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「……ッ、」

どれぐらい気を失っていただろうか。目が覚めるのと同時に息を吹き返すように激しく咳き込む。喉をヒューヒュー言わせながらライトの眩しさに目を細める。相変わらず手足は台に固定されたまま大の字で横たわっていた。なぜか右腕がひどく痛む。見えないが、この感じだと気を失っている間に軽くメスでも入れられたかもしれない。

「…………」

男の言葉と写真を思い出してゆっくり首だけ動かすと、暗がりの中、電子画面の明かりがぼんやりと男の姿を浮かび上がらせていた。机の上には赤い液体の入った試験管がある。……やっぱりやられたか。この様子だと本当に緩やかに殺されかねない。

少し世話になったからといって、マハトさんが俺一人のために助けにきてくれる可能性は低い。母さんたちや祈たちはそもそも俺がここにいることなんて知らないだろう。……なんとかして自力で逃げ出すもしくは見逃してもらえる方法はないだろうか。

そもそも今どうしてこんなことになっているのか。それは俺が最も人間に近いハーフだからだ。となれば、俺が対象ではないことが証明できればいいのだが……。

(でも、俺がハーフなのは本当のことだし……)

寝たふりをしながら唇を噛んで、……ふと、思う。
──……いや、ちょっと待て。こっちに馴染みすぎて忘れていたが。
そもそも俺は、このポケモンの世界にやってきたからハーフになったんだ。
父さんについては分からなすぎてなんとも言えないが、元の世界にいた時はただの一度だって父さんがゼブライカの姿になっているのを見たことがない。確かに父さんの身体能力は桁違いに優れていたし武術にも長けていたけれど、突然姿を見かけなくなることはなかった。俺だってそうだ。俺も父さんも冬場は特に静電気がひどかったが、自分から発電したことなんて一度もない。

(母さんは昔、このポケモンの世界に来ていた。ロロの話からすると母さんの相棒が父さんで、ということは父さんは元々ポケモンで確定している。でも俺が生まれた世界は元の世界だし、向こうにはポケモンなんて生き物はいなかった。……とすると、父さんは何らかの形で向こうでは人間になっていた……はず……)

向こうの世界にいたときの俺は、本当にごくごく普通の人間だった。人間の母さんと人間の父さんから生まれた俺は、確かに"人間"だったんだ。……狂ったのは、こっちの世界に来てからだ。

「……なあ」
「話すことは何もない」

キーボードを叩きながら返事をする男はこちらを見ようとはしない。確実に先ほどのことを引きずっている。それを考えてまた首を絞められるのではないかと思って悩んだが、どうせこれからもっと痛くて苦しいことをされるんだ、口が利ける今しかない。

「俺の血を採って何を調べているのか知らないけど、ハーフとは数値が少し違うんじゃないか」
「……どうしてそう思う」
「だって俺、元は人間だからさ。"途中からハーフになった"んだ」
「何……?」

立ち上がって俺を見る男。男はハーフをこの世から消したいほど憎んでいる。にも関わらず、途中から人間がハーフになるなんて知ったらどうだろう。……食いつかないわけがない。まあ、嘘も入っているが導入としてはいいと思う。

「どうして俺がハーフになったのか知りたいだろう」
「ふっ、私相手に取引か?いいだろう、君がハーフである以上逃がしはしない。それでもというのなら、一体何を望むんだ」
「俺を、人間に戻してほしい」
「……」
「実験には俺の身体を使っていい。でも俺にはすごい治癒力はないから途中で死ぬかも知れない。だから俺の意識がはっきりしているうちに話を聞きたいんだ。……昔、お前とハーフの間に何があったのか知りたい」
「……話を聞くことが本命か」
「冥土の土産にはぴったりだろう?」

俺の言葉を聞き、なぜかフッと口元を緩ませてから男が視線を外す。それから椅子に座り直し、背中をこちらに向けて電子画面を見ていた。俺が嘘を言っていないか確かめるために数字で確認したいのだろう。数字では吐いた嘘の部分は分からないから心配することも特には無い。重要なのは、男が話に乗るかどうかだ。

「どうしてそんなに聞きたがる。知ってどうするんだ」
「別にどうもしない。俺だって奪われた側なんだ、話を聞いたってお前に同情なんか絶対にしないし許さない。……でも経緯は知りたい。お前みたいなのを他にも生み出さないために何ができるか考えたいんだ」
「はは、まるでここから生きて出られるような言い方だな」
「……希望ぐらい言葉にしたっていいじゃないか。言うだけならタダだし」

未だに痛む右腕と、少しの眩暈を感じながら首を正面に動かした。相変わらずライトが煌々と俺を照らしている。
──……ふと、そのとき。
ジャラジャラと左右から音がした。見ると、左右手首の枷についていた鎖が伸びていた。足は相変わらずそのままだったが、これなら上半身だけは起こせそうだ。

「少年。取引成立だ」

椅子から立ち上がり、片足を引きずるように歩いてきた男が俺に向かって一冊の本を放り投げた。慌てて受け止めると右腕が視界に入って血の気が引く。……綺麗に皮膚が真四角に切り取られているじゃないか。そこからは未だに赤黒い血が溢れて腕を伝っていて、思っていた以上に大変なことになっていた事実に余計力が抜けてしまう。いや、いいや、今のは見なかったことにしよう。頭からさっさと忘れてしまわないと自身の想像力に殺される。

「……これは?」

俺の質問には答えず再び椅子へ戻ってカタカタとキーボードを叩き始める男を見る。絶対に自分からは話さないらしい。
とりあえず止血のために切られた服をきつく右腕に巻き付けてから、ノートの表紙に目を向ける。ペンで書かれたタイトルは「ハーフと人間そしてポケモンの共存について」。綺麗な字でそう書いてあった。誰が書いたものだろう。

「制限時間は」
「アラームがなるまでだ」

血液から得られる詳細データが出るまで、というわけか。わざわざ俺に見えるようにこちらへ向けられた電子画面では数字が静かにカウントダウンを始めていた。

そうして静かにノートを開く。
パキ、と鳴ったそれは、一度濡れてから乾いたであろう紙の端が出した音だった。





夜の森を駆け抜ける。
先ほどまで地面を這いつくばっていたとは思えないほど軽快な足取りで進むルカリオの背中越しに闇に包まれている前方を見た。夜目が利く方だと自負しているが、流石に俺でもここまで早くは進めない。波動のおかげもあるだろうが、やはり彼は侮れないと今一度思う。

『そろそろタネ明かしをしてほしいところなんだけど』
『おや、君なら私が言わずとも分かると思ったのだが』

風に乗ってクスリと笑い声が聞こえた。……言い方がいちいち気に障るのはなぜだろう。ただでさえ気持ちが穏やかではないのにこれ以上乱されるのも困るのだけど。

『ならば教えよう。アヤトくんと一緒にいなくなったものを忘れてはいないかい?』

言われてハッとする。──……そうか、人造ハーフがいた。

『なるほどね。流石ハーフの村の長をしているだけあるよ。俺は言葉すら分からなかったのに』
『なに、私も全ての言葉が分かるわけではない。あれはリヒトを基に造られているからなんとか波動で意思疎通ができるだけのことさ』

出てきた名前に思わず口を噤む。彼の口からリヒトくんの名を聞くのは何となく思うところがあった。が、急に静かになるのもどうかと思って何か話題を探していたときだった。
急に彼が立ち止まる。その後ろ、祈ちゃんとエネくんを乗せているグレちゃんと俺も立ち止まって辺りを警戒する。
ザアア、木々が揺れる音が静かな暗闇に広がる。……見えないが、何かがいる。

『……下だな』

言葉と同時か。彼が地面に向かって間髪入れずに拳を一発振り落とした瞬間。地面がひび割れ、足場が揺れる。地ならしだ。巻き込まれないように地面を見ながら足場を作っていると、地面から何かがゆっくりと出てくる。かなり大きい。飛んでくる小石を尻尾で弾きながら後ろに飛んで下がる。そのときふと、上空に青紫色の見えた。

『あれは……、?』
『ロロ、来るぞ!』

グレちゃんの声で視線を戻すと、直後、地面が一気にはじけ飛ぶ。突風に目を細めながら岩石を技で叩き割った手前、……巨大なポケモンが立ちはだかる。水色の巨体をゆっくり動かしながら怪しく光る黄色の目。

『どうしてこんなところにゴルーグがいるんだ!?』
『上にもいる。どうやら彼は相当アヤトくんのことを気に入っているらしい』
『あの炎は……シャンデラか……!』

上を見上げて今度こそシャンデラの姿をはっきり捉える。それと対峙しているのは、金色のチルット。……確かに詩ちゃんは強い。しかし相手がどれほどのレベルか分からない今、詩ちゃん一人に相手をさせるのは危険すぎる。かといって詩ちゃん以外に空を飛べるポケモンはいない。

『二体とも彼の手持ちポケモンだ。なかなかに手強いが、あの子はどうするんだい』

言われなくても分かっている。一度詩ちゃんも降りてきてこちらに敵を集めるのもいいと思うが、見ている限りどうやらシャンデラは詩ちゃんをこちらに合流させるつもりはないらしい。下へ降りさせないために一定の距離を保ちながら、常に俺たちと詩ちゃんの間に浮いている。

『……っ詩!』

グレちゃんの背に乗ったまま祈ちゃんが上に向かって叫ぶ。エネくんも心配そうに見上げる中。

『こっちは私がなんとかする!』
『でも、詩ちゃん、!』
『──……信じて!私を、信じて!!』

祈ちゃんとエネくんが顔を見合わせて、……一度、大きく頷いて見せる。直後、上空には白い霧が生まれてあっという間に見えなくなってしまった。霧が晴れるのは、きっと勝負がついた時だろう。
後ろ、グレちゃんから降りた祈ちゃんとエネくんがやってきて俺の両脇に並んだ。

『ロロさん。今度こそぼくたちも戦う』
『足手まといにならないように頑張るから、だから、!』
『……うん。二人とも、頼りにしてるよ』
『!』

どんな相手にも怖気づくこともなく立ち向かえる勇気と、自分たちでその場でどう動くべきなのか決められる判断力。……もっと早く認めてあげるべきだったのだ。
三人とも、もう、一人前に戦える。

『いけるな、ロロ』
『もちろん。背中は預けるよ』
『任せろ』

ばちりと走る電気を聞いて、前足にぐっと力を入れた。こちらを見ていたルカリオもゴルーグに身体を向けて拳を握る。いつでも、戦える。

信頼できる仲間がいる。それだけでこんなにも心を強く保てる。
きっとそれは俺だけではなく、祈ちゃんもエネくんも、そして詩ちゃんもそうだろう。
そして各々が仲間を信じている今、皆が思うことは一つ。

『……アヤトくん』

君に、会いたい。ただ、それだけだ。




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