3

あのハーデリアはオーナーさんのハーデリアだった。世話焼きな性格のようで、わざわざ擬人化してから垣根に覆いかぶさったままの俺の両脇を抱えて芝生の上に降ろしてくれた。渋めの声に似合った風貌のおじさんである。

「君、突然襲いかかって来るとは失礼ではないかね」
「す、すみません……リオルと間違えて……」
「リオル?ふむ、今日この辺りでは見かけていないが」
「ええ!?マジすか……」

……どうやら見失ってしまったようだ。そりゃそうか、あんなに速く走って行っていたもんな。人間如きの脚力で追いつくはずがなかったんだ。やっと見つけた衝撃に何も考えず走っていたけど、よくよく考えれば無駄な体力を使ってしまっただけか。
がっくり肩を落とすと、おじさんが軽く俺の肩を叩いて「まあ、頑張りたまえ」なんて慰めの言葉をくれた。もうすでに頑張りまくっているので空元気で笑顔を作ってみせる。

「そろそろ日も暮れる。君も早く帰ったほうがいい。道は分かるか?」
「……あー、あー、その、」

ここで野宿しちゃ駄目ですか。、そう訊ねると、顎に手を添えながら怪訝そうな表情を浮かべつつも承諾してくれるハーデリアのおじさん。聞くところ、どうやら俺と同じようにリオル欲しさからこの牧場で野宿をするトレーナーもそう少なくは無いらしい。そりゃ序盤で後々になっても使えるポケモンが生息しているんだもの、多少時間をとっても捕まえたいだろう。

「野宿はいいが、早いところ諦めたほうがいいとだけ言っておこう。年々リオルたちの数も減っている上、警戒心も強くなっている。姿すら見れずに帰って行くトレーナーを何人も見ているからな」
「あー……それ、さっき似たようなことをメリープたちにも言われました」
「おおそうだ!君、メリープたちは何処かね?あとは彼女たちだけなんだ。本当に自由すぎて、いつも捜すのに骨を折っているのだよ」

頭に手を添えてため息混じりに言葉を漏らすハーデリアおじさんにメリープたちがいるところを大雑把に説明すると、礼を述べてから再びポケモンの姿に戻って走り去って行った。……にしても羊に振り回される牧羊犬か。はは、なんか面白い。

「……あーあ、二日目で野宿かよ……」

ハーデリアおじさんを見送った俺は少しばかり先を歩いて川を発見した。ぶっちゃけここが牧場の何処らへんなのかさっぱり分からないが、背の高い木々の先、とんがったオレンジ色の屋根が見えている。道に迷ったけれどあれを目指して歩けば多分見慣れた景色になるはず。だからなのか特に不安も無く、鞄を降ろしてごそごそと中身を漁り始めた。

「いつの間に俺のバッグは四次元ポケットになったんだ?」

明らかにこんなのバッグに入らないだろうというものが入っているのがまた不思議だ。首をかしげつつ皺くちゃの寝袋を取り出し芝生の上に広げた。
……正直なところ、俺はすでに諦めモードに入っている。いくら探してもリオルはいないし、メリープとハーデリアおじさんたちにも「諦めたほうがいい」って言われたし。それに聞こえてしまったのだ。今日出会ったポケモンたちが皆小声で口を揃えて言っていたこと。「リオルたち、いつになったら平穏に暮らせるんだろうね」って。

「……なんか、よく分かんねえ」

仮想の生き物たちが人間と同じように感情を持ち、生活をしているこの世界。人間と、同じ。……平穏、幸せ。普通にゲームをしているときには考えなくても済むような、俺が考えなくてもいいようなことばかり考えてしまう。

「っだーっもういい!考えるのやめ!」

ここにいると色んなポケモンたちの声が聞こえてしまう。だから本音を言えば今すぐにでもポケモンセンターに行ってふかふかのベッドで寝たいが、たぶんロロがいるだろう。つーか、何度考えても俺は悪くないし、あいつが勝手に機嫌損ねただけだから俺は別にどうでもいいんだけど。……でもなんか、今はまだ会いたくない。クソ。精々俺が帰ってこなくて心配してればいいさ。……いや、心配なんてしないかな。

「ていうかなんでロロも俺と一緒にいるんだ。母さんが好きならとっとと母さんのところに、」

……もしかして、ロロは母さんに俺と一緒に旅をするように言われているのか?……それだ。絶対それだ!そうでもなければ好きでもない俺と一緒に旅をする理由がない!

「あんのクソババア……!」

どこまで過保護なんだ。ああもう、ああもう!
薄暗い森の中、苛立ちに任せて力いっぱいペットボトルのキャップを開けておいしい水を一気に飲む。それからリオル探しに必死になりすぎて食べ損ねていたサンドイッチを食いあげて、それでも若干の空腹を残したまま寝袋に潜り込んだ。いつもならテレビを見たりゲームをしている時間だけど、今日はもうここでやることもないし疲れたから寝る。風呂にも入りたいけど当然のようにそんなものここには無いし、暗いから川もよく見えない。明日の朝、早く起きて水浴びでもしよう。それから適当に、何も考えず歩いて、リオル見つけられたら、いいかなあ……。





がさがさ。……がさがさ。
気付いたら寝落ちしていた俺。只今絶賛警戒態勢中。つっても、ただ寝袋に入ったままジッと音を聞いているだけだけど。ていうか今更だけど、そういや俺、今手持ちポケモンいないんだった。野宿もいいけどさあ……これ、野生のポケモンに襲われたら俺一発アウトじゃね?死ぬ?

「……、」

と、とりあえず今はまだ様子見だ。まだ草が擦れる音しかしてないし、足音とかも聞こえない。いや、野生だったら足音とかも消せる、のか!?
ゆっくり、なるべくこっちの音は出さないように寝袋のジッパーを降ろして上半身を起き上らせた。少しはこの暗い森に目も慣れてきているらしい。真っ暗だった視界に、若干ではあるけれど林の形や石らしき影は見える。未だがさがさと音がするし、何かを引き摺るような音も一緒に鳴っている。……なんだ。なんの音なんだ。

──……雲の隙間から月光が射し込み、森を仄明るく照らす。それに顔を上げてみれば、裂かれた雲の間、まん丸の月が姿を現していた。今日は、満月だ。

「──……え、」
「……え?」

ふと、声がした。丁度、月明かりが俺の寝ていた場所にも射し込んできたというときだった。
声の先に視線を向け、次にぼとりと下に落ちる音と一緒に地面を見た。──……真っ黒い獣の足に落ちたのは、赤。赤黒い液体がまた、ぼとりと獣の足を濡らす。濡れた足が微かに動き、赤を芝生の上に擦った。

「──……ッ、!」
「お、おい!待てよ!」

それが俺に背を向けた瞬間、青く丈の長いマントが翻った。それと一緒にまた引き摺る音が生まれ、ようやくここであの音はあいつが足を引き摺っていた音だったことを知る。
俺は慌てて寝袋を脱ぎ棄て、バッグを引っ手繰ってからあいつを追いかけ走りだす。負傷者と超健康体の俺だ。距離の差なんてあっという間に無くなって、すぐにあいつに追いついた。が、しかし。真後ろに俺がいるにも関わらず、未だ諦めないで前を向いたまま足を引き摺り逃げるそれ。暗い森に、心の底から冷えるようなぞわぞわした怖い音が鳴り続ける。

「っおい!止まれよ!」
「っ、!」

マントの上から無理やり腕を掴むと、完全に顔を隠すように被っていたフードから青白い顔が勢いよく現れた。唇が白くなるほど力強く噛み、恐怖を押し殺すような表情。そして、思い切り眉を寄せ瞳に寄せては今にも閉じてしまいそうな潤む赤と青を必死に開いている、にんげん、?

「っ触るなッ、放せ!」
「え、あっ!?、……ご、ごめん、なさい、……」

その必死な表情に驚きすぎて何故か俺は謝りながら掴んでいた腕を離す。こいつもこいつで噛みつく勢いで"放せ"と叫んでいたくせに、俺があっさりしすぎたのか今は大きな瞳を何度もぱちくりとさせている。……ぼとり。また血が落ちる。嫌な臭い。

「あ、あー、……その、血、すっげー出てますけど、……痛くないんですか」
「…………」
「え、えと。俺、何もしません。手持ちポケモンいないから戦えないし。だ、だから……その、」

相手の様子を窺いながらゆっくりバッグを開けて手を突っ込むと、途端に身体を強張らせて後ろに後ずさる男。そのせいで無理に保っていたバランスを崩したのか、そのままケツから地面に落ちる姿を見る。俺は慌ててバッグから手を引っこ抜いて、ロロから貰った傷薬を見せつけた。

「っこれ!見て!傷薬!あー、え、えーと、使い方、俺分かんないんですけど。よければ使ってください。多分これ効くと思うんで」
「…………」

男が差し出された傷薬と俺の顔を何度も繰り返し見ている。大きいフードで顔を半分隠すようにしながらそれを何時までも繰り返し、一向に受け取ろうとしない。よほど警戒されているようだ。しかしさっきよりも男の息が上がっているし、そうこうしている間にも芝生をどんどん赤く染めているのが目に見えて分かってしまう。──……このままでは、男は俺の目の前で、。

「──……あーッもう!傷薬だって言ってんだろうが!」
「っ!?」

俺と同じぐらいの背格好をした男に馬乗りになって顔面でクロスしていた腕を掴み、力づくで開かせた。それからヒラヒラと邪魔くさいマントを捲りあげると、これまた真っ赤に染まった腕が出てくる。それと一緒に今までに嗅いだ事もないようキツイ鉄の臭いに顔を歪め、思わず息を止めてしまった。それから追ってやってくる吐き気をぐっと抑えて。

そんな俺を見てなのか、男がフイと顔を横に背けて急に力を抜いたのだ。おかげで手当てをしやすくなり、一旦手を離してから立ち上がって横に移動する。……犬のように丸まった手先と真っ黒の足。間違いなく、コイツは俺が探し求めていたリオルではあるが、捕まえるよりもまず先に手当てしなければならない。何故って?そりゃあ俺の目の前で死なれても後味悪いし、ボールの中で死なれても面倒だからに決まってる。

「えーと、"ここを押すと噴射"……っお、出た」

初めて傷薬を使うのがまさか野生のポケモンとは。まあ使うぶん鞄も軽くなるし俺にとってはいいんだけど。
試し出ししてから、怪我をしている腕を片手で軽く持ち上げ傷薬を吹きかける。傷に薬が沁みるようだが、男は一度「うっ」と低い声を小さく漏らしただけであとは怖いぐらいに静かだった。
ところで、はたして手当の仕方はこれで合っているのだろうか。不安に思いながらも、再び傷薬を吹きかけた。




- ナノ -