2

あれから三回、森の中で膝を抱えて夜を越えた頃。
背後で音がした。もう減り過ぎて鳴くことすらしなくなった腹に、最後の菓子を無理やり入れている時だった。弾かれるように振り返ると勢いよく起き上がったアイツがやはり無表情のまま辺りを見回してから俺を見て、何事もなかったかのように片足で立ちあがると俺の隣までやって来る。

「…………」
『…………』

見上げると、見下ろしてきた。首がまた落ちてくるのではないかとヒヤヒヤしたが、そんなことはなくてちゃんとくっついたまま。……マジ、だった。これはこれで色々とヤバイのではないかと思ったが、もうこの際なんだっていい。

「調子はどうだ?大丈夫なのか?」

こくり。頷く。それを見てから貯めておいた木の実を沢山出して手渡すと、片腕いっぱいに抱えながら俺を見る。

「ごめん、お前は連れて行けないんだ。だからここで俺が戻って来るまで待っていてほしい。……俺の言っていること、分かるか……?」

こくり。即座に頷く。シュヴェルツェ以上に無表情だから本当に理解しているのか怪しいところだが、今は信じるしかない。バッグのジッパーを全部締めて立ち上がり、少しだけ悩んでからアイツの頬に手を添えて抓って引っ張る。あたたかいし柔らかいし、変な顔だ。

「できるだけすぐ戻るけど、何かあったら教えてくれ」

こくり、また頷くのを見てから。
背を向け、マハトさんが向かった方へまっすぐに歩き出す。村の入り口である門は相変わらず見えている。まるで俺を待っているかのように、ずっと頭を見せていた。

それから1人、ただひたすらに歩く。背の高い草を掻き分けながら進むと、ぱきんと足元で何かが折れた音がした。そういえば前に来たときも村の近くではパキパキと音がしていたような気がする。木の枝だろうと思いつつも足元へ少し視線を向けて、……一瞬で視線を戻した。ドッと沸き上がる変な汗も無視して、足を勢いのまま持ち上げて踏みしめる。
この村がどういう場所なのか忘れたわけじゃないけれど、……まさか、村の外に骨を捨てているだなんて誰も思わないだろう。人避けのため、あえてこんな場所に捨てているのか。ええい、もう考えるのは止めだ、やめ!!

「マハトさんを待たせているし、とにかく行かなくちゃ」

ここで怖気づいたって、今の俺には帰れる場所はどこにもない。何でもいい。何かこれからの道しるべになるようなことが分かれば、……そうすれば。

それから乱暴に大股で歩き続け。村の門へたどり着くまでは自分でも驚くぐらい、あっという間だった。





「おはよう、よく眠れたかい」

少年の姿が見えなくなった頃。それが声のした方へ振り返ると、彼が立っていた。片足で少し跳ね、身体ごと向けると彼がゆっくり近づいてくる。それはただその場に立ち、同じ目の色・同じ髪色をした彼を見ていた。そこになんの感情もない。ただ、見ていたのだ。
それの目の前に来た彼は、少しばかり腰を丸めると優しくその頬に触れる。親指で何度か撫でてから、長すぎる前髪をそっと動かして露わになった顔を見る。

「──わざとリヒトに似せて造ったのだろうな。そうすれば多少なりとも私が戸惑うと。ふふ、いかにも彼が考えそうなことだ」

添えていた手を離してから頭に乗せて柔らかく撫でると、背を向ける。そんな彼を、やはりそれはただ見上げていた。
再び彼はそれから距離をとって振り返り、両腕を広げた。瞬間、ばらばらと音を立てながら部品がいくつも地面に散らばり落ちる。次いでマントを弾いて腰の部分に付けていた義手と義足を取り外し、地面に放り投げる。それから腕を閉じ、微笑みながら口を開く。

「アヤトくんが戻ってくるまでに使いこなせるようにしておきなさい。何かあってもすぐ逃げられるようにしておくんだ。いいね」
『…………』

彼の言葉に、それは頷かなかった。もちろん言葉を理解していてきちんと実行するであろうことは彼にも分かっていた。だからこそ彼は、余計になぜそれが頷かないのか不思議だったのだ。じっと見つめたままのそれを見て、一つ小さくため息を吐いてからまた目の前に歩み寄る。

「ジャンクでも私の言葉は理解しているだろう?できるね、きちんとやりなさい」

視線を合わせて言ってから、答えを聞かずに今度こそ去ろうと身を翻したときだった。くん、とマントが引っ張られる。少しの驚きを覚えながら顔だけ振り返ると、それの視線は下に向いていた。
マントを掴んでいた片手は離れてゆっくり左の胸元を握りしめる。そうして顔をゆっくり上げて、彼を見て。

『オ……おトウ、さン……おト、さ……、』
「──…………」

ほんの少し。少しだけ。

思いがけない言葉に、彼は動揺してしまった。しかし一切顔には出さず、もう一度だけ頭を撫でると背中を向けて歩き出す。

「いいや、違う。私はリヒトだけの父親だ。決して、お前の父ではないよ。……お前の父を、殺す者ではあるけれど」

そう言って、強靭な脚力で一瞬にして姿を消す彼を。
それはやはり、無表情のまま見送っていた。





門の前。固く閉ざされたそれを見上げながら途方に暮れていると、上から黒い何かが落ちてきた。驚いて一歩後ろに下がった瞬間、すぐ目の前にトンと忍者のように静かに着地する。少し遅れてやってきた風圧で前髪が舞い上がるのを感じながら、俺を笑顔で迎えてくれるマハトさんを見た。

「待たせてしまったようだね、すまないアヤトくん」
「い、いえ、今着いたところです……」
「なに、気を遣うことはない。君はもう三分三十四秒も門の前で待っているじゃないか」
「…………」

確か、ロロやイオナが言っていたっけ。マハトさんはめちゃくちゃすごい波動使いで、波動と使って村全体を常に把握しているのではないかと。まさにそうだったし、そこにこう付け足すべきだ。”村全体だけでなく、周辺までも把握している”と。
そもそも波動というものがどういうものかよく分からないが、とにかくすごいというのはよく分かった。……いやしかし。時間を秒まで把握しているのはなんなんだとは思うが。これも警戒に警戒を重ねてきた結果なのだと思うと何とも言えない。

「さあ、行こう。彼女も君のことをお待ちかねさ。ああ、分かっているとは思うけれど、出来れば彼女に話を合わせて欲しい」

マハトさんが言う彼女とは、リヒトの母親のことを指している。加えてこんな言葉が出てきたということは。……聞いてもいいのか。ちょっぴり悩んでから、遠慮がちに聞いてみる。

「……あの、マハトさんは、」
「知っているさ、もちろんだとも」
「そう、ですか……」
「彼女は現実を受け入れ切れていない。未だ悲しみの底にいる。しかし、ああ見えて完全におかしくなっているわけではないんだ。時折正気に戻るたび、リヒトを想って泣いている。きっと少しずつ受け入れて立ち上がろうと足掻いている途中なんだと思うよ」

前を向きながら隣を俺に合わせて歩いてくれているマハトさんの横顔を見る。まだ日が昇ってからそんなに経っていないこともあり、歩いている村人は少ないけれど、すれ違う人々全員がマハトさんを見かけると即座に立ち止まって深々と頭を下げていた。さすが、村の長。一目を置かれているのは明らかだ。

「……マハトさんは、どうなんですか」
「どう、というのは?」
「リヒトのこと、マハトさんはどう思っているのかなあって……あっ、いや、その、」

俺を見る赤い目に緊張しながら言い繕おうとしたが、言葉がうまくでてこない。それでもマハトさんは面白そうに笑いながら「そうだね……」と視線を正面に戻して俺の一歩先を歩く。

「リヒトにはこの村の命運を賭けた戦いの将として、そして奥の手として、この村に襲いかかる研究者や人間たちと戦うという重要な役割が与えられるはずだった。だからリヒトが欠けてしまったのは、とても痛手だよ。……と、これは村の長としての思いだ」

マハトさんが立ち止まり、振り返って俺を見る。被っていたフードを後ろに落とすと、スッと目を細めた。青い髪はやはりリヒトと一緒で、長く伸ばしている後ろ髪は1つに結ばれているが毛先だけ肩にかかって揺れている。

「父親としての私は、……彼女と同じというのが正直なところだろうか」
「…………」

青い髪が後ろに見えている青空に溶けてしまうように見える。
エネは、マハトさんの言葉を聞いても全く人柄が見えてこないと言っていた。確かにあの時は全てが包み隠されていて、まるで雲のように掴めない人だとは思っていたが。……今は、なんとなく違う。

「リヒトは、……私と彼女で沢山悩み、色々なものを投げ打ってでも願い、欲した子だ。私が村の長となってからは厳しくしてしまったが、それでも私にとって大切な我が子であることに違いはなかった。……悲しくないわけがない。……どうしようもなく、辛いさ」

太ももの横にぶら下げられている手が、きつく拳を作るのを見た。顔を上げ、ひたすらに青い空を見ている彼の横顔にそっと唇を噛みしめた。
いつだったか、リヒトんちの母さんからアルバム写真を見せてもらったことがあった。小さなリヒトは、確かに両親から沢山愛されていたことを俺は知っている。だからこそ、マハトさんの言葉に一切嘘は含まれていない。それだけは分かった。

「──しかし、それでも。私はこの村の長。村人を守り、外敵を排除する役目がある。悲しんでいる暇があるなら、その分研究者どもを狩るのは当たり前のことだろう?」

視線が俺に戻ってきて、また柔らかく微笑んだ。それから歩き始めるが、俺が立ち止まったままでいるのを見るとすぐに止まって振り返る。

「どうしたんだい」
「マハトさんは。……あなたは、それでいいんですか。感情を放り投げてしまって、それでいいんですか」

一瞬だけ、目を大きく見開くと。静かに歩み寄ってきて、俺の頭を優しく撫でる。それから小さく笑って言う。

「君は優しい子だね。道理でリヒトが懐くわけだ」
「…………」
「私はこれでいい。……これでいいんだ」

離れる手を見ながら、自分自身にも言い聞かせるように呟かれた言葉に俺はどうも納得がいかなかった。が、そこから何か言うこともできずに口を噤む。
それからまた二人並んで歩き出す。そうすれば、見覚えのある木造の小さな家が見えてきた。近づいて行く度に、美味しそうな匂いが強くなってゆく。前回のことを思い出しては顔を青ざめてはいたものの、……とうとう俺の腹の虫が匂いを嗅ぎつけてしまったらしい。ぐううぅう、と大きく鳴いた。もちろん、マハトさんにも聞こえていたらしく、隣でふふ、と小さく笑う声がした。

「今日は残念ながら、競りは行われていないんだ。だからきっと、パンを焼いたのだろう。彼女、パンを焼くことが好きらしい」

その言葉に、内側の俺は心の底から「ヨッッシャーーー!!!!」とガッツポーズを決めて雄たけびを上げていた。波動でバレたのだろうか、マハトさんはまた面白そうに笑ってみせる。……この人、こんな顔もできるんだ。

「私の話ばかりですまなかったね。さあ、入って。今度は君の話を聞く番だ」
「……はい」

嬉しいやら、不安やら。なんだかよく分からない感情に未だ振り回されつつも、今は早く何かを食べたい一心だった。というか、スイッチが入ったように鳴りやまない腹の虫をどうにかしたいのが正直なところである。お腹に手を添えながら、またあの時の同じようなノック音でのやり取りをしているマハトさんを見ていると、ふと、俺を見て。

「私の分まで、いや、もしかするとリヒトの分まで彼女が心を痛め続けて泣いてくれている。……だから私は、戦えるんだ」
「……、」

扉が開き、満面の笑みで現れたのはリヒトんちの母さんだった。美味しそうな匂いを纏って、やっぱり何事もなかったかのように俺を抱きしめて迎え入れてくれた。少し痩せたように見えるが、それでも今の彼女の表情には曇りひとつない。それを見て。優しい眼差しを向けているマハトさんを目の端にチラッと映してから思う。

この村全体で非人道的行為を繰り返していることには違いない。そんな人たちと同じ生物だと知ったとき、俺は確かに嫌悪感を抱いた。どうしてなんだと、認めたくなかった。

しかし、やっぱりどうしても全てを否定することはできない。
だってここにも、小さな幸せが確かにあったのだ。懸命に生きようと足掻いている者たちがいる。狭い世界を守るために必死で戦っている人がいる。

ハーフに肩入れしてしまうのは、やっぱり俺も同じだからなのだろうか。
分からない。分からないけれどこれだけは言える。今の俺にとってこの場所は、とても居心地が良い。あたたかく、包み込まれるような感覚だった。




- ナノ -