10

その場から逃げるように走りだし、気付いたときには小石を重ねて作った目印まで戻ってきていた。地面に膝から崩れ落ちてその場に1人うずくまる。暗闇の中、息切れをしてゼイゼイしている自分の呼吸と心臓の音だけが聞こえていた。

「はあ、はあ……」

地面についている両手で拳をゆっくり握ると、ぶちぶちと雑草が千切れる音がした。土と一緒にきつく握りしめる。
いっそのこと、見間違いであって欲しかった。そう思ってあの場で何度も見直したのに、……なのに。どう考えても、母さんのゼブライカは父さんでしかない。人間の母さんと、ポケモンの父さん。つまり、──……つまり。

俺”も”、ハーフ、なのか、?

ハーフだから、メリープ姉さんたちに”不思議な匂いがする”と言われたのか。ハーフだから、人間かポケモンか分からないと言われたのか。ハーフだから、ポケモンの言葉もハーフの言葉も分かるのか。ハーフだから、電気を使えたのか。ハーフだから、あの研究者に襲われるのか。ハーフだから、ハーフだから、ハーフだから……。

分かった瞬間、今までの記憶に散りばめられていたヒントが一気に集まって、真っ黒の姿のもう一人の自分を作り上げる。それが俺に向かって指差し笑う。

『お前は心の何処かではこう思っていた。俺は人間だ。だからリヒトや村の住民のように怯えて暮らすこともないし、誰かに明白な敵意を向けられることもない、と。ましてや今まで見てきたハーフのように死ぬなんてこと、考えたこともないだろう?』
「…………」
『でもさあ、……お前も、ハーフじゃん。”同じ”だったんだよ。今までどうして気付かなかったんだよ。なあ?』

泥だらけの汚い手で頭を抱えたまま髪を握りしめて歯を食いしばる。
……どうして気付かなかったんだよ、なんて。

「っそんなの俺が知りてえよ……っ!!」

自分もハーフだったという事実にはもちろん驚いているが、未だ信じられず受け入れられていない今。真っ先に俺に襲いかかってきたものは。

「どうして今まで、誰も教えてくれなかったんだ……!」

塗り重ねられてきただろう沢山の嘘が、俺の喉元に刃を宛がう。
これだけ一緒に旅をしてきたのに、どうして誰も俺がハーフだと教えてくれなかったんだ。父さんと母さんを知っている詩が、知らないはずはない。知識豊富なイオナが分からないはずがない。祈とエネは、俺に違和感を持たなかったのか?そもそも二人も知っていたのではないか?

「……、……っ」

ロロは。隣でずっと、俺を見てくれていたはずのロロは、どうして。

「なんで嘘吐くんだよお……っ」

自分でもよく分からなくなっていた。怒りたい気持ちもあるし、なぜかひどく悲しくもなっている。うー、うー、と言葉にならない声を1人で漏らしながら頭を掻き毟る。
誰かに弱音を吐きだしたい。でも誰にも話すことはできない。なぜならみんな、俺にずっと隠していたのだ。俺ばっかり信頼してて馬鹿みたいだ。祈もエネも詩も、イオナもロロも。母さんと、父さんも。みんな、みんな……。

信じられない。

『……どウ、シたノ、』
「……、……」

顔をあげなくても分かった。だってこれは、俺にしか聞こえない言葉。ハーフにしか分からない言葉だから。
ゆっくりとうつ伏せの身体を持ち上げて顔を乱暴に腕で拭いながら前を見ると、俺の上着を片手に持ちながら突っ立っているアイツがいた。半身を失いながらも上手くバランスを取っているのか、一本の足でしっかりと立っていたのだ。それをみて。
気づいたら、その手をとって引き寄せていた。

「……っう、っ……うあぁあ、あぁぁああっ、!」
『…………』

思い切り抱きしめて、思い切り泣く。俺に向かって倒れてきた身体はひどく細くて軽かった。それでも今、俺にとっては唯一の救いだったのだ。きっとコイツには俺が泣いている意味も触れている意味も分かっていない。真っ赤な両目には俺は映っていない。何も考えていないだろう。だからこそ、ここに現れたのがコイツで良かったと心底思った。

「なんで、っなんでだよぉ……、……」

漠然とした、しかしひどく鋭利な現実が、真っ直ぐに俺を突き刺して殺す。






「っ大変だよおロロさんっ!アヤトくん、アヤトくんが、いなくなっちゃったあ!!」

霧が深い森の中、うっすらと明るくなってきた頃だろうか。身体を揺さぶられて目を開けると、真っ先にピンク色が飛び込んできた。泣きそうな表情で身体を起こす俺にしがみついて、再び言葉を繰り返す。

「アヤトくんがいなくなっちゃったのっ!!」
「そこらへん散歩でもしているんじゃない?それか川が近くにあるし水浴びでも、」
「ちっ、違くてえ、!いなくなっちゃったのは夜からなんだ……!」
「……なんだって?」

ようやく頭もはっきりしたところで、一度辺りを見回した。1つだけ作ったテントの中は静かだ。よかった、ひよりちゃんを起こさないで済む。が、しかし。

「アヤトがいなくなったというのは本当か……!?」
「あ、アヤトくんのお父さん……」

そういや夜はチョンが酔いつぶれてから二人で呑んで、そのままたき火の前でそのまま眠ってたことを今の今まですっかり忘れていた。目をこれでもかというほど見開いているグレちゃんの姿に思わず額に手を添えてから、頭を切り替えてエネくんを見る。

「アヤトくんと一緒に寝袋で寝ていたんだよお。それで、途中で散歩に行くっていって出て行ったきり、戻ってきていないと、思う……。ぼくも寝ぼけていてよく覚えてなくて、ごめんなさい……!」
「気にするな。まずはその寝袋のところまで行ってみよう」

グレちゃんに頷いてから三人揃って駆け足で向かう。昨晩は夜徹し起きていたし、あの静かさならば足音ぐらいは拾えていたはずだ。それでも俺が気付かなかったということは、酒がいい感じに回ってうとうとしていた時間帯だろうか。野生のポケモンがいないからといって、油断しすぎていたか。後悔ばかりが思い浮かぶが、今更そんなのもう遅い。

「ここだ、よ……って、あれえ!?あの子もいない!」

寝袋が置いてあったのは、確かにあのハーフが寝ていた近くだったはず。だが、エネくんが言うあの子ことハーフもいなくなっていたのだ。下に敷いていたアヤくんの上着も含めて、綺麗さっぱり消えている。

「二人一緒に消えたのか?」
「ううん、アヤトくんが起きた時、まだあの子は寝てたよお。でも朝になってからは……いたような、いないようなあ……?あーん、ぼくのバカあ!なんでよく見なかったんだあ!」
「あはは。ありがとう、エネくん。充分だよ」

レパルダスに戻って、寝袋とハーフがいた場所の匂いを嗅ぐ。種族的にもいぬポケモンより嗅覚は劣るが、これでも一応、元国際警察だ。訓練も受けたし、ある程度なら匂いを辿ることだってできる。付近の地面に鼻先を当てて、うろうろしてから捕まえて。

『……こっちだよ。行ってみよう』

頷くグレちゃんとエネくんを従えて、匂いと足跡を追ってゆく。地面は乾燥していて足跡が残りにくいようだが、何となく分かる。そのままゆっくり進んでいくと、川に出た。地面には小石がいくつか転がっている。同じような大きさの石が数個だけ集まっているのは実に不自然だ。しかもここだけ、アヤくんの匂いがやたらはっきりしている。こんなところで寝転んでいたのか、?

『……ん?』
「どうしたの、ロロさん?」
『足跡が二つ、残ってる。一つは川に沿って歩いているものと、もう一つは……西の方向……?とりあえず、まずは川沿いに歩いてみようか』

気になる西に向かっている足跡は、途中で道を間違えて戻ってきたであろう線を考えて後にして、川沿いに続く足跡を辿って歩き出す。が。エネくんと一緒に後ろを振り返ると、なぜかグレちゃんが立ち止まっていた。いや、正確に言うと、立ち尽くしているという言葉のほうが合っているかもしれない。

『どうしたのさ』

仕方なくグレちゃんの目の前まで戻るが、川に視線を向けたままやはり動かない。エネくんも戻ってきて、グレちゃんの目の前で手をひらひらとさせて覗き込むように見る。

「どうしたんですかあ?」
「……、……、」

エネの言葉にやっと視線が戻ってきたかと思えば、眉をひそめて俺を見てきた。……様子がおかしい。グレちゃんには何か思い当たることがあるのか。、だとすればこの表情から察するに。
──……きっと、悪い流れだ。

『急ごう』

一度、尻尾でグレちゃんの足を叩いてから走り出す。立ち止まっている暇はない。
今度こそ、ちゃんとついてきている足音を聞きながら三人そろって川沿いをずっと走ってゆく。意外と距離があるが、まだアヤくんの足跡は把握できている。これはどこまで続くのか。何を目的にここまで歩いていたのか。色々と思うところはあるが、とにかく今は足跡を辿る他なかった。

そうして走っていると、川幅が広くなってきたところで足跡は止まっていた。それからまたここでも匂いが広範囲に残っている。さっきの場所といい、ここといい、一体何をしていたんだ。アヤくんは地面に寝っ転がる癖でもあったのか?

「ねえ、ロロさん。アヤトくんのお父さんの様子がおかしいよ」
『…………』

ここに着いてから、グレちゃんは一人でうろうろしている。エネくんにも分かるぐらい、動揺している様子を隠せていない。長年一緒に旅をしてきたから言えるが、ひよりちゃんのこと以外でグレちゃんがここまであからさまに動揺を見せることは珍しい。……グレちゃんにとって、それほどアヤくんのことも大切だということだろう。
黙って見守っていたが、ふと、ぴたりと動きを止めて立ち止まるグレちゃんが見えた。エネくんに合図を出して、やっと俺たちもそこへ行って並ぶ。

「ここ、眺めがいいねえ。向こうの川沿いまで見える」

額に手を垂直に当てて気持ちよさそうに眺めるエネくんの横、グレちゃんを見ると。片手で口元を覆いながら目を見開いている。擬人化してから静かに隣に並んで、そっと視線を送る。何も言わず、言葉を待つ。……そうしてやっと、絞り出した一声は。

「……アヤトは、……知ってしまった、かもしれない……」
「知ってしまった?何を……、──……、ッ!!」

一瞬、何のことを言っているんだと思った。
しかし。……分かって、しまった。咄嗟にグレちゃんの肩を両手で掴んで向かい合う。分かっている。感情をぶつけていいわけではないし、俺自身にも責任があることは分かっているけれど。それでもどうしても睨まずにはいられなかった。

「アヤくんに……ゼブライカから人間の姿になるところを見られたのか……っ!?」
「……確かではない、が。可能性は、ある」
「──……、……」

おろおろするエネくんの姿を目の端に捉えたが、もはやそこまで気を回すことすらできなかった。今度は俺が言葉を失う番だ。どうしようもなく額に当てた手を目に当てて、それから口元に持って行ってから下にストンと落とす。思ってもみなかった事態に頭が真っ白になってしまった。こんなときにイオナくんがいれば、すぐさま対処案を出してくれていたところだろうが、生憎彼は今ここにいない。

「……うん、……よし、……よし」

自分の頬を叩いてから、再びグレちゃんの両肩に手を置いて向かい合う。お互い物凄く動揺していることは見てわかるが、このままではだめだ。グレちゃんの両頬を思いっきり抓ってから手を離し、再びレパルダスに戻った。

『早く見つけてきちんと話さないと、大変なことになるかもしれない。西の方向にあった足跡も追ってみよう。グレちゃん、移動しながら昨晩のこと教えて』

ぎこちなく頷くグレちゃんの横、エネくんがやってきたと思えばグレちゃんの片手を握って引っ張った。それから振り返って、にこりと笑顔を見せる。

「ぼくにはよく分からないけど、アヤトくんならきっと大丈夫だよ。ぼくの愛の力で絶対見つけるんだからあ!」

それだけ行ってまた前を向いて走り出すエネくんに手を引かれるグレちゃんが俺を見る。二人してゆっくり頷き、微かに口元を緩ませて。
そうだ、戸惑っている場合じゃない。かけるべき言葉を考えるのも後回しだ。とにかく今は、アヤくんを見つけ出さなければ。


全速力で駆け抜けて、石が転がっていた場所まで戻り。
西の方向へ残されていた足跡を追った。

「こっちが当たり、だったのか……」

肩で息をしながら、まだ薄暗い町の先を見る。
足跡はカゴメタウンを抜けたあとも、ひたすら真っ直ぐ西へ向かっていて。……途中から、ハーフの足跡が数メートル間隔に一つ残されているだけだった。
二人が一緒にいることは分かったが、どこを目指しているのかが問題だ。西の方角にある、アヤトくんに馴染み深い所とは。

「──……ま、さか、」

ふと思い出した、あの赤い瞳に一度身震いをしてから目を見開く。
自分がハーフだということが分かったアヤトくんが行く場所といえば。

……ハーフの村。
その他に、思い当たる場所はない。




- ナノ -