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外に出て、一度大きく深呼吸をした。空は青い。白い雲はゆっくり流れている。
俺の旅が今、始まる。そう!手持ちポケモン0体で!俺の旅が始まってしまうのだ!!
……こんなにも由々しき事態に直面したことがあるだろうか。いや、ない。ロロの"おかげ"ですっげー重たくなった斜めにかかっている鞄を一度片手で持ち上げてからすぐに落とす。
「さて、アヤくん。どっちに行こうか?」
「ていうかここどこだよ。なんていう町なんだよ」
「さあ?自分で調べて」
「っんとにお前は……」
ポケットに入れてあった携帯を取り出しロック画面を解除した。昨日のうちに充電はしておいたから今のところ満タンではあるが、多分これも今日中にまた0になるだろう。……って、癖で携帯出しちまったけどここの地図って出せるのか?
そう思いつつ画面を見れば、入れていたアプリが全て見たことのないものに変わっていた。それはそれでソシャゲのデータがどうなったのかとか心配になったが、まあ、もう向こうに戻る気はさらさらないから良しとしよう。
「おっ!?地図あるじゃん。ていうか見たことない地図だ!すげー」
「へえ、どうやら向こうの機械もこっちで使えるみたいだね。まだ液晶画面にデータが映るあたり時代に乗り遅れてる感あるけど」
地図を拡大縮小しながら、ロロにそれはどういう意味かと問う。聞けば、今のイッシュ地方の携帯は腕時計型が基本。ボタンを押せば、映像が宙に浮かんで半透明なそれに触れれば色んなアプリが起動できるとか。つまり、液晶画面が無いということらしい。俺のいた世界より色々進みすぎていて実際に見るまでは信じられないと思う。
「ここは……サンギタウンか」
サンギタウン。ゲームでも特に何もなかった場所ではあったが、まさかこんなに何もない場所だったとは。ポケセンの後ろに建っていた古い時計台を眺めてから再び携帯画面に視線を落とす。地図を少し上に動かし、吹き出しが出ている個所をみてみた。……「アデクの家」。すこぶるどうでもいいのですぐにその横に動かすとまた吹き出しがある。今度は……「サンギ牧場」!たしかここには野生のポケモンがいた!えーと、そうだ、リオルも出るはず!俺レパルダスよりルカリオの方が好きだし、そうだリオルを捕まえよう。
「ロロ、サンギ牧場行くぞ。リオル欲しい」
「欲しいって、俺に言われても困るんだけど」
「最初の一匹捕まえるときぐらいは協力しろよな。でなきゃいつまで経っても野生のポケモン捕まえられねーじゃん」
「アヤくんが体当たりすればいいじゃん。体当たりぐらいできるでしょ?」
コンクリートの上を歩いていたが、ロロの言葉で立ち止まる。対するロロは変わらず歩みを進めていて、どんどん俺とロロの距離は開いていった。どこまで俺を置いていくのか。意地でも動かないでいれば、木と木の間に小さな階段があるところ、一段昇ったあたりでやっとロロが振り返った。約50メートルぐらい先、「早くおいでよー」なんて手を振るヤツの姿が見える。……ロロがクソすぎて言葉もでない。
「体当たり?はあ?ポケモン相手に人間が体当たり?馬鹿じゃねーの。俺死ぬじゃん」
「それぐらいじゃ死なないよ。その前にアヤくん遅すぎて当てられないかもねー」
まだ距離はこんなにあるというのに、向こうからロロが俺に向かってそう叫ぶ。まだ時間帯が早いのか、ただ単にこの町の人口が少ないだけなのか、人はいないが誰かに聞かれているような気がして慌ててロロのところまで走って行った。やっと追い付き、肩で息をしながらロロに向かって拳を振るうと綺麗にそれは避けられる。
「あのなあ!体当たりっつーのはポケモンの技だ!ポケモンがやることであって、人間はやらねえしできねえっての!人と獣を一緒にするな!」
ロロを睨みながら見上げれば、ゆっくり視線を動かすのを見せ俺を見下ろすロロの目が、途端に刃のように鋭く光って俺を刺し殺す。……何か、地雷を踏んだか。真っ青な瞳には静かな怒りが宿っていて、一歩後ろに下がってからショルダーベルトを握りしめる。一気に手汗が湧いて出てきた代わりに喉はカラッカラになってしまった。
「人もポケモンも一緒だよ。痛いのが嫌なだけって、素直に言えよ」
それにさあ。俺だって、今は"人間"なんだけど。
低く、唸るような声が耳に飛び込む。それを頭まで染み込ませているうちに、ロロは俺に背を向け来た道を戻っていってしまった。……待てよ、どこに行くんだよ。、なんて言葉は勿論出ない。出せるわけがない。
「……人間じゃねえじゃん」
一人その場で仁王立ちをしたまま、やっとのことで下に降ろすことができた手の平で拳を握った。
人は人。ポケモンはポケモン。俺は当たり前のことを言っただけなのに。……なのにどうして俺が怒られなくちゃいけないんだ。こんな理不尽なことがあってたまるか。
頭をかき乱してから周りを見ると、すでにロロの姿はどこにも無かった。探す気にもならず、仕方なく一人で携帯のマップを頼りにサンギ牧場を目指す。途中、ゲームで言うたんぱん小僧とかミニスカートと目があってしまいバトルを申し込まれたものの、ポケモンを持っていないことを告げると決まって「なら草むらにはいっちゃだめだよ。どうしてこんなところにいるの?早く町に戻ったほうがいいよ」的なことを言われた。しかし俺は、それを軽く流して先に進み、今に至る。
「……全然ポケモンいねえし」
乱暴に草を踏み進んでいるが、結局あれから一匹として野生のポケモンを見ていない。なんだ、もしや俺を恐れて向こうが逃げているのか?……まあいいや。向こうに来る気が無いならこっちからいってやる。もういい。こうなったら体当たりぶちかまして、俺一人の力でポケモンを捕まえてやる。もしくは、ポケモンとのバトルで大怪我をしてロロに後悔させてやる。お前の言うとおり体当たりしたら、こんなことになったんだぜって怪我を見せつけてやらあ。
……いやはやしかし、本当に何も出てこない。何も出てこないまま、短い橋を渡って真っ直ぐ前に繋がる道を進んで行くと左端にトラックが見えてきた。その先には手作り感満載のアーチのようなものと、横に建て看板がある。
"ポケモンたくさん! サンギタウンから ちょいと はなれた サンギぼくじょう"
「……着いた……」
着いてしまった。アーチの向こうには広大な大地に短い草が生え、たくさんの花が風に揺られているのが見える。…牧場って、勝手に入っていいのかな。入場料とか必要なんじゃないんだっけ。ていうか俺、この世界の金も持ってないや。向こうの世界の金なら少しは……。
アーチには何も設置されていないため、入ろうと思えば簡単に入れるのだが。俺はここで数分、同じ看板を何度も見たり、意味もなく辺りを見回したりうろうろと不審者のような行動をしてしまっていた。……だって、誰もいないし、入っていいのかも分からないし。
「おや、君。どうしたのー?」
「っは!?」
ひょっこり。看板を眺めること何十回目というときだった。アーチの向こう側から男がやってきて俺に声をかけてきた。その声に驚いて思わず飛び上がると、男が暢気に笑いだす。それに俺は恥ずかしさを少し残したまま、曲げていた腰を元に戻して男を見る。
「あ、あの。牧場、中、入ってもいいですか」
「もちろんいいよ!ここに来るのは初めてかな?」
「あ、はい……でも、あの、俺リオルを捕まえたくて、」
「野生のポケモンも出るってことは知っているんだね。ところで君、ボールを持っていないようだけど?」
……い、痛いところを突かれてしまった。しかしながらこの人の胸には「オーナー」のバッヂが付いているし、嘘をつくのもあれだろう。素直にポケモンを一体も持っていないことを言うと、当たり前のように驚かれてしまった。ああ、これはまた町に戻れと言われるパターンか……。半ば諦め、夢を見るかのように牧場を眺めて、。
「そっか。じゃあ気を付けてね」
「……えっ、!?中、入ってもいいんですか!?」
「うん。牧場にはぼくのハーデリアもいるし、すでに何人かトレーナーさんも遊びにきてるみたいだから、何かあったら大声をあげてくれればすぐに駆けつけてくれるよ」
君、トレーナーになりたいんでしょう?頑張って。
そう言いながら俺の肩を軽く叩くと、にこりと笑ってから牧場内にある家に向かって戻って行くオーナーさん。
「──……、」
がんばって。がんばって。、この世界に来てからクソ冷たい馬鹿猫としか話していなかったせいか、ただの言葉がこんなにも優しく聞こえてしまう。不意に鼻先がツンとして、滲みそうな視界を慌てて腕で拭った。きつい喉元に溜まった唾を通して、オーナーさんの背を眺める。
……そうです、俺は。今はまだ手持ちポケモンもいないけど。トレーナーに、なりたいです。だから、そう、
「……がんばります……っ!」
大きく一歩踏み出して、やっとアーチをくぐり抜けた。芝生を踏みしめ、思い切り駆け出す。
そうだ。もしもリオルを捕まえたのなら、真っ先にオーナーさんに見せてあげよう。ほら見てください、俺がんばりましたって。
──……期待と少しの夢を抱いて、牧場を一人駆け出した俺のその後ろ。木の上で高みの見物をしていた猫が笑っていたことには気付かない。