19

エネに聞いたことだけど、ここはセッカシティのポケモンセンターらしい。
気付いたらいつの間にかまた眠っていて、起きたときにはすでに真っ暗になっていた。誰かがカーテンを閉めてくれたのだろう、仄明るく光るランプを眺めてからゆっくり起き上がりベッドの端に座って両足をそっと床に置く。……力は入りそうだ。まだ痛む全身に一瞬だけ力を入れて立ち上がり、点滴スタンドを片手に持ってガラガラ引きずりながら窓の近くに立った。そっとカーテンを手の甲で開けてみると、窓ガラスは白く曇っていていかにも外は寒そうな感じがする。

「……あ、月が見える」

曇っている窓ガラスを手の平で何度か擦ってから外を眺めると、やっぱりそこには月がある。寒いだけで雪は降っていないらしい。……一度、部屋を見回してから悩んだ。誰にも言わずに部屋を出てもいいものか。またエネに心配をかけたくないが、みんなが今どこにいるのか俺は知らない。

「……」

結局。少しだけならいいかと思い、再びガラガラと音を立てながら点滴スタンドを杖替わりにしてゆっくり扉に向かって歩き出す。大きめのスリッパが何度も脱げそうになりながら、いつもよりだいぶ時間をかけてスライド式の扉の前にたどり着いた。
今が何時だか分からないから、なるべく静かに扉を開けて一歩部屋から出たとき。目の端に黒っぽい何かが映って反射的に視線を向けてみて。

「っおわあああっ!?!」

思わず全身をびくりと飛び上がらせた瞬間、倒れそうになった点滴スタンドと俺の手を慌てて掴んで引っ張るソイツ。照明が点いていて明るいが誰もいない静かな廊下に一瞬だけ鳴り響いた大きな音と、自分の心臓が発している爆音を聞きつつ顔をあげる。俺と同じぐらい驚きで目がまん丸になっている、色の違う黄色と青色の瞳が視界に映る。

「ごめん、そんなに驚くとは思ってなくて、」
「バッカ驚くに決まってんだろッ!?まさか扉開けてすぐ横に誰かいるとか思わねえじゃん!!」
「それもそうだ」

あはは、なんて笑いながら俺の手を離すと、点滴スタンドと俺の腕に刺さっている針の具合を見る馬鹿猫ことロロ。これもエネから聞いたことなんだけど。ロロもバトルやらなんやらで色々怪我をしていたようだが……パッと見では分からない。もう回復したのか、はたまたいつもの隠し上手を発揮しているのか。

「うん、大丈夫そうだね。で、アヤくんはどこへ行くつもりかな?」
「センター内をちょっと歩こうと思っただけだってば。……黙ってどっか行ったりなんかしないから」
「そう。なら、お供しても?」
「…………別に、いいけど」

俺今歩くのめちゃくちゃ遅いぞ。、そう付け加えてみたものの、それでもいいよと笑顔で返されてしまった。それからガラガラペタペタ、点滴スタンドとスリッパの音だけが廊下に響く中、無言で二人ゆっくり歩き出す。
……あれ、俺、ロロと今までどう接していたっけ。今まで気にしたこともなかったのに、今になってソワソワして仕方がない。なぜだ。なんか気持ち悪い。そしてなぜかロロも同じようで、気遣う素振りは見せているものの、いつものほぼゼロ距離パーソナルスペースが効力を失っていた。

「……なんで部屋の前にいたんだよ。入ってよかったのに」
「なんとなく入れなかったんだ。気にしないでよ」
「……。眼帯は?」
「シュヴェルツェくんとキャラ被るから外した」
「マジか」
「ウソ。こっちもなんとなくそうしてるだけ」
「……なんなんだよ」

平気な方の手で拳を作ってからロロの脇腹あたりを軽く小突くと、大げさに横にふらりと傾いてからまたすぐ戻る。……こんな他愛もない話をするのはいつぶりだろうか。随分と久しぶりな気がするんだけど。

「……なあロロ。なんでお前は知ってたのに言ってくれなかったんだよ」

立ち止まって、一歩先のロロを見ながらわざと怒ったように尋ねる。実際、もう怒りはほとんどない。隠されていたとことに対しての戸惑いや失望感はまだあるが、人に当たるまでの熱量はもう持ち合わせていなかった。しかしそれでも、聞いてみたかった。この世界に来て、一番最初に出会ってから今までずっと一緒にいてくれたロロには、直接本人の口から聞きたかったのだ。
ロロは一度視線を逸らしてからまた戻し、重たい唇をゆっくり持ち上げ口を開く。

「言おうかどうか迷ったことはもちろんあったんだ。嘘じゃない。なるべく早めに言おうとは思っていた。……でも君は、出会ってしまった」
「──……リヒトか」

偶然か必然か。どちらにしても、俺はハーフであるリヒトに出会ってしまった。それが、ロロが俺に隠し通そうと決心した最大の要因だということだ。……そういわれてしまったら、もう俺は何も言い返せない。確かに、リヒトと出会っていなければハーフというものがどのようなものか、どんな扱いを受けるのか全く知らずにいたに違いない。そしたらロロも早く言えて、俺もすんなりとはいかずともそれなりに冷静に受け入れられていたはずだ。しかし、結果はこういうわけで。
……結局のところ、リヒトと深く関わってしまったからこそ知ってしまった俺を無暗に怯えさせないように隠していたというのがロロの理由の1つなのだろう。

「でもさ、俺、」

再び歩きだしながら横に並んで顔をあげる。

「リヒトと出会ったことや関わったことが間違いだったなんて、絶対に思わない。アイツがいたからこそ、俺はここまで来れたんだ」
「──……そうだね」
「あー……その。…………ロロがいてくれたからっていうのも、……ある、かも、……なんだけど」

黄色と青色の瞳がより大きく見開いたのが見えてしまって、咄嗟に顔を背けてしまった。恥ずかしがったら負けだと思いつつ結局負けてしまった俺は、また口に出したあとにめちゃくちゃ後悔している。現在進行形で、それはもう頭を抱えたいぐらいのレベルで後悔中だ。
……案の定、隣からクスクスと抑えきれない笑みが聞こえてきた。次いで発動されるゼロ距離。後ろから抱え込まれそうになりながら頭をわしゃわしゃと撫でまわす手を必死に払うが、どうして片手だけで応戦できようか。いつの間にか両手で頭を撫でまわされて、かき乱された髪の束が目元に覆い被さる。これ元はどこにあった髪だろう。後頭部かな。

「なんだよアヤくんー可愛いこと言わないでよー」
「言ってねーし。てかいい加減やめろってば」

やっと掴んだ腕を下ろすが、また上がって俺を撫でる。……あーあ、もう知らねー。無視して一人で歩き出そうとすると、今度こそ腕が下ろされた。それから歩みを合わせてロロが言う。

「……隠してて、言わなくてごめん。みんなに口止めしていたのは俺なんだ。あわよくば、このままずっと隠し通せたらって、思ってた。そんなの絶対無理なのにさ。……本当に、ごめん」
「…………」

横を見ると、ロロも俺を真っ直ぐ見ていた。何といえばいいんだろうか、真剣な表情の中に隠された感情が滲み出てきているような。……一度。視線を逸らしてから前を向いて歩き続けた。長い廊下の先、出入口がやっと見えた。外はどれほど冷えているだろうか。

「……俺、さ。父さんが人間からポケモンに変わったのを見て、めちゃくちゃ驚いた。そりゃもう、ものすごく混乱した。訳分かんねー!ってなったんだ」
「うん」
「でもそれ以上に、なんでみんな俺に教えてくれなかったんだって思ったよ。長い時間、ずっと一緒に過ごしてきたのに俺だけ知らずにいたことが、なんか……除け者にされた感じっていうか、裏切られた感じっていうか……」
「みんなが黙っていたのは俺の判断だよ、だから、」
「違う、ロロに謝らせたいわけじゃない。……俺が、謝りたいんだ」

出入口の少し手前。立ち止まり、向かい合ってから今度は俺がロロを真っ直ぐ見る。すでに漏れてきている冷気に少し体を震わせてから口を開く。喉を通る空気もどこかひんやりとしていて、清々しいものだった。

「……勝手にいなくなってごめん。心配かけてごめん。みんな俺を思ってのことだってこと、もう分かってるから」

……そっか。ロロの声を聞いてから自動ドアを抜けると、一気に冷気が全身を覆う。思っていた以上に寒かったが、やっぱり雪は降っていなくて綺麗な月が空にはあった。白い息を小刻みに吐きながら、ただひたすら空を見上げる。一体俺は何をしているのか、自分でもよく分からない。
ただ、そう。あの月も、やっぱり変わっていなかった。俺が何をしていようが、笑っていようが泣いていようが。何もかも、変わっていないのだ。嬉しいような悲しいような。なんか不思議な気持ちになる。

「ねえ、アヤくん」
「なんだよ」
「前にエネくんに"愛とは何か"って聞かれたときの答え、一緒だったんだよね」
「それがどうしたんだよ」
「ならば俺ははっきり言える。アヤトくん、どうやら俺は、君を愛しているようだ」
「…………あのなあ、」

思わず大きくため息を吐いてしまった。ていうか、上着を俺に掛けながらそういうこと言うか普通?……いや、正直に言うと、もしも俺が女だったならば今のはコロッと落ちていたかもしれない。しかし、しかしだ。俺は男なわけで、落ちるどころか今は呆れて横目で見るしかない。ああ、上着はあったかいから返さないけど。

「なんでロロもエネみたくなってんだよ……」
「いや違うよ。俺の君への"愛してる"には恋慕の気持ちは欠片もないよ。ありえない」
「あったら困るし、俺そういう目でお前のこと絶対見れないから。……おえ」
「あはは、それはごもっとも」

改めて考えてみると、俺とロロの関係はなんと表せばいいのか分からなかった。仲間……ではあるけれど、なんかしっくりこないし、かといって友達というわけでもなく。……名もない関係。しかしそれが残念なほど心地いいことに違いは無い。

「つまりさ。見返りとか無しで、アヤトくんのために何かをしてあげたくなってるんだよね。祈ちゃんもエネくんも詩ちゃんも、きっとイオナくんやシュヴェルツェくんも一緒だ」
「…………」

それを愛というのなら、俺は今までどれほどの愛を見逃していたのだろうか。ついには気付かず、自ら捨てて逃げ出してしまっていたなんて。
ずいぶん冷たくなった鼻先を指先で擦ってから鼻をすする。頬は冷たいのに熱くなっている気がする。色々ごまかすように首をすぼめて借りた上着に顔を隠すようにしてみたが。……ロロの匂いが染みついた上着に余計感慨深くなってしまって。

「そう、例え君がこの世界に弾かれたとしても、打ちのめされたとしても。……必ず、俺たちの誰かが君の手を掴んでみせる」
「…………」
「──だってみんな君のことを、アヤトくんのことを、愛しているのだから」

その言葉に顔を伏せたまま無言で頷いてみせると、クスリと笑ってからまた飽きずに俺の頭を乱暴に撫でる。そうして俺の肩に片腕を抱くように乗せると、まるで居酒屋に向かうおっさんのごとく大股でセンターに向かって歩き出した。……だから俺は、今はそんなに早く歩けねえってーの。

「ほら、戻ろう。これで風邪なんかひかれたら、みんなに俺が責められちゃうじゃん」
「……それ、いいな」
「よくない!」

鼻水を啜って目元をひっそり拭う。そうしてふらふらしながら、でもどこか楽しい気持ちでセンター内へ戻ってゆく。

……それを愛というのなら。きっと俺も、もうみんなのことを愛している。きっと、たぶん。でもそんなこと、ロロみたいに口に出して言うことなんて絶対にできないんだけど。

いつか言えたらいいなあと、ロロを見ながらひっそり思った。




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