9

家の前。立ち止まり、ロロ以外をまたボールへ戻してから扉をノックする。そうすれば内側から少しばかり物音がしたあと、すぐに扉が開いた。

「おかえりなさい、アヤトくん。ご飯、出来ているわよ」

変わらない笑顔を携えたまま、水色の髪を揺らして俺たちを招き入れる彼女の腰には、もう"お守り"は付いていなかった。外出するときだけ付けるのかも知れない。
華奢な後ろ姿を見ながら中に入ると、途端、ロロがぴたりと立ち止まる。なんだ、と振り返る手前。

「今日はいいお肉が入ったから、ハンバーグを作ってみたの」
「わあ、おいしそうっすね」
「さあ、座って」

リヒトの母親が俺の後ろに回って背中を押す。言われるがままされるがまま、後ろに引かれた木製の椅子に座って目の前に用意された料理を見る。
赤黒いソースがかかったハンバーグだ。デミグラスソースかトマトソースか。茹でたブロッコリーとじゃがいも、コーンが添えられていて彩りもすごくいい。ハンバーグの上には花型のにんじんが乗っていて、可愛らしいというよりもやっぱり子供扱いされてる感を強く感じて苦笑いを浮かべる。隣には茶碗に山盛りの白米。……普通に腹が減ってるから余計においしそうに見えるのか、口の中で涎が湧き出る。

「いただきます!」
「はい、どうぞ」

右手にナイフ、左手にフォークを持ってハンバーグを切る。湯気と匂いが鼻腔を通る。一口大に切り分けたハンバーグをフォークに刺して持ち上げたとき。
横から手が伸びてきて、フォークを持っている方の俺の手首をぐいと掴むとそのまま引っ張り上げてハンバーグを口の中に放り込んだのだ。驚いて見上げると、ロロがゆっくりと口を動かしながらリヒトの母親を睨むように見ている。口の横から赤いソースが垂れて整った顎のラインを伝って落ちるのを見たとき、まるで野生の動物が獲物を食らった瞬間のように見えて思わず息を飲んだ。

「……食べたことの無い味だ」

細長い指がソースを拭い取り、俺の手首からゆっくり手を離す。明らかにロロが敵意を示している。……な、なんだ。なんなんだ。俺には何が何だか分からなくて、二人の様子を伺いながらそっとハンバーグをひと欠片、指でつまんで食べてみた。小さすぎたからなのか味がよく分からないが、俺には普通のハンバーグのように思える。

「ど、どうしたんだよ、ロロ。普通に美味しいじゃん……?」
「そうでしょう、美味しいでしょう?」

青い瞳がギラリと俺の方を向き、再び前にゆっくり戻る。俺に同調していたリヒトの母親を鋭い視線で射抜いている。そうしてロロが今度は俺からナイフを取り上げ片手で遊ぶように持ってから、切っ先を真下に向けて握るように持つと、そのまま真っ直ぐハンバーグに突き刺す。

「村を見たとき、家畜小屋とか見当たらなかったけど、……これ、何の肉を使っているのかな?」
「…………」
「俺が、当ててあげようか」

彼女の表情は崩れない。にこにこと、笑顔のまま。
ロロの言葉を受け止める。

「人肉だよ。人間の肉だ。……そうでしょう」
「ッ!?」

驚いたのは俺だけだ。椅子から飛び上がるように離れて、ごほごほと噎せ返る。
……まさか、まさか、そんな。そんなバカな。口の中に残っている味が、あの、柔らかい舌触りが、……人肉だって言うのか……!?ロロの後ろに立ちつくし、未だに湯気が出ているハンバーグを茫然と見ていた。
それから。片手を自身の頬に添えて、不思議そうな表情で俺とロロを見る彼女を見て。

「あら、人肉は初めて?ごめんなさい、驚かせちゃったかしら」
「──……え、なっ……なんで……そんな、普通に、」
「あの人から聞いてなかった?この村では、肉と言えば人肉よ。私も初めは驚いたけれど、もう普通になったわ」

アヤトくんも見たでしょう?先ほどの闘士競技。あれはこの村の娯楽イベントでもあり、食料調達の場でもあるの。でもほら、お肉にも数に限りがあるでしょう?だからあの場で競りも行われてね……。
まるで世間話でもしているかのような錯覚に陥るほど、彼女は平然と話していた。それを俺は膝をガクガクさせながら聞いて、ふっとあの画面に映されていた研究者の顔を思い出す。そうして出されたハンバーグを見て。

──内臓は先に出して、食べられるところは保存しておいてあとは乾燥させて煎じるの。肉は削いでひき肉にしたりステーキが多いかしら。手足は小骨が多いから捨ててしまうけれど、たまに炙って食べると美味しいわ。舌と目玉は炭火で焼いて、脳みそは一度かき混ぜて半熟で……。

「……うぇ、ッ!」
「すみません、ちょっと失礼」

家から飛び出す俺の後ろ、すぐにロロが追いかけてくるが気にかけている余裕は無い。せり上がってくる液体を喉元でなんとか抑えて、家の後ろにある木陰に飛び込んで吐き出した。四つん這いになって、胃の中を全部空っぽにする勢いで何度もえずく。ただただ気持ち悪い。そして、少しでも口に含んでしまった自分自身が恐ろしく思った。知らなかったにしても、一瞬でも"美味しい"と思ってしまったのだ。

「うぇ……っ、はぁ、はぁ、……ッんぐ、……!、」

唾液だか胃液だか分からないものを吐き出した。もう何も出ないのは分かっているけど、どうしても消えない吐き気に何度も内臓を皮膚の上から手で力強く押しては喉元を広げて下を向く。

「……アヤくん、大丈夫?」
「……、……、」

首を横に振ると、ロロがゆっくり歩いてきて俺の隣に屈んで背中を擦る。……大丈夫なわけがない。怒鳴る気力もなく、もう出てこない胃液の代わりに酸味を含んだ唾液を垂らす。ツ、とぶら下がる透明な糸をぼんやりと見てから手の甲で口元を拭った。

「俺が止めたのに、君ったら自分から食べてしまうんだもの」
「もっと、早くに、ちゃんと言えよ……っ、ばかぁ……っ!うう、っ」
「ほら、泣かないで。大丈夫、大丈夫。アヤくんは何も知らなかったんだから、気にすることはない」

俺の背中を擦りながら子どもをあやす様に軽い口調で言うロロの横、四つん這いのままボロボロ泣きながら意味も無く唸る。何とも言えない感情と謎の消失感に襲われながら、やっと周りに目を向ける余裕が少し生まれて。ゆるりと傾いていた上半身を元に戻しながらロロを見る。横を見ていたロロの青い目の視線が同時に俺のところに戻ってきて、険しい表情から口元を柔らかくしてから俺に言う。

「イオナくんの指示に従って、祈ちゃんたちも出して警戒しながら先に村を出るんだ」
「……ロロ、は……」
「俺はもう少し情報収集をしてから追いかける」

立ち上がるロロを視線で追いかけ、気付いたら服の裾を人差し指に引っかけて引き留めていた。吐き気がうっすら残る中、揺らぐ視界にロロを捉えてゆるりと見上げる。

「え、なに。そんなカワイイ顔されても困るんだけど」
「……お前、……俺との約束、忘れてないだろうな、……?」

俺の言葉にロロは一瞬だけ目を大きく見開くと、くしゃりと笑って頭に手を乗せてきた。ぐらぐら揺れる頭の中で色々なことを考えて、考えるだけ不安になって乱された前髪が目にかかったままロロを見る。ひとしきり俺の頭を掻き乱してからロロが一歩後ろに下がり。

「忘れてないよ、大丈夫。ただ話を聞いて回ってくるだけさ」
「……猫って、死ぬ時、どこかへいなくなるんだって……どっかで聞いた……」
「ちょっと。勝手に殺さないでくれるかな。アヤくん、そんなに俺のこと信じられない?」

信じる信じないとかじゃなくて。……ただ、心配なだけなのに。
ぜんっぜん人の気を知らないクソ猫に若干イラだちながら首を横に振って見せると、いつものニヤニヤ顔に戻ってひらりと手を振って離れていくロロの後ろ姿を見送る。

「…………」

とりあえず。ボールを一つ掴んでボタンを押した。ワインレッド色したレパルダスが出てきて、すぐに人型になったと思えば俺の目の前に屈んで。身体が、浮く。軽々と持ち上げられて、肩にかけるように抱えられる。俺の扱いは米俵と同じなのか。でもまだお姫様抱っこじゃないだけマシだ。あれと比べれば、米俵とか狩られた動物と同じでも全然いい。

「……何、やってんだよ」
「離脱します。アヤト一人では動けなさそうなので私が運びます」
「……」
「祈、詩、エネ。出てきなさい」

イオナの言葉に腰についていたボールが揺れて、勝手に出てきた。それを俺はちらりと見ただけで、あとはうな垂れるようにイオナに身を任せて目を閉じる。
そのあとはもう、ほとんど記憶に残っていない。覚えていることと言えば、とにかく揺られて、揺られながら胸元が圧迫されて苦しかったことぐらいだろうか。祈たちとイオナがやり取りをする声は覚えている。しかし何を言っていたのかはさっぱり分からなかった。

あとは、あとは……。
心の底から後悔した。あの時、詩の言葉に素直に従っておけばよかったって。
後悔しても、もう遅いんだけど。




- ナノ -