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あの事件以来、各地で反ハーフ運動というハーフを殺すべきだと声を高らかに上げる行進が行われていたことはまだ記憶に新しい。そんなことも相まって、どうしても助かったハーフをポケモンセンターへ連れて行くことはできなくて、今もこうして霧に包まれた森に留まっていた。

「応急処置はやったよ。荒療治だけど、止血のために傷口も焼いたからとりあえず大丈夫だと思う」
「ありがとう、ございます……」

手の甲で額を拭う陽乃乃さんが立ち上がり、俺を見てからまた、地面に広げた学ランの上で静かに目を閉じているハーフを見る。

「あとはポケモンセンターに行けないとなると……キュウムさん待ちになっちゃうかな」
「アイツならどうにかできるんですか!?」
「キュウムさん経由で、アクロマさんっていう科学者になら治療を頼めると思うんだ」
「アクロマ……」

名前はもちろん知っている。なんてったって、ゲームの中でも異様な存在感を放っていたあの変な髪型の人だ。もうこの際、科学者なのにどうして治療もできるのかとか、なんでまたキュウムと繋がりがあるのかとかどうでもいい。とにかくどこか安全な場所へ連れて行きたいと思っていた。
そんな中、ふと、手をそっと包み込まれるように握られて横を見るといつのまにか祈が立っていた。一度視線を斜めに落としてから俺を見て言う。

「大丈夫だよ、アヤト。あの子ももう、大丈夫」
「……そう、かな」
「アヤトが助けてくれたんだもん、大丈夫だよ。それにみんなも力になってくれている。だから、大丈夫」

ふわりと笑う祈を見て、つられて俺もぎこちなくだが口角が上がる。少しばかり、気を張りつめすぎていたかもしれない。
大きく息を吸ってからゆっくり吐いて。そうしてやっと祈を、そして周りを見ることができた。……確かに、祈の言うとおりだ。

「……祈、ありがとな。ほんとお前のおかげで助かったよ。これからも頼りにしてるぞ」
「たっ、頼りに!?、う、うんっ、わたし、もっと頑張るね……!」
「?、いや、祈は頑張りすぎているからもういいんじゃないかな」

急に嬉しそうに俺の手を握りながらぶんぶんと振る祈に首を傾げていると、エネがやってきて「いいねアヤトくん!それだよ、それそれ〜!」とかなんとか訳の分からないことを言いながら俺を肘でつついてきた。訳が分からないから隣に来たついでに片腕で抱え込んで頭をわしゃわしゃ撫でると、丸い目が俺を見る。

「エネも本当にありがとな。お前、いつの間にあんなに強くなってたんだよ?」
「えっへん!これも愛の力だよお!」
「何言ってんだよ、お前の努力の成果だろ。すげえじゃん!」
「えへ、えへへ……照れちゃうなあ……」

顔だけ見れば可愛いもんだが、こう、身体をすり寄せてくるのは勘弁してほしい。
吸盤の如き吸着力を誇るエネを剥がして、さて、残りは詩なのだが。さっきまでそこにいたのに、いつのまにかいなくなっていた。周りを見回してみても姿が見えず、ついでに陽乃乃さんもいない。そういえば近くに小さな川があったし、血で汚れたタオルでも洗いに行ってくれたのか。二人で行ったのなら俺が邪魔に行くわけには……の前に。

どうやら俺は、目の前にやってきた猫を相手にしないといけないらしい。

俺の前で腕を組みながら仁王立ちをして、明らかに目が笑っていない笑顔で俺を見ていた。とりあえず逃げ出そうとしていたエネを片手でとっ捕まえて一歩後ろに下がってみる。うわ、こわっ……。

「アヤトくん」
「……ハイ、ナンデショウ、ロロせんせい」
「君、俺には"無茶をするな"だの"勝手に死ぬな"とか言ってるけどさ。それ、人のこと言えるの?」

即座に首を左右に振ってみせる。エネと抱き合いながら思うのは、「あれ、ロロってこんなに怖かったっけ?」の一心。なんとか先にポケモンセンターへ行かせた母さんには着いていかないでここに残ったことも、今の今まで謎に静かだったことも不思議には思っていたのだが。まさかそれらのことは全て、俺を怒るための力溜めをしていたとか言わないよな。

「まあまあ、ロロー。みんな無事だったんだしさー、そんなに怒らなくても、」
「チョン。さっきの続き、まだ聞きたいの?」
「き、聞きたくないー……」

ロロと同じくこの場に残ってくれたチョンさんが助太刀してくれるも、玉砕。
俺は知っている。チョンさんは俺が怒られるずっと前に、すでにあの場で止めに入っていたみんなからすでにチクリチクリと言葉を刺されていたことを。悲しいことに、俺はこれで「連帯責任」という言葉の重さを知ることになったのだ。

「ロロ、チョンさんは悪くない。だって力になってくれたんだ!もっ、もちろん祈もエネも詩も悪くないぞっ!?俺が、どうしても見捨てられなかったんだよ!俺がやるしかなかった!そうだろう!?」

唯一、ロロをまっすぐ見ていた祈の視線が俺に向く。ついでにエネも俺にしがみつきながらこっちを見ていた。明らかに悪い方の俺が、まさか言い返すとは思っていなかったのだろう。けど、みんなを巻き込んでしまったのは俺だ。俺だけが怒られるべきなんだ。

「確かに君が動いたおかげでその子は救えた。でも、もしも。救えた代わりに君が大怪我をしていたら、……死んでしまったら。どうするつもりだったんだ。君のポケモンたちの、その後のことを考えてから行動したのか?」
「そ、れは……」

その"もしも"にならなかったからいいではないか。そう思ったが、ロロの言葉にやけに重みがあったから、まともに受け止めてしまった。もちろん、そんなことは全然考えていなかった俺は黙り込むしかない。けれど意地でも視線は落とすものかと、唇を噛み締めながらロロを見上げた。というかもはや睨んでいる今。

……するとどうだろう。突然、ロロが視線を落として、片手で自身の顔を覆って俯いた。俺はもちろん、両隣にいるエネも祈も驚いて固まっている。

「……いや、ごめん。今のは俺が大人げなかったな」
「…………」
「確かに君の行動には怒っている。でも、悪いと言っているわけじゃないんだ。寧ろ君の行動は、……きっと、良いものだったんだと思う。でもね、どうしてもこう、いや、終わったことに対して言うべきではないってことも分かっているんだけど強く当たりたくなっちゃって……って、ああ!もう俺も訳分からないんだけど!?」
「っいやいや俺に言われても訳わからねえよ!?」

食いつき気味に言い返すと、ロロが一度いじけたように俺を見る。それからバッ!と勢いよく顔をあげたと思えば、今度は目の前で大きく両腕を広げて、俺とエネと祈、三人まとめて思い切り抱きしめた。戸惑う二人の声を聞きながら真ん中の俺はもみくちゃにされて、半ば無理やり薄っぺらい胸板の押し入れられてからロロが言う。

「とにかくこれだけは言わせて。
 ──……みんな、本ッッ当に……無事で良かった……っ!!」
「ロ、……」
「ロロ、さん……」

驚きながら頬に当たる紫色の髪を指先で退かしていると、ロロの肩越しにチョンさんが見えた。俺の視線に気づいて目を合わせると、なぜか彼も嬉しそうに笑みを浮かべていた。それに俺はロロと相容れなかった以前を思い出してからなんだか恥ずかしくなって、ロロに隠れるように頭を引っ込める。

「ロロ、心配かけてごめんなさい」
「ロロさんごめんねえ。でもぼくたち、すごかったでしょう?」
「すごかったよ。すごかったし、沢山心配したんだから」
「うう、」
「でも結局、俺もあの場にいながら君たちのために何もできなかった。ごめんね」

やけにしおらしいロロの姿に心を打たれたのか、しんみりとした二人の間に挟まる俺。……分かる。空気は読める方だと思うから分かるけど。

「いや、ロロだって俺たちにめちゃくちゃ心配かけたんだ、俺たちだって心配かけてなんぼだろ」

……言っちゃった。
目をぱちぱちさせるロロが俺を見て、面白そうに笑いながら「可愛くないなあ」と一言。容赦なく頭を撫でてくる手をいつもなら素早く退かすが、今日のところは大人しく撫でられた。そのまま何となく横に向けていた視線をゆっくり動かし、ロロを見る。

「俺はごめんなさいなんて言わないぞ。心配をかけて悪いだなんてこれぽっちも思ってないからな!」
「……へえ?俺の小言、まだ聞きたいんだ」
「っ違う、違うってば!」

俺の両肩を捕まえようとする腕から逃れて懐に飛び込んで抱きしめた。ロロの動きがぴたりと止まり、俺を見下ろしたのか、背骨が少し丸くなる。

「アヤく、」
「ロロ!心配してくれて、ありがとな!!」

真っ青の瞳が、大きく見開いて俺を見る。

だって勝手に心配するんだもん、俺が謝る必要はないけれど。まあ、お礼はしておかないとな。
急になんだか気恥ずかしくなって突き飛ばすように離れるが、今度は両脇から腕を掴まれて再びロロの懐に入ってしまった。慌てて両腕を見ると、祈とエネががっちり俺の腕に腕を回して掴んでいた。な、なんだ。なんなんだ。

「ロロさんっ!ぼくもやっぱり謝らない!」
「わたしも、ごめんなさいじゃなかった……!」
「「ありがとう、ロロ」さん!」

、直後。またもや真ん中でぎゅうぎゅうすし詰め状態だ。抜け出そうにも抜け出せず、祈とエネの可愛さに完全にやられてるロロのだらしない声を聞いていた。あーあ、これ。いつまで続くんだろ。

「いいなー!オレも仲間にいーれてー」

ロロの後ろからチョンさんがひょっこり顔を出す。それからついでと言わんばかりに俺たちの方へ回ってくると、俺たちを挟んでロロに向かって抱き着いた。さらに狭くなる空間に息苦しさすら覚える。
そんな中。

「ロロ、よかったね」
「……うん」

ふっと上から聞こえた二つの優しい声色に、やっぱりもう少しぐらいこのままでいいかも、なんて。……思ったり、思わなかったり。




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