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激しい音が聞こえ始めてからどれほど経っただろうか。だんだんと音が消え、終いには静かになった岩肌むき出しの壁の向こう。みんなで顔を見合わせていると。
……ぬっと、肩で息をしながらアカメさんが出てきた。その姿に、思わず全員立ち止まってしまった。どうしてかなんて言わずとも分かるだろう。ほぼ全身が、真っ赤な血で染まっていたからだ。間違いなく受けた傷から流れ出たものもあるだろうが、そのほとんどは返り血に違いない。本人も気づいていて、あえて俺たちと距離を開けたまま口を開く。
「悪ぃな、こんなになっちまった。……言っておくが、こっちはもっととんでもねぇことになってるぜ。それでも、来るかぃ」
「…………」
四人揃って息を飲み。……ボールを掴んで見せると、祈たちは首をゆっくり左右に振った。地獄なら、すでに見ている。ここで怖気づいて引き返すなんてことは無い。小刻みに震える足を無理やり動かし、アカメさんの前に立つ。
てっきり俺がここで引くと思っていたのだろう。一瞬目を大きく見開いてから"仕方ねぇなぁ"と苦笑いを浮かべていた。
──……そうして通された先。大きな空洞はまさに赤い部屋になっていた。床には血が広がり、壁には血しぶきの跡がびっしり残っている。大鎌とコードは血塗られながら寂しく床に散乱していて、……とてもじゃないが、耐えられない。慌てて口を両手で押さえて空洞から出て、せり上がってきた胃液やら何やらを吐き出した。だめだ。逃げはしないが、慣れることもない。口元を拭いながらふらりと戻ると、涙目の祈や詩と目が合った。エネは必死に身体の震えを抑えている。
「本当に大丈夫かぁ?ここにもまあ、結構な数はいたが途中から嬢ちゃんたちのほうに流れてたからなぁ……これから向かう場所のほうが、もっとひどいだろうが」
「なら、尚更、行かなくちゃ……」
「……、そうかぃ」
無理はすんな。、そういうと背を向けゆっくり歩き出す。その後ろ、なるべく臭いを吸わないように浅い息を繰り返しながら内臓のあたりを服の上からぎゅっと握って、付いてゆく。足元は見ないように、音も聞かないように静かに歩き、壁の中間にある不自然な穴の前までやってきた。これが隠し通路の扉か。今は開きっぱなしだが、きっと閉じれば全然分からないだろう。
長い階段をゆっくり降りると、いくつもの音が聞こえてきた。今度は緊張のしすぎで気持ち悪くなってきた。激しく動く心臓の音を聞きながら、大きな岩陰に身を潜める。……確かに、こっちのほうが血の臭いが強い。薄暗いことが多少の救いか。
「悪ぃがここまでだ。ここからでも嬢ちゃんの姿は見えるはずだぜぇ。さぁて、俺も戦いに行くが……いいか、絶対にここから動くなよ」
「…………」
「聞けないってかぁ。へっ、そんじゃあ言い直すぞ。動いてもいいが、お前さんの行動ひとつで誰かが死ぬ可能性もあるってこと、よぉく覚えておけ」
それだけ言うと、岩陰から飛び出て駆けて行く。
その背中を見送っていると、突然後ろから背中をバシン!と叩かれた。驚いて振り返ると詩が俺を睨みつけている。祈とエネも、俺の服の裾をぎゅっと握りしめている。……分かってる。あんなこと言われたら、動けるわけがない。
それでも少しだけ身を乗り出して真っ先に母さんと父さんを探した。見たいような、見るのが怖いような。
緊張しながら必死に視線を動かして探す。バスラオ、コジョンドを通り越し、渦巻く炎の先を越え、バクフーンとケンホロウ、そして。大きなゼブライカとロロの後ろ。
「──……母、さん、……」
思わず、その背に息を飲む。
そう、母さんは。怖くてうずくまる訳でもなく、泣き叫ぶわけでもなく──……しっかりと、前を向いて立っていたのだ。
光のように走る雷撃の後。母さんの腕が前へ向けられるのと同時にロロが飛び跳ね、あくのはどうを繰り出す。大鎌で弾かれたと思えば、ロロが着地する前に既にゼブライカが飛び出していた。炎を纏い真っ直ぐぶつかる。鎌が地面に落ち、吹っ飛んだハーフは壁に叩き付けられてめり込む。パラパラと崩れ落ちる壁を見ながら、桁外れの威力に唖然としてしまった。
それぞれのコンビネーションももちろんだが、一人ひとりの戦闘力は見てわかるほどには高い。加えて全体を見て死角を補う母さんからの的確な指示……。
レベルが、違いすぎる。
「……、……」
確かにすごい。しかしその分、どんどん鉄の匂いは充満してゆく。
優しく抱きしめてくれるあの手は、采配に変わっている。夕飯の匂いを纏っていた姿は今では返り血で真っ赤に染まっていて。……あれは本当に、母さんなのか。そう思ってしまうほど、まるで別人に見えてしまって。
ハッとして、そういえば、父さんの姿が見えないことにやっと気づく。慌てて見回してみたがやはりいない。もしやまた父さんは役立たずになっていて、どこか別の場所にいるのか。
「あと、五人……、ん、……?」
そんな中。
──……ふと、聞こえた。聞こえてしまった。
慌てて乗り出して見ていた身体を岩陰に戻してから、他の音を出来る限り捨ててその声に意識を集中させる。か細い声で、言っている。その言葉を拾い集めて、思い切り立ち上がると祈たちが目を丸くして俺を見た。
「どうしたのよ、突然立ち上がって。大人しくしているんでしょう」
「詩には聞こえないのか……!?」
「は?」
「祈は、エネは!?誰も、……誰にも、聞こえていないのかよ……っ!?」
拳を握りしめ、拾い集めてからずっと聞こえている声に心臓をどくどくさせながら三人を見下ろした。小さく首を振る姿を見て、確信する。戦いが落ち着いてきて雑音が減ってきたここで、ようやく聞こえたこの声は。
「ハーフたちの、声だ……!」
ガッ。飛び出す俺の手首を詩が掴む。その横、祈が俺の手をぎゅっと握りしめてから見上げて口を開いた。
「落ち着いて、アヤト。わたしたちにも教えて。……アヤトには、何が聞こえているの?」
「同じ、なんだ……あの時と同じっ!」
「リヒトくんの、ときのこと……?」
「"いやだ、誰とも戦いたくない、傷つけたくない"って聞こえているんだ!だから、だから俺、行かないと……ッ!!」
心配そうに見るエネを見てから、俺の手首を力強く掴んだままの詩に力強く視線を移した。今度は俺が詩の細い手首を掴むと、自然と俺に絡みついていた手が離れた。
「頼む、行かせてくれ……っ!もう五人しかいないんだ、今度こそ、助けたいんだよっ!!」
「助ける方法は?あんた一人で行って何になるのよ。弱いくせに、」
分かってた。視線を少しだけ横にずらして顔を歪めながら言う詩は、俺に言うのと同時に自分自身にも言い聞かせているんだと、ちゃんと分かっていた。しかしもう、ここまで言われたら止まれない。詩の両肩をガッ!と掴んで噛み付くように言い放つ。体を揺らして、叩き付ける。
「っ確かに弱いさッ!方法も思いついてない!でも俺が、ハーフたちの言葉が聞こえる俺が動かないでどうするッ!?生きたくて戦いながら必死に訴えているのに、聞こえないフリをしろってか!?無理だ、そんなの絶対にできない!!」
瞬間、詩が俺の胸倉を思い切り掴んでグッと引き寄せた。下唇が、肌の色からまた薄赤い色に戻るのを見た。さっきまで噛んで堪えていたのだろう。苦しいぐらいに喉元が圧迫されている。無理やり唾を通して、俺も負けじと青い瞳を睨む。……が、詩の言葉は意外なものだった。
「っあんたねえ!?仮にもわたしたちのトレーナーでしょう!!……何のために!!わたしたちがここに一緒にいると思ってんのよッ!?」
「──……え、」
本当に噛み付かれるかと思うほど鋭い目つきに唖然としながら、後ろから詩の肩に優しく手を乗せて静かに口を開く祈を見る。
「まだ動くのは危ないと思うし、わたしたちにも何ができるか分からない。……でもアヤト。わたしたちは他の誰でもない、アヤトのポケモンだよ。アヤトがどうしてもと言うのなら、それを信じて従うのみ」
「祈……、」
「状況は常に変わるし……うん、ぼくも今なら止めないよ。危ない橋だってみんなで渡れば怖くないよねえ。ま、怒られるときも一緒だけど」
わざとらしくエネが笑う。それに少しだけ力が抜けて。
「……圧倒的な力を見せつけられて、何もできなくて悔しいのは、あんただけじゃないのよ」
「知ってる。だからここで、動くんだ。俺たちで、敵であるハーフを倒すんじゃなくて助ける」
詩の手も離れて、未だ聞こえる声を聴きながら視線を真っ直ぐ前に向ける。詩、祈、エネ。三人がポケモンの姿に戻って、俺と共に立ち上がる。
『何をすればいいのか分からないのに?』
「分からないまま無鉄砲に突っ込んでいけるのは子供のうちだけだろう?それに幸いにも、ここにはそれを叱ってくれるオトナがたくさんいる。どうにもできなかったら尻拭いぐらいしてくれるだろ」
『……その前に、止めるオトナもいると思うけれど』
一度、両頬を軽く叩いて気合を入れる。……そうだ、忘れていた。俺だってこの世界では、母さんと同じポケモントレーナーだ。見ているだけ、守られているだけではいられない。
ここからが、勝負だ。
「詩とエネは冷凍ビームで道を作ってくれ。そこを俺と祈が一気に駆け抜ける。その間に俺たちが止められそうになったら詩と祈で何とかしてくれ。なんなら母さんのポケモンに攻撃したっていい」
『あんた……わたしたちに嫌な役やらせるわね……』
「お前の力を見込んで頼むんだろーが。エネ、お前も道ができたら詩に加わってくれ」
『いいよお!ふふ、最初ここに来たときと目的がまるっきり違うねえ』
エネの言葉に苦笑いを浮かべる。はじめ、母さんと父さんが心配で文字通り飛んできたが。
──……今度こそ、助けたい。罪滅ぼしではなく、声を拾えたからこそ。
俺が、助けてみせるんだ。