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そのまま俺たちを通り過ぎていくのではないだろうか。そんな風にも見えた二人だったが、顔が見える距離まで来たとき。俺を見るなり真っ先にシュヴェルツェがやってきて、両腕を広げるとすかさず俺に向かって覆いかぶさってきた。痛いぐらいに抱きしめられてから、スッと離れたシュヴェルツェの左目には眼帯が付けられている。

「アヤト、無事でよかった。てっきりもうバラバラに解体、」
「ばか、勝手に殺すなよ。それよりお前、目は大丈夫なのか……?」

一度視線を外してから、そっと左目に手を添えると「大丈夫だ」と一言だけ返された。俺に向いていた視線も前に戻って、足の方向もそちらへ向く。詳しいことを話している時間はない。そういうことだろうか。
それから祈と手短に会話をしていたマハトさんを見ると、視線に気づいた彼が俺を見る。マハトさんにも言いたいことや聞きたいことはたくさんあるが、目に見えて崩れかけている建物の中でこのまま話し込むことはできない。

「初めて君が村に来た時、隠していたのはこの子だったんだろう?確かに"容姿は"リヒトと瓜二つだ」
「……ええ、まあ」

曖昧に答えてみせると、マハトさんもフッと笑みを浮かべる。波動なんて使わなくとも、きっと彼ならすでに察しているだろう。
多くは言わず、シュヴェルツェとも離れて二人とは逆方向へ進もうと踏み出したときだった。マハトさんに呼び止められて振り返る。すでにシュヴェルツェは男の元へ走っていたが、一人立ち止まっているマハトさんが俺を見ていた。

「村に招き入れておきながら、君を守れずすまなかった」
「い、いえ……」
「それから、ありがとう。アヤトくん、君には色々と感謝しているよ。リヒトのこと、そして……彼のことも」

視線の先は、シュヴェルツェが向かった方を見ていた。なんと返せばいいのか分からず、ひとつ小さく頭を下げてからそっと背中を向けた。
何がありがとうなのか。リヒトに関してはともかく、あの男に関して俺は何もしていないのに。
よく分からないまま、痛む身体を引きずるように祈と一緒に走り出す。シュヴェルツェとマハトさんはともかく、なんの能力もない俺は、果たしてこの建物が崩れる前にここを出ることができるだろうか。大きな不安を抱えながら、ただひたすらに足を動かしていた。





「オレはシュヴェルツェという」

森で戦った後、レパルダスがエネコと一緒に別の場所で戦っていた少女を探しに行っている最中。色違いのレパルダスと共に、エアームドに乗ってやってきた彼は堂々と私の前に立ちながらそう名乗った。……いなくなってしまった息子と同じ容姿を持ちながら、別の名前を名乗っているのだ。当たり前のことではあるが、なんとなく落ち着かない。

「色々気になることもあるでしょうが、詳細は後ほど私から説明させていただきます。ですから今は、先にお進みください」

上空から仲間の様子が見えたのか、それともここへ来る前にすでに今の状況を把握していたのか。どちらにしても優れた判断力から、ここは自分に任せて先に私を進ませるべきだと思ったのだろう。同感だったため大人しく頷いてから背を向けると、同じ方向を向く彼の姿が見えた。少しだけ振り返ってみると、赤い隻眼がこちらを見る。

「同行する」
「……ああ」

研究所に着くまで、お互い無言のままだった。
それでいい。彼に聞きたいことは何もない。なぜならそう、……彼も、リヒト本人ではないのだから。

「……博士」

……崩れゆく建物の隅。
遠い昔。親しい友人だった男に話しかけるシュヴェルツェを後ろから見ていた。"博士"と呼ぶからには、シュヴェルツェもまた彼に造られたものなのだろう。しかも、唯一きちんとした肉体を持つ人造ハーフ。完成度が高いぶん、きっと彼のお気に入りだっただろうに、何故彼はアヤトくんと行動を共にしていたのだろうか。その過程も気になるが、いやしかし、言われたことしかできないジャンクとは決定的な差があることに違いはない。

「止めないのかい」
「彼は危害を加えに来たわけではないもの、止めないわ」

ついさっきまで男に寄り添っていた少女が隣に並び立つ。黒髪を揺らしながらこちらを見上げる青い瞳に視線を下げると、フッと口元を緩める。……随分と久方ぶりに顔を合わせたが、姿形とも昔のまま可憐な少女のまま変わりない。彼女の種族は長命なのだろうか。それとも彼女が意図的に、自分の姿を変えないままでいるのか。

「未来が視えているというのに、どうせ私のことも止めないのだろう?」
「マハトは……止めてほしいの?」

……お互い、落ちるところまで落ちてしまった。今更もう、止まるわけにはいかないのはこちらとて同じこと。
彼女の鈴のような声を聞いてから、少し間を開けてしまってから首を左右に振ってみせると「そう」と簡単に返事を返して、視線を前に戻していた。

「私、過去に戻りたい。未来が視えていればあんなことにはならなかったと、ずっと思っているわ」
「君が常に未来を視るようになったのは、その時からだろう?私と戦っているときは、片手で数えるほどしか視ていなかったじゃないか」
「ふふ、可笑しいでしょう。今更過去を変えられるわけではないというのに」

自嘲気味に話す彼女の横、無言で話を聞いていた。彼女は言葉が欲しいわけではなく、話したいだけだからだ。そして何より、彼を見捨てた私が、彼に寄り添い続けた彼女に返す言葉などひとつも無い。

「マハトもそう思うでしょう?過去に戻れたらって」
「さあ、どうだろう」
「……あの時。貴方だけは、最後まで彼を庇ってくれた。双方が対立しないよう、必死に説得してくれていたことを知っているの。ありがとう。そして、ごめんなさい」
「…………」

遠い過去の話だ。過ぎ去ってしまった今になっては、何の意味もなさない。それは彼女も分かっていて、スッと動いて前に立つ。未来が視えている彼女には、これから私が何をするのか分かっている。それなのに戦う素振りを見せないということは、彼女もまた救いを求めているのだろうか。未来に、希望を見いだせないのか。

長い黒髪を揺らしながら私に背を向けた彼女は、シュヴェルツェと向かい合いながらもずっと俯き続けている彼の隣へ向かうとボロボロの床へ静かに膝をつける。衣服の裾が広がって、まるで床に一輪の黒い花が咲いたように見えた。丸くなっている背にそっと手を優しく添えると、片膝を付きながらただ無言で居続けているシュヴェルツェを見てから彼に視線を戻す。

「マスター、マスター。お顔をお上げになって。貴方のシュヴェルツェがおりますわ」
「──……シュヴェルツェ。私の失敗作だ。……もういい、顔も見たくない」

完全に覇気を失っている。自身の研究施設が崩れているショックからだけではない。私を含めた様々な要因が結びついて、やっと彼を終わりへと導いたのだろう。いつの間に手にしていたのか、写真だけはしっかり抱きしめながらそこに座り込んでいた。

「博士。オレを見たくないのなら見ないでいいです。しかしどうか、言葉だけは聞いてください」

何も言わないが、動きもしない。一度、シュヴェルツェが視線を上げると彼女は頷いて見せる。彼に寄り添う姿は、まるで彼の愛した彼女そのもののように思えた。手持ちポケモンはトレーナーに似るというが、全くその通りだ。忘れ形見である彼女は、今もなお立派に"代わり"を果たそうとしている。一種の呪いのようにも思えるが、果たして。

シュヴェルツェは視線を彼へ戻し、片手を胸元に当ててからそっと口を開く。真っ直ぐに、伝える。

「オレにはまだ善悪がはっきりとは分かりませんが、博士が行っていたことは世間一般から見たら悪だったのでしょう。そしてその博士に造られたオレも、きっと悪い存在なのかもしれません」
「…………」
「しかし、オレは知りました。オレのことを心から心配してくれたり、居場所を与えてくれる人がいることを知ったのです。造られた物がこんなことを言うのは可笑しいですが、……きっと、これが"嬉しい"という気持ちなのかもしれません」

少しだけ彼が頭を持ち上げたとき。シュヴェルツェがゆっくり腕を伸ばすと、彼をそっと抱きしめた。それに思わず目を見開く彼の表情は、驚きに満ち満ちている。すぐさま引き剥がそうと暴れ始める彼を他所に、シュヴェルツェは強く優しく抱きしめながらそっと言う。

「──……博士。オレを造ってくれて、ありがとう」

誰の耳にもはっきりと聞こえたその言葉に、彼の動きがピタリと止まる。止まらざるを得なかったのだろう。少しだけ体を離して、彼だけを映す隻眼にそろりと彼の視線が落ちてくる。信じられないものを見る、そんな目だ。そんな中、シュヴェルツェがふ、と笑みを浮かべた。造られたものが、笑ったのだ。さらに大きく見開く目は、もうそれから視線を外すことはできないだろう。

「例えパーツとして造られたとしても、博士がオレを造ってくれなければ、オレはこの世界を知ることはなかった。リヒトに会うことも、アヤトに会うこともなかった」
「──…………」
「だから、ありがとう。……そして、さようなら。"お父さん"」
「──ッシュ、!」

離れるシュヴェルツェに縋るように手を伸ばす彼の前。シュヴェルツェと入れ替わるように立ちはだかると、私を見上げてからハッとしたように一度目を見開いてから口角をぎこちなくあげてみせる。

「……愚かだろう。笑ってくれ。最後の最後で情が湧いてしまうなんて、我ながら馬鹿らしい。滑稽だ」

首元に添えられている指先を気にすることもなく、こちらを見上げたまま自嘲する彼を無言で見下ろす。一瞬、走り去ってゆくシュヴェルツェにその視線が向けられていたが、それもすぐこちらに戻る。

「……なあマハト。私は、こんなになってまでも、未だハーフが憎くて仕方がない。邪魔をする者全てが憎い、彼女を奪ったこの世界が憎い!!……少年少女に諭されてもなお、この憎悪が消えることはないのだよ」
「…………」
「マハト、知っているなら教えてほしい。……いつから、私の心はこんなになってしまったのだろうか。いつ、道を間違えてしまったのだろうか……?どうして何もかも憎く見えてしまうのか……?」

つ、と彼の頬を伝って流れる涙を見ながら奥歯を噛みしめる。……最後だからこそ、感傷的になってしまっているのだと自分自身に言い聞かせる。弱弱しい姿を前に、眉間に皺を寄せながら、必死に村が襲われた夜の彼の姿を思い出しては被せていた。思い出せ。今まで数えきれないほどのハーフが残虐に殺されてきた。彼が元で広まった噂のせいで、今もなおハーフは自由に生きられない。偏見が、差別が、暴力が、常に我らを脅かしているではないか。何よりも、……我が子を殺されたではないか。
同情の余地もない。そうだろう、そうでなくてはならないだろう。……なのに。なのに、この感情は何だというのか。

「……ゴチルゼル」

ふと、寄り添う彼女に視線を向けるとそっと片手を頬に添えて優しく撫でる。同時に彼女の青い目が大きく見開く。

「君に触れるのはいつぶりだろうか。思い出せないほど、遠い昔のことだっただろうか」
「マスター、……」
「……本当に、気が付かなかったんだ。でもそうだ、言われて思い返せば……確かに君だけは、ずっと一緒にいてくれていたのだなあ……」

ぼたぼたと崩れたコンクリートの上に涙を落とす彼の前、彼女も自分の頬に触れている手に手をそっと重ねて目を細めながら頬を擦り寄せる。流す涙は美しく、また表情は今まで見かけた中で一番柔らかくまた幸せに満ちていた。

「……はい、っはい、マスター。私はずっと、ここにいましたわ。……やっとまた私を見てくださって、……っとても嬉しい……っ、」
「……ありがとう、ゴチルゼル。壊れた私ですら見捨てずに居てくれてありがとう。最後に気付けて、よかった」

一度、彼が彼女をきつく抱きしめてから少し体を離して視線を合わせる。きっと彼女は、彼が何を言うのか知っている。だからもう、唇も持ち上がっているのだろう。……とっくの昔から、彼女の答えは出ていたのだ。

「……さあ、行きなさいゴチルゼル。君はもう、自由だ」
「いいえマスター。私はこれからも、ずっと貴方と一緒です。……ずっと、お傍にいさせてください」

彼女が彼を抱きしめる中、目を見開いて彼女を見下ろす彼がいた。それからは何も言わず、また彼女にそっと手を添える姿だけがあった。鼻を啜る音の後、再び私に視線を向けたと思えば、彼は目を細めて笑う。

「マハト、かつての私の親愛なる友よ。君に殺されるのならば、それは本望というものだ。そしてそれが運命であり、この世が導き出した答えなのだろう。神は人間よりもハーフを選んだ。ただそれだけのこと。……気に食わないな」
「ここまで情が移るような演出をしておきながら、よく言う」
「今の君に情というものがあるのか?だとしたら、やはり今を生きるべきはマハト、君の方らしい」

首元に触れてる指先から熱と音を感じる。すでに食い込み始めている爪先には血が滲み始めていた。
……彼がハーフを捕縛して非道的なやり方でいくつもの命を奪ってきたのと同じように、私も数多の研究者を惨い方法で葬ってきた。それに今、ここで、ひと区切りをつけるのだ。

「今まで私が数多の命を素材にしてきた罪はとても重いのだろう。しかし私は、その重さを全く感じていない。良いことをしたと思っているからだ。故に全て背負って行ける。それはマハト、君も同じだろう」
「ああ、そうさ。だからそう、もしも私も誰かに殺される日が来ても、今までしてきたことを悔い改めることも謝罪することも決してしない。……同じさ。君と同じだ」

行き着く先は同じだが、ただ、彼の方が私よりもひと足早いだけの話。迷うことは、何もない。そしてそれを、そうだというように彼がいう。

「君は良いことをするのだ。迷うな」

とうとう周りの天井も崩れ落ち、最後にこの場が残された。ひび割れたコンクリートに吸い込まれてゆくように流れる彼の首から流れている血を見てから視線を戻す。

「……最後に何か、言うことは」

割れた眼鏡のレンズの奥、……昔と同じ、あの人懐こい表情を向けて言葉を紡ぐ。

「マハト、君と過ごした日々はとても楽しかった。本当に。……ああ、あと君の息子は、君にそっくりだったな。良い実験体だ。"しぶとくて、なかなか死なないんだ"」
「……早く殺されたいようだな」
「はは、怒るなよ。こんなクソみたいな世界とは、さっさとおさらばしたいだけだ。先に地獄で待っている、親愛なる友よ」
「ああ、さようなら、またあとで。親愛なる友よ」

数多の罪を犯しながらも、最後には救われてしまった男にはもっと苦しんでほしかったが。
……腕を大きく振りかざし、因縁を断ち切るようにその身体を引き裂いて。


──血だまりに倒れる二人の手前。返り血を拭いながら見下ろした。崩れ落ちる天井が土埃をたて視界を曇らせる。後ろに落としていたフードを被り直してから、背を向ける。
永遠に終わることが無いと思っていたことがあっけなく終わってしまった今。現実を未だ受け止めきれないまま、一人背を向けてその場を後にした。

何度か落下物に当たりながらも外へ出たときは、もう全てが崩れ落ちていた。
なにもかも、すべて、終わっていた。




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