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「……じゃあ、また」

一応俺の快気祝いという名目だからなのか、以前は俺が挨拶に回っていたところだったが今回はみんなの方が来てくれた。それはありがたかったのだが、…………いや、めちゃくちゃ気疲れする。
そもそも俺は顔見知り程度の人間と話すことに慣れていない。というか苦手だ。だからそう、つまり。……もういいです。結構です。最後に来てくれたセイロンさんとは意外と話ができたと思うが、今のこの時間だけで俺のMPはほぼ0に近い。HPはあってもMPが無ければ話す気にもなれない。

「お疲れっスね、アヤト様」
「めちゃくちゃお疲れ……」

誰からだったか、ものすごい大きな花束を受け取って膝上に置いている今。花束に顔面を突っ込みそうな勢いで俯いていたらトルマリンがやってきた。ちなみに祈とエネはというと、元から社交的な性格だからなのかすでに輪の中に入っていつになく楽しそうにしていた。よかったよかった。

「なあトルマリン、あっちにバルコニーあったよな?俺しばらく一人になりたいんだけど……」
「了解っス。しばらく誰も行けないようにいたします」
「サンキュー」

賑やかな会場はやっぱり俺にはどこか居心地が悪くて、疲れてしまう。

──……なんとなく誰にも悟られないよう静かに席を立ってから、一人ひっそりと大窓からバルコニーへ出る。当たり前のように防音の会場になっていたらしく、窓を閉めた瞬間からあんなに聞こえていたたくさんの声が全く聞こえなくなった。

「……はあ」

落ち着く。静かな空間と頬を掠める夜風が心地いい。そして噂のヒウンシティの夜景が見える。高級高層ビルなだけあって他のビルよりも頭一つか二つほどでかいここは、きっとこの辺では一番の夜景スポットと言えるだろう。ロロが言っていたとおり、確かに色々な人工物の光が集まっているのもまた綺麗だ。

「なんか月がでかく見えるぞ……建物が高いからか?」

下には人工の光、上には自然の光。もしも俺が詩人だったのなら、この街を「光の街」と呼ぶだろう。そして光に挟まれているここは、まさに狭間のように思う。

「…………」

手すりに寄りかかってから両腕を乗せてその間に顔を埋める。
こうして静かな場所に一人になると、毎度思い出してしまうのは仕方がない。それでも悲しいというよりは寂しいに変わっているし、だいぶマシになったほうだと思うんだけど。

……俺は、ちゃんと前に進めているだろうか。
訳が分からないままがむしゃらに進んできてしまった感じもするが、それでも立ち止まらずにここまできた。胸を張っては言えないが、顔を見てなら言えるだろう。

俺だって、知らなかったんだ。自分の中でまさかあんなにも大きな存在になっていたなんて、全然分からなかった。馬鹿だなあ。男に向けて言った自分の言葉が、自分自身にも突き刺さっているなんて。
……話すのは苦手なままだけど。……でも、今なら。話したいことも、こんなに沢山あるのに。

「……なんでかなあ。……なんでリヒトだけ、いないんだろうなあ……」

賑やかな会場で、ふと、姿を探してしまっていた。
もしかしたらあの日のように、深くフードを被って緊張しているリヒトがいるのではないかと思って。馴染めない俺の手を、引いてくれるリヒトがいるのではないかと思って。

「夢でもいいから、……会わせてくれないかなあ」

死にたいと懇願する姿でも、血でひどく汚れた姿でも、泣きながら笑って別れを告げたあの顔でもない。
……なんでもない、ありきたりな時間を一緒に過ごしたリヒトに、会いたい。
…………ただそれだけでも、永遠に叶うことはないって分かってはいるけれど。

「…………」

手すりに乗せた、自分を抱きしめるように絡めた腕の間に顔を埋めてそのまましばらく一人でいたら、少し肌寒くなってきた。ゆっくり顔をあげて見てみるが、やっぱり泣きたくなるほど綺麗すぎる景色は全くどこも変わっていない。頬を冷やす風も冷たいままだし、夜の闇はどこまでも広がったままだった。俺を励まそうだなんて、世界はこれっぽっちも思っていない。当たり前のことなんだけど。

「……あーあ、そろそろ戻るか」

再びあの煌びやかな場所に一人で戻るのは何となく気が重いけど、いつまでも戻らないままでトルマリンに心配はかけたくはない。のろのろと手すりから離れて身体を方向転換させ、俯いたまま片手で頭を引っ掻いた。

──……それからふと、なんとなく横を見た。
部屋の明かりが届かない、暗がりの場所。バルコニーの端。……そこに、誰かがいる。

俺一人だと思っていたが、実はそうではなかったらしい。いやでも誰もここには来ていないはず。それとも俺が来る前からここにいたのだろうか。それにしては気配が無さ過ぎた。……身体を強ばらせながら警戒しつつ目を細めて見てみるが、やはり暗闇が深すぎて姿が全く窺えない。

「……そこにいるのは、誰だ……?」

乾いた喉から掠れた声で訊ねると、暗闇で何かが動く気配がした。……やっぱり、誰かいる。いざとなったらすぐ大窓まで走れるように爪先はそちらに向けて体勢を低くする。

「……出てこい」
「…………」
「そんなとこで何、──…………」

一歩。
相手が前に歩み出ると、月明りがその横顔をゆっくりと浮かび上がらせた。

──……瞬間。大きく、心臓が鳴る。
鼓動が、どんどん加速してゆく。思わず一歩後ろに後ずさって倒れる寸前、なんとか片手で手すりを掴んで踏ん張った。

「……、…………、」

声が、全く出なかった。叫ぶどころではない。本当に突然、声が出なくなっている。それでも心臓は爆音を鳴らしながら、どんどん身体を熱くする。

「……、……、」

前のめりになって片手で口元を強く押さえる。混乱する頭に加えて急に息苦しくなって荒い呼吸を繰り返しながら、その足音を聞いていた。だんだんと近づいてくる、その姿を見ていた。

「…………」

黒い獣の足が歩みでて、青い髪がさらりと揺れる。長い耳と細長い尻尾。右の手足だけポケモンのそれ。長い前髪から見え隠れする……青い瞳と赤い瞳が、まっすぐに俺を見つめていた。
それから、倒れそうなぐらい激しく脈を打つ心臓のあたりを服の上から握りしめながら、薄い唇が持ち上がるのを見る。

「──……おれだよ、アヤト」
「……、……う、そだろ、……?な、なん、で、……、」

シュヴェルツェやシュリ。同じ核で造られたハーフたち。今まで沢山の姿がまるで同じの別人を見てきたから、分かる。…………分かるんだ。

──今、目の前にいる人物が、
"リヒトブリック"本人だってこと、俺には分かる。

分かるけど、でも、どうしてそんなことが有り得ようか。ありえない。ありえないだろ。……ありえない、ことなのに。もう喉元まで熱い何かがやってきてしまっている。幻かもしれない。いや、普通に考えれば幻であるはずだ。──それでも、強く願い続けてきただけに、想いは勝手に湧き上がってくる。

「……、……、」
「──……アヤト、」
「な、……なん、……だ、だって、お前、あの時、死、んだ……は、ず……、」

驚くほどに、全く頭が動かない。とにかく今、目の前で起こっている出来事が信じられずに、なぜかぶるぶる震える全身で倒れないよう必死に踏ん張っているだけしかできずにいる。
とにかく視線を外すことだけは絶対にできず、目を見開いたまま見ていると、ふ、とヤツの口元が緩む。それからまた一歩近づいて、俺との距離を詰めて。

「そう、死んだんだ。おれは死んだ。解放されたはずだった。身も心もズタズタに裂かれるほどの苦しさや痛みを耐えずに済むと思うと、すごく嬉しかった。……何もかも全て終わって、嬉しかったんだ」
「…………、…………、」
「嬉しかった……はず、だったんだけど」

スッと伸びた手が、咄嗟に逃げようとしてしまった俺の手首を捕まえてそっと掴むと、そのまま手前に引っ張った。大きく震える脚はそのまま引っ張られた方へ傾いて、倒れるように懐に入る。背中に回された腕に力が入り、痛いぐらいに抱きしめられ。

「アヤトの姿見たら、……やっぱりおれ、……まだ、この世界で生きたい」

くぐもった声で紡がれた言葉。その言葉は、。

「どんなに苦しくてもいい、痛くてもいい。──きみの、……アヤトの傍に居ることが、まだ許されるのなら。……どんな世界でも、生きてみたいって思うんだ」
「──……、……、」

俺があの時、どれだけ願っても、絶対にもらえない言葉だった。
俺がリヒトへ必死に伝えた言葉。届いたけど、届かなかった言葉。リヒトがあの時、拾いかけた言葉を、──……ようやく今、拾い上げて。

「…………、ばか、やろ……っ」
「っ!?」

抱きしめられたまま前のめりに体重をかけて押すと、背中に回っていた腕が離れて尻餅をつく前にコンクリートの上につく。驚いた表情で俺を見上げるリヒトの前、馬乗りになった俺は燃えるように熱い手の平を握って上に振りかざしていた。
唇を血がにじむほど噛みしめながら、リヒトを見下ろしながら睨む。ぼろぼろ落ちる大粒の涙が、リヒトの頬に落ちては顎を伝って落ちてゆく。

「あ、アヤト、」
「っ今更遅いんだよバカッ!!なんで!どうしてあの時生きようとしなかったんだよッ!!なんで、っなんで勝手に死んでんだよッッ!!」
「──……ごめん」
「謝んなバカッ!!」

唇に伸ばされる手を叩き落して、とっさに振り上げていた拳は開いて胸倉を掴み上げる手に変わっていた。ぐらぐらとされるがままになっているリヒトは、泣きながら怒っている俺を見てなぜか口元を緩ませている。

「……アヤト?」

ふと、ぴたりと動かなくなった俺を不思議に思ったのか、リヒトが俺を見上げる。相も変わらずぼろぼろ泣いている俺の涙のせいで、リヒトも泣いているように見えた。
……胸倉を掴んでいた手をゆっくり解いて、そっとリヒトの胸元に置いてみる。

「……動いてる」
「──……うん」

とくとく音を鳴らしているそこから手を動かして、頬に触れてみた。涙が頬を濡らしてひんやりとしている。そのまま親指で唇をなぞってみた。柔らかく、あたたかい。……ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにも泣けてしまうのだろう。あの時、背負って運んだリヒトがひどく冷たくて硬かったからだろうか。

「──……夢じゃ、ないんだよな……?」
「うん」
「消えたり、しないよな……!?」
「……うん」

首に両腕を回して抱え込むようにゆっくり倒れて寄りかかる。少し長くなった青い艶やかな髪が乗っている首筋に顔を埋めて、一度大きく吸い込んでから吐き出した。熱い吐息に紛れて、止まらない涙が落ちてゆく。抱きしめて、また抱きしめ返されると、堪えていた嗚咽が漏れる。

「……っリヒト、俺、……ごめん、あの時、何もできなかった……っ!お前が苦しんでいても、っ言葉、言うことしか、できなくて……っ!ごめん、ずっと、謝りたかったんだ……っ」
「そんなことないよ。……アヤトだけが、おれを探しに来てくれた。見捨てないでいてくれた。きみの言葉が、存在が、今までどれほどおれを救ってくれたのか知らないでしょう?」

溢れる感情を抑えきれずに大声で泣きながらしがみついていると、ふと、肩を後ろに引かれて隙間ができる。滲む視界にリヒトを映すと、赤と青の目からボロボロ涙を零していた。拭うこともなく、静かに雫を落としながら俺を見て。

「アヤト……また、おれと出会ってくれて、ありがとう」

そう言って浮かべた笑みは、どこか幼さを残したものだった。……懐かしい、牧場でともに過ごした日々でよく見ていたその表情に、また胸がいっぱいになって情けないほど泣いてしまう。

奇跡なんてよくある言葉を信じたことはなかったが、これを奇跡と呼ばなければなんというのか。
未だ夢見心地のまま、泣きじゃくる俺を抱きしめるリヒトは確かにあたたかかった。……確かに、ここにいた。




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