▼ Re:born
このままでは埒が明かない。ずっとカプセルの中で耳を抑えたままうめき声をあげて丸くなっている姿を見て、歯がゆい思いをしていた。はじめのうちは目覚めたばかりで仕方がないと思った。しかし状況が一変してイオナさんも出かけた今。いつお戻りになるのか、もはや時間の問題だ。
……せっかくまた会えるというのに。今の状態では、とてもではないがアヤト様には会わせられない。このままで会わせてしまえば余計に苦しくなるだけだ。やっと落ち着いてきたというのに、またあの時のようにしてしまうことだけは絶対に避けたい。
「せめて、どうして苦しんでいるのか理由が分かればいいんスけど……」
「理由ですか。それは分かりますよ」
顔を上げ、答えたアクロマ氏へ視線を向ける。対して彼は、こちらを見ることはなくひたすら電子画面とにらめっこをしていた。当たり前のように忙しく動いている指先は止まることなく、そのまま話し出す。
「記憶の錯乱です。ただ彼の場合、ひたすら同じシーンを繰り返しているようですね。続く悪夢による影響といったところでしょう」
「どうすれば正常に戻せるんスか」
「それは私にも分かりかねます」
それから言葉は続かなかった。アクロマ氏は彼を研究対象としては大切に扱っていたらしいが、そうでなくなった今、最早どうでもいいというように興味を示さない。ついでに言うと、光避けに目元に開いた本を置いてソファに寝転んでいるキュレムにとってもどうでもいいらしい。彼の気まぐれ具合は、まさに伝説ポケモンといったところ。……つまり、この場で真剣に考えているのはオレだけということになる。
「──アクロマ氏。彼を別室に移しても?」
「ええ、いいですよ。動かしても良いほど回復はしておりますし、もう用も済みました」
「ありがとうございます」
ジジ。無線をいれて、ルベライト他呼び寄せる。すぐにやってきて、事前に布を掛けておいた酸素カプセルごと移動した。その間も、どうすれば正気に戻せるのかひたすら考えてみる。……リヒトという名のハーフ。オレは戦っただけで話したことはないが、アヤト様のとても大切な友人だということは知っている。であれば、どうして無下にできようか。
「トル兄、どうするのさ」
「どうするもこうするも、どうにかするしかないっス」
近くの防音室へ搬入してからルベライトだけ残し、他の部下は速やかに撤退させる。なぜならこの中身にハーフが入っていることは、オレとルベライトしかまだ知らないからだ。
もしも今、自分たちが運ばされたものの中に、あの日都市を襲った張本人がいると知れたら大きな混乱を招きかねない。実際、あの日亡くなった部下も少なからずいる。誰がどう思うかはオレたちにも分からない。だからこそ、あの事件に関わったうえで個人的な思いを秘めたままでいられる、ごく一部のものだけが知っていればいい。
「ルベライト、何か良い案は?」
「強い衝撃も与えられないとなると、彼が正気に戻る物や人を手配するか……」
「アヤト様はダメっスよ!?」
ルベライトと話していた、その瞬間。勢いよく酸素カプセルの蓋が開いた。というよりも、爆発が起こったかのように内側から弾き壊されたというほうが正しい。二人して咄嗟に後ろに飛び退いて距離を置き、すぐにでも戦えるよう態勢を整える。一気にルベライトが殺気立つのが分かる。身をもってハーフの恐ろしさを知っているからこそ、余計警戒しているのだろう。
(ルベライト、絶対に相手より先に動くな)
(……了解)
ルベライトより前に立ち、一度唾を飲み込んでから様子を窺う。いったい急に何があったのか。内心驚きながら、ゆっくり上半身を起こす姿を見守る。
「──……アヤト、……、?」
「…………」
視力がまだ回復していないと聞いている。確かに目はまだ虚ろでどこか遠くを見ているが、顔はこちらに向けられていた。ルカリオは、どんな生物でも必ず持っている波動というものが視える種族らしい。今もきっとそれを頼りに位置を把握しているに違いない。
「……聴力は、戻っておりますか」
「──……だれ、だ。そこに、いるのは、……だれ、……あれ。な、んで。おれ、……おれ、は……?」
途端、自分の顔に両手をそっと当てながら確かめるように触り始める。顔、手、身体……全部に触れると、ぴたりと動きが止まった。ルベライトに目で合図を送り、鏡を持ってくるよう指示する。
目覚めたばかりの彼は今、未だ現実と夢の狭間にいるだろう。ここはどこなのか、生きているのか死んでいるのか。それすらきっと分かっていない。
「リヒトさんと、お呼びしても?」
「……あなた、は。……たしか、あのとき、たたかっ、」
視線が合った。瞬間、飛び起きたと思ったらすごい勢いで部屋の隅へ行き、タオルを頭から被ってうずくまる。全身をぶるぶる震わせながらひたすら壁に向かって謝り始めるではないか。もしも何も知らなかったのなら、ただの変人で終わるところだが。
オレは知っている。……彼が殺戮を繰り返していたのは、操られていたからだということを。そしてそれが、彼にとって不本意だったということも。あの日が彼の最期であり、そして彼の時が止まった日だ。
……つまり。今の彼はまだ、あの日の続きを生きている。
「──リヒトさん、」
「っごめんなさい、ごめんなさい……っ!おれ、おれは、もうこんなことしたくないんだ!だから殺してほしいと願ったのに、ちゃんと殺してもらったはずなのに!なのに、どうして、なんで、!なんでおれは、!?」
「リヒトさんッ!!」
駆け寄り、肩に片手を置くと見てわかるぐらい飛び上がってから、恐る恐るこちらを振り返る赤い瞳。片方は移植したものらしいが、すでに馴染み初めているのかひとつの瞳が青と赤の二色に綺麗に分かれて染まっている。
「……分かりますか。貴方の名は、リヒト。そうですよね」
「──……は、い、」
「そして貴方が探している人は、アヤト様。そうでしょう」
「……は、い。はい、そうです。そうです……っ!」
見ていられないほど怯えて震えてボロボロと涙を流しているこの彼が、本当にあの日の彼と同一人物だとは到底思えない。無表情に殺戮を繰り返していたのが、まるで幻のように思えるほどだ。鏡を両手に持ちながら戻ってきたルベライトは、じっと彼を見ながら未だ距離を開けたまま立っている。
「いいですか、よく聞いてください。リヒトさん、貴方は一度死んで、また生き返ったのです」
「なん……、なんで……、ですか、そんなの、有り得ない、……」
「詳しいことは後でお話があるでしょう。まずは一旦落ち着いてください。それと、もう貴方は操られていないので怯えることはありません」
「…………」
振り返り、ルベライトに視線を送るとゆっくり彼に近づき持ってきた鏡を差し出した。警戒しながらそれを見て、そっと受け取り自身の姿を鏡に映す彼を見る。一度大きく開いた目はずっとそのまま見開かれたままである。それもそうだ。昔の面影はあるものの、自身が知らない間に勝手に成長させられているのだから驚かないほうがおかしい。再び全身をゆっくり触りはじめる彼の横、オレを挟んで隠れるように後ろにいるルベライトに視線をむける。
「もう人見知り発動っスか、ルベライト?」
「否定はしないよ。あと、ただ単に近寄りにくいだけ。……いくらアヤト様のご友人だとしても、ハーフはハーフだ。またいつ何をするか分からない。警戒するに越したことはないでしょう」
「それはまあ、そうっスけど……」
トルマリン、貴方は警戒心が足りません。、イオナさんから今まで何度言われてきたか分からない。もちろん痛い目も見てきた。それでもオレは、疑うよりは信じてみたい。アヤト様が信じた彼を、オレも信じてみたいのだ。
「それじゃ、ルベライト。リヒトさんはオレに任せて、まずは食事の用意っス。消化の良いものを少量。ああ、衣服はオレに任せて」
「……何かあったらすぐ連絡を」
「了〜解」
ふざけ半分に敬礼を返すとルベライトに睨まれてしまった。心配してくれているのは分かっているけど、何もあんな目で見ることないのになあと思いつつ、部屋を出ていく姿にひらひら手を振った。
「さて、と」
視線を向けて片手を差し出すと、あからさまにビクリと身体を飛び上がらせる。それを見て慌てて引っ込めてから、屈んで視線を合わせた。
「安心してください、何もしません。ああ、私はトルマリンと申します」
「……トルマリン、……もう一人はルベライトと言っていた……宝石の、名前だ」
「その通りです。よくご存じですね」
「──……本、好きだったから」
視線を下げて答えると、察したようにゆっくり立ち上がってオレを見る。未だにふらつきはあるものの、すでに体力も自身の力で立てるぐらいには回復しているようだ。聴力・視力も今の短時間で戻ってきている上、会話もできる。
……これならば。
「さあリヒトさん、準備をいたしましょう」
「準、備……?」
「ええそうです。まずは、貴方自身の準備を」