18

次に目が覚めたとき、真っ白いベッドの上に寝ていた。場所はどこだか分からないが、いやそれよりも意識が戻ってくるのと同時に身体中の痛みも一緒にやってきた。特に手酷くやられた腕は言葉にならないほどめちゃくちゃ痛い。それでも斜め上横の方でぶら下がっている薬剤入りのバッグを見れば、なんとなく安心した。安心ついでに大きく息を吐き出すと、すぐさま横でガタリと椅子の音が鳴る。

「アヤト!目が覚めたんだね……!」
「い、祈……いつからここに、」
「具合はどう?気分悪くない……?」

今にも泣きそうな顔で聞いてくるもんだから、慌てて身体を起こそうとするとすかさず肩を抑えられた。仕方なく急いでうんうん頷いて見せると、今度は祈がほっと息を吐く。それから絹のように白く滑らかな髪を少し手で避けてから、祈の手が俺の頬に柔らかく触れた。ガラス玉のような水色の瞳が潤みながらこちらを見ている。

「アヤト、……戻ってきてくれて、本当によかった」
「…………」
「待ってて、今みんなを呼んでくるから」
「まっ、待ってくれ!」

手を離してから足早に離れようとした祈の手首を掴んで引き留める。今度こそゆっくり上半身を起こしながら振り返って立ち止まる祈の前で、……やはり、視線を落としてしまった。こうなってしまったらもう顔は上げられない。口ごもりながらなんとか言葉を出そうとするが、あと一歩が踏み出せない。

「祈……その、……お前は、……」

なかなか出てこない言葉の途中。祈が再び椅子に座って、両手で俺の片手を握り締めてきた。思わず顔をあげると、柔らかな笑みを浮かべて目を細める。

「大丈夫、ゆっくりでいいから、続けて」

……ああ、そうか。祈はニンフィアだから、きっと俺が今どんな気持ちで何を言おうとしているかは何となく分かっているに違いない。それでも先に答えは言わずに、俺の問いを待ってくれている。ただそれだけのことが、どうしてこんなにもあたたかいのか。力を、勇気をくれるのか。
唇を一度舐めてから、真っ直ぐ祈を見たまま問う。

「祈は、……俺がハーフだってこと、……知っていたのか……?」

少しだけ間を開けて、ゆっくり頷く姿が目に映る。……案外。自分が思っていたよりも衝撃は少なくて、"やっぱりな"という気持ちの方が圧倒的に上回っている今。手を引っ込めようとすると、追いかけるように手が絡みついて解けない。

「……いつから知ってたんだよ」
「きちんと分かったのはニンフィアに進化してから。それまではよく分からなかったし、気にしたこともなかったよ。……だって、人でもポケモンでもハーフでもアヤトはアヤトでしょう」
「…………」
「前にアヤト、わたしが進化したときに言ってくれた。"姿が変わっても、祈は祈だよ"って。それと一緒だよ、アヤト。わたしはアヤトがハーフだってなんだって、ずっとあなたの相棒だから。……嫌だって言われても、離れないよ」
「──……はは、……そっか、」

冗談のような言い方で言葉を付け加えた祈を見て、使えるほうの片手で前髪を掻きあげながらぎこちなく小さく笑うと、祈がふっと笑みを浮かべる。
……実は、簡単なことだったのかも知れない。逃げ出さず、真正面からこうやって聞いていたのなら、案外簡単に悩みは消えていたのかも知れない。
それでもここまで来るまで、俺自身が自分を受け止めて聞けるようになったのはきっと今までのことがあったからだ。何も無駄なことはなかったんだと思いたい。

「それじゃあ、みんなのこと呼んでくるね。みんなアヤトのこと、ずっと待ってたの」
「……そう、かなあ」
「そうだよ」

手を離して小さく手を振ってから扉を抜ける祈を見送り、また静かになった部屋で一人、自分の両手を眺めた。
祈は俺がハーフだということを気にしたことが無いと言っていた。言われてみてハッとしたのは確かだ。……確かに俺も、リヒトがハーフでも気にしたことは無かった。気に掛けることはあったが、確かに普通に接していたんだ。

「……そっか、そうだったんだ」

なんとなく、自分の中でも答えが出せた。合っているかどうかはともかく、そう思えるようになったことが素直に嬉しい。
……それはそうとして。
あからさまにバタバタと足音が聞こえているから今のうちにどんな顔をすればいいのか考えておかないといけないんだけども。もう間に合いそうもない。

「っアヤトくん!!」

勢いよく開けられた扉から飛び込んできたエネは、そのままベッドまで走ってきて俺の懐目がけてダイブする。もう点滴なんてお構いなしだ。咄嗟に針が刺さっているほうの腕をあげて退かした瞬間、腹のあたりでくぐもった声が聞こえた。祈とはまた違った、ピンク色の鮮やかな髪色はやけに眩しく見える。

「アヤトくんのバカあ……!なんで勝手にいなくなっちゃうんだよお……っ!」
「その、……色々あって、」
「色々あってもいなくなっちゃダメえ!ぼく、すっっごく心配したんだからあ!」
「……ごめん」
「許すっ!戻ってきたから許してあげるう!!」

バッ!と顔をあげて叫ぶように言うとまた顔を毛布に埋めて俺に抱き着くエネを見下ろした。エネももちろん、すでに俺がハーフだということは知っている。にも関わらずこれだ。……なんか、自分だけ大袈裟に悩んでいたことが馬鹿みたいに思えてくるほど以前と何も変わらない。

「起きたのね、クソ馬鹿アヤト」

いつもなら反論するが、いや今はどうこう言える立場じゃない。エネの頭を撫でながらぐっと抑えて視線を上げる。
……上げて、見て、驚いた。いや驚いたなんてものじゃない。思わず「えっ!?」なんて素っ頓狂な声が出てしまったぐらい衝撃的だった。

「あんたねえ、どれだけ色んな人に迷惑かけたか分かってる?」

……なんか知らんが、めちゃくちゃ美人なお姉さんが近づいてくる。しかも胸元が大きく開いた服で前屈みになって俺を睨んでるのは、何かのご褒美なのだろうか。にしても、金髪ツインテ碧眼の巨乳強気お姉さんとかなんか色々要素盛り過ぎでは??

「ちょっと。さっきからどこ見てんのよ」
「っいたいいだいいだいっ!!すみまへんっ、ごめんなはい!!」

見えないぐらいの速さで伸びてきた手が容赦なく俺の両頬を捻りあげる。指がめりめりと食い込んでいき頬が一瞬で擦りつぶされて消されるかと思うぐらいの痛さだった。泣き交じりで謝ると、さっきまでぐずぐず泣いていたエネが笑い声を抑えているのが視界の横に映った。……いや、マジでめちゃくちゃ痛いんだって。

「詩か……!?詩、なのか……っ!?」
「そうよ。進化して、あんたのだーいすきなお姉様になったけれど?何かご感想はあるかしら」
「──っ最高!!しかも詩だって分かったらなんか普通に話せるから練習に超いい!!」
「はあ?なにそれ?」
「いだだだだっ!!」

今度は鼻を摘まみ上げて左右に振るもんだから、鼻の骨が折れるかと思った。詩は詩でも以前よりさらに美人なお姉さんの詩にやられるのは嫌ではないが、いやしかし、痛いものは痛い。顔まで瀕死状態になってどうするんだっていう話だ。
やっと離してもらったあとにジンジンと痛む鼻を手で覆いながら口を開く。

「ところで、どうして詩は進化したんだ?今までだって十分レベルは進化に達していたはずなのに、」
「ずっとかわらずの石を持っていたから進化できなかったのよ。……で、それを今回壊したってわけ」
「なんで……、」

言葉の途中で気が付いた。……詩が進化したのはきっと、かわらずの石を壊さなければいけないほどの状況に追い込まれたからだ。そうでもなければずっと持っていた石を今になって壊す理由が見つからない。

「あ、あの、詩、……」
「おあいこ。私、アヤトがハーフだって最初から知っていて隠していた一人だから」
「…………」
「謝るつもりはないわ。だってみんな、アンタのことを思って隠していたんだもの。また逃げ出すつもりなら、私のボールは返してちょうだい」

差し出された手を見てから静かに首を左右に振ってみせると、さっさと戻る詩の手。答えなんか聞かずとも分かっていたくせに。

「詩のボール、まだ俺が持っていてもいいかな」
「今後同じようなことをするつもりがないのなら、許してあげる」
「……ありがとな」

一瞬大きくなった青い目が今度はすぐに半分になって表情を歪める。「なんか素直なアヤトって気持ち悪い」、そう言ってからベッド横を離れて祈のところへ向かう詩。
……相変わらず、だ。姿かたちは変わっても中身はやっぱり何も変わっていなくて思わず小さく笑うと、すかさず振り返った詩がまた顔を歪めた。きっと"なんで貶されて笑ってんのよ、キモッ"とか思っているんだろう。

「アヤトくん」

エネに名前を呼ばれて下へ視線を向けると、またぎゅうと抱きしめられる。

「あのね、アヤトくんが何者であれ、きみの内面に惹かれてここまで一緒にきたんだ。ぼくはアヤトくんじゃないからどんな気持ちなのか分からないけど、でも、これだけは言わせて。……アヤトくんだったから、探しに行ったんだ。そばにいたいから、力になりたいから。きみじゃなくちゃ、ダメなんだ」
「……エネ、」
「みんな、アヤトくんのことが大好きだってこと知っておいてほしいな。……あ、もちろんぼくはずっとアヤトくんのこと愛しているよお」

抱き着いてくるエネのことをうっとうしく思わなかったのは初めてかもしれない。そっと退かしていた腕を背中に添えて抱きしめ返すと、エネは一度固まってから腕に込めていた力をさらに強くしてきた。それはもう、痛いぐらいの愛情だ。

「ありがとう、エネ」
「ふふ、どういたしましてえ」

こんな俺でも、そばにいてくれる人はたくさんいる。祈だけじゃなく、エネや詩もそうだった。信じられていなかったのは、俺のほうだったんだ。
見えていなかったものが見え始めて、暗い世界が色づき始める。この世界もクソもクソだが、それでもやっぱり完全に嫌いになることはできないらしい。

だってここには、さ。こんなにも、幸せなことがあるのだから。




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