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ふっと意識が戻って、瞼を開ける前から既に眩しい視界を鬱陶しく思いながら寝がえりを打つ。向こう、遠くから羊の鳴き声と犬の鳴き声がする。それと同時に人の喋り声も聞こえてきて、仕方なくゆっくり仰向けに戻ってから重たい瞼を持ち上げた。……やっぱり眩しい。太陽だ。

「……朝、」

手で目を擦りながら上半身を持ち上げ、寝袋のジッパーをゆっくり降ろす。それからすぐ横に置いておいた携帯のボタンを押して画面を見ると、ちょうど7:00に数字が変わったところだった。もぞもぞ這い出て立ち上がり、一度大きく背伸びをする。ついでに欠伸もしてから、茶色い地面が剥き出しになっているところまで歩いて下を見た。

"また明日"

折れた枝が置いてある横に、そう文字が並んでいた。もちろん、これはリヒトが書いていったものである。その文字を片足で打ち消してからまた欠伸をして、着替えの入ったバッグを持って川へ向かう。森は静かだ。それに爽やかな空気を感じる。

昨晩。あれからリヒトはずっと俺の横にいた。いいか、ずっとだ。うんざりするぐらい、ずっと。結局、俺はクソ眠すぎて正直にリヒトのことはまだ信用していないこと、だから眠いがリヒトがいるから寝れない、ということを伝えた。するとリヒトは慌てたように何度も「そんなことはしない!」を連呼し、終いには少しでも信頼を得るためなのか、わざわざ手当てしてやった傷を恐ろしい事に自分でまた広げようとまでしていたのだ。

「ほんとアイツ馬鹿だよなー」

一応。いないとは思うが周りを見回してから人がいないことを確認し、服を全部脱いで川に入ると思っていたよりも冷たくて一回ぶるりと身を縮める。いやあ、今が冬じゃなくて本当に良かった。

「馬鹿なのは君の方でしょ、アヤくん」

わしゃわしゃ。目を瞑って頭を洗っていたところ、幻聴が聞こえた。最悪だ。何でどうして幻聴だったとしてもあのクソ野郎の声を聞かなくちゃならないんだ。一度ぴたりと止めていた動きをまた再開して、さっきよりも速く頭を洗っていたら。……背筋にツ、と何かが触れた。直後、そのまま撫でるようにスッと下に降ろされる。

「っうあああ!?」
「あはは、なにその声」

慌てて水で顔の泡を落としてからカッ!と目を見開くと、あろうことかすぐ目の前の川岸にロロが膝を曲げて座っていた。……さっき見回したときは誰もいなかったのに、どうして。一瞬フリーズしてから、慌てて股間を両手で隠す。……言っておくが、フルなチンじゃないぞ。タオルぐらいは巻いてたけど、めっちゃ張り付いてたから多分見られた。その証拠にロロがなんか憐れむような目で俺を見てるし、…………アッ、もう死にてえ。

「早くしないと風邪ひくよ?」
「そうだよアヤト、風邪ひいたら大変だよ」
「っああ!?」

ばしゃん。相変わらず川に入ったまま、思わず後ろに後ずさってから急に現れた奴に向かって指差した。
ロロの隣、というか後ろから、リヒトがひょっこり顔を出してから少しばかり目線を動かし「小さくても、大丈夫だよ!」とかなんかふざけたこと言ってきやがった。フォローしたつもりなのか何なのか知らないけど、何お前も見てるんだよって感じだ。

「お前らなんでここにいるんだよ!?さっきまでいなかったじゃん!?」
「いやいやずっといましたよ?全然アヤくん気付かないんだもん。ほんとお馬鹿さんだよねえ」
「気配消していやがったな……クソポケモンどもめ……」

楽しげににやにやしている二人を睨みながら、とりあえず川から上がって大きめのタオルで軽く拭いてから今までにない速さで服を着た。多分俺の中じゃ最高記録だと思う。それから頭にタオルを乗せて、芝生の上にどっしりと胡坐を掻いた。……今、俺の頭の中には疑問しかない。疑問だらけで大変なことになっている。

「……よし、一つずつ聞くからな」
「はーい」「はーい」
「ロロは黙ってろ。俺はリヒトに聞いてんだよ」

ていうか。なんかリヒト、昨夜と雰囲気違くないか。さっきの答え方といい、ロロに毒されているのは気のせいか。……いや気のせいじゃねえな!?
急いでロロの隣にいたリヒトの腕を掴んでから、俺を挟んだ反対側へと連れてきた。駄目だ、これ以上ロロみたいな奴が周りに増えたらとんでもない。

「お前なんでここにいるんだよ。昨日どっか行ったはずだろ?」
「あれ、アヤト見てない?おれ、地面に"また明日"って書いたんだけど」

……見た。ばっちり見たけど、普通こんな朝っぱらからまた会うとか思わないだろう。これじゃあとんぼ返りもいいとこだ。とも思ったが、ふと、リヒトが川の向こうを指差して"おれの家、近いからすぐに来ちゃった"とかニコニコしながら言われた。のだが。

「おい、そんな簡単に自分の家教えるな。俺が誰かに言いふらしたらどうするんだよ」
「……え……えと、……」

何かを言おうとして、静かに口を噤むリヒト。……目線を斜めにしたまま、何だか今にも泣き出しそうな顔に見えた。それには思わず俺もドキリとしたものの、間違ったことは言っていない。そのまま我慢してリヒトを見ていると、後ろからロロが俺の頭をグイと押してきやがった。当たり前のように前のめりになり、自然とリヒトに俺が頭を下げるような形になる。

「ごめんねリヒトくん。こんなこと言ってるけど、アヤくん人見知りですぐ挙動不審になるし、友達一人もいないから大丈夫だよ」
「ああ!?」
「それにさ、そういうことをする子じゃない。そうでしょう」
「……まあ、」
「だからおれ、教えたんだ……たぶん、」
「そ、そう、かよ……」

俺の頭の上に乗っかっていたロロの手はもう無いというのに。……なかなか顔が上げられなくて、蹲ったまま口籠っているとクスクスと笑い声が聞こえてきた。いいさ、勝手に笑ってろ。なんか上手い具合に操られていそうでムカつくけど。……今回は見逃してやる。

それから少し時間を置いてから。ロロとリヒトの俺についてのどうでもいい話が始まってすぐ、俺はようやく顔をあげてロロと向かい合う。

「次はロロだ。なんでここにいるんだよ。いつからここにいた?」
「ついさっき。いやあ、昨日はアヤくんがいないおかげでベッド占領できてよかったよー」
「……うざっ!」

あまりのウザさにリヒトの方に向きを変えると、不思議そうに小首を傾げているではないか。それから少し考えたあと、俺を見ながらリヒトがゆっくり口を開く。

「ロロさん昨日の夜もずっとアヤトの近くに、……」
「え?」

途中でリヒトの言葉が消えた。さっきまで俺を見ていた目線は、通り越して後ろを見ている。即座に後ろを振り返るとごく自然に視線を逸らされた。リヒトを見れば、口元を片手で隠して小刻みに首を左右に振っている。
……ははーん?ロロの奴、なんだかんだ言いつつ"俺を"心配してくれちゃってる系かあー?へー?

「ロロ、俺のポケモンになりたかったらいつでも言えよな」
「あは、それは一生無いから安心してよ」
「……あっそ」

ほんと可愛くねえやつ。……って、多分ロロも同じこと思ってんだろう。まあいいや。あとはいつ、リヒトとロロが知り合ったのかってことだけど。多分昨日の夜、俺が寝たあとにロロが出てきて、んで知り合ったに違いない。ロロがここに居ちゃ、リヒトに聞こうが無言で口止めされるからこれは後で聞いてみよう。




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