▼ 5
いつまでもグズグズ泣いている場合ではない。色々聞きたいことは山ほどあるが、まず真っ先に思い浮かんだのがロロとハーくん先輩だった。ハーくん先輩たちにはこれから連絡するとして、……。
「ここで待ってろ。いいか、絶対だぞ。いなくなったら一生恨むからな」
「そんなに心配なら首輪でもつけておけば?」
「おーおー、マジでつけてやろうか。四六時中引っ張ってやる」
「……ごめんってば、冗談だよ」
立ち上がりながらリヒトの頭に両手をおいてぐちゃぐちゃにかき乱すと、小さく笑いながら黒い手で制止される。
随分と長い間会っていなかったはずなのに常に傍にいたような。しかも何か知らんが、勝手に進化して勝手に俺より大きくなってるくせに中身はそのままなのも、なんか変な感じがする。
感情が爆発したあとだからなのか、今はやけに冷静でいられている。とにかく今のうちにと、何度か振り返りながら駆け足で大窓を開けて室内へ戻った。
賑やかで煌びやかな空間の中、忙しく辺りを見回しながら姿を探す。なぜか俺がひどく緊張してきた。どくどく爆音を鳴らす心臓の音を聞きながら、視線を左右に素早く動かして……沢山の料理が並ぶテーブルの間を早足で通り抜け。
「あれ、アヤくん。今までどこに、」
「ちょっと来い」
「え?」
グラスを持ちながら談笑しているロロのところまでズカズカ進み、何も言わずに手首を掴む。……そのままロロを引っ張りながら再び窓まで向かう途中。いくつか視線を浴びているのは分かってはいたが、目元を前髪で隠しながらまた早足で通り抜ける。
「何、どうしたのさ?」
「…………」
「無言、怖いなあ」
とかいいつつ、何事かと心配して追いかけようとやってきた祈を「大丈夫だから」って歩き去りながら止めてくれているところを見ると、すでに何か察してくれているに違いない。
……ロロはふざけた野郎だし、相も変わらずどこか飄々としていてそんな素振りは一切見せていないが、もしかすると今もなお、俺以上に気に病んでいるかもしれない。正直なところ、俺はあの時の弱り切ったロロの姿は今も忘れられずにいる。
「というかアヤくん、もしかして泣いてた?目が赤かったし少し腫れてるよね」
「……ほんと余計なところに気付くの超早えんだよな、お前。こっちのほうが怖えよ」
「あはは、それほどでもー」
褒めてねーし。内心で呟いてから先に大窓を通り抜けさせて、俺も出たあと窓をしっかり閉めた。静かな闇の中、窓から差し込んでいる室内の光が反射して、ロロの瞳はやけに輝いて見える。
「こんなところに突然連れ出すなんて、何か内緒の話でも?」
「……そうだな」
俺が頷くのを見てから、ハッとしたようにロロが後ろを振り返った。そうしてリヒトの姿を見た瞬間、その場で完全に凍り付く。目をこれでもかと見開いて、表情を固くリヒトを見ている。信じられないという気持ちは一緒のようだが、どうもロロの様子がおかしい。
「お、おい、ロロ、」
「……これは、何かの悪い夢かな」
「ロロ……、?」
「忘れたわけじゃない、でも、そうだ。確かに彼を見捨てたのは俺だ、……俺なんだ、」
……まずい、しくじった。顔をゆっくり伏せて目元を隠すように片手で覆うロロを見て、即座にそう思った。リヒトに会えたことを半信半疑でも狂ったように喜んでいた俺とは違ったのだ。逆にロロの傷を抉ってしまった。慌てて駆け寄ってみたが、なんと声をかけていいのかさっぱり分からずおろおろしてしまう。
「アヤト」
ゆっくりやってきたリヒトが俺の肩に手を乗せて、視線を合わせる。それに頷いてから静かに場所を譲った。顔を覆ったままのロロの目の前、リヒトがそっと腕を伸ばした瞬間、弾けるように顔をあげるロロの右手を両手でしっかり握りしめていた。それにまたロロが驚きを隠せない様子でリヒトを見る。きっと触れられたことに驚いているに違いない。夢ではなく、現実であることが信じられないのだろう。
「ロロさん」
「……リヒ、トくん、」
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。あなたに一番辛い役をお願いしてしまった。自分が救われたい一心で、あなたの心を壊してしまった」
「……、……、」
……誰かを手にかけるというのは、どういう気持ちなのだろう。俺には分からないけれど、二人はきっと知っている。だからこそ、リヒトにはきっと痛いぐらいロロの心境も分かっているはずだ。表情を歪ませたまま、一度静かに目を閉じて握りしめたままのロロの手を自分の額にゆっくり運ぶとそのまま宛がう。
「もしもまだ、おれに囚われているのならば。……もう、いいんです。背負わなくても、いいんです。……大丈夫、あなたの手はきれいなままだ」
そういって顔をあげるリヒトを、ロロは茫然と見ていた。青い瞳からゆっくり流れている涙は静かに顎まできてから床に落ちる。感情が込み上げたものではなく、ごく自然に出ている涙のような。
「ロロさん、あなたのおかげでおれは心まで死なずに済んだ。……おれを止めてくれて、救ってくれて、ありがとうございました」
「……俺は、。君を見捨てて、アヤトくんを選んでしまった。君に、取り返しのつかないことをしてしまったのに、」
「それがおれの望んだことだったから。……ロロさんには辛い選択をさせてしまったけれど、あの場でおれの意志を汲んでくれるのはあなたしかいないと思ったんだ」
リヒトが肩を竦めて言う。実際あの場で動けたのはロロしかいなかったということもあるが、それ抜きでも、俺もきっとリヒトと同じ選択をするだろう。……ロロにならば託せる。そう思わせる何かがヤツにはあるのだ。
「もしもあの時ロロさんが止めてくれなかったら、おれはこの醜い手で一番大切な人を殺してしまっていた。……それこそ死んでも救われない。むしろ暴走して、今頃どうなっていたことやら」
冗談めいて言うリヒトが俺に視線を向けてきたものの、素直に笑えない冗談に苦笑いを浮かべてみた。そんな俺すら、信じられないような目で見てくるロロになぜか居たたまれなくなる。だっていつも俺をバカにしてくるロロがしおらしく泣いてるんだぜ?ムカつくぐらい顔が整っているぶん、余計グッとくるというか……。いつぞやの詩を見ている気分だ。
「……お、お前、いつまで泣いてんだよ。そういうキャラじゃないだろ」
「……ごめん。なんか、……止まらなくて」
……妙に素直なのも気持ち悪い。服の袖を伸ばしてから掴んで、ロロの目元を適当にゴシゴシ拭うと白い肌が若干赤く染まっていた。それすらも映えて見えるから、やっぱり一発殴らせてほしい。……一発殴ったぐらいではこの綺麗な顔も崩れないかな。
「アヤくん」
「なんだよ」
「……君は、よく今のこの状況を素直に受け止められているね」
言われて一度動きを止め、それからゆっくり腕を下ろしながら視線をリヒトへと向けた。
……ロロが言いたいことは分かる。普通なら、というか絶対、一度死んだ者が生き返るだなんて有り得ない。そもそもあってはならないことだというのは、この俺でさえ分かっている。それはどの世界に行っても同じだと思うのだがしかし、リヒトは確かに生き返っている。
「……なにか、大きな代償があるはずだ。でなければこんなことありえない」
「代償……、」
最後の一粒を零してから、ロロの視線もリヒトに向けられる。何かを探るような視線に、一瞬リヒトの視線が揺らいだ気がした。
──……ふと、窓が開く音がする。トルマリンが誰も来ないようにしてくれているはずなのに。驚いて咄嗟に振り返ると、やってきた意外な組み合わせに思わず二度見をしてしまう。
「よう、バカ猫。テメエの泣き面見に来てやったぜ」
「私が説明するので、貴方は少し口を慎んで頂けますか」
「断る。俺様に命令すんじゃねえ」
イオナとキュウム。やっぱり合わない二人が、なぜ揃いも揃ってここへやってきたのか。……というか、事情を知っているはずの二人はリヒトのことを見ても全く驚いていない。そのことに俺とロロは驚きを隠せないのだが。
「もしかして、二人ともリヒトくんについて知っていたのかな」
ロロが訊ねると、キュウムはにやりとギザギザの歯を見せて、イオナは何も言わずにこくりと頷く。キュウムはともかく、イオナまで知っていたとはどういうことなのか。
「感謝しろよ、クソガキ。なんてったって、ソイツを持ってきたのは俺様なんだからな」
「はあ?……ってことは、お前か!?墓を掘り返した犯人はッ!?」
拳を握りながら睨み上げると空かさずデコピンを食らった。咄嗟におでこに両手を当てて崩れるようにしゃがみ込むとすぐさまリヒトがやってきて「大丈夫!?」なんて横から声がする。大丈夫じゃない。超痛い。言っておくが、めちゃくちゃ痛い。痛いってもんじゃない。一発ぶん殴られた感覚すら覚える痛さだ。伝説、恐るべし。
「んなくだらねえことしねえよアホが。クソ眼鏡が墓掘り返してたから、わざわざこの俺様が奪ってやったんだぜ?おら、跪いて崇めろよ」
「……いや、おかしいだろ。わけわからん」
「話が進みませんね、やはり私から説明いたしましょう」
ひとつため息をついたイオナがキュウムを押し退けて話しだす。
「ハーフを研究していた男がリヒトブリックの遺体回収のため、墓を掘り起こしていたそうです。そもそも、なぜ彼はリヒトブリックの遺体を回収しようとしたのか。……それはリヒトブリックの驚異的回復能力を知っていたからでしょう」
「驚異的?」
「ええ。例えば、……心臓を貫かれていたとしても、時が経てば穴をも塞ぐ回復力。回復力だけならば、リヒトブリックは伝説ポケモンを凌ぐといっても過言ではないでしょう。もちろんこれは、他のハーフにはない彼のみの能力のようですが」
言われてから思い返してみれば、確かにリヒトは見るに堪えない酷い怪我をしていても次の日にはほとんど治っていた。しかしここまでくると、次元が違う能力というかなんというか。リヒトへ視線を向けると、ただまっすぐにイオナを見ている。
「普通ならばリヒトブリックの回復力はあり得ません。ですから、そこには代償が伴います。……率直に言えば、リヒトブリックは他のハーフに比べてひどく短命であるようです」
「……!!」
「怪我を負うたびに、治癒するため体力の他、同時に命も少しずつ削っているイメージでよろしいかと」
つまり。……今までだけでも、リヒトはすでに沢山命を削ったことになるのではないか。思わず絶句しながら淡々と説明していたイオナからまたリヒトに視線を移して、……また驚いた。
リヒトは絶望するでもなく悲しむでもなく、黒い手を胸元に当てながら微笑んでいるように見えたのだ。俺には訳が分からなくて、食い入るようにその横顔を見てしまう。
「はっ。早死にするってーのに笑ってやがるぜ。頭がおかしいのか?」
「そうかもしれない。でもおれは今、他の生き物と同じように、おれにもきちんと終わりがあるということが分かってすごく嬉しいんだ。……長生きするのもいいと思うけれど、きっとその分寂しさや悲しみも多いでしょう」
からかったはずのキュウムがリヒトに返り討ちに合っている。的を得た問いかけだったのだろう、キュウムは分かりやすく口を噤んでリヒトから視線を外し、舌打ちをしていた。
「みんないつかは必ず終わりが来るんだ。おれはそれが、少し他より早いだけのこと。ならば尚更、悲しんでいる暇なんてないじゃないか。……そうでしょう、アヤト!」
リヒトが俺を見る。また、顔に出てしまっていただろうか。いつの間にか噛みしめていた唇から歯を離して、俺もまたぎこちなく笑ってみせると満足げに頷いてみせていた。
……そこでふと、やっと思い出して、手すりのすぐ真下に無造作に置いてあったバッグまで駆け寄り、思い切り手をつっこむ。ハーくん先輩から受け取って以来、忘れようと奥深くまで隠すように入れていたあの携帯と、それから。
「リヒト!」
片手で掴み上げて取り出して、その勢いでリヒトに向かって放り投げると黒い手がキャッチする。スッと腕を下ろしてからそれを見たリヒトが、目を丸くしながら視線をゆっくり俺に向けた。
「──アヤト、これ、」
「お前のボールだ。まさか、忘れてないだろうな」
三日月の模様が描かれた青と黒のボール。少し汚れてはいるが、磨けばすぐにピカピカになるだろう。それを掴んでいるリヒトの手に手を添えてから、力いっぱい握りしめて顔をあげる。
「リヒト。──一緒に、旅をしよう」
「……でも、……おれは、」
「お前が何をしようがどうなろうが、俺は一生リヒトの親友だって、前も言ったけど」
「…………」
リヒトがどうして渋っているのか俺には分かる。自分がいることで俺に迷惑をかけるのではないかと思っているんだろう。未だハーフを見る世間の目は厳しい。ましてやヒウンシティの事件でリヒトのことは、一部の人間にとっては根強く印象に残っているだろう。だから余計、素直に頷いてくれないのだ。
「……ここではハーフも自由に生きられる世界にすぐにはできないけれど、もしかしたらこの広い世界にはすでにそんな場所があるかもしれない。"ハーフ同士"、自由を探しに行かないか」
「アヤト、……きみは、」
「大丈夫。頼りになる仲間だって沢山いるし、……何より。リヒト、お前と一緒なら、なんだってできる気がするんだ」
大袈裟かもしれないけど、本当にそう思っている。
ここに来るまで嫌というほど何度も最悪を味わってきて、その度にみんなのおかげで立ち上がってこれたんだ。これから先も何があっても折れる気はないし、むしろリヒトがいるならば余計折れるわけにはいかない。
「だからさ、俺と一緒に旅をしよう!な、リヒト!きっとさ、死んでも忘れられないぐらい最高に楽しい旅になるぜ」
リヒトが目を見開いて俺を見る。それから不意に真顔になってから視線を一度ゆっくり逸らすと、下唇を軽く噛む。
「……やっぱり、アヤトはすごいなあ」
「?、何がだよ」
「こんなおれを、いとも簡単に救いあげてしまうんだから」
少し震えた声でそう言うと、顔をゆっくりあげて俺を見ながら手を握り返す。柔らかく細くなった目尻から小ぶりの涙がぽろぽろと零れ落ちているのを見て、思わず小さく笑ってしまった。
「……相変わらず泣き虫だな」
「アヤトには負けるよ」
再び差し出されたボールを受け取って、今度こそ、ベルトにしっかり付けて並べる。
──……やっと。やっと、だ。
並んだボールをみて、じわじわと込み上げてくる感情を押し込めるように唇を噛むと、スッと手が伸ばされて頬に添えられてから親指が唇を撫でる。噛みすぎると血が出るよ、なんていうから唇から歯を離した代わりに親指を噛んでやると即座に離れた手で頬をきつく抓られた。
うるせー、余計なお世話だってーの。潤んだ目のまま悪態をついてみたものの、リヒトの表情を見るかぎり、あまり効果はなさそうだ。