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扉の目の前。少しだけ開いた隙間に向かって、全力でアイアンテールを打ち込んだ。それでもまだ足りない。時間はない。荒れる息を整えて、力を溜める。ひかりのかべが消えてしまわないうちに扉を突き破るには、これしかない。

溜まった力を、……一気に放つ。

ドォンッ!!、真っ直ぐ扉に当たった破壊光線が技の名の通り、破裂音と共に扉を粉砕する。ガラガラと落ちるコンクリートの間を反動が身体にくる前に走って通り過ぎた瞬間。背後。カッ!と光に包まれた。かと思えば轟音が弾けて建物全体が揺れる。

『今のは一体、』

破壊光線の反動で動けなくなったところ、扉を抜けてもまだ続く廊下の真ん中で立ち止まり後ろを振り向く。すると先ほどまでいたところ、電流が走っているのが見える。それにぱちぱちと瞬きをしながら見ていると、先、何かが割れたような音が聞こえた。咄嗟に視線を前に戻して、弾かれたように動きの鈍い手足を無理やり動かし走りだす。

次も扉がある。警報音が鳴り響く中、力を溜めようとしたその時。……フッと、電気が消えた。薄暗い室内、警報音と赤いランプが怪しく光る。きっと先ほど廊下で見た、あの電気の影響で停電になっただろう。それでも視界が完全に奪われたわけではない。機能しなくなった扉の前、アイアンテールを思い切りぶつけてみる。

『さっきの扉よりも脆い!』

当たった感覚が先ほどの扉と比べものにならない。集中してから扉にサイコショックを当てると、ビキ、とヒビが全体に入った瞬間、一瞬にして割れた。それと同時に予備電源が作動したのか、先ほどよりも明るくはないが電気が部屋を照らした。……その先。

『──アヤト……っ!!』

台に寝そべったまま、少しだけ上半身をあげているアヤトがいた。その横、ふらつきながら立ち上がる男の姿を見つけて真っ直ぐに走り出す。途端。

「ッ来るな!!」
『!!』

アヤトの声に思わず身体がびくりと飛び上がり、その場で固まってしまう。直後、足元が歪む。部屋全体がぐにゃりと歪んで姿を変えた。これは……なんだろう。技ではない。下手に動かず、冷静を努めながら様子を窺う。室内は暗くてよく見えなかったこともあるが、ポケモンの姿は見当たらなかった。それでも今、わたしは渦中にいる。どこかに必ず、この原因がいるはずだ。

『…………』

ぐにゃりと歪む空間の中、次の瞬間にはフッと真っ暗になってしまった。闇、無音。何も聞こえない。自分の声すら分からない。まるで一人だけ、誰も知らない未知の場所へ飛ばされてしまったような。身体は動かせる。けれど視覚聴覚が全くといっていいほど働いていない今、自分がどんな動きをしているのかすら分からない。どうやってこの状況から抜け出せばいいのか。地に足がついていない感覚に戸惑いながらも、慌てずしかし頭の中では早急に対策を考える。……そのときだった。

『……っ!?』

何かが、全身に駆け巡る。ドクンドクンと心臓が脈打ち、全身に血がドッと巡る。身体はどこも痛くはない。けれども何だろうか、この嫌な感じは。この暗闇が怖くないわけではない。しかし、それとは違う別の恐怖。アヤトを傷つけるあの男が憎くないわけではない。しかし、それとは違う別の憤怒。苛立ち、焦燥、悲愴、絶望、……怨憎。
心が壊れそうになる。ううん、壊れるというよりも、じわじわと侵されてゆっくり腐って溶け落ちてゆくような。
これは、一体。

『これはね、彼の心の中』

暗闇の中、ボウ、と姿が浮かび上がる。白いリボンがいくつも見え、また青い瞳がやけに光り輝いて見えていた。闇の中では一際映える。……ゴチルゼル。その姿を見るのは、初めてだ。

『いたみわけって技、知っている?すごいのよ、彼。何度分けてもらっても、すぐ真っ黒になってしまうの』

どこか悲しげに、しかし笑みを浮かべながらたゆたうその姿を見る。……いたみわけ。技の名前は知っていたけれど、わたしには使えない技だからどんなものなのか分からなかった。しかしこうして技を受け、彼女を見てから思う。

『とても素敵な技。……心の痛みも分けてもらえるなんて、羨ましい』
『…………』
『わたしには、いくらやろうとしてもできなかったことだから。あなたが、羨ましい』

アヤトが辛いとき、わたしは何もできなかった。何と声をかければいいのか、全然分からなかったのだ。それでも、少しでも心に寄り添いたくてこうしてニンフィアに進化したけれど、結局、何一つとしてアヤトの力になれていない。何と言えばアヤトは元気になったのか、何をすればこうならずに済んだのか。分からないまま、ここまで来た。

『貴方はまだ、知らないのね。貴方自身のことを』
『……え……、?』
『自分を受け入れてくれる存在が傍にいるという事実が、どれほど彼を支えているのか知らないの。そして彼も、まだはっきりとは気づいていない。……大丈夫。貴方は心の傷を分けてもらうことはできないけれど、心を癒やすことはできるでしょう』
『わたし、そんなこと……できる、の?』
『できるわ』

闇の中、ゴチルゼルと共にたゆたいながらアヤトのことを思う。わたしにとってアヤトは、トレーナーであり大切な人でもある。わたしを助けてくれた人、手をひいて色々なものを与えてくれた人。誰かのために何かができる強くて優しい人。辛いことばかりだけど、それでも折れずに歩いてゆく姿はいつだって光を失うことはない。
──……わたしは、そんな彼の力になりたいと。ずっとずっと、思っている……!

顔をあげてゴチルゼルを見ると、彼女は目を細めて私を見る。それからスッと、片腕を伸ばして言う。

『彼のところへ行きたい?』
『行きたい』
『また"来るな"と言われても?』
『うん。あのね、アヤトを待っているのはわたしだけじゃないの。みんな、みんな待っている。誰もアヤトを一人にはしないって、そう思ってる。……それにね、わたし。アヤトに伝えたいことが、あるから』
『……そうね、ええ』

それじゃあ。、ぐにゃり。暗闇に光が混ざってまた歪む。また熱烈なひどく重い感情に襲われながらも、今度はしっかり床を踏む。……目の前。妖しく光る青い瞳に一度下がってひかりのかべを張る。次いで床を蹴って飛び上がり、薄暗い部屋をムーンフォースで一気に照らす。それからゴチルゼルの姿を捉えて、飛び跳ねたまま縦のコンクリート壁を蹴り上げる。今のうちにゴチルゼルを飛び越えて、アヤトのもとへ……!

『──……だめよ』

くん、と身体が宙で止まる。すぐさま見ると、ゴチルゼルがこちらに向かって腕を伸ばしていた。……ねんりきに捕まってしまった。そう思ったのも一瞬、次の瞬間、身体が真っ逆さまに勢いよく床に叩きつけられる。重力に逆らって一瞬浮いたコンクリート片がバラバラと落ちる音がした。痛みに耐えながら起き上がろうとするも、未だねんりきで身体を床に押し付けられている。次いで、サイコキネシスが錘のように襲い掛かる。

『ふっ……っ、ぐうっ!!』

このまま押し潰す気なのか。"エスパータイプの技は、技を切り替えるときに僅かな隙が生まれます。そこを狙いなさい"、イオナの言葉を思い出しながらも、今はただひたすら耐える。そんな中、ゆっくりわたしの前までやってくるゴチルゼルの気配をじっと探る。身体は動かずとも、触角はまだなんとか動かせる。つまり、ゴチルゼルが技を切り替えずとも、近くまで来てくれさえすればこの状況から抜け出せる。

『私、未来が視えるの。だからそう、貴方がそのリボンの触角を使って私を捕らえて攻撃してくることもお見通しだわ』
『……っ!、』

直後、真上に岩が現れる。一瞬のうちに落ちてきた岩が身体にのしかかる前、まもるで僅かな隙間を作って転がり避けた。前、横、上、後ろ。四方八方、岩で囲まれ閉じ込められている。わたしが岩を避けて、まだ戦えることもゴチルゼルにはみえているのだろうか。
先を読まれている。……でも。そこには限界がある。どこまでも先を読めるわけではないことを、わたしは知っている。……息を整え、力を溜める。ゴチルゼルがすぐに攻撃を仕掛けてこないのは、きっとわたしが岩を砕いたあとにどうするのかを予知しているからだろう。
なら、ならば。

──……ドォンッ!!

触角を軸に回転しながらアイアンテールで岩を勢いよく崩し散らばせる。ぼんやりと光が差し込む岩の間からゴチルゼルの姿が見えた。当たり前のようにすべて避けている。けど、それが目的ではない。ゴチルゼルと戦うこともそうだけれど、一番の目標はアヤトを助けること。

『……っそこ!』
『無駄よ。いくら私を狙っても、』

ガァンッ!、ゴチルゼルが避けた岩の破片が、アヤトが横たわっていた台の足にぶつかった。音に飛び上がる男の姿と、少しだけ傾いた台が見える。

『こんなことで動揺なんてしない。だって貴方は、彼は絶対に狙わないもの。知っている、視えているわ』

視えていながら止めないのは何故なのか。不思議に思いながらも、岩を次々と台の足へ当てて行く。その間、ねんりきで降ってくる岩は別の触角で防いで、落とされた岩の全てが辺りからなくなるまで、台の足とそして施設に勢いよく飛ばしてぶち当てる。壁に岩が突き刺さるたび、爆音を鳴らしている警報器が揺れた。……土埃で視界が曇る中、台の足が折れたとき。ドンッ!と地に音を響かせながら台が斜めに傾く。

『アヤト、待ってて、今わたしがっ!』
「っ祈!上だッ!!」

その声に、息が切れて苦し紛れに咄嗟に振り向き床を転がる。そうだ、まだだ。まだ止まってはいけない!
足にぐっと力を入れて、サイケこうせんにシャドーボールを放って打ち消す。爆風に揺れる煙の中。すぐさま姿を探して飛び跳ねる。スピードスターで煙を裂き、こちらを見ているゴチルゼルに飛びかかった。直後、身体が動かなくなり真っ逆さまに床に叩きつけられる。……まだ、まだだ!!

息を思い切り吸ってハイパーボイスをぶつけると、一瞬身体の拘束が解けた。そこから一気に加速する。走って走って、目の前で前脚を折り曲げて体勢を沈めてから、身体を半回転させて後ろ脚でゴチルゼルを蹴り上げる。次、回転した勢いのまま触角でゴチルゼルの足を掴んで回し投げた。ドォン!、壁にめり込むように当たり、ずり落ちるその目の前へふらつきながらも歩いて行く。息をするのすら苦しい。少し、無理をしすぎたかもしれない。

『視る時間も、なかったわ。……私の負け。さあどうぞ、シャドーボールでとどめを』

両腕を床に広げて目を閉じるゴチルゼルの横。近づいて、土埃で汚れている頬にそっとキスをする。それから一歩下がると、ゴチルゼルは瞼を持ち上げて青い瞳を細めながらわたしを見る。

『なんて遠慮がちなドレインキッスなんでしょう。もっと吸い取ってもいいのに』
『ううん、いいの。これで十分』
『そう。……ねえ、ちょっと、お願いがあるのだけど。"       "』
『──……』

背を向けた時。引き留める声に、少しだけ振り返った。
先ほどのバトルはお互い全力で戦っていた。それは分かる。それでも拭えなかった違和感は、そういうことだったんだと彼女の言葉を聞いて分かった。そこでふと、いつも読んでいるポケモン図鑑のゴチルゼルのページを思い出す。思い出して、まさかと思いながら彼女を見た。

『ねえ、お願いよ。貴方ならできるでしょう』

伸ばされた片腕を見て。……静かに、首を左右に振る。青い瞳が大きく見開いてからそっと影を落とすのを見ながら、触角をゴチルゼルの腕に絡ませる。再び向けられる視線。

『できるよ。あなたは、できる』
『……できないから、お願いしているのに』
『ううん。できるよ。だってあなたは、あの人の痛みをよく知っている。すぐそばでずっと見ていたんでしょう。わたしよりも、よく知っているはずだよ』

目が見開き、何か言いたそうに開いた口が一度閉じる。それからそっと開いて、漏れる言葉にそっと耳を傾ける。

『……それでも。それでも癒すことは、できなかった』
『……うん』
『ずっと、ずっと、っ……彼には、幸せに、なってほしいって、っ!ずっと思っていたのに……っ!!』

ひどく痛くて、切ない想い。ほろほろと零れる涙を見ていたら、わたしの目からも一粒零れ落ちた。分かるよ、あなたの気持ち。だって、だれだって、きっとそう。
……大切な人の大好きな人の幸せを切に願うのは、当たり前のことだもの。

『あのね。……あなたが視ている未来がもう変えられないとしても、そこに至るまでの未来はいくらでも変えることができるよ。まだ、あなたにできることは沢山残ってる』
『……それで彼を救うことはできるの?少しでも、癒すことができるの?』
『できるよ。絶対に、できる』
『…………』

触角で頬を伝っていた涙を拭ってあげると、ゴチルゼルの手がそっとそれに触れる。……彼女は今まで、どれだけ一人で抱えていただろう。苦しむ彼の姿を見て、痛みを知りながらも何もできない自分を責め続けて。
……最後にゴチルゼルがそっとわたしの触角を握ると、優しく宙に放つように離す。

『さあ、お行きなさい。貴方の大切な人が待っているわ』
『……責めないで、いいんだよ。あなたは悪くないよ』
『…………』
『悪く、ないんだよ。だれも、悪くない』
『──……ありがとう。……私まで、救ってくれるのね。ありがとう、素敵な名前の貴方』

そっと伸ばされた腕が両頬に添えられて引き寄せられると、額と鼻先が合わさった。一度目を閉じ、頬を擦り寄せてから離れる。

『貴方の未来が、輝かしいものでありますように』

背中を押すようなその言葉に、振り返りはしなかった。前を向き、荒れ果てた床を踏み越えて走る。……わたしは、わたしの未来のために進むのだ。
それでも少し。ほんの少しだけ。胸がきゅうと締め付けられて、走りながら涙を散らばしてしまったのは、きっと。

きっと彼女が、ひどく優しかったからだろう。
優しいあなた。どうかあなたの未来の終わりが、穏やかな幸せでありますように。




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