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村はのどかで、緩やかな時間が流れていた。
田畑も立派なもので、作物は実り、収穫の時期を迎えている。リヒトの母親が一緒にいるせい、いや、おかげというべきか。で、道行く人が声をかけてきたりこちらに手を振ったりしていた。彼女は随分と顔が広いらしい。そもそも村だし、村人全員が全員を把握しているのかもしれない。

それからここには、小さいながらも学校があった。生徒は当たり前だが全員がハーフである。先生は人間とポケモンで行っており、どちらの生活スタイルも学べる場となっていた。閉鎖的空間かと思えば、意外と授業内容は外へ出たとき役立つようなものばかり。まあ、授業とは言っても聞いている者・きちんと理解できているようなハーフはほとんどいないようで、"学校"という場所を知っている俺からすると、すごく異様な空間だと思った。

「お勉強してえらいわ。いい子、いい子」

リヒトの母親が、椅子に座れず移動式のベッドに横たわっているハーフの子の頭を撫でる。手のようなものに触れ、優しく握って話しかける。……俺なら触れるなんてとんでもない、見ることすら何となく憚られるのに。彼女の慈しむ姿を内心驚きながら見ていると、ふっと視線が合った。手招きされ、無視するわけにもいかず、ゆっくり足を動かして。

「この子はシビルドンと人間のハーフなの」

シビルドン。あの魚っぽいポケモンか。擬人化すればどんなポケモンだって俺から見ればイケメンや美女になるってことは知っているし、もう種族云々なんて気にしない。
……ふと。先ほどまで天井をじっと見ていた目が俺を見る。びくりと思わず肩を飛び上がらせてから目を泳がせていると、ばちりと電気が走る音がした。時間をかけて俺に向かって伸ばされる手のようなもの。戸惑いながらリヒトの母親に視線を向けると、笑顔で頷いている。
──……おずおずと手を伸ばして、触れた。
ばちり。また電気が弾けるが、不思議と痛くはない。

「アヤトくんのことが気になるみたい。見て、笑っているわ。とっても嬉しそう!」

数秒もしないうちにすぐ手を離して、その顔を見てみる。これを笑っているというのか。俺にはどうしてもそうは見えなかったが、その間もずっと電気はばちばちと鳴り続けていた。
……でも、触れた手は確かに、あたたかかった。この子も今を生きている。精一杯、生きているに違いない。





「お昼ご飯の準備をするから、お腹が空いたらまた家に来てね」

そういうと、俺とロロを残して去っていくリヒトの母親。完全に俺も彼女の子どものように扱われている気がする。でもあの人の作るご飯美味しいし、まあいいや。
村を自由に見てもいいらしい。とは言うものの、行く宛ても特になく、とりあえずロロの後をついてゆく。そろそろ気を休めたいなと思いつつ歩いていたら急にロロが道から外れて、歩けるだけの簡単な舗装がされた道を歩き始めた。こんな道を見つけるなんて、やっぱりロロは目ざとい。
坂道をのぼって辿り着いた先、村からも見えていた小高い丘のようなところに出た。何も無いが開けていて、ここから村全体を見渡せる。逆に村からここは木しか見えないようになっていて、気を休めるには打ってつけの場所だった。

「はい、お疲れ様。ここならみんなも出せるでしょう」
「だな」

あちこちに隠していたボールを掴み、シュヴェルツェ以外全員出す。背伸びをしてからエネコがすぐに駆け寄ってきて俺の肩に飛び乗ると、村をぐるりと見渡した。その後ろ、祈と詩も人の姿になってからのんびり歩いてやってくる。そうしてエネと同じく興味深そうに村を眺めていた。

「いいところだね。みんな仲良しで、楽しそう」
「ハーフっていうだけで身構えてしまっていたけれど、ここにいるハーフたちは大丈夫そう」

俺と同じような印象を持っていることに内心嬉しくなりながら、祈と詩の会話を聞いていたが。
後ろから、イオナが言う。

「──……臭いますね」

直後。
ウゥゥゥウウ、ウゥゥゥウウ。

まるでイオナの言葉が合図だったかのように、突然、村全体に警報が鳴り響いた。肩にいたエネがびくりと飛び上がり、かと思えば俺の前に出て警戒態勢に入る。祈と詩もポケモンに戻って俺の傍に寄ってきた。両脇にはロロとイオナが立ち、事の様子を伺う。
……な、なんなんだ。平和だと思っていた矢先にこれだ。心臓は一気にバクバクするし、今もまだこれから一体何がどうなるのか予想もつかない未来に不安を隠しきれない。それでもなるべく冷静でいられるよう、頭の中で「落ち着け」と自分に言い聞かせる。

『──……アヤト、大丈夫。私たちの周りは特に何も変わったことはないよ』
「そ、そっか……」

俺の腕にリボンをそっと巻きつけながら祈が言う。俺の腕時計には"研ぎ澄ます"の文字が浮かんでいる。祈が技を使ったということだ。とりあえず、すぐに自分たちの身に火の粉は降りかかってこない。それが分かっただけでも一安心できる。一番に寄り添ってくれた祈の頭を撫でると、水色の瞳を細めて頬を擦り寄せた。

「イオナくん、見える?」
「ええ。村人、正確に言えば擬人化したポケモンたちがみな、無線機を使っております」
「……"お守り"、ねえ。彼女はマハトさんの奥さんだから特別に持っていたのかな」

未だ警報が鳴り響く村の中。外を歩いていた女子供は家の中に入ってゆくのを見た。……ただ、どうも様子がおかしい。こんなにも不安を煽るような音で警報が鳴っているというのに、皆急ぐ様子もなくのんびりと家の中に入って行っていた。これじゃあ何のための警報なんだかわからない。

『みんな音に慣れすぎているから慌てないのかしら……?』
「いや……例えば……、村全体に何かを知らせる音。警報ではなく、別の意味を持った音、……なら、別にこの音じゃなくてもいいはずだ」

ロロが言う。確かに、それならみんなが慌てていないことに理由がつく。仮にそうだとして、ならばこの音には何の意味があるのか。
ふと、イオナが視線を動かした。次いでロロ、詩が同じ方向を見る。……だめだ。俺の視力では何も見えない。視力や聴力が人間よりも遥かに上回っているイオナたちには何が見えているのか。

『あれは……人間。二人とも白い服、着てるねえ』
「5時の方向。後ろ、先ほどアヤトとロロさんに接触していたルカリオですね」
『村にいたポケモンたちも動き出したよ。あの人たち、……悪い人間、なのかな』

心配そうにつぶやいた祈の横。俺は咄嗟に近くに落ちていた木の棒を拾って、地面に今聞いたことを図で簡単に書いてみた。マハトさんが動いたということは、ハーフを探しにやってきた人間たちに違いない。

「……まるで巻狩だな」
「まきがり?」

ロロが中腰になり、俺の手から木の棒を奪うと地面に追加で書き足した。棒人間2体を囲むように、多くの丸が書き足され、そこから出るすべての矢印が棒人間へ向かっている。

「狩場を大人数で四方から囲んで、獲物を追い込んで捕らえる狩りのことさ。組織的な動きができなければ出来ない狩猟法だ。……あの動き、明らかに慣れている」
「……な、なに言ってんだよ……狩りって、だって、人間だろ……?」

そこで、ふと思い出す。セッカシティで頻発していた失踪事件。いなくなった者は皆、研究者だという話を聞いていた。……まさかその研究者たちはこの村と何か関係があるのか……?そもそもここまで辿り着くのは容易なことではないはずだ。たまたま俺たちと同じ日にたどり着いたのか?……いや、ここへ来るまで他の気配はなかったとイオナとロロは言っていた。ならば、今マハトさんに追われている人間たちはどこから湧いて出たのか。

「この警報は、……村の住人たちが狩りを始める合図だったのでは」
「なるほどね。だとすると、警報は研究者たちへ向けられたものだったのかな。あはは、随分面白いことするねえ」
「なっ、何笑ってんだよ!?助けなくていいのか!?」

勢いよく立ち上がり、イオナとロロを見た。咄嗟に出た言葉だったが、自分で言ってから今の言葉は言うべきではなかったとすぐに気づく。何も言わない二人を前に、唇を噛んでから目を泳がせたまま地面を見る。
……ここは、ハーフの村だ。マハトさんに許してもらえたから俺は平気、なんてことはない。きっと、いや絶対。俺が研究者たちの味方をしたならば、即刻敵と見なされるだろう。マハトさんも、この村に住んでいる人やポケモンたちも。生きるため、ハーフである我が子を守るために必死なんだってことは、村を見て回ってよく分かったところだというのに。

「アヤト。貴方も親友をあんな姿にしたのは研究者だと分かっているでしょう。なのに研究者を助けたいのですか」
「っでも!今あそこにいる奴らは関係ないだろ!?もしかしたら、……良い、研究者かもしれない、……っ!」
「良し悪しは俺たちには分からない。けれどマハトさんたちにとっては研究者は皆、悪なんだろうね。今まで彼らが研究者たちにどれほどの苦痛を与えられたのか俺たちは知らないし、絶対に分かることもできない。ここで下手に介入するのは危険すぎる」
「……っ、」

ロロの言葉がその通りすぎて、一言も言い返すことができなかった。
俺は人間だけど、ポケモンである仲間が好きだ。ハーフであるリヒトも好きだし、この村の人たちも嫌いとは言えない。どこに味方するでもなく、どこを敵とするわけでもない。結局俺はどっちつかずだから、こういう時に口だけで何もできないんだろう。

拳を握り、心臓をばくばく鳴らしたまま村を見下ろしていた。逃げ惑う人間を容易く囲い、追い込む村の住人。あっという間に捕まり、連行される姿を見て。
……一人、なんともやるせない気持ちになっていた。




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