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『アヤトー!』

全速力で駆けてくるハーくん先輩に大きく手を振ってみせると、器用にも走りながら擬人化して最後には二足歩行で駆けてくる。
そうして息を切らしながら近くまで一番乗りでやってくると、膝に両手を置いて荒くなった呼吸を整えていた。次に来たのは意外にもあのメリープで、転がっていたのが良かったのか全然息も切れていない。ハーくん先輩とは大違いだ。

「アヤト、久しぶりだね!来てくれて嬉しいなあ!」
「お久しぶりです、ハーくん先輩。元気そうでよかった」

苦しいぐらいに抱きしめられながらそういうと、ふと、ハーくん先輩が俺からそっと離れて視線を下げた。なんなんだ、先輩らしくない。

「どうしたんスか?」
「あー……この前はごめんな。何も話せなかったし、……最後、見送りできなくてさ」
「いえ、気にしないでください。ハーさんが見送ってくれたので十分でしたし」
「……可愛くないヤツめ」

とかいいつつ、ぐりぐり俺の頭を撫でまわす表情は柔らかい。
そんなハーくん先輩の後ろ、ハーさんも遅れてやってきた。先輩越しに手を振ると、息を切らしたままハーさんが小さく手をあげる。

「それよりアヤト、今日はこんなところに呼び出してどうしたんだい?」
「実は、二人に会わせたい人がいて、……」
「お、なんだよ改まって〜!?彼女か?フィアンセか!?アヤトのくせに〜!」
「やめないか、ハーくん。アヤトが困っている」

肘で俺を突きながらからかうハーくん先輩に曖昧に笑ってみる。……とにかくやってみなければ分からない。二人を信じて、楽し気に俺を突いてくる先輩から一歩後ろに下がり。

「なんだよそんな真剣な顔、……して、──……、」

後ろは見ないまま、ハーくん先輩とハーさんを見ていた。表情だけで分かる。笑顔だったのが一度固まり、目がゆっくりと大きく開いていく様はまるであの時の俺と同じだ。誰しも驚きすぎると固まり言葉も失ってしまうらしい。
―リヒトが丈の長いマントの下から腕をゆっくり伸ばしてから、深く被ったままのフードに手をかける。それを不思議そうにみていたメリープが、まず右手を見た瞬間に小首を傾げる。次にフードが後ろに落とされた、その瞬間。

『ッあ、あの、あの時のハーフっ!!』

メエエェェ!、思わず耳を塞ぎたくなるような声に咄嗟に視線を向けると、すでにメリープは牧場に向かって全速力で走り始めていた。止めようと一歩踏み込んだものの時すでに遅し。ハーさんの声も無視して逃げて行ったメリープの姿があっという間に見えなくなる。……そうして再び訪れる無音。

「……、……」

ぎこちなく斜め後ろを振り返ってリヒトに視線を向けると、案の定、長い耳は横に垂れていて前髪で目元を隠すように俯いている。……さっそくまたやらかした。まさかあの新入りだと思っていたメリープも、あの日この牧場にいたなんて。すかさずリヒトに手を伸ばそうとした。が。指先をピクリと動かしただけで止める。

「……」

──……俺より先に、ハーくん先輩が動いていた。
リヒトの手を掴んで手前に引っ張る。そして。

「…………おかえり、リヒト」

抱きしめながら聞こえた優しい声色に息をむ。
驚きで固まってしまったのは俺だけじゃないだろう。リヒトの左手の指先がピクリと動くのが見えたが、持ち上がることはなかった。見て分かるほどに戸惑っている。
……戸惑うのも無理はない。俺ですら、咄嗟にリヒトへ触れることを躊躇った。信じられなかったからだ。なのに、それなのに、ハーくん先輩は。

「ハーくんも、……おれがどうなったか、知っているんじゃ……?」
「ああ、もちろん。でもアヤトと一緒にいるってことは、リヒトで間違いないだろう?」
「……そう、だけど、……」

ハーくん先輩が離れながらそういうと、耳の垂れ下がったままのリヒトを見上げて視線を止めた。見られることに極端に慣れていないリヒトはタジタジの様子だが、構わずじっと見ているハーくん先輩。俺もそっとリヒトの横に立って並ぶと、今度は見比べるように俺とリヒトを交互に見始める。

「……ハーくん、……おれ、……その、……あ、あの時は、」

リヒトが一歩前に出ると、言葉を絞り出す。途端、ハーくん先輩がリヒトの目の前に手のひらを押し出してストップをかけた。それに少し驚きながらリヒトが瞬きをゆっくり繰り返し、なぜか俺を見てからハーくん先輩へ視線を向ける。

「……ハーくん、?」
「いいんだ、無理に言わなくて。リヒト、僕も分かってるから大丈夫。思い出す必要はない」
「…………」

眉を下げて困ったように笑って見せると、ハーくん先輩は視線を落としてそっと自身の手を持ち上げた。それはそのままリヒトの右手に向かって行き、寸前で一度ぴたりと動きを止めてからそっと黒い手に触れる。両手で包むように持ち上げてから片手の平に乗せて握り、空いた方の手で今度は俺の手を握る。

「二人とも、おかえり。一緒に帰ってきてくれて、本当に嬉しいよ」

手を引かれるとリヒトの肩とぶつかって、かと思えばハーくん先輩の懐に二人して押し詰められていた。握られていた手が離れ、今度は後頭部に回る。

「偉そうにアヤトに任せておきながら、僕自身は何もできなかったけど。……こんなでも一応アヤトとリヒトの先輩だからね。……今でも、なんでもいいから力になってやりたいって思っているんだ」
「……、……、」
「僕に大した力はないけど、こうやって二人まとめて抱きしめることはできるよ。頼りないとは思うけど、寄り添ってあげることはきっとできる」

耳元で聞こえる苦笑いに混じって聞こえるリヒトのすすり泣き。うっかりもらい泣きしないようにひっそり唇を少し噛みながらハーくん先輩を思い切り抱きしめる。

「僕に出来ることは少ないだろうけど、……その少しが、君たちの小さな支えになればいいなあって、」
「っ少なくない!少なくないよ……っ!」

バッ!と顔をあげたリヒトがぼろぼろ泣きながら、ハーくん先輩とついでに抱き着いている俺を見る。

「……おれは、ハーくんとハーさん、それに牧場とこの町のみんなに、取り返しのつかないことをしてしまった。謝っても許されないのは分かってる。……だから、ここに来るのが怖かったんだ。ここには、楽しい思い出が多すぎるから、余計に怖かった」
「うん」
「……でも。……はは、……ハーくんはすごいよ。こうしてまた、おれを、……抱きしめてくれるなんて、」
「当たり前さ。何があっても、僕の可愛い後輩だからね」
「──……、……そういうところが、すごいんだ、っ」

そういうとリヒトは目を細くして倒れるようにまたハーくん先輩の胸元に飛び込むと、首元に顔を思いっきり埋めて静かに泣く。その横、自分よりでかくなったリヒトを優しく撫でているハーくん先輩を見ると、どこか嬉しそうな横顔があった。

「アヤト、寂しいならこちらへ来ると良い」

俺に向けられた言葉に顔を向け、ふっと笑ってから両腕を広げているハーさんのところへ向かう。それから飛び込み一度ぎゅっと抱きしめてから離れると、頭を1回2回と撫でられる。

「おかえり、アヤト。君はまた随分たくましくなって戻ってきたな」
「へへ。……ハーさん、あの時は色々教えてくれてありがとうございました。おかげで全部片付けて、またここにリヒトと一緒に戻ってこれました」
「いいや、あれは情報提供にすぎなかった。私のおかげではないさ。……アヤト、全て君の力だ」

手が降りて、ハーさんを見ると視線はまっすぐ俺に向いていた。それに小さく首を横に振ってみせてから、腰についているボールをそっと指でなぞる。

「俺だけじゃ、絶対に無理だった。何をするにも、……みんながいてくれたからここまで来れたんです」
「本当に立派になったなアヤト。手持ちポケモンがいないと嘆いていたあの頃が懐かしく思えてしまう」
「……はは、そんなときもありましたねえ」

そう遠すぎる昔のことでもないとは思うが、本当に、懐かしく思う。
自然と零れる笑みにどこか暖かさを感じながら、仕切り直しに軽く叩かれた肩にハッとする。

「今日は泊まって行くといい。オーナーには私から話をしよう」
「……いや、でも、……」
「実のところオーナーやメリープたちもアヤトのことをずっと気にかけていたのだ。リヒトについても私とハーくんで皆を必ず説得してみせよう。安心したまえ」
「たっ、頼もしい……っ!」

尊敬の眼差しでハーさんを見るとニコリと笑顔をこちらへ向ける。それを見て、ふと。

「ハーさん、ありがとうございます」
「む、今度は何に対してだろうか?」
「俺、思うんですけど。……ハーくん先輩が元気になったのは、ハーさんが支えてくれたからなんですよね。やっぱりハーくん先輩は元気がないと先輩らしくないって言うか。だから気になってはいたけど俺、何も言えなくて。きっとハーさんがいなかったら、今のハーくん先輩はいないです。……だから、ありがとうございます!」

俺の言葉を聞くと、ハーさんが目を丸くして俺を見る。そんなに驚くようなことを言ったつもりはないけれど、ハーさんにとっては何か思うことがあるらしい。丸くなった目が一度視線を落とすと、ゆっくりまた俺に戻ってきてから弧を描きながら細くなる。

「アヤトの言う通りならば、……それはとても嬉しいな。私でも誰かの支えになれているのならば、ましてやその誰かがハーくんならば。なんて幸せなことなのだろう」

ありがとう、アヤト。、目尻に皺を作りながらそういうハーさんに笑顔で返して、二人揃って歩き出す。

やっぱりここは暖かい。
お洒落な店もなければ、ゲームセンターのような遊べる場所も無いけれど。つくづくここは、俺の大好きな場所なのだと思った。




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