3

聞いていた以上、いや、想像以上に村までの道のりは険しくて、さらにものすごく遠かった。迂回に迂回を重ねてまた迂回、さらには人跡未踏のもう完全に道なんて呼べない地を歩き続けている。これじゃ筋肉痛になる暇もない。
野宿は……そうだな、今日で6日目か。毎回似たような缶詰飯にもそろそろ飽きてきた。あーあ、イオナの作ったご飯が食べたい。もしくは美玖さんのところへ食べに行きたい。

「アヤト、疲れましたか?」
「疲れたに決まってる。地面で寝すぎて久々にケツがカチコチだ」
「あはは、口は元気なようだね」

相変わらず三人で歩きながら、先頭のイオナの足跡の上を歩く。そうしろって言われたからそうしているが、これがなかなかに面白い。その後ろ、ロロも同じように足跡の上を歩いていた。三人いるが、一人だけの足跡しか残らない。やっていることは単純だが、これが相手を欺く行動に繋がると考えると、素直にすごいと思った。

「そういうクソジジイ猫どもだって足取りが重そうだぜ?いつもの身軽さはどうしたんだよ」
「そりゃジジイだって疲れるさ。特に俺は持久力がない」
「なんだ、自分でも分かってるんだ」
「お互い口だけは元気ですね。……しかし、そろそろ体力も回復して頂かないといけない頃合いですよ」

ぴたり。イオナが止まって振り返った。そうして指差す先、──……高い高い壁が、木々に隠れて見えたのだ。緑色の木々と合わせて緑色の壁が立ちはだかっている。まさに迷彩色と言えるだろう。この壁の向こうに、村がある。イオナに言われずとも、絶対にそうだと思わせる雰囲気があった。
極力音を出さないように、イオナの指示でそっと背の高い草むらの中に身を屈める。

「さてアヤト、ここからは貴方の言動行動次第で村に入れるかどうかが決まります」
「どういうことだよ」
「私とロロさんもボールに戻ります。つまり、村へ入るときはアヤト一人だけです」

思わず口を開けてしまったが、声は一つも出なかった。代わりにロロが間髪入れずにイオナに向かう。

「だめだ。アヤトくん一人で行かせるのは危険すぎる」
「いいえロロさん。ここはアヤトだけで行かせなければ、余計に危険です。……ハーフたちはひどく警戒心が強い。普通の人間・ポケモンでは村を目視した時点で即攻撃対象とされるでしょう。しかしアヤト、貴方は違います」
「何が、違うんだよ」
「あの村で神聖視されている"彼"の名を、唯一知っているでしょう」

黙って見上げる俺にイオナが無言で頷いて見せる。
事件後、多くの報道陣がハーフ襲撃事件について嫌になるほど放送していたが、誰ひとりとしてその名前を知るものはいなかった。そもそも彼らにとっては生き物として見ていないものの名前など、どうでもよかったのかもしれない。

「……分かった。俺一人で行ってみる」
「でもアヤくん、」
「何だよロロ。いつから母さんみたいになったんだよ。過保護は一人で十分だってーの」
「だそうですよ、ロロさん」
「あっそう」

スッと顔を横に向けるロロを見ながらクツクツと笑いを抑える。イジるのは好きだけどイジられるのは嫌みたいだ。これ以上ロロの機嫌を損ねないうちに気持ちを抑えて、手のひらを一度服で拭ってからロロの前に出してみる。
……いつ以来だろう。
自分の手のひらを見てから、ロロの顔を見て。

「預かるだけだ。俺がお前のトレーナーだなんて思わないから」
「……別に、思ってくれても構わないよ。ただし、今だけだ」
「お、お前、本当になんなんだよ。どうしたんだ?素直すぎて気持ち悪いぞ。デレ期かよ」
「さあて、どうだろう」

ロロが懐から自分のボールを取り出して、そっと俺の手のひらの上に乗せた。お互いに視線を合わせたまま逸らさずに、ボールをしっかりと握りしめる。……初めて持ったロロのボールは、なんとなく他より少しだけ重い気がした。

「勝手に出てくんなよな」
「無茶はしないでよ」
「……へいへい」

ボールの中央のボタンを押すと、赤い閃光と一緒にロロの姿も吸い込まれていった。こういう光景を見るたびに改めてロロはポケモンだったんだと思い知る。
ボールを一度見つめた後、ベルトにしっかりつけてからイオナの手元にある地図のデータを送ってもらった。ここでやっとイオナがとんでもなくすごいことをやっていたことを知る。地図があらゆる線で埋め尽くされていて、一目みただけじゃ何が何だか訳が分からない。一体どれだけの数の道を探していたのか。数えきることが出来そうもない。

「我々が来た道がこれで、進むべき道もこの線です。ここから村までは約1q先ですが、大体1qを切ると向こうのセンサーに引っかかってしまいやすくなるようです。あらゆる可能性を予測して道を選びましたが、これも完全とは言い切れません」
「つまり、村にたどり着く前に見つかる可能性があるということか」
「この先は誰も到達したことがないので、幻術を仕掛けられるか、あるいは物理攻撃を受けるか。私でも分かりませんが……それでもアヤトは進みますか?」
「当たり前だろ。ここまで来たんだ。戻るなんて選択肢は端からねえよ。……それにイオナせんせーが探してくれた道だもん。安心して進める」
「……そうですか」

フッと笑うと案内開始のボタンをイオナが押した。そうすると、俺の腕時計の上に透明な画面が浮かび上がり、少し離れたところが赤く点滅を始めた。──……ここに、村があるのか。

「シナリオはありません。なんと切り出すのか、第一声をなんとするのか。全てはアヤト、貴方が考えなさい」
「……言われずともそうするさ」
「──成功を祈ります。マイマスター」

イオナがボールに吸い込まれるのが早いか、俺が驚く方が早いか。マスターなんて柄じゃないが、そう呼ばれて悪い気はしない。透明な画面を見てから、ひとりゆっくり立ちがあり。

二人がいなくなった瞬間。ここには俺しかいなくなった。確かにみんな近くにはいるが、目に見えるのは誰一人としていない。一気に音が無くなった森は、やけに恐怖感を煽る。
……いいや。ここで怖気づいてどうする。頬を一度思いっきり抓ってから、慎重に一歩を踏みしめる。一歩進むたびに神経を尖らせてしまう。これじゃあ村にたどり着く頃には気持ちの面で思いっきり疲れ果てているに違いない。……もしや、イオナやロロはここまでずっとそうしてきていたのかもしれない。

「……すげーや」

唾を飲み込み、ゆっくり進む。顎まで伝ってきた汗を手の甲で拭って、また画面に視線を落とした。
―リヒトの母親に、リヒトについて俺が知っていることを全て話す。隠していたことや、最期のこと。……上手く話せるかどうかは分からないけれど、それでも、話せるのは俺しかいない。そう、思ったのだ。




- ナノ -