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ポケモンセンターから戻ってきた母さんたちと入れ替わるように、今度は俺たちがポケモンセンターへ向かう。俺たちがいない間にハーフが目覚める可能性も考えて、祈には母さんたちと一緒に残ってもらうことにした。これまでずっと一緒に旅をしてきた祈だからこそ、任せられる気がしたのだ。

「ひよりちゃんのこと、信用してないんだ?」
「……そういうわけじゃ、ないんだけど」

いち早く回復を終えたロロから差し出されたペットボトルを受け取る。ラベルを見ると"おいしい水・期間限定チイラ味"と書いてある。どうやら知らない間にまた新商品が出ていたらしい。すかさずキャップを開けて一口飲みながら、俺の隣にスッと座るロロを見た。まだ、俺の言葉の続きを待っている。仕方なく、視線をゆっくり外してキャップの開け閉めを繰り返しながら言う。

「……俺、母さんのこと知っているつもりだったんだ。……でも、なんか、……全然、知らなかったなあって」
「…………」

生まれてから今まで、ずっと家族として一緒に暮らしてきた。だから母さんがどういう性格だとかも知っているし、言動とかもだいだい予想は出来ていたのだ。……でもこっちの世界に来てからというもの、母さんの今まで見たことのない一面ばかり見ている。だからこそ、戸惑いを隠せない。
優しく手を伸ばす母さんしか知らなかった俺は、敵意を向けられた相手に対して母さんがどうするのか、全く予想ができなかったのだ。

「そうだなあ。俺は、まあ、誰にでもあることだと思うよ、そういうこと。ずっと一緒にいるからって、その人の全てを知ることは永遠にできないさ。だって自分と同じ個体はどこにもいない。そもそも自分自身のことだって全部知っている人なんていないでしょう?なら他を完全に理解しようだなんて、一生かけても無理に決まってる」
「…………」
「だからこそ、生き物は自分以外の生き物と関わりを持ちたくなるんだろうね。関わることで知ろうとしている」
「……つまり?」
「つまり、細かいことは気にせず受け止めておけってこと。よかったじゃん、ひよりちゃんの新たな一面が見れて。これを次に活かせばいい」

次なんてもの、あってたまるか。
めちゃくちゃ遠回しに励ましてくるロロを横目に見ながら、再びキャップを取って一口飲んだ。そうしてふと、今までハーフのことで頭がいっぱいだったが、やっともう一人の家族を思い出す。

「そういや父さんはどこにいるんだ?母さんと一緒にジャイアントホールにいるんじゃなかったのかよ」

いっつも母さんが大変なときに姿をくらましているクソ親父を思い浮かべながら視線を横に移すと、ロロが丁度ホットドリンクの蓋に開いている小さな穴から飲もうとしているところだった。俺が訊ねた瞬間、肩を少し飛び上がらせて慌てて蓋から口を離し、ゆっくりこちらに顔を動かしながら涙目で俺に向かって舌を出す。……分かる。火傷しやすいんだよな、それ。

「グレちゃんはキューたんと一緒に外出中だって。陽乃乃くんがいたから任せて行ったんじゃないかな」
「なんだよそれ……はー。俺ほんっと、家族でも父さんのことは全然分かんねーや。父さん、昔っから自分のこととか話してくれないし、……なんか話しかけにくいし。あーなんかどうでもよくなってきた」

ペットボトルを太ももで挟んでから両手を頭の後ろで組んだとき、奥からジョーイさんがボールを乗せたトレーを運んでくるのが見えた。待ってるのは俺だけだし、そろそろ呼ばれるかな。そう思って立ち上がってペットボトルをバッグに入れていると。

「アヤくん。君のパパは、君が思っているよりもずっと面白くて人間味あふれるヤツだよ。からかい甲斐がありすぎて困るぐらい」
「嘘だ。断じて嘘だな」
「本当だよ。ま、あとで俺の言葉が正しいってこと、きっと分かる日が来るさ」

ニヤニヤしながら俺に手を振っているロロを立ち上がりながら睨んだ。父さんが面白いだって?そんなこと、生まれてこの方一度も思ったことがない。ロロに背を向け、やっぱり呼ばれた自分の名前に返事をしながらカウンターへ向かう。
こっちの世界に来てから、今まで俺が知らなかった母さんの一面を見たように。ロロが知っていても俺が知らない父さんの一面も沢山あるんだろう。……いやしかし。

「やっぱり父さんのことはどうでもいいな」

それこそ出会いたての時のロロのこと以上に、父さんについては知りたいとも思わなかった。なぜならそう、長年知りたいと思っていたが、この歳になっても全然分からないままだし分からないことが当たり前になっているからだろう。

笑顔のジョーイさんからボールを受け取りベルトに付けて、ロロを呼んでから駆け足でポケモンセンターを出た。今はまず、ハーフをこれからどうするかが問題だ。





急いで戻ってみたものの、未だ眠ったままだった。思わず深く溜息を吐いて、横に座る。直後、通信機からアラームが鳴った。驚いて慌ててまた立ち上がってから、ハーフから距離を置いてボタンを押した。ついでにロロも後ろからやってきて、俺と一緒に宙に浮かぶ透明な画面に視線を送る。

『アヤト、……と、ロロさん。ということは、そちらは大丈夫だったようですね』

ヒウンシティへ向かったイオナからだった。画面に映るイオナを見て、一度俺とロロは顔を見合わせてしまった。なぜかって、そりゃあのイオナが頭に包帯を巻いていたからだ。それから姿が見えないシュヴェルツェに、急激に不安になってしまい食いつくように質問する。

「お、おい、イオナ。お前、頭のどうしたんだよ!?大丈夫、なのか……!?」
『ええ、ご心配には及びません。大げさに見えますが軽傷です。ですが先にご報告を。シュヴェルツェが戦闘により負傷したので、私たちは今しばらくヒウンシティに留まらせて頂きます』
「な、……」

ぞくり。一瞬背筋を走る寒気に震えてしまった。言葉を失う俺の肩にロロの手が力強く乗り、代わりに身を乗り出してイオナに聞く。
シュヴェルツェはどのような状況なのか。イオナ曰く、戦闘中に片目を潰されたらしい。その治療のためにしばらくは俺たちと合流できないとか。二人のやり取りを心臓をばくばくさせながら聞いていたが、とりあえず命に別状はないということだけ分かって思わず膝から崩れ落ちそうになってしまった。
一礼するイオナを見送り、消えた画面を茫然と見る。……無事であったが、イオナたちに関しては素直に喜ぶことはできない。

「ロロ、どうした」
「……ちょっと、引っかかるなあって」
「引っかかる?なにがだよ」
「ううん、俺の気のせいかも。聞き流して。それよりやっとお互い無事が確認できたし、これで一安心てところかな」

ゆっくり頷き返すと、一回二回と背中をばしばし叩かれた。前のめりになりながら、母さんのところへ向かうロロを見る。……今の、俺を励ましたつもりなのかよ。ひっそり小さく笑ってから身体を戻して、またハーフが眠る横へと戻った。





母さんと話し合った結果、今日はここで野宿をすることになった。
日が暮れないうちに明日用事があるという陽乃乃さんとアカメさんを見送り、残りのメンバーで買い出しに出たりテントを張ったり、たき火を準備したりする。俺と祈はハーフが目覚めたときのことを考えて待機させられ、みんなが準備する様子を座りながら眺めていた。

それからあっという間に賑やかな時間は過ぎて、静かな暗い森で夜を越す。
詩と祈は母さんと一緒にテントで寝て、その他野郎共はボールやら寝袋やら見張りやらで各々好きなようにしていた。俺はといえば、やはりハーフの隣で寝袋に入ってただぼんやりとどこまでも広がる夜空の天井を眺めていた。霧がうっすらとあるが、星は見える。なんだか不思議な景色だ。

「…………」

少し離れたところ、ぱちぱちとたき火の音が聞こえていた。……今は誰が見張りをしているんだろう。ここからだと見えない。何だか眠れないし、ちょっとそこらへんでも歩いてみるか。寝袋の中、俺の右腕に包まれるように丸くなって寝ているエネをなるべく起こさないようにそっと抜け出すが。

『……どおしたのお?』
「ちょっと歩いてくる。エネは寝てていいよ」
『うー……でもお……』
「……おやすみ、今日はありがとな」

そっと頭を撫でてから手を離して寝袋を閉じると少しもぞもぞ動いたのち、音が消えた。どうやら睡魔に負けたらしい。ひっそり笑ってから、一人静かに歩き出す。

この辺りはキュレムの巣の近くだというのが要因なのか、野生のポケモンが全くと言っていいほどいなかった。だから余計に森は静まり返っている。怖いぐらいに静かだが、今は逆にそれが心地よく思う。すぐに川を発見し、分からなくならないように小石を積んで目印を作ってから川沿いに歩いてゆく。このまま進めば小さな湖にでも出るかもしれない。ちょっとした探検気分を味わいながら、また気持ちを落ち着かせるようにのんびり歩いていた。
それから。
思っていたとおり、川幅が広がり始めた先、湖があった。……が、そこでまさかの声が聞こえた。俺の他にも、こんな夜中に散歩をしているヤツがいたのだ。なんとなく手前で足を止めて小さく聞こえる声を拾う。

「──……あんなのひどいよ、……ひどすぎる……、」

聞き覚えのある声に驚きながら、草陰に隠れてそっと見てみると。ゼブライカの太い首に抱き着きながら泣いている母さんがいた。慌てて両手で自分の口を覆ってから一度視線を外す。
……せっかくここまで来て気持ちを落ち着かせていたのに、またふりだしに戻っちまった。このまま見て見ぬフリして戻るか、それとも盗み聞きするか。謎に緊張しながら迷っている間にも、どうしても声を拾うために息をするにも無意識に気を遣ってしまう。

「すごく怖かった。でもね、それ以上に、一瞬のうちに消えていってしまう、あの子たちの姿を見るのが、……っすごく、辛かった……っ」
「…………」

あの時。泣きわめくこともなく、ただ真っ直ぐに目の前で散りゆくハーフを見ていたあの母さんの言葉とは、とても思えなかった。俺にはあの時の母さんは、ハーフたちをただ敵として見ていて、消えていくことを良しとしていたように見えていたのだ。……でも実際は、そうじゃなかった。それが分かっただけでも俺は何だかホッとした。敵か味方か分からなかった母さんが、味方寄りだと分かったからかもしれない。

そこでやっと動く気になって、未だ聞こえるすすり泣く声に後ろ髪を引かれながらも戻ろうとゆっくり足を動かした時。


「──……よく頑張ったな、ひより」


思わず。
……その声に、振り返ってしまった。


「心配することはない、大丈夫だ。……もう、大丈夫」


揺れる黒髪と、目の前にいる母さんをゆっくり抱きしめる姿。

──……それを見た、瞬間。
身体中の力という力が全て抜けて、尻から地面に落ちてしまった。呆然としながら何度も何度も瞬きをしてはその姿を見てみるが。
もうどこにも、先ほどまであそこに居たゼブライカの姿がない。

浅い呼吸を激しく繰り返しながら、定まらない視線で二人を見て。頭を振って掻きむしったり頬を抓ったり、剥がれそうになるぐらい地面に爪を立ててみたけれど。
やはり、……何度見ても、変わらない。小刻みに震える両手で自分の顔を全部覆って、けれどその姿はずっと捉えて。


黒髪と、切れ長の青い瞳、背格好。青いピアス。……電気、タイプ。
ぜんぶ。全部が。思い返せば丸っきり。

──……父さんの、それだった。




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