綺麗に見えている。

「でもハーくん先輩、本当にこっち来ちゃってよかったんスか?」
「牧場なら平気さ。何かあってもハーさんがいるし、何よりあのレパルダスも残ってくれているし!それに祈ちゃんも、……ああ、祈ちゃんはこっちに来てほしかったなあ……一緒に寝たかった……ッ!」

牧場に新たに建っていたオーナーさんたちの家に、イオナとともに残った祈を思い浮かべているであろうハーくん先輩があからさまに肩を落としてみせる。思わずそれに寝袋を広げていた手を止めて顔をバッ!と上げてしまった。

「はあ!?そんなの絶対に許さないですよ!?俺だってまだ祈と寝てないのに!!」
「やだー、アヤトのえっちー。そんな目で祈ちゃんのことを見ていたなんてえ」
「そっ、そっちの寝るじゃないッッ!!」
「そっちの寝るってどっちの寝る?」
「っだーーーーっ!!」

頭を思い切り掻きむしる俺を見ながらケラケラ笑っている先輩を一度睨んでからまた寝袋を広げ始める。……なんかハーくん先輩がいるだけでめちゃくちゃ騒がしくなるんですけど。
そして俺を庇うこともないリヒトは何をしているのか気になって振り返ってみれば、焚き火の前に座ったまま俺とハーくん先輩を見て小さく笑っている。……何が可笑しいんだコノヤロー。

「……それにしても夢みたいだね。二人と一緒にこうして焚き火囲んで夜を過ごすなんてさ。あ、リヒト、それそろそろいいんじゃない?」
「あ、本当だ」

地面に突き刺して火で炙っていた木の実がいい感じに焼けている。ハーくん先輩の言葉でリヒトが棒を引っ張り取って、俺に差し出す。受け取りながらリヒトの横に座って、向かい側に座るハーくん先輩には俺の手前で焼いていた棒を引っこ抜いて手渡した。

「長年この牧場にいるのになんか新鮮な感じ。こんなことするの初めてだし」
「え、そうなんですか?野宿が初めてってこと?」
「まあね。僕、良い所の出なんで」
「……うっそだあ」
「流石にバレたか。まあ僕はずっと何不自由なく平和に暮らしてきたから温室育ちなのは本当さ」

湯気が出ている木の実に慎重に噛み付くとハフハフしながら食べるハーくん先輩を見て、俺も一口齧ってみる。焼きリンゴ的なあれだ。温かく柔らかい果肉からジュワアと甘い汁が溢れて口に広がる。普通にうまい。そういやパンがあったっけ。挟むともっと美味くなるのでは。

「だから今だけはアヤトとリヒトが先輩だね!よっ、野宿のプロ!」
「なんかそれ嫌だなあ」

とか言いつつ、リヒトの表情は穏やかだ。今日はどうなることかと思ったが、ハーくん先輩とハーさんも居てくれたおかげで精神的には安定しているらしい。
……もちろん、何も無かったわけではない。オーナーさんたちはまだしも、リヒトを知らなかったメリープたちの混乱はそれはもう大変なものだった。おかげで俺も久しぶりに脱走した子メリープ捕獲に奮闘したわけだが。

「……ハーくん、今日はありがとう。おれ、またここに来られてよかった」
「何言ってるのさ。これから先も、何度でも来ていいんだから。……なんなら二人とも、ずっとここに居てもいいんだぞ」

冗談とか茶化す感じの言い方ではない、落ち着いたトーンの声に思わず視線を向ける。揺れる炎を挟んだ向こう側、ハーくん先輩が真っ直ぐに俺たちを見ていた。

確かにここは居心地が良い。ハーくん先輩もハーさんも優しいし、オーナーさんたちだって良い人だ。きっとまた、以前のようにこの牧場で手伝いをしながらのんびりひっそりと暮らす生活もいいかも知れない。きっとリヒトもそのほうが余計な人目に触れることもなく、心穏やかに過ごせるだろう。……でも、でも。

「ごめんね、ハーくん。きっとおれを思って言ってくれたんだよね。すごく嬉しいよ。……でもおれは、アヤトと一緒に旅がしたいんだ」
「リヒト……、」

思わずゆっくり横を見ると、それに気付いたリヒトがふ、と笑う。大人びた顔に青い髪が流れるのを見て、なんとなくぎこちなく視線を前に戻す。

「アヤトはどうなんだい?はっきり言うけど、リヒトと旅をするならそれ相応の覚悟が必要だ。今日はメリープたちだけで騒ぎも治まったけど他じゃそうはいかない。それも踏まえた上で旅を続けようとしているのかな」

俺にだけ当たりが強いのに、ふと初めてハーくん先輩と会ったときのことを思い出した。あの時は、うわなんだこのチャラそうなヤツ自分とは絶対に合わないタイプだ。とか思っていたけれど。

「覚悟なんて、もうここに来る前からできてますよ。俺だけじゃない、俺の仲間だってそうだ。みんな承知の上で、俺についてきてくれているんです。……それに、」
「それに?」
「──俺たち、"自由"を探しに行かなくちゃ」

少しだけ目を見開いて俺を見たハーくん先輩は、すぐにフッと目を細めて小さく笑って今度は眉を少し下げると頭を軽く引っ掻いて見せた。……先輩を困らせるのは後輩の特権だよな。

「あーあ。参った参った、僕の負けだ!、というか勝負にもならなかったよ。僕の入り込む隙間すら無い感じ、寂しいなあ」
「あ、俺の隣来ます?」
「物理的な話じゃなーい!でも座る」
「うわマジかよ冗談なのに!」

さっさとやってきたと思えば、わざとらしく俺の膝の上に乗るハーくん先輩。これまたわざとらしく弱弱しく押し返しながら「うわあクソ先輩重たすぎて死ぬうう!!」なんて騒いでみると先輩がサッと立ち上がって今度は俺の後ろに回って頭をめちゃくちゃに掻き乱す。そりゃもうハリケーンに巻き込まれたかの如く、髪はぐちゃぐちゃだ。そのあとなぜかリヒトも両手でわっしゃわっしゃとき乱されて俺と同じような髪になっていた。

「……なんで?」

きょとんとしながら真顔で呟いたリヒトに、思わず俺とハーくん先輩が吹き出し笑ってしまったのは言うまでもない。
そんな俺たちを見ながら口先を尖らせて髪を整えるリヒトの肩に後ろからハーくん先輩の手が乗り、また俺の肩にも腕が回る。そうしてそっと引き寄せられるとリヒトの肩と俺の肩がぶつかった。顔の横にはハーくん先輩の顔があるだろうが、振り返らずに前を見る。

「……二人とも、大きくなったなあ。成長したよ。……いやあ、嬉しいような寂しいような、複雑な気持ちだ」
「まるで育て親のような言い草……」
「もう長い付き合いだろ、細かいことは気にするなよお」

肩から手が離れたと思えばまた片手で頭をわしゃわしゃされる。前髪が被る目を細めていると、一瞬だけ音が消えた。その一瞬に、ふと視線をあげる。

「ハーくん先輩、?」
「"ボーイズ・ビー・アンビシャス"。……いつの間にか、"しっかりしたまえ"が本当の意味に変わっていたんだね」

そう言われてハッとした。……つまり"ボーイズ・ビー・アンビシャス"を本当の意味で渡してもらえるまでに、俺は成長したと言われているのだろう。きっとそうだ。そうだと思うと、……素直に嬉しく思う。

「"少年よ、大志を抱け"っていう意味だよね?」
「そうだよリヒト。以前、僕からアヤトに送った言葉さ」
「確かこの言葉には続きがあったよね」
「え?」
「え!?」

俺とハーくん先輩が驚く中、リヒトが思い出すように視線を上にあげる。その間、俺はハーくん先輩と顔を見合わせてから横目で見る。……言った本人も知らなかったのかよ。俺も知らなかったから強く言えないんだけど。

「確か、"ボーイズ・ビー・アンビシャス・ライク・ディス・オールドマン"。"少年よ、大志を抱け。この老人のごとく"、だった気がするよ。……おれもこの言葉、好きだなあ。自分の人生に誇りを持っていなければ贈れない言葉だもんね」
「……これは、一本取られたなあ」
「え?」

ずっと本とお友達だったであろうリヒトの雑学知識と記憶力は半端ない。本人は何気なく言ったのだろうが、いや普通は知らないだろ。
それから俺とリヒトから離れて苦笑いしながらまた向かい側に座るハーくん先輩。それを見て、思う。

「ハーくん先輩、俺、言葉の続きを知ってもやっぱりハーくん先輩から贈ってもらえてよかったと思いますよ」
「え、」
「先輩みたいになれるなら、……それはそれでいいなと思うし」
「なんだよアヤト……唐突にデレないでよ……」

今度こそ目を大きく見開いて俺を見るハーくん先輩からそっと視線を逸らして口をキュっと閉じる。デレとかそういうんじゃねーし。てかそもそも俺ツンデレキャラとかじゃないし。やっぱりまた面白そうに小さく笑っているリヒトが見えて、気に食わないから頬を軽く抓んで伸ばす。また「なんで??」っていう顔してる。

「……うん、よし!アヤトがそう言ってくれるなら、僕も言葉に合うようにならないと」
「ハーくん先輩は今のままで十分ですよ。な?」

こくこく頷くリヒトと俺の前、ハーくんが勢いよく立ち上がって言う。

「いーや!ボーイズ・ビー・アンビシャス、僕だって大志を抱く男だからね!……君たちがいつどこへ行っても誇れる先輩に僕はなろう。君たちがいつ帰ってきても、ああ、やっぱりこの先輩で良かったって思えるような先輩に僕はなる!」

だからね。

「いつでもここへ帰っておいでよ。……君たちの帰る場所は、僕がずっと守っているからさ」

そう言って笑ってみせる先輩を見て、一度リヒトを顔を合わせて前を向く。もうすでにいい先輩なのにこれ以上良くなってどうすんだよって、……言わないけど。

「……というか、来てくれないと泣いちゃうぞ」
「おい聞いたかリヒト、ハーくん先輩泣かせてやろうぜ」
「アヤト!?僕にもばっちり聞こえているんですけど!?」
「──っあはは!」

リヒトの笑い声が夜の森に広がる。
……満天の星の下。旅立ちの前に、三人で焚き火を囲んでバカ騒ぎするのも悪くはない。




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