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木々が鬱蒼と生い茂った森の中。エアームドから飛び降りて、大きな洞窟の入り口の前に立つ。……映像でみた場所と同じだ。すでに中では戦闘が始まっているらしい。色々な音が入り口まで鳴り響いていた。
ロロがポケモンの姿に戻り、鼻をひくひくと動かす。その間に俺は祈たちをボールから出して、周りを見回してみた。森自体は特に荒らされた痕跡はない。、ということは、まっすぐこの洞窟を目指して進攻してきたということだ。

『俺の後についてきて。ただ、この先何があるか分からない。警戒は怠らないようにね』

ロロに頷き、大きく口を開いた洞窟の中へ入ってゆく。
どおん、どおん。いくつも音が連鎖するように鳴り響いては、その度にぱらぱらと上から砂や小石が落ちてきた。そうとう激しい戦闘のようだけど、この洞窟は崩れたりはしないだろうな。ひっそり心配しながらも、きっと自分たちも戦うことになれば洞窟崩壊の心配なんてしている余裕はなくなるだろうと思った。

『音はまだ少し遠いわね』
『ここ、すごく広いね』

俺の耳ではどのくらいの距離があるのか分からないが、詩と祈の会話を聞くとまだ先らしい。心配と緊張から心臓をドキドキさせていると抱えているエネが手にすり寄ってきた。歩きながら一度視線を落とすと、小さな舌が手を舐める。

『セイロンさんたちは、ぼくたちよりもうんと強い。アヤトくんのお父さんもお母さんも、きっと大丈夫。ね?』
「……ありがとな」

エネを撫で、前を向いたとき。ロロがぴたりと立ち止まり、同時に詩と祈も止まる。……緊張が走る。俺もよく耳を澄まして聞いていると、奥からゴゴゴゴ、と不気味な音が聞こえてきた。一体なんの音なのか。
するとロロと祈が慌てて周りを見回してから、横の岩肌を駆け上り天井近くの突き出ている岩に乗っかった。立ち止まる俺の後ろ、襟首あたりに何かが引っかかり、かと思えば次の瞬間、体が宙に浮く。
詩が、俺を持ち上げて飛んでいた。

「なっ、おい、何やってんだよ!?」
『落とされたくなかったら黙ってジッとしていなさい!』

俺はエネも抱えている。詩の言葉に素直に従い、ゆっくりと宙を移動する中、身体を石のように固まらせていた。
直後。俺たちが進もうとしていた先から、波が押し寄せてきた。ぎょっとしながら下をみていると、物凄い勢いで流れてきた水があっという間にさっきまで俺たちがいた場所を埋め尽くす。

「なんで洞窟で水が溢れてきてるんだ!?」
『そりゃ、ド派手になみのりをすればこうなるさ』

長く伸びた祈の触手にも支えられながら、俺もロロたちがいた岩まで無事に辿りつくことができた。岩に座ってすぐ下を見下ろし、水が流れるのを見守る。……なみのり。水ポケモン。……母さんのポケモンで水ポケモンと言えば……カメックスの美玖さんか、もしくは。

──しばらくして水が引き、かと思えば今度は奥から何かが吹っ飛ばされてきた。石ころのように一度地面に強くぶつかると、ぎぎ、と鈍い音を立てながら無表情に起き上がろうとする。あれは、―……リヒトを模して造られた、ハーフだ。目を見開き、身を乗り出し。
その後ろ、拳を握ったまま現れた男に思わず叫ぶ。

「っやめろ!殺さないでくれ……ッ!」

俺の声が響き、驚いたように顔をあげた男の手前。……爆発。一気に鉄の臭いが広がり、岩肌を赤く染める。
……ああ、ああ。また、同じことが繰り返されてしまうのか。ギュッと胸元を握りしめて唇を強く噛む。桜の花が散るが如く、一瞬のうちに終わる命に顔を伏せ。

『アヤト、』
「……だい、じょうぶ。祈、大丈夫。……前に、進まなくちゃ、」
『…………』

泣いている、暇はない。泣いていたって状況が変わるわけじゃないって、もう痛いほど思い知った。それを無意味に、するもんか。
鼻水をすする俺の横、ロロも顔を前に戻して男を見る。そうして岩から飛び降りて、音もなく着地した。詩と祈に手伝ってもらいながら俺も降り、顔についた血を拳を握ったままの手の甲でゆっくり拭う姿を見上げる。

「……悪ぃな、坊主。ソイツ、助けられなくて」

顎に髭を蓄えた、……確かこの人はアカメという名前だったか。バスラオであるこの人ならば、なみのりもできる。
静かに言う彼の手前、小さく首を左右に振ると大きな手が頭に乗っかり乱暴に撫でられた。そんなに嫌ではないのは、どうしてだろう。

「あーさん、ひよりちゃんたちは」
「隠し通路で戦闘中だ。チョンと陽乃乃が嬢ちゃんのところで応戦してるぜぇ」
「よかった。陽乃乃くんもいるんだね」
「おう。たまたま今日がいつもの"あれ"だったらしい。……ったく。キュウムの野郎はこんな時にどこに行っちまったんだぁ?」

頭をがりがり掻きながら、ふっと、血だまりに視線を向ける。その視線は、あの時のヒウンシティの人たちとは違うように思った。恐怖や軽蔑は無く、どこか哀れみを含んでいるように見えたのだ。目を伏せ黙祷をした後、ついてこいと歩き出す。

「人間てのは、とんでもねぇことをやっちまうんだなぁ。嬢ちゃんと同じ種族とは思えねぇぜ」

それはきっと、造られたハーフのことを指している。
アカメさんの話によると。ここを襲ってきたハーフは全て、戦闘不能になった瞬間、先ほどのように自爆しているらしい。話を聞く限り、以前のように誰かがボタンを押さずとも自動的に自爆するようになっているような気がした。……改良されているのだ。より良い、捨て駒となるように。

「……ということは、」
「ああ。間違いなく、もう嬢ちゃんも見てるだろう」

目を大きく見開くロロに、アカメさんが静かに答える。
母さんのことが心配なんだろう。もちろん俺も心配だ。俺はもう不幸なことに何度も見てしまっているけれど、……あの日、ヒウンシティにいなかったであろう母さんは、きっと今日が初めてだ。

俺には想像すらできない。いつも暢気にへらへらと楽しそうな母さんが、あの光景を見てどんな表情をしているのか。俺のように、うずくまって泣いているのだろうか。残酷な光景に叫んでいるのか。
……そんな姿、……見たく、ない。

「こっちから入ってきた奴らは俺とセイロンで片付け中だ。っつってもまあ、ほとんどセイロン一人でやってるがなぁ」

嬢ちゃんのこととなると物凄いんだよなぁ、がはは。なんて、大口を開けて笑っている。俺はそれが少し信じられなかった。俺たちが束でかかってもやっと対処できた相手を、まさか一人ずつで戦っているなんてありえない。アカメさんに至っては仲間を心配するどころか完全に任せて、今もこうして急いで走ることもなく普通に歩いて向かっているし。急がないとと焦っているのは俺だけなのか。

『……すごく、信頼しているんだと思うよ』
「祈、……」
『もちろん、心配もしている。でも、それ以上に実力も認めていて、全てを任せられる存在なんだと思う。……素敵だね』

祈の言葉を聞いてから、ロロとアカメさんの背中を見る。……いつの間にか、ロロのどこか張り詰めていた気も緩くなっているような気がして。なんとなく、少しばかり悔しく思ってしまった。引っ張っていくはずの俺は、いつもロロに引っ張られっぱなしだったことに改めて気づいてしまったからかもしれない。

それから歩いてどれほど経った頃だろうか。……だんだんと、鉄の臭いがキツくなってきていた。音も大きく聞こえてくるし、今すぐにでもハーフたちと接触してもおかしくない状況。アカメさんを先頭に歩いていると、ふと、立ち止まり振り返って俺を見る。

「坊主、ええと、たしか名前は……」
「アヤトです」
「おお、そうだった。そんじゃぁ、アヤト。……お前たちは、ここにいろ」
「──……え、」

"お前たち"というのは、俺と祈、エネ、そして詩の四人のことを指している。驚き、ロロに視線を移すと無言でそのまま返された。なんで、どうして。反論する手前、祈たちを見てみたが。……確実に、不満よりも納得せざるを得ないという言葉の方がぴったりくる表情だった。

「道は俺が作るぜぇ。隠し通路への入り口は分かってるよな」
「悪いね、あーさん。……追いつかれる前に、終わらせるから」
「気にすんな。行って来い」
「ちょ、ちょっと待てよ!」

ロロが再びポケモンの姿に戻る。その間、アカメさんが引き留めた俺のところにやってきて、両手を俺の両肩に乗せ、少し屈んで目線を合わせる。……確かに、赤い目だ。

「自分の親だもんなぁ。ロロと一緒に行きたい気持ちはすごく分かる。でもなぁ……お前さんはダメだ」
「どうしてですか!?」
「お前さんは、自分のポケモンに的確な指示を出して、自身の身を守れるかぃ」
「え、」
「ロロや嬢ちゃんに守られずとも、自分の身を守れるかって聞いてんだ」
「そ、……それ、は……」

俺だけじゃない。祈、エネ、詩にも向けられた言葉だった。……口をゆっくり閉ざして、俯く。
確かにここへ来るまで沢山のことを経験した。初めに比べれば祈たちだってだいぶ強くなっている。しかし。……この場では、きっと俺たちだけでは一人相手でも歯が立つかどうか。
圧倒的に力不足だってことは。……言われずとも、分かっている。

黙り込む俺の前、アカメさんが手を離して屈めていた身体を正す。その時。小さく聞こえた言葉にハッと顔をあげると、ニッと笑顔を返された。
そうしてすぐ、アカメさんが先に走り出し、少し先の扉を抜ける。それに続いてロロも駆け出し、あっという間に姿が見えなくなったと思うと激しい音がいくつも増えた。

"そこを片付けたら、お前さんたちも連れていってやるよ"

だから、今は少し待っていろと。……俺の気持ちを汲み取ってもらえたことはもちろん嬉しい。しかし、やっぱりそれ以上に足手まといになっている今が悔しくて。
壁を背にして座る俺の手前、詩が前方を、祈とエネが後方を警戒して立っていた。そんな中。俺は唇を軽く噛み、ひとり拳を握りしめていた。




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