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「私はマハトだ。よろしく」

完全に閉まる門を背に差し出された手を見る。右も左も、当たり前のことながら今は人間の手そのもの。おずおずと手を出すと、しっかりと握られた。……リヒトが苦手だと言っていたリヒトの父親改めマハトさん。俺も、ちょっと苦手かもしれない。もしかして、どこん家の父親もこういうものなのか。
手を離し、どこへ行くのか彼が歩き始めた後ろ。ベルトについているボールに触れながら、マハトさんに訊ねる。

「あ、あの。……一人、出してもいいですか」
「──ああ、もちろん」

見透かすような目に、少しの緊張を持ちながらボールのスイッチを押した。中からレパルダスが出てきて、すぐに人間の姿に変わる。最初、俺の顔を見てから何か意味ありげな笑みを浮かべたロロが、スッと前に出て俺とマハトさんの間に入った。……やっとだ。やっと、壁ができた。やっと、あの視線から逃れられる影ができた。

「初めまして、マハトさん。俺はロロ。……よろしくね」
「よろしく。……ふむ。君は、私と似たような臭いがするな」
「そう?俺は全然違うと思うけど」

……あれ。……もしかして俺、出す奴間違えた?
明らかに二人とも敵意むき出しのくせに、表情は穏やかでめちゃくちゃ怖い。冷戦だ。やばい、間違えた。かと言って、またロロを戻そうとも思えず。マハトさんもふっと視線を外して進み始めたから、きっとこのままついて行っていいということなんだろう。

「彼女のところへ案内しよう。君の目的は彼女に会うことだろう」

歩きながら礼を言い、マハトさんの後ろを歩く。俺の後ろにはロロがいて、視線は村へと向いている。俺はというと、何となく顔を伏せ気味で歩いていた。
……村を見てみたいとは思う。しかし顔をあげた途端、珍しい訪問者に自然と向けられる数々の視線を直に浴びることになってしまいそうで、何となくそれが気まずい感じがしていた。見た目が全てではない。きっとここにいるハーフたちもリヒトのように心優しく、俺たちと同じように日々を生きているんだろう。頭では分かっている。きちんと分かっているが、どうしても差別的な見方を捨てきれずにいる。そんな風に見てしまう自分がいるから、彼らに対してどこか申し訳ない気持ちになっているのかもしれない。

「……さあ、ここだよ」

村というだけあって、あっという間についた。ごく普通の木造の少し小さめな家。以前の豪邸を知っているからなのか、なんというか、余計に小さく見えているのかもしれない。
マハトさんが家の扉を手の甲で叩く。それからすぐ、内側からコンコンと音がして、それにまた外から何回かノックをするとゆっくり扉が開いた。今のはもしかして、だれが来たのかを確認するやり取りだったのか。

「どうしたの?こんな時間に戻ってくるなんて珍しい」
「君にお客様だよ」
「お客様?」

水色の髪を揺らす彼女は、相変わらず愛らしい容姿をしていた。マハトさんが体を横に動かして俺の前から退いたとき、リヒトの母親の大きな目がさらに大きく見開いた。それからすぐ、少し表情を強張らせてから一歩前にでて俺の両手を掬い上げる。

「アヤトくん、」
「お、お久しぶりです。……その、……」

握られている手は暖かい。包み込まれるように握られながら、そのまま家の中へと誘われる。後ろ、マハトさんが身を翻して外へ出た。「あとは任せたよ」、一言残し、また門のほうへ戻っていく。それを見送ってから、リヒトの母親が扉をゆっくりと閉めた。振り返り、こちらを見て。

「ここまで来るの、大変だったでしょう」
「……はい」
「さあ、座って。今、お茶を淹れるから」

俺とロロを椅子へ座るように促すと小さなキッチンへと向かう彼女を見る。……リヒトのことは、彼女ももう知っているとマハトさんは言っていた。ならば今、無理やり明るく接してくれているのか。以前よりもだいぶ痩せたように見える彼女を心配に思う。この俺だって、あれほど大きなショックを受けたのだ。ならば母親であるこの人は、……どれほどのショックを受けたのだろう。俺には絶対に分からない。

「あ、……あの。リヒトのことについて、話を……」

椅子に座る手前、勇気を出して声を出すと、戸棚を開けていた彼女の手がぴたりと止まった。それから俺を見て、にこりと笑う。

「リヒトなら、二階でお昼寝中よ」
「──……え、?」
「昨日たくさんお仕事をしていたから、きっと疲れているのよ。せっかくアヤトくんが遊びにきれくれたのに、ごめんなさいね」

そういうと、戸棚からお菓子を出して背を向けて、紅茶を淹れ始めた。……言われた俺は、今、一体何を言われたのか理解しようと必死になっている。聞き間違えか。いいや、あんなに長い言葉を聞き間違えるわけがない。
そう。リヒトの母親は、まるで今もなおリヒトが生きていて、さらにはここにいるような言い方をしていたのだ。

「ロ、ロロ、……」
「……リヒトくんの話題は、出さないほうがいい。もしも彼女から話題を振ってきたら、話に乗るんだ。下手に否定はしないように。いいね?」

ロロの青い瞳がギラリと光る。異様な雰囲気に、ただ小さくこくりと頷いた。……少なくとも、リヒトの母親はリヒトを死んだとは思っていない。だとすれば、リヒトの遺体を持ち去ったのは彼女ではない。そのことが分かっただけでも、とりあえず良しとしよう。

「はい、どうぞ」

いい、匂いだ。目の前に差し出されたティーカップをのぞき込むと、茶色の水面に自分の顔が映る。色んな意味で困惑しているが、なんとかあからさまに表情には出ていなくて一安心した。若干冷えた指をカップの取っ手に絡ませて持ち上げる。温かくて良い香りの紅茶が一時でも心を落ち着かせてくれている気がする。

「もしかしてアヤトくん、今日リヒトと遊ぶ約束をしていた?」
「っえ、!あ、……えと、そう、なんですけど、……はは。寝てるなら、起こすのも可哀想なんで、いいですよ」
「アヤトくん優しいのね。ありがとう。起きたらアヤトくんが来てくれたこと、きちんと言っておくから」
「はい……」

彼女の一言一言に緊張しまくってしまう。俺はちゃんと受け答えができているのか。心配とドキドキで手汗がじわりと出てくる。答え方、間違えてないよな……?隣へ何度も視線を向けてみたものの、ロロの奴、知らん顔で呑気に紅茶を味わっていやがる。かと思えば、カップを置いて、彼女を見て。

「実は今日、リヒトくんに村を案内してもらう予定だったんです」
「あら、そうだったの?」
「すごくいいところだと聞いていたので、ぜひ見てみたいと思ってとても楽しみにしていたのですが……」
「まあ……」

平然を装う。別に飲みたくもない紅茶をずっと飲むフリをしながら、ロロの完璧な演技を横目で見ていた。表情、声色。すべてが本当のことに聞こえる。こういうのは普通にすげえと思うんだけど、突然すぎる。事前に俺に言っておいてくれてもいいのに。内心ムッとしながら話の行く末を見守っていれば。

「なら、私でよければご案内しましょうか?」
「本当ですか!?わあ、嬉しいなあ。よかったね、アヤくん」
「えっ!?え、うん!嬉しいです!ありがとうございます!」

突然話を振られて驚いたが、俺だってやってやったぞ。今日の主演男優賞は俺で決まりだ。……というか、ロロの目的はこの村を見て回ることらしい。上手い具合に事が運んで、本人もしたり顔を隠しきれていない。まあ、リヒトの話ができないことは俺にも何となく察せたし、色々と心配なことはあるけれど慣れるということも含めて村を見るのもいいだろう。

「それじゃあ、少し待っていてくれるかしら。私も出かける準備をするから」
「はい、よろしくお願いします」

一旦家の外に出て、リヒトの母親が出てくるのを待つ。……俺の目的はリヒトのことを話すことだったが、それもできなくなってしまってなんとなく不完全燃焼だ。小さくため息を漏らす俺の横、ロロがひっそりと話し出す。

「アヤくん、油断はしないでね」
「油断も何も、ここには何も、」
「──いや。正直、この村……」
「な、なんだよ」

言葉を止めるロロを若干ビビりながら見上げると、真顔から口角をクイと持ち上げて笑みを見せながら俺を見る。

「とりあえず、よく見ておいたほうがいいよ」
「おい、さっきの続きは!?」
「えー、なんのことだろう?」
「っだー!言う気がねえなら初めから言うなってーの!」

頭を掻きむしりながらニヤニヤしているロロを睨んでいると、扉が開いてリヒトの母親が出てきた。先ほどと何ら変わりないように見えるが、ロロが目ざとくそれを見つける。

「それ、なんですか?」

ロロの視線の先には、彼女が腰からぶら下げている無線機のようなものがある。彼女もそれに一度視線を落としてから、にこりと微笑み答える。

「これは、"お守り"よ」
「お守り?」
「ええ。さ、着いてきて。どこから案内しましょうか」

どことなく楽しそうな彼女の後ろ、俺は首を横に傾ける。さっぱり意味が分からない。その俺の横、やはりロロはどこか真剣な表情で"お守り"を見ていた。
あれが一体何なのか。分からなければ、分からないままでいいさ。とにかく何事もなければいいなと思ってから、だいぶロロの言葉に影響を受けていることに気づいて頭を掻いた。




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