20

ロロと二人、部屋に戻ってきて真っ先に目に入った人物に咄嗟に「マズい」と思った。案の定、俺を見るなり顔をぐしゃぐしゃにしながら走ってきて、そのままの勢いで正面から抱き着いてくる。いつもなら鬱陶しくて1秒立たずに押し返すところだが。……そういや俺は、母さんたちもいたときにいなくなったんだと思い返すと、無理やり剥がすこともなんとなく躊躇ってしまう。

「アヤくんん……っ!よかった、見つかってよかったああ……!」

みっともないぐらいに泣きながら「よかった」と繰り返す母さんに抱きしめられながら、ああ、この人も母親なんだとなぜか今になって改めて思った。確かめるようにボロボロ涙を落としながら頭を撫でたり頬を触って、俺の腕の怪我をみてまた泣く。

「っごめん、ごめんねアヤくん、私が言わなかったからこんな、」
「違うって。俺が勝手にいなくなったのが悪いんだ。……心配かけてごめん。でももう大丈夫だから」

さらに強く抱きしめられて、ついでにもっと泣かれてはもうお手上げ状態だ。泣いている母さんはあんまり見慣れないから、なんだか変な感じがする。うざったい気持ちの中に奥深い罪悪感が渦巻いているような。

「ひよりちゃん、グレちゃんがアヤくんと2人で話がしたいって。さ、俺がお茶を淹れてあげるから一緒に別室にいこう。少しは落ち着くかもしれない」

ロロの言葉に内心めちゃくちゃ驚きながら少し離れたところにいた父さんを見ると、父さんも目を見開きながらロロを見ていた。それからロロに視線を移すと、父さんに向けて器用にウインクをしているところだった。……やられた。ていうか俺たちを二人きりにしてどうする。地獄の無言空間ができあがってしまうではないか。

「グレちゃん、そうなの……?」
「……あ、ああ」
「うん、それなら……アヤくん、また様子見に来るね。大人しく寝てなくちゃだめだよ」

そういうと、1人何も知らない唯一の頼み綱である母さんは俺から離れ、鼻をすんすんさせたままロロに連れられて、とっとと2人で部屋を出て行ってしまった。
……案の定、母さんの泣き声がなくなった今。部屋は一気に静まり返ってしまった。ああ……これならあのうるさい声があったほうがまだマシだ。

「…………」

とにかく何か音を出さなければと、とりあえず点滴スタンドを引きずりながらベッドへ目指してゆっくり歩く。ガラガラペタペタ。ゆっくりしか歩けないところ、さらにわざと速度を落として歩いていた。痛いほど気を遣う視線を感じているが、なんとなく顔はあげられずに下を向いたまま歩みを進める。

「アヤト」

唐突に呼ばれた名前に思わず顔をあげてしまった。父さんを見ると、ベッド横にある椅子に視線を向けてから俺を見て言う。

「そこに座ってもいいか」
「……別に、いいけど」

もう腹をくくったのか。それとも死ねるレベルの気まずさを感じているのは俺だけなのか。すでに会話をする手順を踏み始めている父さんに、変な緊張を覚える。……そういえば、父さんとまともに会話をしたのはいつのことだったか。もはや思い出せないぐらいの月日が経っていることは確かだ。

そしてとうとう、俺もベッドにたどり着いてしまい、ゆっくり端に腰を下ろすと次いで父さんが椅子を引いて静かに座る。……真正面ではなくて斜めの場所に座っているからまだあれだけど、いやでもなんなんだこの感じ。やけに緊張する。実の父親に対してこれだ。俺の父さんへの苦手意識はきっと普通じゃない。

「怪我の具合はどうだ?」
「え、……ああ、まあ。痛いけど平気」
「そうか。ひよりの言う通り、まだ大人しく寝ていないとダメだぞ」
「……はあ」

腕を軽く擦りながら返事をすると、一度会話が途切れる。……会話第一弾、終了ってか。短い、短すぎるぞっ!?なんだ、今度は俺が話題提供する番なのか?ていうかこの時間、マジでなんなの??

「……悪い、アヤト。お前が俺に気を遣っているのは分かるし、俺のことが苦手なのも分かっている」
「あ、ああ……うん」

図星すぎて「え〜?そんなことないよ〜?」なんてふざけることもできなかった。苦笑いしながらそういう父さんを見て、人差し指で意味もなく自分の頬を軽く引っ掻いてみた。……俺ってそんなに、態度に出やすかったっけ。

「アヤトは憶えているかどうか分からないが、お前が小学生の頃、俺に何度も俺自身のことを聞いてきたことがあったんだ。……ただ俺は、曖昧に誤魔化して何も答えなかった。その時から、何となくアヤトが俺のことを避けるようになった気がしているのだが」

父さんを苦手になったきっかけなんて憶えているわけがない。でも、今の話はぼんやりと覚えている。確かに俺は、父さんのことが知りたかった。どうしてそんなにかっこよく動けるのか、今まで何をしてきたのか。とにかく何でもいいから知りたかったのだ。でも結局、何も知ることができなかった。全部流されてしまったからだ。

「……言われてみれば、そうかも知れない。でも今更、なんでそんな話するんだよ」
「あの時答えられなかったことを今なら全て話せるからだ。随分と遅くなってしまったうえ、もうアヤトも俺のことはどうでもいいと思うが……少し聞いてくれると嬉しい」
「なんでそんな、……」

揺れる黒髪と碧眼を見ながら、ふと、気づいた。……まさか、俺に自身がポケモンだったことが知れたから話せるようになったっていうのか……?言葉の途中で黙り込む俺に気付いたのか、ぎこちなくフッと笑うと人差し指で頬を引っ掻く姿を見せる。

「話したくても、話せなかったんだ。……あの時は悪いことをしたとずっと思っていた。ふてくされてひよりのところに行くアヤトの姿が今も忘れられないぐらいだ」
「相手は子どもだぜ?テキトーに作り話でもしてくれれば良かったのに」
「子どもでもアヤトに嘘は吐けない」
「……クソ真面目かよ」
「そうかもしれないな」

ベッドに乗せている片足に片肘をついて頬を支えながら言い捨てると、なぜか父さんは柔らかい表情で俺を見ていた。それに思わず目を背ける。……だめだ、完全に親の眼差しになっている。なんなんだこれは。最近、俺が悪態を吐けばそれ相応の皮肉が返ってくる相手とばかり話していたせいか、なんだか変な感じがずっと続いている。こそばゆいっていうのか、これは。

「ずっと隠していて悪かった。……俺は、ゼブライカというポケモンだ。向こうにいるときは完全に人間だったが、こっちの世界に戻ってきたら元に戻ってしまったらしい。だから今だけ俺もハーフなんだが」
「今だけ?」
「ああ。まだポケモンに戻っている途中らしく、ポケモンの姿でいられる時間が限られている」

口に出しては言わなかったが、本来ポケモンのくせにつくづく変だと思った。にしても俺の思っていたとおり、向こうの世界にいたときは父さんもちゃんと人間だったことに本当に安心した。俺はやっぱり人間だったんだ。こっちに来てから、おかしくなったんだ。……自身もハーフだというのは薄々受け入れ始めたけれど、今のことだけで安心感が倍増した。

「アヤト、聞きたいことはあるか?今なら何でも話せるが」
「え、……」

突然話を振られて動揺してしまった。だって急に聞かれてもポンと質問が出てくるはずがなく、少し悩んでからそもそもを訊ねる。

「父さんはいつ母さんと会ったんだ?母さんはゲームのシナリオに沿って旅をしていたって言ってたけど」

母さんが学生の頃、俺からしたらとんでもない昔のように思うが、その頃に一度こっちの世界に来ていたことはすでに聞いている。その時にロロたちと出会っていたことも知っているが、父さんとの出会いはまだ聞いていなかった。……別に、そんなに興味はないけれど、とりあえず聞いてみようと思った次第である。
そんな俺のことは露知らず、父さんは思い出すように視線を少し上にあげて話始めた。

「ひよりと会ったのは夜の森の中だ。こちらの世界に来たばかりで、手持ちポケモンもいなくて途方に暮れていたらしい。その時、野生だった俺がたまたま通りかかって……」

ちゃんと聞いている。聞いてはいるが、今目の前にいる父さんが本当に俺が超がつくほど苦手な父さんなのかと疑ってしまうほど信じられなかった。……こんなに話しているところ、初めて見た。仏頂面ばかりだと思っていた表情は話しながらコロコロ変わって、まるでこんなの別人で驚きを隠せない。
いつだったか、ロロが父さんについてこんなことを言っていた。「君が思っているよりもずっと面白くて人間味あふれるヤツだよ」って。今になって、確かにそうかもしれないと納得しそうになっている。

「……悪いなアヤト、俺ばかり話してしまって。俺はあまり話すのが得意ではないから、つまらないだろう」
「そっ、……そんなこと、……ない。……知らなかったことばっかだから、……その、聞いてて、……楽しい」
「……そうか、それはよかった」

妙に照れくさくなってしまって顔を伏せるように視線を落とす。直前、嬉しそうに目を細める表情が見えてより一層視線をあげられなくなってしまった。
……小さい頃は、父さんが大好きだった。よく遊んでくれたし、何より運動神経の良い父さんはヒーローのように見えていた。それがだんだんと距離を置き、いつしかあんまり話さなくなって。
で、今。……俺は気づいてしまった。もしや俺は、勝手にこういう人なんだと思い込んで苦手になってしまっていただけで、今でも心の奥底では、父さんに対する思いは子どもの頃とあまり変わっていないのではないか、と。

「アヤト、こんなことを聞くのはおかしいと思うが、その……俺はきちんと"父親"になれているだろうか」

突然、一転して沈んだ口調で尋ねる父さんに若干戸惑いながら返す。

「どうしてそんなこと聞くんだよ」
「……俺は、親というものがどういうものか分からないんだ。俺は自身の親を知らない。死んでいなくなったのか、はたまたトレーナーに捕獲されていなくなったのか、それすら分からない。……だから不安なんだ。アヤトのためになることをしたいが何をしたらいいのかさっぱり分からず、いつも気を悪くしてしまう」

苦笑いする父さんを俺は口を半開きにしながら見ていた。……え?それ直接俺に言う?普通、誰かを通して聞いたりしない??
しかしもう聞かれてしまった以上、俺が答える他ない。頭をガシガシ掻きながら必死に返答を考える。あーもう、ド直球というかやっぱりクソ真面目というか。

「……別に、父さんが親を知っていても知らなくても関係ないと思う。ていうか、俺が生まれた時点でもう父親になってるんだよ。……どんな父親だって、俺にとっての父親は父さんしかいないんだし」
「……そうか」
「そーだよ。それに……、別に、俺のためにとか考えなくていいってば。いてくれるだけでいいよ。……ってーのは冗談で!余計なお世話だってーの!!」

思わず口を滑らせてしまったのを早口で流したものの、当たり前のようにばっちり届いてしまっている。驚いたように切れ長の目を丸くしてから、また嬉しそうな照れくさそうななんとも言えない表情で笑うのを見た。……父さんがこんなにも笑っているのも、今まで見たことがなかった。
なんか思っていたよりも案外、。

「案外、アヤトに好かれているようで安心した」
「すっ!?す、好かれてねーし!っ自惚れんなクソ親父!」
「?、俺は今も昔も、アヤトが好きだぞ。……俺の自慢の息子だ」
「〜〜っだー!!なんっでそういうこと普通にいうかなあっ!?!?」

両手で頭を掻き乱しながら左右にめちゃくちゃに振った。どうしてかって?こうでもしないと言われた俺が恥ずかしすぎて死にそうだからだ。見たくもないが、きっと言った本人は「どうしたんだ?」と不思議そうに俺を見ているに違いない。絶対そうだ。
頭を振るのにも疲れてきて、ゆっくり速度を落としながら俯いたまま頬の熱を冷ましていると。ふと、頭に重みを感じる。そっと乗せられた手が優しく左右に動いた。

「アヤト、ありがとう」
「……別に」

ロロとはまた違う撫で方だ。無暗に振り払えない、心地いい感じがする。

「アヤト」
「……なに」
「ここまでよく、頑張ったな」

その言葉に思わず顔を上げると、青い瞳と視線が合った。見慣れた顔が、そこにある。

「俺はここまで一緒にいなかったから詳しくは分からないが、きっとお前はこれまで向こうの世界では経験しなかったことを沢山経験してきただろう。楽しいことも、嬉しいことも、……悲しいことや辛いこと、痛いことも数えきれないほどあっただろう」
「…………」
「そういうことを全部含めて、ここまで来れたことはすごいことだ。……本当に、すごいことなんだ。後悔していることも山ほどあるだろう。でも大丈夫だ。みんな、お前が頑張っていることを知っている。みんな、アヤトのことをちゃんと見ている」

まるで全部を知っているかのような物言いに反論したくもなったが、……確かに今、俺は俺自身が貰いたい言葉を貰っている最中なのだと感じていた。……あークソッ。父さんの前で二度も泣きたくなんてないんだけど。必死に唇を噛んでもぼろっと涙が出てきてしまう。
それでも父さんは言葉を続ける。静かに、そして丁寧に低音で紡がれる言葉が否が応でも心までやってくる。

「お前がどんな選択をしてきたとしても、それが今に繋がっているのなら選んできたことは決して間違ってなどいない。そのまま胸を張って、突き進め」
「……っんなこと言われなくてもっ!進んでやるよ……っ!」
「そうだな。しかしまあ、今はしっかり休む時だ。……早く治して、みんなを安心させてくれ」

そういうと撫でていた手を下ろして椅子を引いて立ち上がる。必死に泣くのを抑えている俺に気を遣ってなのか、はたまたごく自然なタイミングでなのかは分からないが、そのまま扉まで歩いていってそっと部屋を出て行った。

──……瞬間、糸が切れたようにそのまま布団にうつ伏せにぶっ倒れるように寝っ転がって、枕に顔を押し付けながら無意味に声を出して泣いた。くぐもった自身の声が嫌に響くが、そんなの知ったこっちゃない。
どうして泣いているのか、もはや自分でも分からなかった。父さんに言われた言葉が嬉しかったからか、今までのことを思い出しているからか。なんとなくどれも違う気がした。ただどうしようもない感情を吐き出しているような感覚だった。


……今はまだ、どこへ進めばいいのか分からない。それでも、俺は絶対に止まりはしない。リヒトに言われたからではない。父さんに褒められたからでもない。
俺自身が、そう決めたからだ。どこまでもどこへでも進んでいってやる。後悔だらけでも、それでも正しかったと思える日まで、進み続けてやるさ。




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