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あの時。村から聞こえた歓声は、気のせいなんかじゃなかった。
建物内の音という音が消えたとき、村からうっすらと声が聞こえてきたのだ。距離があるため村人たちが何と言っているいるのか俺には全然分からなかったが、イオナとロロの表情、そして村人たちの雰囲気を見れば何となく予想はついた。

さっきの出来事は"観客付き"だと、イオナが言っていたのを覚えている。警報とともに村人たちが家の中にのろのろと入っていたのは、きっと。……人間同士の殺し合いを観るためだったのだろう。
そうして今になって、この建物にひどく似ているものがあったことを思い出した。最初は都会とかにあるイベントドームみたいなものかと思ったが、いいや違う。──……これは、かの国にある、コロッセウムと同じだ。
大観衆を前に剣闘士同士どちらかが死ぬまで闘う場。人間と猛獣の格闘の場。遠い昔、娯楽の一つとして生き物の死を見世物にしていたあの建物に、色が違うだけで外装はよく似ている気がする。

建物から離れて、再び小高い丘まで戻ってきた今。木陰に身を隠すように座りながら、そんなことを考えてはぞわりとする。昔の人だって、ずっと昔にその過ちに気付いて廃止したというのに。……今の時代にあんなのを娯楽にするなんてどうかしてる。

「"どうかしている"……そうだな。私たちは、純粋に狂っているんだよ」
「っ!?」

突然。
まさに突然だ。音もなく、いきなり俺の前に現れた。
俺とロロたちの間に立っている彼──マハトさんが、ロロとイオナに向かって真っすぐに手のひらを見せて制止する。二人の足元でジリ、と砂が擦れる音がした。もう片方の手は俺の頭の上に、すでに乗せられている。何をされるのか。冷や汗に近いものを浮かべながら、柔らかな表情のマハトさんを見上げる。タイミングを見計らっているのか、腰についているボールがカタリと揺れると彼もそちらに視線を向けた。咄嗟に手でボールを隠してみたが、きっと無駄なことだろう。

「私は、ヒウンシティでの事件を一部見ていたよ」

マハトさんの言葉に思わず動揺したのは俺だけじゃない。ロロの表情も強張る。それでもお互い必死に隠そうと気持ちを抑える。……どこからどこまで見ていたのか。今、俺の頭に置かれている手は、俺の感情までも感じ取ってしまうのではないか。そう思うと心臓が余計バクバクと強く音を鳴らす。

「見ていたといっても、全てが終わったあとだ。……来るのが、遅すぎたんだ」

一瞬だけ。その時だけだったが、俺はこの表情を知っていた。……父親の、表情。マハトさん自身が見えず、今まで全くと言っていいほど掴みどころの無い人だった分、余計にその表情が目に焼き付く。

「私が何故君たちをこの村へ通したのか、君には分かるかい」
「……俺が、リヒトを知っていたからですか」
「いいや、違う」

頭に乗っていた手が動く。それにビクリと身体を飛び上がらせると、目の前の彼がフッと笑った。ゆっくりと降りてきた指先が頬を伝って止まる。彼の人差し指が触れているのは、俺の頬にある傷跡部分。爪が皮膚の凹凸を掠める度に、ぞくりとしてしまう。

「あの時、リヒトを背負いながら人間たちの間を歩いていたのが君だと分かったからさ」
「…………」
「街は破壊され、完全にハーフは人々に恐怖を植え付けていた。……それでも君はハーフに触れ、あろうことか恐怖の象徴を抱えながら人ごみを散らして歩いた」

やっと手が離れてホッとする。どうやらマハトさんは、俺たちに危害を加える気はないらしい。一息ついてから、もう一度気を引き締める。

「アヤトくん。私は君に、希望を見出している」
「……希望?」
「君はハーフを導いてくれる主導者になり得る器を持っている」
「つまり……アヤトくんに、リヒトくんの代わりになれと?」

ロロが言う。ずっと俺を見ていた視線が後ろを向いて、真っ直ぐにロロを射止める。鋭い視線が交差する中、やはりイオナだけは冷静のように思える。思えたのだが。
スッとロロの前に出るイオナが口を開く。

「アヤトを引き入れると漏れなく私たちも付きますが、それでもよろしければどうぞ。言っておきますが、我々はただの飼い猫ではありませんよ。飼い主だろうが関係無く、気まぐれに噛みつき食い殺します」
「ふむ、実に凶暴だ」
「そうでしょうとも。この村には餌が沢山"いる"ようですし、今からお腹を空かしておかなければいけませんね」

ふふ、なんて笑みまで見せるイオナを見て。……一気に冷や汗が湧いて出てきた。
前言撤回。イオナが冷静なんてちゃんちゃら可笑しい。これならまだ冷戦を繰り広げていたロロの方がマシだった。弁解のしようもなく、一人おろおろしていたが。

「さすがに私も、わざわざ外敵を招き入れるようなことはできないな。一旦引くとしよう」
「次、お会いできたのなら、その身体に綺麗な縦縞を入れて差し上げましょう。横縞の方がお好きですか?」
「生憎、無地が好みなので遠慮しておこう。せいぜい君も私のおやつにならないよう、気を付けなさい」

イオナもイオナだが、マハトさんもマハトさんだ。おやつ。犬のおやつと言えば骨型のあれか。歯磨きも兼ねているあれ。そういう意味なのか。しかしながら、皮肉のオンパレード且つ一切冗談に聞こえないのがまた恐ろしい。
マハトさんが小さく笑いながらイオナから視線を外し、再び俺に戻し。

「言っておこう。私たちはこの村の平穏を維持するため、害為す者には鉄槌を下す。我らの恨み、尽きることはないだろう。……君もリヒトの恨みを晴らしたいとは思わないか。ここならば君が望む通りに研究者を始末できるんだ」
「…………」
「無理強いはしないさ。"自分が何者なのか分からなくなったその時"、いつでもここに来るがいい。君ならば、我らはいつでも歓迎しよう」
「……?」

彼女が昼食を作って待っているよ。、そう付け足して、また音も無く彼がその場から消えた。

……ドッと、疲れが出る。緊張疲れか。肩の力を抜いて深く溜息を吐くと、ボールから祈たちがやっと出てきて同じように一息吐いていた。

『アヤト、大丈夫……?』
「大丈夫だよ。ありがと」
『ぼく、あの人苦手ぇ……。話しを聞いてても、全くあの人自身が見えてこないんだもん。どうやって生きてきたらあんなに自分のことを隠せるんだろうねぇ』

肩に乗っていたエネがなめくじのようにうな垂れながら言っていた。どうやって生きたら。それはあの人にしか分からないし、今は知りたくないとも思った。……今、マハトさんの過去を聞いたら、きっと俺は揺れてしまうだろう。

「……昼飯、」
『まさか行くとか言わないわよね』
「……だって、待ってるって、……」
『あんなの見せられてまだこの村にいるつもりなの?さっさと逃げるべきよ』

詩の言うことも最もだ。俺もその方がいいと思う。のだが。

「俺さ。みんなと会う前、リヒトんちの母さんが作ってくれたものをリヒトからもらって食べていたんだよ。家に遊び行ったときも世話になったし、……その、可哀想というか、……気になるというか……」
『…………』
「罪滅ぼしってわけじゃないんだけど、さ。……ダメかな」
『……罪滅ぼしって、あんた何も悪いことしてないじゃない』

何があっても知らないわよ。、顔を背ける詩ことチルットを撫でると容赦なく羽で手を叩き落とされた。……とりあえず、行ってもいいということか。
ロロとイオナを見ると、やれやれという感じ。やれやれ、でも俺の行動を許して付いてくれるならそれでいい。

「さあ、行きましょう。そして素早くこの村から離脱すべきです」
「うん。これで最後だ」

空のボールを腰に戻して立ち上がる。そんな中、珍しくロロがイオナを呼び止めて何か二人で話していた。何を話していたのか気になるところではあるけれど、無理やり聞き出すつもりもない。何食わぬ顔で俺たちの後ろを歩きだす二人を一度見てから、三度目の下り坂を歩き出す。

そしてもう一度、村を見回してみたとき。全くの、別物に見えてしまった。
ポケモンも人間もハーフも。ここに住む者は皆、恐ろしくみえてしまったのだ。今は昼間で日はまだ高い。けれど何度見てみても、道行く人たちの足取りは、百鬼夜行のそれのようにしか思えなかった。

純粋に狂っている。まさに、この言葉がぴったりだ。




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