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「詩、エネ!れいとうビーム!」

祈を横に従えて、腕を前に向けると同時にバリバリと一直線に光が伸びて氷の道を一気に作る。一番俺たちに近い手前の二人が気付いた時にはもう遅い。下ってきた階段から助走をつけて一気に駆け下り、滑り抜ける。ここでサーファーのように立ったまま滑れたのならば、きっとすごくかっこいいんだろうけど。……生憎俺は、サーフボードもスノーボードも一度もやったことはない。いや、今はかっこよさよりもどれだけより速く滑り抜けるかが重要だ。

『っあ、おい、坊主!くそっ、セイロン!』
『……分かってる』

音も無く、気が付いたときにはすでに追いつかれていた。流石にコジョンドは速いな。しかしこれも想定内だ。……子どもだからと甘くみすぎていたことを後悔するがいい。
すごい勢いで滑る中、俺が視線を上に向けると即座にコジョンドも上を向き。直後。ガガガガッ!、真上から細長く鋭い何かが大量に降り注ぐ。詩のエアスラッシュだ。0.01秒前ぐらいにはまだ俺がいた氷の道は、今では針山のようになっている。おかげでコジョンドの動きは止まったが、万が一、あれが俺にも当たっていたらと思うと……こわっ。

『アヤト、次が来る!』
「っエネ!チャージビームだっ!」

アクアジェットで向かってくるバスラオには、電気タイプの技をぶつける。効果抜群の技ではあるが、エネとバスラオのレベルの差は歴然としている。それでもいい。ただ、動きを少しでも鈍らせさえすれば。捕まらない限り、俺たちはどこまでも滑り続けるのだから。

『何やってんだぁ!!危ねぇって言っただろう!?』

またすぐ追いかけてくるバスラオとコジョンドに焦りを感じながら前方を見て、しまった、と思った。れいとうビームで作ってもらった道が、途中から無くなっていたのだ。つまり俺たちはこのまま滑って行くと……あと数十秒で立ちはだかっているバクフーンと、衝突する。

「クソッどうする!?」
『っわたしに任せなさい!!』
「詩!?」

頭上、補助に回っていた詩が高く飛び上がると、ほんの少しの間を置いてからバクフーン向かってれいとうビームを放った。いや、正確に言えばバクフーンのすぐ目の前にぶち当てた。あっという間にめきめきと高い氷の壁ができ、かと思えば今度はまっ平だった氷の道が上り坂になってゆく。……って、え。もしかして、もしかしなくてもこれは。……俺と祈、このまま二人でこれを使って飛び越えろってことなのかっ!?

『詩ちゃん、どうしてこんなことを……!?』

……この声は。確かそう、バクフーンの陽乃乃さんの声だ。そういや忘れていたけれど、確か詩は、陽乃乃さんのことが好きなんじゃなかったっけ。
ふと思い出し、上り坂に入ったあたりで上を見上げて詩を見た。チルットの姿じゃ表情なんて少しも分かりやしないが。その視線は、陽乃乃さんではなく。──……俺を、見ていた。

『行っけえええっ!!』
「うおおぉぉおおっっ!!らぁっっ!!」

氷の壁が溶かされる寸前。
詩の追い風とエネの追加のれいとうビーム、祈の手助けによって、一気に氷の壁を滑り上がり。まるで鉄砲玉が如く壁を思い切り乗り越え、飛んだ。文字通り、飛んだのだ。

壁の手前、詩とエネから歓声が上がり、後ろではいつの間にか歩みを止めていたバスラオとコジョンドが俺たちを見上げていた。壁の後ろ、バクフーンは背中の炎を燃え上がらせながら焦ったように上を見上げている。この瞬間だけ、なぜか全てがスローモーションに見えていた。
崩れて砕ける氷の壁がキラキラと輝く中、今度は落ちる感覚が……あれ、飛び越えたのはいいけれど。……着地、どうすんの??

「待て、まてまてまてまてええっ!?!ええ、ええっとおぉお!!い、祈いいサイコキネシスゥウ!!」
『その技、私じゃ覚えられないよ』
「えええぇぇっとおおぉおお!?!?」

落ちる!落ちる!落ちるう!!
宙で手足をバタつかせている俺と、慌てる様子もなく普通の祈。この差は一体。

──……直後。
ぎゅん!と何かが俺に向かってやってきて、気が付いたらその何かに思い切りしがみついていた。これが反射神経というものか。ふわふわしていて、やけに手触りがいい。ついでに言うと、それは俺を乗せたまま真っ直ぐ先へ向かっていた。詩にしては大きいし、羽の色が……灰色だ。手前に座っている祈が振り返って、必死にしがみついたままの俺に触手を伸ばして絡ませる。祈を頼りにちゃんと座り直してから。

「ど、どうして、俺たちを止めないんですか……」
『えへへ、びっくりしたー?』
「え、ええ。そりゃもう、今も驚いてます……」

まさか。まさか母さんのポケモンに助けてもらえるとは思っていなかった。子どもは危ないから、といって止めるのが普通なんじゃないだろうか。
以前と変わらないのんびりとした口調で話すチョンさんに、なんだか拍子抜けしてしまう。

『叱ってくれる大人がいるってー、有難いことだよねー。アヤくんのこと、気に掛けてくれてるってことだもんー』
「分かってます、でも!!……でも、俺にしか出来ないことがあるんです、どうにもできないかも知れない、それでも俺が!やらなきゃいけないことがあるんです……っ!!」

振り落とされるのを覚悟で言い切った。が、相も変わらず飛び続け。―前方、未だ交戦中のレパルダスとゼブライカ、そして母さんの姿を捉えた。だめだ、数が減っている……!あと……二人……っ!!

『止めてくれる大人は沢山いるよ。でもさー、……背中を押してくれる大人がいても、いいと思わない?』
「……!」
『オレがここまで運んできたんだ、何かあったら責任は取るよ。オレも一緒に怒られよう。だからねアヤくん、』

やるべきことを、やってみて。君が思うままに、やってみるんだ。

……思いがけない言葉だったのだ。でも、すごく嬉しくて、目を大きく見開いてから唇を軽く噛んだ。それから無言で大きく頷き、きつく拳を握りしめて前を向く。


あと、一体。
壁際に追いやられ、電気が空間を駆け抜ける中。祈が飛び跳ね、眩しいぐらいの光を生み出す。マジカルシャインを最大力で繰り出すと、視線が一気に上に集まる。その間にチョンさんが加速し、距離を縮める。気付かれないように、早く、早く。

流石、というべきだろうか。母さんたちの反応は速かった。ただの目くらましだと気付いたのだろうか、光が消えてしまう前に視線をハーフへと戻したのだ。……それでももう、俺が勝ったも同然だ。
ロロが怒鳴るよりも早く。ゼブライカが前脚を上げるよりも早く。チョンさんから飛び降りて、衝撃で痺れたままの足でしっかりと地面を踏みしめた。

『……ッ!?』
「っアヤくん!?何して、」
「待って!!」

ハーフの前で勢いよく両腕を広げて、すぐ目の前にいるゼブライカとその後ろにいる母さんを見た。ゼブライカは上げていた前脚を静かに降ろして、切れ長の目で俺をジッと見ている。実際目の前にしてみるとかなり大きく、正直怖い。……それでもここで引くわけにはいかない。

「待ってくれ、頼む……」
『…………』

何も言わないが、多分伝わっているはずだ。
ゆっくり身体を動かして、今度はゼブライカたちに背を向ける。慎重に向きを変え、音や気配にも気を付ける。……そうして土の壁に背を預けているハーフと見合う。

「……俺には聞こえているんだ、お前の声が」
「…………」
「大丈夫、俺はお前の敵じゃない」

──……瞬間。大鎌が振り上げられるのが見えた。咄嗟に構えるが、その前にキン!と何かとぶつかる甲高い音がして、直後に割れて光の粉となって振り落ちる。あれはひかりのかべ……いや、リフレクターか。ついでに気付けばゼブライカが俺を守るように前に出て盾となっていた。慌てて押し退けてまた前に出ようとするが、あっという間にパーカーの襟首を銜えられて持ち上げられる。

「離せ!離せよっ!おい、聞こえているんだろう!?」
『…………』
「大丈夫、次は絶対大丈夫だから……!!」

手足をバタつかせて暴れてみるが、ゼブライカは一向に俺を離そうとはしない。っくそ!なんなんだ、この分からず屋なポケモンは!後ろを少し振り返り、睨んでみても効果はない。……が、しかし。ふと、急にイライラが治まってきた。そりゃもう自分でも不思議に思うぐらい、急に心が安らぎ始めたのだ。それはどうやら俺だけではなく、ここにいる全員がそうらしい。

『……お願いします。アヤトを、離してください』
『…………』
『何があっても、必ず私がアヤトを守ります。……だから、どうか』
「祈、」

そういえば、図鑑で読んだことがある。ニンフィアについているリボンの形のあれは触角になっていて、そこから気持ちを安らげる波動を出せるらしい。目には見えないが、もしや今、祈がハーフを含めた俺たちの気持ちを宥めてくれているのではないだろうか。
後ろからやってきた祈が歩みを進めてハーフの前で立ち止まった頃、ゼブライカがやっと服の襟首から口を離してくれた。

「祈、ありがとな」
『お礼はまだ早いよ、アヤト』
「……そうだな」

頭を撫でて、立ち上がる。大丈夫。今度こそ。祈の波動で叫びが止んだ今ならば。
両腕を広げて敵意がないことを示す。やはり感情がほとんどないのか、無表情のまま俺を見上げているが。……身体が、小刻みに震えている。恐怖は確かに感じているんだ。ゆっくり目の前でしゃがんで視線を合わせると、再びぎこちなく大鎌が動いた。それをすぐさま祈が触覚を絡ませて動きを止める。

「大丈夫。お前の敵は、どこにもいない」
「……、……」

そっと手を伸ばし、真っ赤に染まった片手を包み込むように握りしめた。ひどく冷たいが、柔らかい。生きている者の手だ。
ハーフの視線がゆっくり下に降りてきて、握られている手を見る。そうしてまた、たっぷり時間をかけて視線を戻して俺を見る。ぴくりとも変わらない表情を俺もまた真っ直ぐに見返して。

「もう誰も傷つけないでいいんだ。……もう、いいんだよ」
『……、も、……いイ…………』
「うん。もう、いいよ」

ツ、と。白い頬に雫が流れるのを見た。驚きながらも片手を頬に添えてそっと拭ってやると、直後、ガシャン!と大きな音が鳴り響く。……大鎌が、地面に転がっていたのだ。
驚いたように一歩後ろに下がった祈を見ていたら、今度は目の前の影が動くのを目の端で捉えた。慌てて視線を戻すと、ハーフが俺に向かってぐらりと倒れる。それを立膝を擦って受け止め、血塗れの身体を抱きしめる。……心臓は、動いている。

「……生き、てる……?」

呆然としたまま隣にやってきた祈を見ると、確かにしっかり頷く。これは本当に、本当なのか。確かめるように何度も腕に力を入れて抱きしめてみた。……ちゃんと、触れる。弾けていない。死んで、いない。

「──いきてる、……生きてる……っ!!生きてるよお……!!」

急にボロボロと涙が溢れてきて、寄り添う祈にまた何度も確認しながら腕の中にいるハーフを抱きしめた。もはや母さんの存在もすっかり忘れて、人目もはばからずに泣いてしまった。

ひどく困難なことだと思っていた。やっぱり俺にはどうしようもできないかもしれないとも、心のどこかでは思っていた。しかし、全てが終わった今。なんてあっさりしているんだろうと思った。あの時もみんなに助けてもらったけれど駄目だった。でも今は、こうも簡単に救えてしまった。
……どうしてこれが、あの時ではなかったんだろう。
ひっそり思い、すぐに破り捨てた。

だって、そう。あの時のことがなければ、今腕の中にいるハーフだって救えやしなかっただろう。

「……生きててくれて、ありがとなあ……っ」

思い切り泣きながら、リヒトのことを思い出していた。

たぶん、きっと。
あの時があったからこその、今なんだ。
何もかもが、今に繋がっている。……そう、信じたかった。




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