1

ぼんやりとしたまま目を開ける。目の前にあった外に向かって跳ねている青い髪に顔を埋めて息を吸い込むと、鉄みたいな臭いがした。思わず顔をしかめながらまた目を閉じる。……リヒトんちのシャンプーは柑橘系の匂いだった気がするんだけど。

「…………間違えた」

大人しくおぶさったまま、また鉄臭い髪に顔を埋めて脱力する。
真っ暗だった空にはいつの間にか太陽が昇っていた。やっぱり俺がどれだけ絶望しようとも、陽はまた昇る。当たり前だが、その当たり前が気に食わない。俺が落ち込んでいるときはずっと真夜中だったらいいのに。

「着いた、のか……?」

そういえば、さっきからずっと動いていない。訊ねたものの返事はなく、仕方なく自分から降りて辺りを見回した。薄暗い森の中、どこを見てもただひたすらに緑が広がっている。……ぜんっぜん、分からない。ここは果たして"あの森"で合っているのだろうか。

歩き回る俺を見ているヤツは動かず、そのまま片足で立ち続けている。昨晩あれだけの距離を俺を背負って片足で走ったというのに、疲れている様子は一切ない。そのうえ、俺なんかめちゃくちゃ腹が減っているというのにコイツは腹の音一つ鳴らさないのだ。飲食も不要なのか?いったい何を糧に動いているんだろう。

「なあ、本当にこの近くなのか?」
『イまだ、ムらへのミチは、みツからず。しカシ、かクじツニ、このキんペんに、そンザイしテいる、と、ダンげんデきる』

あのクソ研究者から造られたコイツには、なぜかハーフの村へ向かう道筋もプログラミングされていた。ということは、だ。シュヴェルツェの言うとおり、自身が造りだしたハーフたちを使ってハーフの村を襲撃しようとしていたことには間違いない。……まあ、今回それがこうして役立ってしまったから何とも言えないところだが。

"自分が何者なのか分からなくなったその時"、いつでもここに来るがいい。

……そう、リヒトの父親であるマハトさんは俺に向かって言っていた。あの時は何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、今となっては甘い誘い言葉となっている。

真実を知ってから時間が経って、いくらか冷静に考えることもできるようにはなっていた。どうして今までみんなは俺に黙っていたのか。人によって理由はそれぞれあるだろうが、きっとどれも悪意は含んでいないと思う。俺のために、俺のことを思って秘密にしていたのだろう。
しかし。
……俺は、ひとっつも納得できない。俺のためだなんて思えない。だって実際、俺のためになっていない。俺の気持ちなんて、誰一人として分かっていない。

「…………」

こういうの、なんていうか知ってるか。俺は知ってる。……自分でもひねくれていることぐらい、分かってる。それでも今のこの状況を素直に受け入れることはできなかった。
だって。
俺もハーフだっていうこと。もしも、リヒトが生きているうちに知っていたのなら。──……もっとリヒトのために、俺にも何かできることがあったかもしれない。もっとリヒトの気持ちを知れたかもしれない。想いも、痛みも、もっともっと分け合えたかもしれないと思うと。

「……っくそっ、」

舌打ちをしてから木の枝を蹴飛ばす。正直怒鳴り散らしたいところだが、昨晩の勢いで誰にも言わずに飛び出してここまで来てしまった手前、今更戻ることはできないし。
それに……自分のことを知ってしまった今、一番に頼れるのはハーフをよく知るマハトさんしかいないと思ったのだ。彼は俺がこうなることを見越して、あの時あんなことを言ったのか。まさかとは思うが、どうだろう。

「とりあえず歩いてみるか。お前は……どうしよう」

若干リヒトに似ている感じは否めないが、ここに置いていくわけにもいかない。同じハーフだから受け入れてもらえるだろうと信じて、一緒に薄暗い森の中を歩きはじめる。もちろん会話なんてものはない。ひたすらに無言で歩いていた。
……それからしばらく歩いたが。
ぜんっぜん、たどり着く気配がない。そもそもあの時に見た大きな門自体見当たらない。なんでだ。あんなに大きいのに端すら見えないなんて。

「なあ、本当にこのへん、」

振り返った瞬間。
俺とアイツの間にフードを深く被った男が一人割り込んでいて、真っ直ぐにアイツ向かって波動弾を構えていた。慌てて服を掴もうとするも、当たり前のように動きが速すぎて俺なんかじゃ到底止めることはできず。

ドンッ!、地響きが地面から足に伝わってきて、目の前では黒い煙が暴風と一緒に襲いかかってきた。目を細めながら顔の前で腕を交差させて、二人の姿を捉えようと必死で目を凝らす。

「っま、待ってください、──……マハトさんッ!!」

叫んだときに煙も吸い込んでしまい、げほげほと咳き込みながら涙目で前を見る。と、音が止み、だんだんと黒煙も薄れてきたときにやっと状況を目の当たりにした。その姿に、思わず目を見開いて固まる。
……たった数秒のことだ。マハトさんは片手でアイツの首を正面から絞め上げていたのだ。逃れようと宙にぶら下がっている足や腕を激しく動かしているが、少しも力を緩める気はないらしい。ギチギチと嫌な音が俺のところまで聞こえてきている。

「マハトさんっお願いします、離してください!そいつは俺の、……俺の友達なんだ!!」

ゆっくりと腕だけ残したまま身体をこちらに向けて俺を見る赤い目は、真っ直ぐに俺を射抜く。思わず背筋を凍らせながらも震える膝で何とか立っていると、彼はふと、視線を俺から再びアイツへと向ける。無表情のまま、何とかマハトさんの手から逃れようと必死にもがき続けている姿を見て。

「なるほど、これがリヒトを模して造られた玩具か。初めて見たが、ふむ、想定以上のガラクタだ。ハーフだなんてよく言える。ただのジャンクと同じではないか」
「…………」
「アヤトくん、君が再びここへ来てくれたことはとても嬉しく思うよ。もちろん歓迎しよう。しかしこれはいけない。即刻廃棄すべきだ。どうしてか分かるかな」

穏やかな口調は相変わらずだけど、目は全く笑っていない。力も先ほどと変わらず、まさに殺す勢いで掴んだままだ。答えられない俺を見ながら、彼は一度だけフ、と笑うと。

瞬間。
……アイツの首を、刎ね飛ばした。

真横に飛んでぼとりと落ちる頭部を、震えを大きくしながら目と口をだらしなく開けて見る。なんとか耐えていた膝も一気に崩れ、倒れるように座り込む。衝撃的すぎて駆け寄ることもできない俺の目の前、頭部の無くなった身体の首元を掴んだままのマハトさんは、なんと、首の断面にもう片方の手を思い切り突っ込んだのだ。
こうなってはもう見ていられない。耳を塞いでもぶちぶち筋肉が突き破られている音やぐちゅりと粘ついた液体がかき混ぜられている音やら何やら色々聞こえてきてしまう。誰も俺の盾となってくれる人がいない今、自分で自分の身体を思い切り抱きしめながら荒い呼吸を繰り返していた。

──……それから。
ふっと気配を感じて、恐る恐る顔を上げると。……気付いたら、彼がすぐ目の前にいた。
思わず飛び上がって後ずさるが、マハトさんはフードから返り血を滴り落としながら真っ赤に染まった手を俺の前に差し出してきてニコリと微笑む。

「ほら、ご覧。これが受発信器。そして自爆する際のトリガーとなっているものだ。首の内側に埋め込まれているのは、万が一にも他者に壊されないようにするためだろう。人間という生き物は、どこまでも残酷になれるらしい」

バキン。指先だけで機械を壊すと、その場に落として踏みつぶす。それから無様に震えている俺を見下ろす彼が、ぬっと手を出してきた。恐怖しかない今、思い切り目を瞑ってしまった。が、頭にそっと落ちてきたのは手のひらで、優しく俺の頭を撫でる。

「さあ、これでもう大丈夫。あれは君に免じて見逃そう。なに、たかがジャンク一体、放っておいても村への影響はないだろう」
「…………え、……ど、どう、いう……」
「リヒトを基にしているんだろう?なら首を刎ねたぐらいでは死なない。心臓さえ無傷であれば、時間が経てば元通りになる」
「ほんと、……ですか……、?」

見上げると、赤い瞳は相変わらず三日月の形に細められていた。しかし突然衝撃的なものを見せられた後で、ああそうなんだと安心できるわけがない。少しだけ視線を動かして、見たくはないけれど血だまりを見てみた。一度大きく跳ねる心臓に、また視線をマハトさんに戻して短い呼吸を繰り返す。

「さて、私は先に村へ戻ることにしよう。ここを真っ直ぐ行けば村の門にたどり着く。……もちろん、アヤトくんだけの話だが」
「…………」
「本来より同胞以外は村への立ち入りも禁止しているんだ。すまないね」

それでは、また村で。、言葉が聞こえたと同時にぐらいか、もうすでにマハトさんの姿はどこにもなかった。
残された俺は、呆然としながらマハトさんが指さしていた方角へ首だけ回して見てみると。……先ほどまでは少しも見えなかった村への入り口である門の姿がはっきりと見えていた。
知らない間に、すでに彼には見つかっていた上に視界も化かされていたというわけか。

「……、……、」

それから。
……なんとか。
…………やっと。
四つん這いで地面を這いながら、倒れているアイツに近づいていった。転がっている頭部は顔がこっちに向いていて、やっぱり変わらず無表情のまま目を見開いて俺を見ていた。いや、実際見えていないとは思うが、何度視線を外しても気づくと交わってしまうのだ。

もうここには誰の視線もない。堪えていた恐怖やら悲しさが一気に押し寄せてきて、情けないぐらいにぼたぼた涙を落としながら恐る恐る頭部を拾い上げた。首から垂れ落ちる血を一筋見てから視線を上げて、赤い目だけをじっと見たまま膝立ちで身体まで這い寄る。

「……マジ、かよお、……」

広がる血だまりに踏み入れて、仰向けに倒れている身体を少し動かして綺麗に切られている首元を下から少し見た。切断部なんか絶対に見れないし見たくもない。
いやだあ、うええ、なんでだよお。、一人泣き言を繰り返しながら鼻水を啜って、頭部をやっとの思いで首に合わせて置いてみた。それからすぐさま離れて、様子を伺う。

「こんなんで、マジで、もどるのかよお……?」

地面に広がっている血だって本物だ。半信半疑というか、もはや祈るように赤い首元を見ていた。
まさかこんなことになるなんて微塵も思っちゃいなかった。コイツも受け入れてもらえるものだとばかり思っていたのに、あっという間に殺されてしまったのだ。……こんなの、アリかよお。

「たのむ、頼むからあ……ほんとうであってくれえ……」

べそべそ泣きながら俯いたまま手を握る。……握って、驚いた。思わず顔をあげて鼻水を垂らしたまま泣き止んでしまったぐらいだ。それぐらい、驚いたのだ。
―手が、あたたかい。
慌てて首元を見てみると、綺麗に赤い線は入っているものの、……ちゃんと、くっついて、いた。
腰を抜かしてケツから地面に落ちる。

「マジ…………か……、……」

マジ、だった。マジのマジ。本当に、大丈夫だったのだ。首がぼとっと落ちても。生きていた。……知らなかった。コイツの生命力がこんなにも強かったなんてこと、ぜんっぜん知らなかった。

「はーーーー……」

大きく息を吸って、ゆっくり長く吐きながら。仰向けに寝転んでいるヤツの上に、横から覆いかぶさるように上半身を乗せた。顔を横に向けて耳を当てる。どくん、どくんと、心臓は、動いていた。

それから俺はしばらく動くことができず、足が痺れるまでずっと上半身をヤツに預けたまま呆然としていた。まさに無だった。明るかった空は気づけば日が傾き始めていて、……そうしてやっと、上半身を元に戻してゆっくり立ち上がり。
そこらへんに落ちている枝を無のままにかき集めてから、ポケットに入っていたライターを使って火をつけた。

「…………あったけえ」

小さく燃える火に両手をかざして温まる。それからひたすら現在進行形で自然回復をしているであろうヤツを見て、膝を抱えて小さくなる。
……俺だけしか、村には入れない。村はすぐ目の前にあっていつでも行ける。ならば。

「目が覚めるまでは待たせてください……」

聞こえはしないが見ているであろう、マハトさんへ向けて小さく呟く。腹をぐうぐう鳴らしながら、ヤツが持ってきた俺のバッグを引っ張ってきて、食べかけのまま仕舞い込んでいたスナック菓子を取り出した。一粒食べて、吐き気を覚えてすぐに仕舞う。いくら腹が減ろうとも、心が死にかけているからなのか受け付けてくれないらしい。

「……」

そういや、サンギ牧場でもこうして何度もリヒトと野宿してたなあ。
焚火を見ながら膝を抱える自分に気づき、ふっと笑みがこぼれた。……後ろで寝ているのはリヒトじゃないけど。そう考えて、鼻先がツンとするのにハッとしてから慌てて頭を振る。

「……早く治せよー」

無理なことを言っているなと思いつつ、ヤツに視線を向けて言う。
それから。

「お前はジャンクなんかじゃないよ。生きているんだもん、故障品なんかじゃない。誰がなんと言おうと、俺は絶対にお前を見捨てたりなんかしないから」

聞こえていないだろうけど。聞こえていたとしても、きっとよく分からないと思うけど。
それでも言いたかった。今の俺に唯一希望を見せてくれたコイツに、伝えたくて仕方なかったんだと思う。

真っ暗で静かな森の中、やけに焚き火のぱちぱちという音が心地よく聞こえた夜だった。




- ナノ -